マニラ・ライトレール

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バクララン方面へ向かうライトレール
MRT-2線のJ.Ruiz駅

マニラ・ライトレール(Manila Light Rail Transit System)はフィリピン首都マニラで運営されているライトレールシステム。ただしより大量高速輸送システム形態であるラピッド・トランジットに分類する考えもある。Light Rail Transit Authority (LRTA)によって運営されている。Yellow Lineと呼ばれるLRT-1線とPurple Lineと呼ばれるMRT-2線の2本によって構成されている。また、Blue Lineと呼ばれるMRT-3線(Metro Manila Rail Transit System)は、民間出資の特別目的会社であるMetro Rail Transit Corporation(MRTC)によって建設され、フィリピン運輸省によって運営されている。主として高架鉄道となっている。

概要[編集]

LRT-1線は、主に南北方向の交通を担っており、全長は約20km、20の駅を持つ。当初18駅であったが、近年2駅が新たに建設され、さらにMRT-3線とループ状に繋ぐ駅を建設中である。ただし、両線のシステムの違いにより、このままでは相互の乗り入れは困難であると言われている。 MRT-2線は、主に東西方向の交通を担っており、延長は13.8km、11の駅を持つ。LRT-1線とMRT-2線は、LRT-1線Doroteo Jose駅とMRT-2線Recto駅において接しており、そこで乗換えが可能である。 また、EDSA沿いに走っているMRT-3線は、LRT-1線エドゥサ駅 (EDSA)とMRT-3線タフト・アベニュー駅 (Taft Avenue)、及びMRT-2線クバオ駅 (Cubao)とMRT-3線Araneta Center-Cubao駅において乗り換えが可能である。

歴史[編集]

マニラ市内における軌道交通の検討は20世紀初頭から検討されてきた。アメリカ植民地時代の1905年にはマニラ電鉄電灯会社(Manila Electric Railroad And Light Company、現在のフィリピンの電力会社メラルコ Meralco の前身)がマニラ市内に路面電車を走らせていたが[1]、第二次世界大戦で運行を停止し、マニラの戦いで施設は大打撃を受けた。路面電車は以後再建されず、マニラの市内交通はジプニーが担うようになった。1960年代には市内交通の混雑が問題となり、再度公共交通機関の導入が検討されるようになった。1960年代後半にはモノレール建設計画があり[1]、同時に1970年代初頭には日本の海外技術協力事業団(JICAの前身)により通勤鉄道や高速道路の導入提案がなされた。1970年代後半には世界銀行によりLRTの研究が行われ[1]、現在のマニラ・ライトレールの構想が示された。

その後、ライトレールの建設が具体化する。1980年、大統領令603により、運輸省の下、LRTA(Light Rail Transit Authority)が設立された。1981年には、ベルギー政府の借款によりLRT-1線の建設が開始され、1984年に運行が開始された。LRT-1線の乗客数は、年々増加し、運行の拡大が求められるようになった。また、線路や車両の老朽化も進んだ。1994年、日本政府は、政府開発援助(ODA)の実施機関である国際協力機構(JICA)(当時のOECF)によって、LRT1号線増強事業を実施し、LRT-1線の整備・増強を支援することを決定した[2][3]。2000年には、フェーズ2としてLRT1号線増強事業Ⅱを継続しており、これにより、近畿車両・日本車両の車両を導入。また、ベルギー製の既存車両にもエアコンを取り付けるなどして、修復整備した。

また、1996年より、日本政府は、メトロマニラ大都市圏交通混雑緩和事業を実施し[4]、MRT-2線の建設を支援。この建設のために日本が支援した総額は、750億円(低金利借款)に上る。丸紅等との協力で、韓国製ロテム社の車両が調達された。車両自体は韓国製であるが、その電機システムは東芝であり、線路や駅も日本規格となっている。2003年に全区間の運行を開始。現在、さらに東に延伸する計画がある。

なお、1999年に運行が開始されたMRT-3線についても、住友商事等の日系企業が保守作業を支援しており、日本政府や日系企業の貢献が見られる。

脚注[編集]

外部リンク[編集]