諸星和己

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もろほし かずみ
諸星 和己
本名 諸星 和己
別名義 かーくん
生年月日 (1970-08-12) 1970年8月12日(50歳)
出生地 日本の旗 日本静岡県富士市
身長 169 cm[1]
血液型 A型[1]
ジャンル 歌手俳優
活動期間 1986年 -
活動内容 1987年光GENJIのメンバーとしてレコードデビュー
1995年:ジャニーズ事務所から独立
配偶者 未婚
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諸星 和己(もろほし かずみ、本名同じ、1970年8月12日 - )は、日本作曲家歌手俳優であり、男性アイドルグループ光GENJI(後に光GENJI SUPER 5にグループ名が変更)の元メンバーであり、愛称は「かーくん」。なお、苗字の読みは「もろし」ではなく正式には「もろし」。静岡県富士市出身[2]

所属事務所[編集]

ジャニーズ事務所 → 株式会社GOLD RUSH K(個人事務所として1995年設立。2005年10月に「株式会社スターズクルー」に名称変更。)

ジャニーズ時代の参加ユニット[編集]

人物・来歴[編集]

1970年8月12日、静岡県富士市の米屋の次男として生まれ、父・母・兄・妹という構成の5人家族。

趣味(ゴルフ、乗馬、車、バイク、ギター、タップ、絵を描くこと、書道、カメラ、陶芸、射撃、デザイン画、舞台構成、ローラースケート)
資格(一級小型船舶操縦免許、普通一種免許、自動二輪、スキューバライセンス、英検二級)

2020年現在、ハワイの自宅と日本を行き来し仕事をしている。ハワイではヨガやゴルフ、スイミングなど様々なスポーツを楽しんでいる。

ジャニーズ事務所[編集]

1984年、中学2年生の5月に友達と家出をして上京。その際、国鉄原宿駅前にてジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川に直接スカウトされた(詳細は後述)。その後、1986年1月18日日本テレビアイドル花組おとこ組』の出演者オーディションを受ける形で正式にジャニーズ事務所に入所。この時の同期には、後に光GENJIでも一緒になる山本淳一がいた。

1987年8月19日光GENJI(後に光GENJI SUPER 5にグループ名が変更)のメンバーとしてレコードデビュー。光GENJI時代のイメージカラーはピンク。天真爛漫なキャラクターと印象的な笑顔で、メンバーの中で人気・知名度共に最も高く爆発的な人気を得た。レコードジャケットやポスター撮影などでも多くの場合中心に位置していた。1990年頃まで頭にはバンダナを巻き羽根を付けるなど衣装も他のメンバーのものより一工夫されたものを身に付けることが多く、グループのフロントマン、アイコン的な立ち位置だった。また受け答えが速く面白いためトークでも中心となり重宝された。非常に身体能力が高く、連続バック転、バック宙、前宙、則宙、ローラースケートを履いたままのバック転も軽々こなした。デビュー初期には無茶をし過ぎてしばしば重傷を負い、包帯を巻いたまま、時には松葉杖で歌番組に出演することもあった。グループ時代の骨折は14回。しかし怪我の際も休むことはなく、ギプスや包帯姿のまま歌い踊り、松葉杖には星条旗を付け、センターの役割りを果たした。その凄まじい人気は社会現象となり光GENJIは「最後のスーパーアイドル」と称されている。

1987年、「第25回ゴールデン・アロー賞」最優秀新人賞。

1988年3月、「第2回ゴールドディスク大賞」ザ・グランプリ、シングルオブザイヤー等、6タイトル受賞。以後6年連続受賞。

1988年12月、「第30回日本レコード大賞」大賞受賞。

1989年3月、「第26回ゴールデンアロー賞」話題賞受賞。

1989年3月、パラダイス銀河が第61回選抜高等学校野球大会入場行進曲となる。

1989年11月、「第20回日本歌謡大賞」大賞受賞。

NHK紅白歌合戦出場歴
◯1988年 (昭和63年) 第39回 光GENJI '88メドレー(ガラスの十代、パラダイス銀河、Diamondハリケーン、剣の舞)
◯1989年 (平成元年) 第40回 太陽がいっぱい
◯1990年 (平成2年) 第41回 CO CO RO
◯1991年 (平成3年) 第42回 WINNING RUN
◯1992年 (平成4年) 第43回 リラの咲くころバルセロナへ
◯1993年 (平成5年) 第44回 勇気100%

1994年3月、「一匹狼」でソロデビュー。

1994年8月、大沢樹生佐藤寛之の2人が大阪城ホールでのコンサートを最後に脱退。この時、諸星は涙ながらも笑顔で「もし何か辛いこと悲しいこと…何かあったら、いつでも光GENJIの2つの席は空けてるんで、戻ってこいよ」と伝えて佐藤寛之に花を渡し、泣き崩れる大沢樹生の背中を抱擁した。

1995年9月1日、最後のミュージックステーション、出演回数234回歴代トップ。

1995年9月3日、光GENJI SUPER 5解散。
卒業コンサートではローラースケートを揃えて脱ぎ、ファンに感謝の思いを伝えた。アンコールで諸星はファンの中へとダイブした。

光GENJI、光GENJI SUPER 5として
シングル総売上 29タイトル 計1,530万枚
アルバム総売上 29タイトル 計880万枚
VIDEO総売上 15タイトル 計320万本
コンサート動員 539公演 計333万6,594人[3]

独立して個人事務所を設立[編集]

1995年、グループ解散と同時にジャニーズ事務所から独立。個人事務所「株式会社GOLD RUSH K」を設立(2005年10月に「株式会社スターズクルー」に名称変更)。同時にファンクラブ『GOLD CLUB K』を発足(2005年12月に『Pin,K』に名称変更)。

1997年、9月20日に公開されたアニメーション映画『幕末のスパシーボ』の主題歌「終わりのない夢」を提供。

2000年、自社音楽レーベル「PINK A ROCK RECORDS」を設立。セルフプロデュースによる楽曲を音楽配信、CDを発表。

2001年5月、渡米。同年9月にアメリカ同時多発テロ事件が発生。日本のテレビ局が現地でリポーターをしてくれる日本人芸能人を探していたが現地にいた日本の芸能人は軒並みテロの危険を感じ帰国していた。その時、現地に諸星が在住していると情報を聞いた番組スタッフが出演の交渉をした。当初は出演拒否をしたものの「iビザ(報道関係者ビザ)」が発行されると聞くと快諾。フジテレビ系列ニュース番組「情報プロジェクトS」の現地リポーターとなった。番組内の「Be New Yorker 諸星和己のNYライブ・リポート」で毎週現地リポーターとして出演した。ニューヨークの人々と触れ合い、ダンスやボランティアに参加して街が復興する様子を伝えた。番組内ではトム・クルーズ他にインタビューをしている。その時の著名人との繋がり、ビートたけしの推薦もあり、後に米国永住権(グリーンカード)取得。[4]

1995年12月~2004年の9年間でファンクラブライブ・ディナーショーを含め約150本のライブを行った。[5]

2006年 - 2007年、KANGOL JEANSのイメージキャラクターに起用された。

2006年7月 カミタミカ「まっすぐに」&「PARADISE」編曲を手掛ける。

2006年11月、日本ダイエットアカデミー協会の広報宣伝担当取締役社長に就任。

独立後は全ての楽曲をセルフプロデュースしてきたが、2007年1月、つんくプロデュースで「なぁ」を発売。オリコン週間シングルチャート(インディーズ)で1位を獲得した。

2007年7月7日、GemCERRY ジュエリーデザイナーデビュー。

2007年10月、「最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦」出場。MONSTER BOX 16段、MUSCLE GYM 197回(芸能人歴代10位)、PECTO CROSS 50kg。

近年の活躍[編集]

現在では歌手、タレント活動の傍ら、商業プロモーションなどを手がける。主に8月、12月に開催するライブは自作の曲が中心で立ち見が出る人気となっている。ホテルではディナーショーを開催し煌びやかなステージをみせている。舞台でも歌声を披露する(舞台の項目参照)自身が作詞作曲し多数のCD・DVDを製作、配信している。(ディスコグラフィ参照

2010年8月12日、40才の誕生日を迎え東京・青海のzepp tokyoでバースデーライブを行い、光GENJIの再結成について言及。また、元メンバーの佐藤寛之が(諸星をイメージした羽根を頭に付け)アンコールで登場した。[6][7]

2011年6月、光GENJIの元メンバーである佐藤寛之山本淳一と共に、TUBEの東日本大震災復興応援歌「RESTART」に参加した。

2011年8〜9月、Shake A Live TOUR 2011を行った。 (ソロツアー&チャリティーイベント、ゲスト:佐藤寛之&山本淳一、ダンス指導:元忍者柳沢超) [8]
2011年9月、このツアーで集まった義援金171万7297円を、東京都目黒区を通じて「宮城県:気仙沼市」「岩手県:陸前高田市」「岩手県:大船渡市」へ寄付。[9]

2012年5月、ゴルフのザ・レジェンド・チャリティプロアマトーナメントに出場。

2012年10月7日、ジャパン・オープン・テニス選手権 2012にて決勝前に国歌斉唱。

2013年5月、ゴルフのザ・レジェンド・チャリティプロアマトーナメントに出場。

2013年7月12日、ダイヤモンドブログにて、オフィシャルブログ NOWADAYS スタート。

2014年5月、ゴルフのザ・レジェンド・チャリティプロアマトーナメントに出場。

2014年6月、元メンバーの大沢樹生が初監督を務める映画「鷲と鷹」に大沢とW主演、20年ぶりに共演した。記者に不仲を質問されると、大沢「ほんとです」諸星「間違いありません」と答え笑いを誘った。

2015年4月、ミュージカル「4BLOCKS」(演出:河原雅彦、キャスト:DA PUMPISSA山崎裕太175RSHOGOはいだしょうこ他)にて主演と音楽を担当。

2015年6月17日、鶴久政治プロデュース、マキシシングル&DVD「あさきゆめみし」発売。(作詞:綾小路翔 作曲:鶴久政治)詞には「日本一光GENJIに憧れた男の子」を自認する氣志團綾小路翔が想いを込め、光GENJIの歌詞を思わせる言葉が散りばめられている。カップリングにはチェッカーズのヒット曲「夜明けのブレス」のカバーが収録された。

2016年11月、TBS「クイズ☆スター名鑑」で、大沢樹生佐藤寛之山本淳一とローラースケート対決を行い変わらぬ体型と滑りを見せた。不仲が心配されるも、視聴側の芸人陣が大爆笑となるトークで意外な仲の良さを感じさせた。(1人だけレンタルスケートの大沢が転倒し「担架…」と叫び、それをまたぐ諸星。三つ巴の接戦の中、ゴール直前に諸星と佐藤が接触し転倒、一瞬の隙にゴールした山本が1位。諸星と佐藤はもつれあったまま2位3位でゴール)

2017年5月、横浜スタジアムで行われたプロ野球横浜DeNAベイスターズ×中日ドラゴンズ戦の始球式を務めた。また試合終了後の「BLUE☆LIGHT Celebration」にも出演し、光GENJIのデビュー曲「STAR LIGHT」をローラースケートで披露し、会場を湧かせた。

2017年5月、ゴルフのザ・レジェンド・チャリティプロアマトーナメントに出場。

2017年8月、幕張ビーチ花火フェスタ「オモロック2017」に出演。光GEININ(ジャルジャル、ジャンポケ太田、おたけ、コロコロチキチキペッパーズ)という一夜限りのSPコラボステージを披露。

2017年、光GENJI30周年を記念しディナショーを開催。『諸星和己・大沢樹生 ふたりのビッグショー2017 ~光GENJI 30周年を想う~』10/27 東京:ウェスティンホテル東京フジテレビ TWO/TWOsmartで独占放送・配信。

2018年5月、前年度に引き続き横浜スタジアムにて「BLUE☆LIGHT SERIES 2018」に出演し始球式を務めた。DeNA×諸星和己がコラボしたキャップやTシャツなどの「カークン」グッズが限定発売された。試合終了後には「パラダイス銀河」を歌いマイクを握ったまま側転を披露。アンコールではローラースケートを履いて「STAR LIGHT」を歌い華麗な滑りを魅せた。

2018年5月、ゴルフのザ・レジェンド・チャリティプロアマトーナメント石川遼とラウンドを共にした。この第10回大会をもって大会の歴史に幕を閉じた。諸星和己は計5回出場している。

2018年9月、松本人志による番組「HITOSHI MATSUMOTO Presents FREEZE(フリーズ)」に出演。Amazon Prime Videoから配信された。

2019年にジャニー喜多川が死去の際には、自身のブログに名前を出さずに「献杯」の2文字を記している。また感謝の想いを曲「君La’しく」にしたためCDにした。歌詞にはジャニーの口癖「Youやっちゃいなよ」の一文が入っている。

2019年10月、大阪文化芸術フェス2019 「JAPAN FESTIVAL COLLECTION ~祭りの祭り~」出演。

2020年、12月にはオフィシャルファンクラブPin,Kが結成25周年を迎え、自身も8月12日に50才となる記念の年となる。

2020年、令和2年5月7日、光GENJIメンバー紹介の楽曲「2.5.7」にちなんで、ファンが「#俺たち永遠257」のハッシュタグをつけSNSなどで光GENJIに感謝の意を表した。(諸星和己プロデュース曲、WELCOME (光GENJIのアルバム) より。読みはツーファイブセブン、2人の光+5人のGENJI=7人の光GENJIの意)
諸星和己自身は2日、5日、7日にブログを更新し、7日のブログにて「♬ 2.5.7 now 光GENJI in the proud to be ! (令和2年5月7日 ひかるげんじ を 誇りに思います)」と応えた。また他のメンバーもそれぞれがファンの想いに反応をした。

2020年8月12日、50歳の誕生日当日にアメーバブログ歌手部門にて、オフィシャルブログ NOWADAYS を再スタート。ハワイ在住であることを活かして「Hawaii50 ハワイファイブオー」と題し「米国50番目の州であるハワイの50カ所を、50歳を迎えた日から自身の目線でレポートする」をコンセプトに記事を執筆している。
新しく開設したオフィシャルブログの中から最も注目されたブログに贈られる賞【Best Rookie Award 2020年8月】4名の中より「Best Rookie賞」1名を受賞。

エピソード[編集]

デビューの経緯[編集]

中学2年だった1984年5月の日曜日、竹の子族を見るため、男女混合の友達5人グループで家出をして上京[2]。5日間ほど代々木公園歩道橋の下で野宿をして過ごした。手洗いの際に使うティッシュをもらおうと原宿駅前をウロウロしていた際、近藤真彦の飼い犬に手を噛まれ、その犬を散歩させていたジャニー喜多川に声をかけられ、木の板で作られた名刺を手渡され直接スカウトされる。

数日後、所持金が1,200円となって途方に暮れ、その名刺に電話すると「近くに合宿所があるから来るように」と、教えられた建物に行くとエレベーターから矢沢永吉が降りてきた。諸星にとって「人生で初めて会った芸能人」であったが、矢沢は当時同じビルに事務所を構えていて「この人もジャニーズなんだ」と勘違いした。当時合宿所には田原俊彦近藤真彦少年隊男闘呼組らがいた。

その日からリビングのソファで寝泊りしたが、合宿所の冷蔵庫にあった田原のマジックで「104」と書かれたイチゴ牛乳を飲んだところ、田原に怒られ正座させられた[10]。「104」は「トシ」という意味だったが、「104円」かと思い飲んでしまった[2]

また、当時ジャニーズの合宿所は先輩後輩関係が厳しく、夜9時ぐらいに田原が帰ってくるまで他のタレントは夕食を食べてはいけないことになっていた。田原はエビフライが大好きだったが、ある日、いつまで経っても田原が帰って来ず長時間待たされた日があった。9時になると、「もうどこかで外食でもしているだろう」と思ってみんな一斉に食べ始め、近藤真彦、少年隊、光GENJIらが大皿に盛られたエビフライを食べ始めたところ、まだ何も食べていない田原が帰ってきてしまった。田原に「みんな集まれ」とリビングに集められ全員が直立不動となった。田原「誰だ?エビフライ3本以上食べたのは?」、諸星「4本食べました」、田原に「バカ!正座してろ」と言われた諸星はずっと正座させられた。その後風呂に入りながら「何だこの芸能界は?」と思いながらシャンプーをバーっと出したらシャンプーのボトルにも104と書いてあり、慌てて戻した。[11][12]

この原宿の合宿所は、光GENJIの人気が爆発した事でファンが殺到して大騒ぎになり、1989年に閉鎖された[2]

光GENJI[編集]

  • 当時のメンバー(内海光司大沢樹生佐藤寛之山本淳一赤坂晃佐藤アツヒロ)とは今でも交流がありメンバーのLINEグループがある。プライベートで食事に行ったり、互いのライブに出演することもある。
  • 近年のライブやディナショーでは内海光司の話を頻繁にしている。2019年ディナショーの1部と2部の間にはその内海からメールが届いた。2019年12月のライブではRAINY GIRLを歌った際、当時と同様の手品を披露し内海のウチワが出現し、それを飾ったままライブを進行した。(当時は内海本人が出現)
  • 赤坂晃とは、1995年の解散後長い間会っていなかったが、赤坂の出所後に食事をしたと諸星自身が発言。2007年にその赤坂が覚醒剤取締法違反で逮捕された際には「(光GENJIの復活は)今後出来るかといえばわからないけれど、彼とは喜び、痛みを味わってきた仲間なので。僕は待ってますね」とコメントした。[13]
  • 2017年8月のバースデーライブには赤坂晃から手紙が届いている。(8月12日は諸星和己誕生日、8月19日は光GENJIデビュー日)「諸星和己殿 光GENJI 30周年おめでとうございます!今日という日は僕にとっても大切な日です。当時、偶然の様に出逢い結成したグループ。今思えば必然だったのかもしれませんね。先日7人で再会した時、そう強く感じました。そこで今日は諸星君にこの言葉を送りたいと思います。夢も憧れもどこか違ってるけど それが僕と君のハーモニー 赤坂晃」[14][15]また、赤坂晃復帰前には自身のライブに呼び、2019年2月11日赤坂晃復帰ライブにはサプライズ登場している。[16]
  • 大沢樹生とはかつて不仲説もあったが、グループの中で一番仲が良かったと後に語られている[17][18]
  • 光GENJIのアルバム『Hello…I Love You』に収録されている「IF WORLD は信じない」の替え歌で「JOHNNY'S WORLD」という楽曲がある。内容は仲間たちやファンへの感謝を綴っており、現在もライブでごく稀に披露される。原曲は、当時のラジオ番組『GENJI GENKI爆発!!』で諸星自身が「今回のアルバム中で一番好きな曲」と発言していた。
  • ジャニーズ事務所時代は、毎年バレンタインデーになると大型トラックで数十台分ものチョコレートが届けられた。事務所にトラックが到着する映像はこの時代の歌番組の風物詩になっていた。後に『たかじん胸いっぱい』で諸星が4tトラックに38台分だと語っている。それは武道館の1Fを埋め尽くし2Fから取れるほどだった[要出典]。その後、衛生面やセキュリティー面を考慮し飲食物の贈りものは基本的に受け付けない方針になった。ファンの心情を傷つけないようジャニーズ側が「本人達はそんなに食べられませんので」と発表したことにより、所属タレントへのバレンタインプレゼントは減少傾向にある。
  • 2011年に諸星が『クイズ☆タレント名鑑』出演時には「あれは4tなんてもんじゃなく、10tはあるトラック。40台くらいあった。そのうち9割8分僕ので他のメンバーが2割。」(計10割にならないが、本人発言)。2011年のバレンタインデーに諸星に届いた贈り物は37個であった。 
  • あまりにもおしゃべりで、放っておくといつまでも喋るため、ザ・ベストテンでは対諸星用に「貼られたら以後発言禁止」という「喋りすぎマーク」[19]が作られた。
  • ザ・ベストテンで使用されたミラーゲートは1989年9月の番組終了時に諸星がもらい、自宅の玄関を入った場所に置いた。アイドルを部屋に呼んで「今週の第1位は〇〇ちゃん!どうぞっ」などとベストテンごっこをやったという。黒柳徹子が遊びに来たこともあった。[20]

交友関係[編集]

プロデュース[編集]

  • ジェムケリー「SETTE」デザイナー(ジュエリーデザイン)
  • 「クラウンクリエイティブ」アドバイザー(レベッカボンボン等ファッション系)
  • 用賀BUZZ CAFÉ「Jam dog」プロデュース
  • 静岡県富士宮市の「富士宮やきそば親善大使」に任命されている。グッズとしてカップ麺「元祖焼きそばかーくん」プロデュース
  • 「食べるラー油」ブロデュース(諸星和己オフィシャルホームページから通販あり)

私生活[編集]

  • 首下の背中に自身のイニシャル「K・M」をデザイン化したタトゥーを入れている。
  • コーラ好きを自称しており、自動販売機を高額で購入したことがある(広告の部分は、スポンサーがいないので自分の写真やポスターを張っている)。
  • サウナ好きである。2007年8月にテレビ東京「大和魂」の企画で、サウナ発祥の地フィンランドで開催される「世界サウナ選手権大会」に出場した。110度の高温と水蒸気に耐え、15カ国約150人が出場する大会で、世界51位にランキングされた(アジア1位)。その模様は海外のメディアや新聞に取り上げられた。

アイドル観[編集]

  • 「基本的に今の奴らと比べちゃいけないですよね。今の奴らは「アイドル」といっても、実力もビジュアルもセンスも、ほとんど「アーティスト」で。もう「アイドル」って言葉が似合わないですから。ただ、その一方で、僕らの時代にあった「アイドル」って言葉の持つ強烈なイメージは、彼らにないのも事実ですけど。「アイドル」っていうファンタジーの持っている力がないんです。そこだけは勝ちますね。」とアイドルについて語っている[23]
  • 「アイドルというのは自分達(光GENJI)で最後」とも語っている[24]
  • 2007年9月25日放送の「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」で、「浪速のカー君」と自称する藤本敏史にものまねされている。その際諸星本人も登場して会場は大歓声に包まれ、当時進行役だった中野美奈子高島彩もはしゃいでしまう。審査員の小池栄子は「めちゃめちゃカッコいい、スターって何年経ってもスターなんだなと思いました」「出てきた時の空気が全然違う」と興奮ぎみに話した。司会の今田耕司も「現役の時と変われへん」と発言した。
  • 2019年4月13日「おぎやはぎの愛車遍歴」で『自分にとって車とは、(理想を追い続けるという意味で)アイドル』と発言した。自身が光GENJI時代に頭に付けていた羽根は、当時の愛車カウンタックシザーズドアを模したと語っている。

[編集]

1987年 17歳 ランボルギーニ カウンタック 5000QV
1990年 20歳 ランボルギーニ カウンタック 25th Anniversary
1990年 20歳 シボレー コルベット ZR-1
1991年 21歳 メルセデス・ベンツ 560SEL ケーニッヒ仕様
1993年 23歳 フェラーリ 512TR
1995年 25歳 メルセデス・ベンツ S600L ブラバス仕様
1995年 25歳 フェラーリ F355
2001年 31歳 メルセデス・ベンツ G55 AMG
2015年 45歳 フェラーリ FF [25]

その他[編集]

  • 1994年(平成6年)8月2日午前1時40分に、ビートたけしが起こしたバイク事故の第一通報者である。当日たけしと待ち合わせの約束をしており、東京都新宿区の安鎮坂付近を走行中に自損事故を起こして重傷を負ったたけしを発見し、乗っていた乗用車の運転手に自身の携帯電話で救急車呼ばせた。たけしは、東京医科大学病院に救急搬送され、一命を取り留めることができた。しかし諸星曰く、事故者がたけし本人と知ったのは翌日テレビのニュースを見てからと、後に語っている。
  • 1995年(平成7年)に独立後、仕事が無かった時にビートたけしから誘われて、たけし軍団に所属していたことがある。だが、この時たけしに付けられた「諸モロ出し」という芸名が気に入らなかったため、わずか3日で脱退している。
  • ニューヨークに滞在中、行き着けのマクドナルドで「シェイクマン」というあだ名を付けられる。諸星本人もそのあだ名を気に入っていたこともあり、2003年5月発売のアルバムのタイトルに『shake』として使用。以降、楽曲制作のクレジットに用いることもある。

主な出演作品[編集]

テレビドラマ[編集]

連続ドラマ

単発ドラマ

バラエティ番組[編集]

など

報道番組[編集]

  • 情報プロジェクトS (2001年10月6日 - 2002年3月30日、フジテレビ) - ニューヨークの現地リポーターとして出演

映画[編集]

舞台[編集]

CM[編集]

ディスコグラフィ[編集]

CD[編集]

  • ファンクラブ、全国CDショップにて販売
  • ファンクラブでの販売
    • DO-ll(2000.8.12)
    • HALLELUJAH(2000.12.24)
    • PINK A ROCK〜Vintage Remaster 01.〜(2001.7.7)
    • JUNK BEAT(2001.9.23)
    • Tomorrow On The Dream PINK A ROCK〜studio live unplugged 01〜(2001.12.24)
    • LOVIN' YOU(2002.3.14)
    • Bluecheese Emotion(2002.6.29)
    • PINK A ROCK〜Vintage the Ballads 03〜(2003.4.20)
    • PINK A ROCK〜vintage 8KA1/2 flash back 02〜 (2003.10.31)
    • Vintage the Live 04 (Shake a Live Tour 2003 Final)(2004.8.7)
    • Vintage the Remix 05〜NO M.u.t.e 58 20/31gallon〜 (2005.4.29)
    • Vintage the original 06 Encore 〜GOLD CLUB K decade〜(2005.12.25)
    • Cray Pas(2006.3.14)
    • Call〜Pin,K your soul my beat〜(2006.6.30)
    • Vintage 07 〜LIVE arrange SS〜(2007.7.7)
    • Vintage 07 〜LIVE arrange AW〜(2007.11.3)
    • Vintage 08 〜NOWADAYS〜(2008.12.20)
    • Love Letter(2008.12.29)
    • I am SAMURAI(2009.2.14)
    • Vintage 09 〜NOWADAYS〜(2009.8.12)
    • Vintage 10 〜NOWADAYS〜(2009.12.12)
    • Jam(2010.8.12)
    • VINTAGE 11 〜NOWADAYS〜(2010.12.17)
    • ありがとう~15th Anniversary〜(2010.12.25)
    • Make me sing to you (2011.3.14)
    • Start the show (2011.5.25)
    • Never give up~English Ver~ (2011.8.12)
    • Vintage 12 〜88TEES NIGHT FEVER〜(2011.12.25)
    • So What!! (2012.8.12)
    • Vintage 13〜NOWADAYS〜 (2012.12.25)
    • Eternal Love (2013.8.12)
    • Vintage14〜NOWADAYS〜 (2014.8.12)
    • Vintage15〜game is over〜 (2014.12.23) PINK-0015
      • 1.Hello   2.OK!!   3.Life   4.Vibes X   5.My page〜12月25日〜
    • Gimme Attention (2016.8.6) PINK-0016
      • 1.Gimme Attention   2.Love Snow   3.Gimme Attention (instrumental)  4.Love Snow (instrumental)
    • Vibes XXX (2017.8.12) PINK-0257
      • 1.Vibes XXX【光GENJI30周年に出した、光GENJI楽曲のアレンジ。CD番号257は以下を連想させる(光GENJIのメンバー紹介曲2.5.7ツーファイブセブン、2人の光+5人のGENJI=7人の光GENJIの意)】
    • It's my PRIDE (2018.8.12) PINK-0018
      • 1.It’s my PRIDE   2.Last Song   3.It’s my PRIDE ~Instrumental~  4.Last Song ~Instrumental~
    • 君La’しく (2019.12.12) PINK-0019
      • 1.君La’しく【ジャニー喜多川氏を想っての楽曲】
        2.Enjoy   3.君La’しく~Instrumental~ 4.Enjoy~Instrumental~

DVD[編集]

  • ファンクラブ、全国CDショップにて販売
    • FIRST SOLO CONCERT「一匹狼」LONELY WOLF (2004年)
    • あの日のこと KAZUMI MOROHOSHI in Land of Glory (2004年)
    • 諸星和己 BIRTHDAY LIVE〜Volt-age40〜(2010年10月27日、イーネット・フロンティア)
    • 諸星和己 Another side story 〜Still at〜(2010年11月26日、イーネット・フロンティア)
  • ファンクラブでの販売
    • Never give up ! Shake A Live TOUR 2011(2011年)
    • i$ Voice Show 〜W Encore TOUR 2013〜 (2014年3月14日、ダイヤモンドブログ)
    • i$ Voice Show Ⅱ 〜Time to Time〜 (2016年8月6日、ダイヤモンドブログ)
    • i$ Voice Show Ⅲ -Emotional Reunion- (2018年2月24日、ダイヤモンドブログ)
    • i$ Voice Show Ⅳ ~Enjoy Dreamer and Enjoy Forever~(2019年12月24日、ダイヤモンドブログ)

書籍[編集]

光GENJI全集第1巻。1990年8月22日発売。
アメリカ時代などが詳述されている。
  • 諸星和己のスロースタイルダイエット〜PLAY WORK〜(2007年11月、講談社

連載[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b Profile. Pin,K (n.d.) 2020年4月12日閲覧。
  2. ^ a b c d 週刊文春』(2011年12月22日号、新・家の履歴書)106-109頁
  3. ^ 諸星和己オフィシャルウェブサイトBiographyより
  4. ^ DVD (i$ Voice Show Ⅲ -Emotional Reunion-2018年2月24日、ダイヤモンドブログ)、AbemaTV「エゴサーチTV #15」より
  5. ^ 諸星和己オフィシャルウェブサイトLive Historyより
  6. ^ スポーツ報知(2010年8月13日)
  7. ^ DVD 「諸星和己 BIRTHDAY LIVE〜Volt-age40〜(2010年10月27日発売)」より
  8. ^ DVD「Never give up ! Shake A Live TOUR 2011」より
  9. ^ オリコンニュース2011年9月20日より
  10. ^ とてつもない恐怖体験であったという。
  11. ^ 本人曰く、怖かったけれど面白かったという。
  12. ^ https://www.youtube.com/watch?v=3BgS4pWav5Y
  13. ^ オリコンニュース2007年11月4日より
  14. ^ 諸星和己オフィシャルブログ by ダイヤモンドブログ 2017/08/20 13:42より
  15. ^ 「夏の終わりのハーモニー」作詞:井上陽水、作曲:玉置浩二 1994年光GENJIのコンサートで諸星和己と赤坂晃はこの曲のカバーを歌っている。歌詞には「夢もあこがれも どこか違ってるけど それが僕と君のハーモニー」という一文がある。
  16. ^ 諸星和己オフィシャルブログ by ダイヤモンドブログ 2019/02/12 14:02より
  17. ^ 著書『くそ長〜いプロフィール』
  18. ^ ギブアップ嬢(2010年11月2日放送)
  19. ^ 当時ソルマックのCMに登場していた「飲みすぎシール」の改造。
  20. ^ Bunsyun20111222
  21. ^ a b カキューン!!・THIS IS 嫉妬(2010年9月28日放送)
  22. ^ DVD i$ Voice Show Ⅳ ~Enjoy Dreamer and Enjoy Forever~(2019年12月24日発売)
  23. ^ 『BUBKA』2009年7月号
  24. ^ ウラマヨ!(2010年6月12日放送)[出典無効]
  25. ^ おぎやはぎの愛車遍歴(2019年4月13日放送)
  26. ^ “ダークヒーロー信長描いた「Honganji」再演決定、新たに壮一帆迎え”. ステージナタリー. (2016年5月30日). http://natalie.mu/stage/news/189000 2016年5月31日閲覧。 

外部リンク[編集]