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近畿車輛

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近畿車輛株式会社
The Kinki Sharyo Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報
略称 近車・KS
本社所在地 日本の旗 日本
577-8511
大阪府東大阪市稲田上町2-2-46
設立 1939年11月18日
創業は1920年(大正9年)12月19日(田中車輌会社として)
業種 輸送用機器
法人番号 5122001001729 ウィキデータを編集
事業内容 鉄道車両の製造、整備他
代表者 取締役社長 櫻井 紘一
資本金 5,252,799,666円
売上高 20,723百万円
総資産 52,389百万円
従業員数  899名
決算期 3月
主要株主 近畿日本鉄道 44.2%
(同社の持分法適用会社
西日本旅客鉄道 5.0%[1]
外部リンク http://www.kinkisharyo.co.jp/
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車両工場通用門 (車両をトレーラーで陸送する場合に出場する門は別にある)

近畿車輛株式会社きんきしゃりょう、英文社名The Kinki Sharyo Co.,Ltd.)は、鉄道車両などの生産を行う近鉄グループの企業である。

太平洋戦争前からの客車電車メーカーである田中車輛が前身であり、終戦後の近畿日本鉄道(近鉄)傘下入りに伴って、1945年11月に現社名に改称した。本社は大阪府東大阪市北西部にあり、車両製作所(工場)も同じ場所にある。本社・工場の最寄駅は西日本旅客鉄道(JR西日本)片町線(学研都市線) 徳庵駅

かつては様々な製品を製造していたが、現在は鉄道車両関連の製品のみにほぼ特化したメーカーとなっている。

三菱重工業と業務提携を行っている。

田中家から近鉄に経営権が移ってからは、代々日本国有鉄道の工作局長が社長に就任していた。国鉄分割民営化後は国鉄から帝都高速度交通営団理事を勤めた運転畑の出身者が社長を勤めた後、近鉄出身者が務め、現在はJR西日本の役員経験者が社長を務めている。田中車輛の社長だった田中太一は、近畿車輛に改組後も監査役を務めていた。

主に電車の製造を行っているが、2012年には気動車の製造にも再参入することが発表されている[2]

2012年5月10日、西日本旅客鉄道(JR西日本)が近鉄より発行済み株式の5%を約11億円で取得し、近鉄に次ぐ第2位株主となると同時に、車輌製造の業務提携契約を締結した[1][3][4]

概要

鉄道車両

大手私鉄・地下鉄

国鉄・JR・第三セクター(地下鉄を除く)

※205系サハ204形は全車受注

※213系クロ212形、205系1000番台、287系FA・FC編成、321系、683系2000番台R編成は全車受注

中小民鉄・公営鉄道(地下鉄を除く)

など

日本国外向け

など

その他

  • 徳庵から出場するJR西日本向けの車両は、一部の例外を除いて甲種輸送は行わず、工場から城東貨物線を経由して自力で出場してゆく。他のJR向けなどは甲種輸送が行われるが、新幹線車両、近鉄向け車両は、トレーラーによる輸送で、それぞれ博多総合車両所(大阪港―福岡港間海上輸送)、八尾市の「高安検修センター」(旧高安工場)へ搬入される。

鉄道車両以外の製品

KD76形シュリーレン式台車
  • 台車
    シュリーレン式と呼ばれる円筒案内式の台車を1950年代に、スイスのSWS社との技術提携により導入した。以後、親会社である近鉄の車両は1991年ごろまで一部を除きシュリーレン式を採用した。都営地下鉄も長らくシュリーレン式を採用していたほか、国鉄オシ17形客車などにも採用された。他に小田急SE車近鉄10000系(ビスタカー)向けには連接台車を製造した。現在は、ボルスタレス式が主流である。
  • 鉄道車両用窓「ATOS」
    鉄道用の実績では、台車とともにスイスから移入した技術を使用した「シュリーレン式バランサー」による一段下降窓を採用、近鉄や国鉄157系電車などで採用された。また、国鉄583系電車国鉄381系電車、1960年代後半以降の国鉄食堂車などで採用されたベネシャンブラインドを内蔵した日除内装窓「コンビット窓」もアメリカから近畿車輛が技術導入した建材部門の「エルミン窓」がベースである。
  • ADホルダー
  • JKコート
  • KSクリーン
  • 自動販売機・駐輪機
    自販機は券売機の製造実績もあったが、現在は新聞自動販売機と駐輪機のみに縮小。

過去の製品

  • バス車体
  • 自動券売機
    • 近鉄やJR西日本などに、自動券売機の製造・納入をしていた。券売機のほか、回数券発行機(これは全国のバス事業者に販売された)も製造していた。かつては自動改札機の開発も行ったことがある。現在はオムロンに事業譲渡したため撤退している。
  • 建材
    • 住宅用アルミサッシやマンション用玄関スチールドアなどをKINKIブランドで近畿工業が販売していた。本社および埼玉県所沢市には建材の専用工場も持っていた(現在所沢工場跡地はスーパーヤオコーの店舗として賃貸)。営業部門は当初近畿工業で行なっていた後に統合したが、現在さらにコスモ近畿に移管している。建材部門は最後まで残ったマンション用スチールドアが2008年9月を以て生産を終了しており、同年度末をもって事業を廃止。
  • 鉄道コンテナ(コンテナ及びJR貨物のコンテナ形式参照)
    • 旧、国鉄(現、JR貨物)規格に準じた国内専用の鉄道貨物輸送用に私有コンテナを、当時近鉄グループの運輸会社であった近鉄運輸(現在は系列外の近物レックス)から、長さ20フィート型10トン積載のUC5形ドライコンテナ[6]を、1971年11月に受注製造した。コンテナ本体の素材は、鉄道製造事業関連のアルミ製であった。しかし、当時はこれらと同一規格の大型コンテナが車輌製造同業他社からも大量に増備(1970年から1985年までの16年間に、延べ約4020本製造されていたにも拘らず、同社としては最初にして最後の受注製造であった。これらのコンテナ製造には車両とは別に独自の各種規格や強度等が要求されていた為、コンテナ製造者には大掛かりな各種専用設備を要していた関係もあり、結果的には新製品参入の為に試験的に製造したと思われる。
  • 産業機械・機器
  • エクステリア製品
    • バスシェルター、モニュメントなど

関連子会社

  • 関連子会社としてケーエステクノスが同じ敷地内にあり、新聞販売機駐輪場ポスト、車両用窓戸や内装部品などの製造を行っている。以前はアルミ合金押し出し型材も製造し最近は難燃性マグネシウム合金押し出し型材を手がけており、ETCレーンの遮断棒に利用されている。アルミ事業は2009年2月に営業を終了・事業撤退した。1979年に「近車サービス株式会社」として設立され、1998年に現商号に変更、2000年に「近畿アルミ株式会社」を合併した。
  • 建材部門の関連会社としてスチールドア販売のコスモ近畿があった。同社はトステム(現:LIXIL)ほか大手建材メーカーとの共同出資企業である。
  • なお、関連子会社であった近畿工業(現:日本ファシリオ)はすでに発行済み株式の9割を夢真ホールディングスの連結子会社へ売却しているため、現在は連結対象から外れている。同社はのちに夢真グループ時代の合併、さらに夢真からの株式譲渡でAPロジスティックスの子会社を経て綜合警備保障の子会社となったが、現在も近鉄グループ各社が株主となっている[7]
  • ケーエスデザイン(旧テクノデザイン)
  • ケーエスサービス(旧きんきゴルフセンター)
  • KINKISHARYO (USA) INC. (アメリカボストンにある連結子会社)
  • KINKISHARYO International, L.L.C. (アメリカパームハーバーにある連結子会社)

備考

JR徳庵駅ホーム(外島踏切り・東大阪市側より)左側・3番線から当社製作車両が出場していく
  • 当社製作の車両の走行試験の為の、試運転線が工場奥に敷設されている。 また集電装置としてパンタグラフの無い地下鉄車両などの構内試運転線では、発生品のDT33系台車の上にやぐらを組みパンタグラフを載せた集電装置を使用する。
  • 昭和初期に現在地に工場が移転してから、本社事務所は二度移転している。当初は学研都市線への車両出場線の反対側にあるマンションが建っているところ(鉄道雑誌の写真でよく背景として写っている)にあった。 昭和40年代になると、ボウリングブームに乗ってボウリング場を建設・営業したがすぐにブームが去り、ほどなく廃業し、跡地に本社機能を移転した。
  • 2004年に本社機能を旧技術研究所跡に移転。旧跡地は賃貸し、複合商業施設フレスポ東大阪」となっている。2009年8月に3回目の移転を行ない、旧本社跡地にはホリデイスポーツクラブガソリンスタンドが建設される予定である。
  • 東大阪スカイハイツ、メゾン・エスポアール、近鉄バス稲田営業所およびその並びは、かつて近畿車輌の土地であった。

注釈

関連項目

外部リンク