竹中平蔵

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竹中 平蔵
たけなか へいぞう
生年月日 (1951-03-03) 1951年3月3日(73歳)
出生地 和歌山県和歌山市
出身校 一橋大学
前職 慶應義塾大学教授
現職 慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所所長
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授
慶應義塾大学総合政策学部教授/パソナグループ取締役会長
アカデミーヒルズ理事長
所属政党無所属→)
自由民主党→)
無所属(政治家引退)
称号 博士(経済学)大阪大学1994年
公式サイト 竹中平蔵 公式ウェブサイト

日本の旗 第6代 総務大臣
内閣 第3次小泉改造内閣
在任期間 2005年10月31日 - 2006年9月26日

内閣 第1次小泉内閣
第1次小泉内閣第1次改造内閣
第1次小泉内閣第2次改造内閣
第2次小泉内閣
第2次小泉改造内閣
第3次小泉内閣
在任期間 2001年4月26日 - 2005年10月31日

日本の旗 特命担当大臣(金融担当)
内閣 第2次小泉内閣
在任期間 2002年9月30日 - 2004年9月27日

選挙区 比例区
当選回数 1回
在任期間 2004年7月26日 - 2006年9月28日
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竹中 平蔵(たけなか へいぞう、1951年3月3日 ‐ )は、日本実業家経済学者慶應義塾大学グローバルセキュリティ研究所所長・大学院メディアデザイン研究科教授・湘南藤沢キャンパス総合政策学部教授。株式会社パソナグループ取締役会長アカデミーヒルズ理事長

参議院議員(1期)、経済財政政策担当大臣金融担当大臣総務大臣第6代)などを歴任した。

経歴

生い立ち

和歌山県和歌山市にある商店街の下駄屋の次男として、1951年昭和26年)に生まれる[1]。実兄の竹中宣雄は、後にミサワホーム社長となる人物であった。

和歌山市立吹上小学校、和歌山市立西和中学校和歌山県立桐蔭高等学校を経て、1973年(昭和48年)に一橋大学経済学部を卒業[2]。大学では山澤逸平ゼミナールに所属していたが、当初は小島清ゼミナールへの参加を希望していたという。仁坂吉伸和歌山県知事とは高校の同級生である。

博士取得まで

日本開発銀行設備投資研究所で初代所長を務めていた下村治にあこがれ[3]1973年(昭和48年)、日本開発銀行(現日本政策投資銀行)に入行。1977年(昭和52年)、同設備投資研究所勤務、1981年(昭和56年)、ハーバード大学ペンシルベニア大学客員研究員。ハーバード大学留学中は設備投資に関する合理的期待の実証研究を行った。1982年(昭和57年)、大蔵省財政金融研究室(後の大蔵省財政金融研究所)に出向し、次席主任研究官となる。当初2年の予定だったが、行動力がありローレンス・サマーズジェフリー・サックスの知り合いだった竹中を気に入った長富祐一郎次長(のちに大蔵省関税局長)の希望で、5年間研究官を務めた。長富からは研究所への移籍をすすめられたが、これを断っている[4]

同研究所在籍中の1984年(昭和59年)には留学中の研究成果をまとめた『開発研究と設備投資の経済学』(東洋経済新報社 1984年7月)と題す著作でサントリー学芸賞を受賞(ただし佐々木実『竹中平蔵 仮面の野望(前編)』(月刊現代2005年12月号)では当時の設備投資銀行の同僚の鈴木和志(現在明治大教授)や日本開発銀行での同僚高橋伸彰(現在立命館大教授)の実証分析の結果を無断で使用していた事実が指摘されている[5])。当時の同研究所には、次長の長富祐一郎や筆頭主任研究官の吉田和男がおり、同僚として植田和男高橋洋一がいた。

大阪大学経済学部教授を務めていた本間正明の誘いで[6]1987年大阪大学経済学部助教授に就任。以降研究者としての道を歩む。しかし、母校の一橋大学に前述した論文『開発研究と設備投資の経済学』を提出し経済学博士の取得を試みたものの、「あまりに初歩的すぎる」などとの意見が出て教授会での審査に不合格となる。この教授会の決定について、竹中の指導教官だった山澤逸平は、一橋大の失態であると後年述べている[7]。1994年、大阪大学にて博士(経済学)を取得(論文名『日本経済の国際化と企業投資』)。

博士取得後

1989年平成元年)、日本開発銀行を退職、ハーバード大学教授を務めていたジェフリー・サックスの誘いでハーバード大学客員准教授及び国際経済研究所客員フェローに就任。1990年(平成2年)に慶應義塾大学総合政策学部教授を務めていた加藤寛に誘われ、慶應義塾大学総合政策学部助教授に就任[8]1993年(平成5年)にアメリカ合衆国に移住。コロンビア大学ビジネススクールにある「日本経営研究センター」(所長はパトリック・ヒュー教授)の客員研究員になる[9]1996年(平成8年)に帰国、同年、慶應義塾大学教授に就任。

日本財団の交付金で設立された基本財産が397億円のシンクタンク東京財団の理事に1997年(平成9年)に就任、1998年(平成10年)、同常務理事、1999年(平成11年)、同理事長。1998年(平成10年)に東京財団内に設けられた「インテレクチュアル・キャビネット政策会議」には、総理に香西泰(後に政府税制調査会会長)、官房長官に島田晴雄(慶應大教授)と竹中、財政担当大臣に本間正明(大阪大教授、後に政府税制調査会会長)と吉田和男(京都大教授)、金融担当大臣に池尾和人(慶應大教授)と岩田一政(東京大教授、後に日本銀行副総裁)らが名を連ねた。これは実質竹中による、政策会議で、自民党議員との交流会も頻繁に開かれ、竹中の紹介で小泉純一郎と会ったメンバーも多くいた[10]

また日本興業銀行経営アドバイザーや、フジタ未来経営研究所日本マクドナルドシンクタンク)理事長、アサヒビール社外取締役等も務めた。

小渕政権

1998年(平成10年)7月、小渕内閣の経済戦略会議(議長:樋口廣太郎)の委員に就任。議長代理の中谷巌を中心とした学者グループの一員として、戦略会議の理論的支柱を形成した。この経験が、のちに竹中が経済財政諮問会議を切り回す土台となったとする説もある。

会議の結論としては、日本の短期経済政策には金融健全化と大胆な財政出動を伴う追加的景気政策が必要とし、内閣総理大臣小渕恵三に対し「10兆円を大きく上回る規模の追加的財政出動」などを提言した[11]。その後、「日本経済再生への戦略」と題した答申を発表した[12]

森政権

森内閣発足により設置されたIT戦略会議にて委員を務める。森内閣が推進するe-Japan構想に対しさまざまな提言を行った。

小泉政権

2006年8月4日連邦通信委員会委員デボラ・テイト(右)と

2001年(平成13年)の第1次小泉内閣と、2002年(平成14年)の第1次小泉内閣第1次改造内閣経済財政政策担当大臣金融担当大臣も兼任する。2003年(平成15年)、第1次小泉内閣第2次改造内閣においても留任、内閣府特命担当大臣として金融・経済財政政策を担当。2004年(平成16年)7月、第20回参議院議員通常選挙自民党比例代表で立候補し70万票を獲得しトップ当選(史上唯一人の現職民間人閣僚たる新人参院候補)。同年9月、第2次小泉改造内閣において、参議院議員として内閣府特命担当大臣(経済財政政策)・郵政民営化担当に就任。小泉内閣の経済閣僚として、日本経済の「聖域なき構造改革」の断行を標榜する。日本振興銀行に異例の速さで銀行業免許付与。2005年平成17年9月、 第3次小泉内閣においても役職はそのまま留任。同年10月、第3次小泉改造内閣においては総務大臣兼郵政民営化担当大臣に就任。NHKの完全民営化にも乗り出したが、首相の小泉純一郎が民営化に否定的な見解を示した為、頓挫する。2006年(平成18年)9月15日、任期を4年近く残し政界引退を表明。同年9月28日、参議院本会議で辞職許可(これに伴い神取忍が比例繰上当選)。同年11月1日、自民党党紀委員会において9月29日に提出していた離党届が了承された。さらに同日、慶應義塾大学に復帰することが明らかにされた。 国務大臣の在任期間1980日(2001年4月26日 - 2006年9月26日)は戦後の連続最長在任記録である。

政界引退後

2008年9月27日世界経済フォーラム夏季総会にて
2009年1月28日、世界経済フォーラム年次総会にて南アフリカ共和国財務大臣トレヴァー・マニュエル(左)、『タイム編集者ミカエル・エリオット(右)と

政界引退後の現在は、慶應義塾大学教授のほか、日本経済研究センター特別顧問、アカデミーヒルズ理事長、関西大学客員教授を務めている。河野太郎山本一太世耕弘成らが結成した勉強会「プロジェクト日本復活」では顧問に就任している。また、人材派遣業パソナにて特別顧問を務めたのち、同社の親会社であるパソナグループの特別顧問を経て取締役会長に就任した。

政治家として

2009年6月18日に韓国ソウルで開かれた世界経済フォーラムにて

税制

戦後日本の極端な累進課税制は“悪しき結果平等”の価値観を普及させたとして、資本・労働など生産要素に対する課税を大幅に低下させ、かつ税率をフラット化する「フロンティア型の税制」を推奨しており、各労働の潜在能力を積極的に発揮させる意味で、所得税の最高税率を引き下げることが緊急の課題であるとしている[13]。また、将来的には、収入に関係なく一律に課税する人頭税へ切り替えることを視野に入れた議論を行うことも必要だとしている[13]

格差問題

「改革で格差が広がったということはない」と発言している[14]OECDの統計では、構造改革期に格差が縮小したことが示されている[15]

今日の格差批判は「金持ちはけしからん」という社会主義的格差感であり[16]、「金持ちを貧乏人にしたところで、貧乏人が金持ちになるわけではない」というマーガレット・サッチャーの言葉を引用して、高い所得を得ている人がいること自体は解決すべき問題ではなく、努力しても貧しい人たちに社会的救済が必要であると述べた。ゆえに格差論ではなく、貧困論を政策の対象にすべきとしている[17]。また、「格差ではなく、貧困の議論をすべきです。貧困が一定程度広がったら政策で対応しないといけませんが、社会的に解決しないといけない大問題としての貧困はこの国にはないと思います」[18]と述べた。ただし、政府として貧困調査をきちんとすべきであると発言している[19][20]

非正規雇用については、正社員と非正社員の区別自体が妥当でない、オランダのように全員を正社員にするべきであると述べた[21][22]。そのとき正社員個人の所得は低下するが、日本では正社員のほとんどは必要以上の所得を得ていることを指摘した[16]。また、「問題は、今の正規雇用に関して、経営側に厳しすぎる解雇制約があることだ」と主張し、「解雇規制を緩和する、新たな法律を制定することが必要だ」と述べている[23]。「安倍晋三内閣同一労働同一賃金の法制化を行おうとしたが、既得権益を失う労働組合や、保険や年金の負担増を嫌う財界の反対で頓挫した」と述べ、格差社会の改善には改革が急務であると主張している[20]

「アメリカ追従」批判

郵政民営化など、竹中が進めた経済政策について、「アメリカのいいなりの経済政策を行っている」(対米従属)という批判に対し、竹中は「民間でできることは民間でやることが国民や国全体のためになるという思いでやっている」(官から民へ)、「アメリカのためにやるなどと考えたこともない」などと答弁した[24]。また、「規制緩和既得権を失う人たちが、私のことを憎いと思って、そういう感情的なレッテルを無理矢理貼っている。これは抵抗勢力の常套手段です」とも発言している[25]ノーベル賞経済学者ジョセフ・E・スティグリッツから寄せられた批判では、ワシントン・コンセンサスの実現によって「格差社会」が世界中に広がっているとされ、その中で竹中の経済政策も槍玉に挙げられた。

郵政民営化は米国政府からの「年次改革要望書」などで示されるアメリカの要望に基づいたものではないかという指摘に対し、竹中は「だれがどうこう言ったからということではなくて、国民の経済厚生を高めるために改革を行うという点に基づいて私は改革を進めている」[26]、「郵政の問題について外国の方から直接要望を受けたことは一度もない」と言明した。これに対し民主党の櫻井充は、米国通商代表ロバート・ゼーリックから竹中へ宛てた再任祝いの手紙を紹介し、民営化された郵政会社がアメリカに買収される可能性を指摘し、「拙速にこういう民営化など必要ない」と主張した[27]

また「新自由主義者」と呼ばれる事に対し、「新自由主義だからウンヌンではなく、各論を論議すべき」と発言している[28]

発言

「ETFは絶対儲かる」発言

2003年(平成15年)2月7日、閣僚懇談会において、各閣僚に上場投資信託(ETF)を積極的に購入するよう要請した同日の記者会見において、記者からETFを買いますかと問われた際、絶対もうかると思うから買うという趣旨の発言をした。

この竹中の発言は、金融市場を監督する金融担当大臣であるにもかかわらず特定の金融商品の有利性を喧伝している、ETFは元本が保証されない金融商品であるのに「絶対儲かると思うので買う」と発言するのは問題があるなどと批判された。第156回国会では野党を中心に批判が強まり、仮に証券外務員が顧客に対してこのような発言をすれば違法行為になる、金融のトップがお墨付きを与えたと受け取られるような発言が悪用される恐れがある、などと批判がなされた。

衆議院財務金融委員会では、五十嵐文彦から「証券会社の営業マンが、絶対もうかるから買いなさいと言ったら、これは言ってはいけないこと」[29]と指摘がなされたうえで、証券会社の従業員が自ら発言せずとも竹中の発言を援用して金融商品を販売した場合、問題になるのではないかと質した[29]。同様に、衆議院本会議において、山花郁夫から「金融担当大臣としてこうした発言をすれば、どこかで悪用されることは十分にあり得る」[30]と批判され「仮に、証券会社の営業マンが、ホームページに掲げられていた旨を告げ、あるいは、そのホームページのコピーを示してETFの勧誘を行った、こういうケースの場合、証券取引法四十二条その他関係法律に違反する」[30]と指摘された。

竹中は当初、「絶対もうかるから買いなさいというような趣旨で言ったのではなく、(記者に)買いますかというふうに聞かれて、投資家として絶対もうかると思っており、買うと言ったのだから訂正云々という問題ではない」[29]としていた。同年2月14日の国会審議にて「誤解されかねない部分があったという面においては、必ずしも適切ではなかった」と自身の発言に問題があったことを認めた[30][31]。また、証券会社が竹中の発言を引用した場合の是非についても、竹中は「証券会社の外務員等が顧客にETF購入を勧誘する際、私の発言を引用し、悪用して、ETFの価格について断定的判断を提供して勧誘していると認められるような場合には、証券取引法に違反する」[30]と認め、誤解を招く可能性があったとして謝罪した。

一連の騒動について、内閣官房長官福田康夫は、「公の場での発言としては多少問題があった」との見解を示した[31]。同日、竹中は金融庁のウェブサイト[32]から該当発言を削除した[33]

「too big to fail」発言

ニューズウィーク2002年10月16日号で「四大銀行であっても、“too big to fail”(潰すには大き過ぎ)の考えはとらない」と発言し、日経平均株価を暴落させた。マスコミも「金融システムの安定に責任を持つ金融相の発言としては、軽率極まりない。片岡直温蔵相の失言が引き金になった昭和二年の金融恐慌を想起させる(読売新聞社説)」と批判し、国会で追及された。「誤解を招いたとしたら不徳の致すところだ」と陳謝しつつ、「そんな発言はしていない」と弁解。

日本経済は余命3年

書籍『日本経済 余命3年』の中で竹中は「日本経済は余命3年」との見解を示した。著書は池田信夫土居丈朗鈴木亘との共著で、は2010年11月にPHP研究所により出版された。 この中で「2012年〜2013年までが最後のチャンスとし、政府の債務残高は今後2、3年で約1100兆円に達する見込みで、このまま家計の純資産1100兆円を上回る国債発行がなされると、国内貯蓄で政府債務を吸収できなくなり、債券安・株安・円安のトリプル安になり日本は財政破綻へ向かうであろう」との見解を語っている[34] [35][36]

またこのまま2015年からは広義団塊の世代が年金受給年齢に入り、社会保障費が増大することも踏まえると、2012年〜2013年までがこうした状況を見直す最後のチャンスであり、それを超えて今の状況が続くと何が起こるかわからない。国債に関して「最悪のシナリオとして、国債の暴落とそれに伴う金利上昇により、株価が下がり、日本経済のファンダメンタルズ全体に対する信頼の揺らぎから、通貨が売られ円安となり、債券安・株安・円安のいわゆるトリプル安となり日本は破綻するという可能性があり、これを防ぐためには、市場の期待値を保つことが重要である。」との見解を語っている。

確率計算発言

2011年(平成23年)5月10日、中部電力浜岡原子力発電所の停止に関して、「30年で大地震の確率は87%・・浜岡停止の最大の理由だ。確率計算のプロセスは不明だが、あえて単純計算すると、この1年で起こる確率は2.9%、この一カ月の確率は0.2%だ。原発停止の様々な社会経済的コストを試算するために1カ月かけても、その間に地震が起こる確率は極めて低いはずだ。」とツイッター上で発言[37]。、尚、「HeizoTakenaka」のTwitterアカウントは公式サイトからリンクされておらず、またアカウント自体も認証されたものではない。

トラブル

木村剛との関係

金融担当大臣時代に、自ら木村剛を選び金融庁顧問にした。 その為、木村と深い連携関係にあり、互いを擁護する発言を続けていた。 小泉・竹中・木村剛ラインと言われた。

  • 竹中が2004年(平成16年)の第20回参議院議員通常選挙に立候補した際は新橋で応援演説を行った。
  • 木村が理事長を務める『フィナンシャルクラブ』の最高顧問を竹中が務めていた。
  • 木村が立ち上げた日本振興銀行を推したのも竹中。
  • 高杉良の経済小説には、竹中・木村と竹中の側近であった岸博幸の3人が、日本の経済政策を誤った方向に導く人物として仮名でたびたび登場している。

住民税の納付

1993年から1996年の4年間にわたって、日本と米国に住民票を移動させることによりこの間日本国内で住民税を払っていないのは脱法行為ではないかとの疑惑が写真週刊誌フライデー』で報じられた(毎年1月1日現在で住民登録していなければ当該年は免除となる)。この問題を国会で追及された際、竹中はその期間に関しては、米国に住居を所有し、1年のうち日本で教える4-7月を除き家族とともに米国で生活していたこと、日本では慶應義塾大学の助教授として毎年の春期講座に対する給料を受け取っていたことなどを明らかにした[9][38]。また、アメリカでの所得は原則として得ていないものの同国で地方税(住民税)を全額払っていたと主張したが、アメリカでの地方税の納税を証明する当該納税証明書の提出は拒否している[39]。このため、竹中が問題とされていた期間において日本の住民税及びアメリカの地方税を共に納付していなかったと言う疑惑は、依然として残ったままである。

竹中は住民税脱税疑惑報道をした『フライデー』を発行する講談社に対し、名誉毀損を理由に損害賠償等請求訴訟を起こした。2006年2月23日、最高裁判所は講談社側の上告を棄却し、講談社側の敗訴が確定した[40]

郵政民営化広報チラシ問題

また、契約も配布先も決まっていない段階で仕事が進められていたことや、登記簿を調べないで契約していたことなどが明らかにされた[41]。また、広報の作成並びに契約等々の経緯についての政府参考人の答弁や説明において意図的な資料の改ざんがあったのではという指摘をうけたことに対し、内閣官房長官の細田博之が遺憾の意を示した。竹中も大臣として謝罪を求められたが、個別の契約行為は自分の所管外だとして謝罪しなかった。また、「随意契約の場合、契約書の締結が必要」との会計法の定めを発注担当者が順守していないため、同法違反だという指摘に対しても所管外だとして、「答弁はする資格がない」として回答を避けた[42]。また、契約についての想定問答集やIQ(知能指数)の低い層にターゲットを絞った広報戦略を示した同社の資料についても承知してないと述べた[42]

ミサワホーム売却問題

ミサワホーム産業再生機構を経てトヨタ自動車に売却される過程で、竹中らによる「公権濫用」があったとミサワホーム元会長が告訴(訴追には至らず)。

2004年(平成16年)12月28日、ミサワホームが経営不振から産業再生機構の管理下におかれ、翌年3月31日、トヨタ自動車がミサワホームのスポンサーになることが決定した。このミサワホーム売却を巡り、ミサワホーム創業者の三澤千代治側が竹中を警視庁に刑事告発した。

2002年(平成14年)5月、兄・宣雄(当時ミサワホーム東京社長)が「弟の平蔵と話しているのだが、(産業)再生機構を活用したらどうか」と三澤(当時ミサワホーム会長)に提案した。三澤はその提案を拒否したが、その後ミサワホームの経営状況は悪化の一途を辿り、不良債権化の懸念が強まった。2003年(平成15年)10月、竹中宣雄が「弟から電話があった。トヨタの奥田会長と会ってほしい」と三澤に再度要請した。くわえて、会談の前日には平蔵自らが三澤に日時の確認を行っていた。

これらの行為に対し、三澤は「国務大臣としての職務を逸脱した一企業への圧力であり、職権濫用にあたる」と主張し、刑法193条に基づき「公務員職権濫用罪」容疑で警視庁に刑事告発した。竹中側は「適正な職務執行であり、職権濫用ではない」と反論しており、三澤の主張を否定している。国会審議でも竹中の言動について取り上げられたが[43]、竹中自身は指摘された事実はないとして、三澤側の主張に反論している[44]。結局、訴追には至っていない。

共同研究の無断販売

2005年(平成17年)、『月刊現代』は竹中の処女作『開発研究と設備投資の経済学』(東洋経済新報社 1984年7月)の内容は「設備投資研究所」時代の同僚・鈴木和志(現在明治大教授)や日本開発銀行での同僚高橋伸彰(現在立命館大教授)との共同研究の成果であり、その同僚は自分単独の名前で発表したいとの竹中からの申し出を断っていたのに、勝手に竹中の単独の著書として出版されたことにショックを受けたことなどを報じた[5]

日本マクドナルド株問題

日本マクドナルドシンクタンク「フジタ未来経営研究所」理事長を務め(小泉内閣入りのため退任)、この関係でマクドナルドの未公開株1500株を保有。2001年(平成13年)7月6日の同社の株式店頭公開により500万円弱の利益を手にした。“国民に「痛み」、自らは「濡れ手に粟」”と批判されている[45]

不祥事

国民年金保険料の未納

2004年(平成16年)4月28日国民年金の保険料を支払っていなかったことが発覚した。一般市民により国民年金法違反容疑で大阪地方検察庁堺支部に告発されている。

人物

野球観戦や音楽鑑賞とともに「構造改革」を趣味の一つとして挙げている。

1994年(平成6年)に大阪大学より博士号を取得している。

フォークグループのアリス、およびメンバー谷村新司のファン。また鉄道ファンでもある[46]

受賞歴

  • サントリー学芸賞: 受賞作『研究開発と設備投資の経済学-』
  • エコノミスト賞: 受賞作『対外不均衡のマクロ分析』

出演

テレビ

ビデオ

ラジオ

著作

単著

共著

編著

編纂

監修

  • 東京財団編『「日本再生」へのトータルプラン――決定版――政策課題2001』朝日新聞社、2001年。ISBN 402257657X

翻訳

寄稿

  • 竹中平蔵稿「J・A・シュンペーター――経済発展の本質をとらえる」日本経済新聞社編『現代経済学の巨人たち――20世紀の人・時代・思想』日本経済新聞社、1994年。ISBN 4532142652
  • 竹中平蔵稿「デジタル革命と21世紀の日本社会」手嶋彩子編『デジタルエコノミー2001――日本とアメリカ』フジタ未来経営研究所、2001年。ISBN 4901322001

関連項目

関連項目

関連人物

脚注

  1. ^ 『文藝春秋』2003年11月号
  2. ^ 『文藝春秋』2003年11月号
  3. ^ 日本経済新聞2009/06/18
  4. ^ 『文藝春秋』2003年11月号
  5. ^ a b 佐々木実「竹中平蔵 仮面の野望(前編)」講談社月刊現代』(2005年12月号)
  6. ^ 『文藝春秋』2003年11月号
  7. ^ 塩田潮「竹中平蔵の挑戦…政治を目指した学者の軌跡」『論座』2005年
  8. ^ グローバルセキュリティ研究所所長 竹中平蔵教授インタビュー慶應ジャーナル
  9. ^ a b 第153回国会 衆議院 内閣委員会第3号 平成13年(2001年)11月28日(議事録
  10. ^ 『文藝春秋』2003年11月号
  11. ^ 経済戦略会議『短期経済政策への緊急提言1998年10月14日
  12. ^ 経済戦略会議「日本経済再生への戦略」『経済戦略会議答申1999年2月26日。
  13. ^ a b 文藝春秋(編)『日本の論点’99』文藝春秋 1998年11月 ISBN 4-16-501500-8
  14. ^ 【金曜討論】小泉構造改革 慶大教授・竹中平蔵氏、作家・高杉良氏 (1-5ページ) 産経新聞2009年3月6日
  15. ^ OECD (2008), Growing Unequal? : Income Distribution and Poverty in OECD Countries
  16. ^ a b アサヒ芸能』(2007年2月8日号)
  17. ^ 【竹中平蔵】将来のために今、正すべき問題点から目をそらすな
  18. ^ 『朝日新聞』2006年6月16日
  19. ^ 竹中平蔵氏 第4話:「社会主義を目指して改革を進めているのではない」 言論NPO
  20. ^ a b 『勝間和代のお金の学校』
  21. ^ 【竹中平蔵】"日本版オランダ革命"に取り組め/同一労働同一賃金 ポリシーウォッチ
  22. ^ 「改革の配当」を活用して持続可能な経済システムの構築を 慶応大学湘南藤沢キャンパスSFC FORUM
  23. ^ 『竹中平蔵のポリシー・スクール』2009年2月1日 「雇用は健全な三権分立から」 日本経済研究センター
  24. ^ 第161回国会 衆議院 予算委員会 第3号 平成16年(2004年)10月19日(議事録
  25. ^ 「日本人よ、格差を恐れるな」( 『文藝春秋』 ) 2006年5月号
  26. ^ 第162回国会 衆議院 郵政民営化に関する特別委員会 第9号 平成17年(2005年)6月7日 (議事録
  27. ^ 第162回国会 参議院 郵政民営化に関する特別委員会 第12号 平成17年(2005年)8月2日(議事録
  28. ^ 『中央公論』2008年11月号
  29. ^ a b c 「第156回国会――財務金融委員会――第3号」『衆議院会議録情報 第156回国会 財務金融委員会 第3号国立国会図書館2003年2月12日
  30. ^ a b c d 「第156回国会――本会議――第8号」『衆議院会議録情報 第156回国会 本会議 第8号国立国会図書館2003年2月14日
  31. ^ a b 第156回国会 衆議院 予算委員会第11号 平成15(2003年)年2月14日(議事録
  32. ^ 竹中大臣記者会見要旨」2003年2月7日(金融庁公式ウェブサイト
  33. ^ 竹中大臣記者会見要旨」2003年2月18日(金融庁公式ウェブサイト)
  34. ^ blog池田信夫Part2
  35. ^ ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 2010年6月8日 Peter Stein
  36. ^ 『日本経済「余命3年」』PHP研究所 ISBN
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  40. ^ ご報告竹中平蔵公式ウェブサイト
  41. ^ 第162回国会 衆議院 郵政民営化に関する特別委員会第20号 平成17年(2005年)6月29日(議事録
  42. ^ a b 第162回国会 衆議院 郵政民営化に関する特別委員会 第19号 平成17年(2005年)6月23日(議事録
  43. ^ 第162回国会 予算委員会第七分科会 第1号議事録
  44. ^ 第164回国会 予算委員会 第5号 平成十八年三月六日(月曜日)議事録
  45. ^ 自給率ゼロ%ハンバーガー販売しマクドナルド株でボロ儲け 小泉内閣経済財政担当大臣 竹中平蔵 農民運動全国連合会機関紙「農民」2001年8月6日付
  46. ^ トクベツキカク - SmaSTATION-5
  47. ^ 『週刊東洋経済』平成14年11月9日号「「経世済民」を志した和歌山の少年時代」

外部リンク


公職
先代
麻生太郎
日本の旗 総務大臣
第6代:2005年 - 2006年
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先代
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日本の旗 特命担当大臣経済財政政策
第4・5・6代:2003年 - 2005年
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先代
名称変更
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第4・5代:2003年 - 2004年
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先代
柳澤伯夫
日本の旗 金融担当大臣
第3代:2002年 - 2003年
次代
名称変更
先代
麻生太郎
日本の旗 経済財政政策担当大臣
第3代:2001年 - 2003年
次代
名称変更
ビジネス
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