対米従属
対米従属(たいべいじゅうぞく)または対米盲従・対米追従とは、本来の意味としては、国家・政府・議会・国民が、自立や自己決定の意思を持たず、自分の認識や意見を持たず、自分の認識や意見に基づく判断や言動をせず、アメリカ合衆国議会・政府・企業・国民に対して隷属・服従し、内政も外交も、その他あらゆる物事も、アメリカ合衆国の言いなりになって言動することである。
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他国に従属する原因 [編集]
個人や組織や政府が他者や他国に対して従属・盲従・追従する原因は数種類ある。
- 力関係上やむをえないから。軍事力・経済力等。
- ある個人や組織や政府が、他者や他組織や他国に対して、宗教的・思想的な信仰による全面的な賞賛・崇拝をして、自分で認識や考察することを放棄して、全面的な賞賛や崇拝の対象である他者や他組織や他国に対して、自発的に従属・盲従・追従する場合
- 民主主義においては少数意見を尊重する建前から合意形成がなかなか進められないことがあるが、他国に対し内政干渉を要望し、外圧に頼ることで国内の反対勢力(抵抗勢力)を押し切りやすくなる。
- 国民が選挙で議会や政府を選出して国家を統治している国ではなく、他国の政府が覇権主義的・帝国主義的な外交政策に利用するために、被支配国の国民の多数意見とは無関係に、自国が背後から操るに都合いい傀儡政権を樹立し、間接支配する場合
対米従属の例 [編集]
実態として確認されている対米従属の事例とは、アメリカ合衆国政府が、その地に樹立した傀儡政権を背後から操って間接支配する統治の事例であり、具体的には、1902~1958年のキューバ、1903~1989年のパナマ、1906~1966年のドミニカ共和国、1907~1988年のエルサルバドル、1915~1986年のハイチ、1933~1980年のホンジュラス、1936~1979年のニカラグア、1948~1987年の韓国、1954~1975年の南ベトナム、1953~1979年のイラン、1954~1985年のグアテマラ、1970~1975年のカンボジア、1973~1989年のチリなど多数存在していた。
対米従属に反対する人々の意見 [編集]
アメリカ合衆国とのどのような関係を対米従属と認識し評価するかは、論者の認識・感情・意見により異なる。具体例として下記のような事例がある。
- 押し付け憲法論・自主憲法論を掲げる人が、連合国軍占領下の日本で制定された日本国憲法の維持を主張することを対米従属であるとする評価
- 日本国憲法第9条を維持することを主張する人が、同条も含めて日本国憲法の改変を主張する人々に対してアメリカ合衆国(国防総省・国務省)の言いなりになって日本を侵略戦争をする国に変えようとする対米従属であるとする評価
- アメリカ合衆国議会・政府が遂行したアフガニスタン戦争、イラク戦争に反対する人が、日本政府やイギリス政府やオーストラリア政府がアフガニスタン戦争やイラク戦争に協力することを対米従属だとするという評価
- 地球温暖化に懐疑的で温暖化予防対策に反対する人が、日本政府やイギリス政府がアメリカ合衆国政府と協力して、地球温暖化対策のための京都議定書を採択し、地球温暖化抑止政策を主張し遂行することに対して、対米従属であるという評価
- 商業捕鯨や調査捕鯨の復活を主張する人が、アメリカ合衆国政府やイギリス政府やオーストラリア政府と協力して、商業捕鯨の禁止・調査捕鯨の規制政策を主張し遂行することに対して、対米従属であるという評価
- 日本が統治していた時代に朝鮮と台湾は発展したので、日本が朝鮮と台湾を統治したことは正義である。日本は欧米の植民地支配からアジアを開放するために大東亜戦争を戦い、戦争の結果アジア諸国は独立したので、日本が大東亜戦争を戦ったことは正義である。日本が日本の統治や戦争の関係各国に対して反省・謝罪をして関係修復することは、アメリカ合衆国のウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムに洗脳されて、日本の統治や大東亜戦争の正義を否定することであるという評価
- 極東国際軍事裁判は連合国軍占領下の日本で行われ、日本の政府・軍の幹部が戦争犯罪人として有罪判決を受け刑を執行されたこと、日本の議会・政府がサンフランシスコ講和条約で、極東国際軍事裁判の判決を受け入れ、刑の執行を誓約したことは、日本の正義を否定することであるという評価
- アメリカ合衆国の占領統治下で、大日本帝国憲法が破棄され日本国憲法が制定されたことは、日本の主権に対する侵害であり、日本が国民と国会議員の多数意見として、日本国憲法を破棄して自主的に憲法を制定することもなく、日本国憲法を改変もすることなく維持していることは、大部分の日本国民がアメリカ合衆国に洗脳され、属国として支配されている証明であるという評価
- 日本がアメリカ合衆国と軍事同盟(日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約、日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)を締結し、アメリカ合衆国軍に基地を提供することは、日本の主権・自立・中立を破棄し、アメリカ合衆国の覇権主義的外交・軍事政策に組み込まれ、アメリカ合衆国の戦争に協力することであるから、日本はアメリカ合衆国との軍事同盟は解消し、在日米軍基地も撤去すべきであるという評価
- 日本とアメリカ合衆国との間で貿易や投資の規制を減少させ、貿易や投資を自由化することは、日本の産業・経済や日本国民の労働が産出する付加価値が、アメリカ合衆国に一方的に搾取収奪され、日本の企業がアメリカ合衆国の企業に買収され、アメリカ合衆国の企業に市場を支配され、アメリカニゼーションをグローバルスタンダードと称して強制され、日本国民の生活がアメリカ合衆国に支配され、日本をアメリカ合衆国の経済植民地化することであるから、貿易や投資の自由化は拒絶すべきであるという評価
- アメリカ合衆国で作られた政治・軍事・経済・産業・科学・技術・芸術・文化が日本に流入することは、世界の諸国の多種多様な文化を破壊し、世界の多様性を破壊して、アメリカ合衆国が世界にアメリカンスタンダードを強制し、世界をアメリカンスタンダードで支配しようとすることであるから、世界の諸国の文化と多様性を守るためには、アメリカンスタンダードを拒絶すべきだ、という評価
- 国民新党は公式サイトにおいて、“郵政民営化は日本の350兆円の資産強奪が目的であり、米国では日本へ民営化を押し付けておきながら、自国では国営の郵便事業を守り続けている、アメリカで郵便庁に勤務する約86万人は公務員で、大統領委員会は今後も公的機関が郵便事業を行うのが望ましいと結論づけている、「公営は時代遅れ」という言葉が、わが国の虎の子、国民の財産である350兆円を奪うための虚偽宣伝であることは明白”との見解を発表している。2005年の「郵政解散」翌日のフィナンシャル・タイムズにも「日本はアメリカに3兆ドルをプレゼント」と題する記事が掲載された。旭日旗がぼろぼろにされ、中央の穴の中にシルクハットにマント姿でアタッシュケースを持った西洋人が入っていく風刺画が添えられていた
対米従属であると非難されているもの [編集]
以下に日本において対米従属であると非難されているものを記す。
国務省による声明 [編集]
2006年7月、アメリカ合衆国国務省は中央情報局(CIA)と日本政界との間の秘密の関係を認める声明を発した。これにより、従来から囁かれていた自民党及び民社党への工作が事実であった事が判明。
アメリカ政府は、日本の政治の方向性に影響を与えようとする四件の秘密計画を承認した。左翼政治勢力による選挙を通じての成功が、日本の中立主義を強化し最終的には日本に左翼政権が誕生することを懸念したのである。アイゼンハワー政権は1958年5月の衆院議員選挙の前に、少数の重要な親米保守政治家に対しCIAが一定限度の秘密資金援助と選挙に関するアドバイスを提供することを承認した。援助を受けた日本側の候補者は、これらの援助がアメリカの実業家からの援助だと伝えられた。……
……重要政治家に対する控え目な資金援助計画は、その後1960年代の選挙でも継続された。……
……もう一つのアメリカによる秘密工作は、極端に左翼的な政治家が選挙で選ばれる可能性を減らすことを狙ったものだった。1959年にアイゼンハワー政権は、より親米的な『責任ある』野党が出現することを希望して、穏健派の左翼勢力を野党勢力から切り離すことを目指した。秘密工作の実施をCIAに承認した。この計画での資金援助は限られていて―1960年には七万五千ドル―、1960年代初期を通じて基本的に同じ水準で続けられた。……
……一方、日本社会の重要な要素に働きかけて極左の影響を拒絶させることを目指す、宣伝と社会行動にほぼ等分されたより広範な秘密計画は、ジョンソン政権の全期を通して継続された。これには控えめな水準の資金―たとえば1964年には四十五万ドル―が提供された。……
対米協力者の養成 [編集]
更に、2008年に発行された、ティム・ワイナーニューヨーク・タイムズ記者の『CIA秘録』(原題:Legacy of Ashes、灰の遺産)で、第二次世界大戦後の日本をアメリカ合衆国の友好国・同盟国にし維持するために、CIAが日本の政財界の大物に協力させ、引き換えに活動資金を提供していたことが、機密指定を解除されて公開されたCIAの資料や、元CIA職員への聞き取り調査で明らかになった[1]。CIAが資金提供した協力者の中には、岸信介(時の首相 満州国で官僚も務めたA級戦犯だったがアメリカの対日政策転換により罪を不問に付される)、正力松太郎(読売新聞社元社主)、児玉誉士夫(実業家で大物右翼)などの社会的影響力がある人物が含まれていた。また自由民主党が結成される一助になっていたことも確認されている。
外交 [編集]
日本は第二次世界大戦終結後に外交政策の根本的転換を行い、第二次世界大戦以前の覇権主義・帝国主義・侵略戦争・軍事介入政策を破棄し、諸外国との相互理解・友好・共生・共栄関係の形成を遂行してきた。アメリカ合衆国は一貫して覇権主義・帝国主義で、中南米、東アジア、西アジアで侵略戦争や軍事介入を繰り返してきた。特に2003年のイラク戦争では、開戦第一の理由であったイラクの大量破壊兵器は一切見つからず、完全な誤りであったことをジョージ・W・ブッシュ大統領自身が認めた。
対パレスチナ政策 [編集]
日本は第二次世界大戦終結後は政府も民間もパレスチナとアラブ諸国と友好関係を継続してきた[2]。
アメリカ合衆国政府は1947年11月のパレスチナ分割決議、1948年5月のイスラエル建国と国連への加盟を支援し、1948年の第一次中東戦争、1956年の第二次中東戦争、1967年の第三次中東戦争の結果、イスラエルがヨルダン川西岸地区、エルサレム、ガザ地区、シナイ半島、ゴラン高原を占領し、占領地として統治することを正当化してきた。その後の歴代のアメリカ合衆国政府は、1956年にシナイ半島のエジプトへの返還とイスラエル軍の撤退、1978年9月のキャンプ・デービッド合意と1979年3月のエジプト・イスラエル平和条約、1982年にシナイ半島のエジプトへの返還、1992年に中東和平マドリッド会議を開催し、1994年10月のイスラエル・ヨルダン平和条約を仲介したが、1947年のパレスチナ分割、1948年のイスラエル建国以来、歴代のアメリカ合衆国議会・政府は、イスラエルの存続を優先する立場に基づいてパレスチナ問題を解決する政策を遂行している。
対キューバ政策 [編集]
日本は第二次世界大戦終結後は政府も民間もキューバと友好関係を継続してきた。キューバミサイル危機の時、アメリカ合衆国政府は日本政府に対してキューバに対する国交断絶を要求したが日本政府は拒否した[3]。
アメリカ合衆国は1902年にキューバが独立した後も傀儡政権を背後から操ってキューバを間接支配してきたが、1959年のキューバ革命で傀儡政権が打倒され革命政府が樹立された。カストロ政権はバチスタ政権時代の従属的関係から対等互恵の国家関係の形成を求めたが、アメリカ合衆国政府はカストロ政権の要求を拒否して1961年1月にキューバと国交断絶した。
アメリカ合衆国政府は、カストロ政権を打倒し傀儡政権を再樹立し間接支配を復活するために、亡命キューバ人に武器と資金を供給して軍事訓練を行い、1961年4月に亡命キューバ人武装勢力をキューバに侵攻させたが作戦は失敗し、1961年4月にキューバに経済制裁・貿易封鎖を実行した。アメリカ合衆国政府はその後も1962年10月までキューバに対して武力行使を繰り返したがカストロ政権を打倒できず、アメリカ合衆国政府に政権を打倒されると危機を感じたカストロはソ連に支援を求め、1962年10月にキューバミサイル危機が発生し、米ソ核戦争の危機になったがソ連の譲歩してミサイル基地の撤去に応じて戦争は回避された。アメリカ合衆国政府はその後もカストロ政権転覆工作やカストロ暗殺工作を繰り返し、政権転覆や暗殺を恐れたカストロが、キューバと自分を守るために、ケネディ大統領暗殺作戦を遂行したと推測されている[1]。
2010年現在も、歴代のアメリカ合衆国議会と政府はキューバに対して国交断絶・経済制裁を遂行している[4]。 国連総会は1992年 - 2007年の16年連続で、アメリカ合衆国のキューバに対する経済制裁の終結を求める決議を、日本も含めて賛成多数で毎年採択しているが、アメリカ合衆国は毎年反対投票している。2007年度は賛成は184か国、反対は4か国(アメリカ合衆国、イスラエル、マーシャル諸島、パラオ)、棄権は1か国(ミクロネシア)で採択された[5]。
対ベトナム政策 [編集]
日本は第二次世界大戦中はベトナムを侵略したが、第二次世界大戦終結後はベトナムと友好関係を確立し、1959年に南ベトナム、1973年に北ベトナム、ベトナム戦争が終結した翌年の1976年以後は統一ベトナムと外交関係を維持してきた[6]。
1954年にベトナム独立戦争が終結した後、ベトナムへの影響力を喪失した旧宗主国のフランスに代わり、アメリカ合衆国政府は南ベトナムに傀儡政権を樹立して背後から操って間接支配を続けた。1960年にアメリカ合衆国の傀儡政権を打倒しベトナム人自身による統治を求める南ベトナム解放民族戦線が南ベトナム政府軍に対する武力闘争を開始した。1961年にアメリカ合衆国政府は南ベトナムにアメリカ合衆国軍を派遣し、傀儡政権である南ベトナム政府を支援して、ベトナム戦争への軍事介入、南ベトナム解放戦線に対する掃討戦を開始した。1965年にアメリカ合衆国政府は北ベトナムに戦線を拡大し、北ベトナム軍と南ベトナム解放戦線との戦争を拡大したが、南ベトナム解放戦線を打倒することは出来なかった。1973年1月にアメリカ合衆国政府は北ベトナム政府、南ベトナム解放戦線と和平協定を締結し、1973年3月にベトナムから撤退した。1975年4月に北ベトナム軍と南ベトナム民族解放戦線軍は南ベトナム政府を打倒し、1976年7月にベトナム統一国家が樹立された。これは戦争において連戦連勝だったアメリカ合衆国が相手を屈服させられなかった初の例である。
その後、アメリカ合衆国とベトナムは国交も経済交流も断絶していたが、1995年7月にアメリカ合衆国政府は、ベトナムと国交を樹立した。
対イラン政策 [編集]
日本は第二次世界大戦終結後は政府も民間もイランと友好関係を継続してきた。2006年度まで日本はイランの最大の輸出相手国だったが、中国がイランからの石油輸入を急激に増大しているので、2007年度以後はイランの最大の輸出相手国は中国になる可能性が高いが、日本とイランが友好国であり重要な貿易相手国である状態は継続している[7][8]。
アメリカ合衆国政府はイラン国民自身によるイランの統治を追求したモサデグ政権を、アメリカ合衆国に協力する勢力を背後から支援して1953年に打倒し、パーレビ王政を支援してきたが、1979年のイスラム革命でパーレビ王政は打倒され革命政権が樹立された。革命政府がパーレビ王政時代の従属的関係から対等互恵の国家関係の形成、パーレビが私物化した財産の返還、パーレビの身柄引渡しを求めたが、アメリカ合衆国政府はイスラム革命政権の要求を拒否してイランの在米資産を接収し、イランに国交断絶と経済制裁を行った。その後も2009年現在に至るまで、アメリカ合衆国の歴代の議会と政府はイランをテロ支援国家と認定して国交断絶・経済制裁を遂行している。
対シリア政策 [編集]
日本は1953年にシリアと国交を樹立して以後は政府も民間もシリアと友好関係を継続してきた。
アメリカ合衆国はシリアが1990年の湾岸戦争で多国籍軍に参加し、1991年にアメリカ合衆国政府が主催した中途和平マドリッド会議以後、アメリカ合衆国政府が提案する中東和平プロセスを支持し、アメリカ合衆国政府が主導した国連安保理決議に基づいて2005年にレバノンから軍を撤退させたが、アメリカ合衆国政府はシリアがレバノンに軍を進駐させた1976年当時からシリアをテロ支援国家と認定し、2004年以後は経済制裁を実施し、2005年以後は在シリア大使を帰国させている[9]。
対リビア政策 [編集]
日本は1957年にリビアと国交を樹立して以後は政府も民間もリビアと友好関係を継続してきた。
アメリカ合衆国は1986年のアメリカ合衆国の旅客機爆破事件とリビアに対する空爆以後、リビアに対して外交関係を停止し、経済制裁を実施してきたが、リビア政府が旅客機爆破事件の被疑者の身柄の引渡しと賠償金の支払いを表明し、大量破壊兵器の破棄を表明したので、2004年に経済制裁を解除し、2006年にテロ支援子国家の指定を解除し外交関係を復活した[10]。
軍事 [編集]
核兵器廃絶 [編集]
核兵器廃絶を推進する諸国(日本も含む)の政府は、1994年~2008年の15年連続、国連総会で核兵器廃絶決議を提案し、賛成多数で毎年採択されている。2008年度は59か国が共同提案国になり、賛成は史上最多の173か国、反対は4か国(アメリカ合衆国、インド、朝鮮民主主義人民共和国、イスラエル)、棄権は6か国(中華人民共和国、イラン、ミャンマー、パキスタン、キューバ、ブータン)である[11][12]。
包括的核実験禁止条約 [編集]
日本は包括的核実験禁止条約[13]に1996年9月に署名、1997年7月に批准している。アメリカ合衆国政府は1996年9月に包括的核実験禁止条約に署名したが、議会上院は軍事的な選択が制限されると認識し、軍事的な選択の多様性を保持する考えで未批准である[14]。
対人地雷禁止条約 [編集]
日本は対人地雷禁止条約[15]に1997年12月に署名、1998年3月に批准している。アメリカ合衆国政府は対人地雷禁止条約は軍事的な選択が制限されると認識し、軍事的な選択の多様性を保持する考えで未署名である[16]。
クラスター弾に関する条約 [編集]
日本は2007~2008年に開催されたクラスター爆弾の禁止を求める国際会議において、標的識別機能と自爆機能を持つ形式を例外として、それ以外の形式のクラスター爆弾の開発・製造・保有・移転・使用を禁止し、保有しているクラスター爆弾を8年以内に破棄することを規定した規制案に対して、2008年5月に他の109か国とともに参加国の全会一致で賛成し、採択を成立させた。日本政府は2008年の12月に開催されたクラスター弾に関する条約の署名式で署名し[17]、2009年度の通常国会で批准した[18][19]。
アメリカ合衆国はロシア、中国、韓国、北朝鮮とともに会議に参加せず、クラスター爆弾の保有継続を表明している。
憲法九条 [編集]
日本は日本国憲法制定後は、憲法が規定する国際平和を追求する政策を遂行し、軍事力は国民と領土・領海・領空の自衛のために限定して保有し、GDPに対する軍事費の比率も1%以内を維持している。アメリカ合衆国議会・政府は日本に対して、自衛目的以外の侵略戦争・軍事介入を容認すように日本国憲法第9条を変え、対外作戦遂行能力を持つ軍事力を保有し、アメリカ合衆国の軍事作戦に協力するよう期待しているが、第二次世界大戦後の歴代の日本の議会と政府は、そのような期待に応じず拒否している。
人権 [編集]
アメリカ合衆国は米州機構本部国でありながら米州人権条約を批准していない。
国際刑事裁判所条約 [編集]
日本は国際刑事裁判所条約[20]に2007年7月に署名・批准した。
アメリカ合衆国政府は2000年12月に同条約に署名したが、議会上院はアメリカ軍軍人が訴追されることを拒否して未批准である。特にジョージ・H・W・ブッシュ政権は2001年、署名を撤回すると表明した[21]。アメリカ合衆国政府は2001年以後、国際刑事裁判所条約の加盟国に対して、アメリカ合衆国軍の軍人を国際刑事裁判所に対して不訴追にする条約の締結を働きかけ、経済的に貧しい国の中には、アメリカ合衆国からの経済援助を受けて、アメリカ合衆国軍の兵士を国際刑事裁判所に対して不訴追にする条約を締結している国もある。日本は経済的に豊かな諸国、国際協調を重視する諸国とともに、アメリカ合衆国軍の軍人を国際刑事裁判所に対して不訴追にする条約の締結を求めるアメリカ合衆国政府からの働きかけを拒否している。
経済的・社会的・文化的権利に関する国際規約 [編集]
日本は経済的・社会的・文化的権利に関する国際規約に、1978年5月に署名、1979年6月に批准した[22]。
アメリカ合衆国政府は1977年10月に経済的・社会的・文化的権利に関する国際規約に署名したが、議会上院は国内法が条約に制限されることを拒否して未批准である。
女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約 [編集]
日本は女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約に、1980年7月に署名、1985年6月に批准した[23]。
アメリカ合衆国政府は1980年7月に女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約に署名したが、議会上院は国内法が条約に制約されることを拒否して未批准である。
児童の権利に関する条約 [編集]
日本は児童の権利に関する条約に、1990年9月に署名、1994年4月に批准した[24]。
アメリカ合衆国政府は1995年2月に児童の権利に関する条約に署名したが、議会上院は国内法が条約に制限されることを拒否して未批准である。
難民の地位に関する条約 [編集]
日本は難民の地位に関する条約の締約国であるが、難民の受け入れには消極的であり、難民受け入れの実績は少ない[25]。
アメリカ合衆国は難民の地位に関する条約の締約国であり、植民者が建国し、移民の受け入れを継続・増大させてきた実績[26]があり、第二次世界大戦時も第二次世界大戦後も難民の受け入れに積極的であり、世界の諸国の中でも主要な難民受入国の一つである。
死刑 [編集]
日米両国は死刑制度の存在・実施国(2009年現在、アメリカ合衆国は連邦・軍・36州の法律に死刑が有り、15州・1特別区・2自治領の法律に死刑は無い)である。
日本では死刑廃止の意見が国民と国会議員の間で多数派となっていないが、1990~1992年は死刑を執行しなかった。
アメリカ合衆国では1972年に連邦最高裁が死刑はアメリカ合州国憲法[27][28]の修正第8条に反する違憲であると判断して、全米で死刑の執行が停止され、1976年に連邦最高裁が死刑は合憲と判断を変更し、1977年に死刑執行が再開されるまで死刑は執行されなかった。1979年以後は毎年死刑を執行[29]している。
環境 [編集]
生物多様性条約 [編集]
日本は生物多様性条約に[30]、1992年6月に署名し、1993年5月に批准した。
アメリカ合衆国政府は1993年6月に生物多様性条約に署名したが、議会上院はアメリカ合衆国のバイオテクノロジー企業の特許権やその他の知的所有権の利益が制限されると認識し、アメリカ合衆国のバイオテクノロジー企業の国際競争力の覇権主義的な競争優位を守るという考えで未批准である[31]。
京都議定書 [編集]
日本は温暖化対策のための気候変動枠組条約の下部規定である京都議定書[32]、に1998年4月に署名し、2002年6月に批准した。
アメリカ合衆国政府は1998年12月に京都議定書に署名したが議会上院はアメリカ合衆国の企業の経営や利益が制限されると認識して未批准である。アメリカ合衆国政府は2001年に京都議定書への署名を撤回すると表明した。日本は京都議定書以後の温暖化予防の国際的な政策連携に中国やアメリカ合衆国の参加を促すため、議会・政府間の交渉および民間レベルで働きかけをおこなっている。
捕鯨 [編集]
日本は商業捕鯨の再開と調査捕鯨の継続を主張している。
アメリカ合衆国は過去には商業捕鯨実施国だったが、1972年以後は国際捕鯨委員会の捕鯨反対の主要国として、商業捕鯨の再開反対・禁止継続と調査捕鯨の制限を主張している。
日本の対外経済関係 [編集]
日本の対外経済関係がアメリカ合衆国に対して過剰な依存をしているという認識は、日本政府が公開している対外経済統計と国際機関(国連、国際通貨基金、世界銀行など)が公開している世界の経済統計を参照する限りには事実ではなく誤認であると言うこともできる。
2008年の為替レートベースの世界のGDPは60兆6869億USドル[33]、アメリカ合衆国のGDPは14兆2646億USドル[34]で世界シェアは23.5%、日本のGDPは4兆9237億USドル[35]で世界シェアは8.1%、世界のGDPから日本のGDPを除いたGDPに対するアメリカ合衆国のGDPのシェアは25.5%である。
1990~2008年の間に日本の輸出に対するアメリカ合衆国のシェアは31.5%から17.6%に減少、中国のシェアは2.1%から16.0%に増大、輸入に対するアメリカ合衆国のシェアは22.3%から10.2%に減少、中国のシェアは5.1%から18.8%に増大した[36]。1990~2008年の間に日本の輸出に対する北米のシェアは33.8%から18.9%に減少、アジアのシェアは31.1%から49.3%に増大、輸入に対する北米のシェアは26.1%から11.9%に減少、アジアのシェアは28.7%から40.6%に増大した。2008年の日本の輸出・輸入に対するアメリカ合衆国のシェアは、2008年の世界のGDPから日本のGDPを除いたアメリカ合衆国のGDPのシェアである25.5%より低いので、あくまでも世界の経済統計を参照する限りには日本の対外経済関係はアメリカ合衆国に対して過剰な依存はしていないと言う事もできる。
アメリカ合衆国の債券発行残高と日本の保有率 [編集]
2008年6月時点のアメリカ合衆国の債券の発行残高と日本の保有率は次に記載するとおりである[37]。
財務省の長期債券(米国債)発行残高は2兆2106億5900万ドルで、そのうち、日本の保有額は5681億5900万ドルでシェアは25.7%、中国の保有額は5219億1200万ドルでシェアは23.6%である。
政府機関の長期債券(公債)発行残高は1兆4636億8600万ドルで、そのうち、日本の保有額は2696億2400万ドルでシェアは18.4%、中国の保有額は5270億5300万ドルでシェアは36.0%である。
企業の長期債権発行残高は2兆8196億8600万ドルで、そのうち、日本の保有額は1483億8600万ドルでシェアは5.3%である、中国の保有額は262億8500万ドルでシェアは0.9%である。
財務省と政府機関と企業の長期債券発行残高の合計は6兆4940億3100万ドルで、そのうち、日本の保有額は9861億6800万ドルでシェアは15.2%、中国の保有額は1兆0752億5000万ドルでシェアは16.6%である。
企業の株式発行残高は2兆9692億8800万ドルで、そのうち、日本の保有額は1986億4500万ドルでシェアは6.7%、中国の保有額は995億4800万ドルでシェアは3.4%である。
財務省と政府機関と企業の長期債券発行残高と企業の株式発行残高の合計は9兆4633億1900万ドルで、そのうち、日本の保有額は1兆1848億1300万ドルでシェアは12.5%、中国の保有額は1兆1747億9800万ドルでシェアは12.4%である。
財務省と政府機関と企業の長期+短期の債券発行残高と企業の株式発行残高の合計は10兆3217億4900万ドルで、そのうち、日本の保有額は1兆2504億1500万ドルでシェアは12.5%、中国の保有額は1兆2050億8000万ドルでシェアは11.7%である。
日本がアメリカ合衆国の債券を過剰に購入・保有しているという認識は、アメリカ合衆国政府機関が公開している債券保有者統計と国際機関(国連、国際通貨基金、世界銀行など)が公開している世界の経済統計を参照する限りには事実ではなく誤認であると言うこともできる。2008年6月30日現在のアメリカ合衆国の長期+短期の債券発行残高に対する日本の保有率12.5%は、2008年度の世界のGDPからアメリカ合衆国のGDPを除いたGDPに対する日本のGDPのシェアである10.6%と比較すると1.9%大きいが近似値である。2008年6月30日現在のアメリカ合衆国の長期+短期の債券発行残高に対する中国の保有率11.7%は、2008年度の世界のGDPからアメリカ合衆国のGDPを除いたGDPに対する中国のGDP[38]のシェアである9.5%と比較すると2.2%大きいが近似値である。2008年度の為替レートベースのGDPが世界で2位の日本や3位の中国は、自国の経済力以上にアメリカ合衆国の長期+短期の債券を過剰に保有しているのではなく、自国の経済力のシェアに応じて債権を保有していると見ることもできる。
アメリカ合衆国に経済的に収奪されるとの意見 [編集]
対米従属に反対する人々の中には、日本とアメリカ合衆国との経済関係は、日本がアメリカ合衆国に一方的に搾取され収奪される関係であると認識している人が存在し、その具体的な事例として、アメリカ合衆国政府が日本政府に対して要求している、日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく、日本国政府への米国政府要望書(通称は年次改革要望書)で日本から搾取収奪するための政策を日本政府に強要し、その具体的な事例として、日本国民の郵便貯金をアメリカ合衆国の金融機関が搾取収奪する手段として郵政民営化をしようとしていると指摘し、反対している。
先進国と先進国の経済関係においては、個々の国の全ての産業と主要な企業の国際競争力が、どちらか一国がもう一国と比較して一方的な強弱の関係ではなく、個々の国の個々の産業と主要な企業ごとに強弱・優劣があるので、どちらか一国がもう一国に対して一方的に収奪することは難しい。先進国と開発途上国の関係においては、冷戦時代の開発途上国の中にはアメリカ合衆国が傀儡政権を操って間接支配していた国があり、そのような国では一方的な収奪が行なわれていた。
アメリカ合衆国の企業が日本の企業・事業を買収した事例 [編集]
- 1998年 ゼネラル・エレクトリックが東邦生命を買収し、社名をGEエジソン生命に変更(現在はAIGエジソン生命保険)。
- 1998年 ゼネラル・エレクトリックがレイクを買収。
- 1998年 ゼネラル・エレクトリックが日本リースを買収。
- 1997年 メリルリンチが山一証券の店舗・事業を買収。
- 2000年 リップルウッド・ホールディングスが一時国有化されていた(旧日本長期信用銀行)を買収し新生銀行に改名。
- 2001年 リップルウッド・ホールディングスが当時のフェニックスリゾート(現在のフェニックス・シーガイア・リゾート)を買収。
- 2001年 リップルウッド・ホールディングスが当時の日本コロムビアを買収。
- 2001年 プルデンシャル・ファイナンシャルが旧共栄生命保険を買収し、社名をジブラルタ生命保険に変更。
- 2001年 アボット・ラボラトリーズがBASFから北陸製薬を買収。
- 2002年 リップルウッド・ホールディングスがディーアンドエムホールディングスを買収。
- 2003年 リップルウッド・ホールディングスが当時の日本テレコム(現在のソフトバンクテレコム)をボーダフォンから買収。
- 2003年 ゴールドマン・サックスが神戸メリケンパークオリエンタルホテル、なんばオリエンタルホテル、ホテルセントラーザ博多、新浦安オリエンタルホテルをダイエーから買収。
- 2004年 プルデンシャル生命保険があおば生命保険(旧日産生命保険)を買収。
- 2004年 モルガン・スタンレーが新神戸オリエンタルホテルをダイエーから買収。
- 2004年 コロニー・キャピタルがホークスタウンをダイエーから買収。
- 2004年 カーライル・グループがウィルコムを買収。
- 2005年 ウォルマートが西友を買収。
- 2006年 カーライル・グループが東芝セラミックスを買収し、社名をコバレントマテリアルに変更。
- 2007年 モルガン・スタンレーがIHG・ANAホテルズ・グループを買収。
- 2007年 シティグループが当時の日興コーディアルグループ(現在の日興シティホールディングス)を買収。
- 2008年 サーベラス・キャピタル・マネジメントがあおぞら銀行(旧日本債券信用銀行)を買収。
日本の企業がアメリカ合衆国の企業・事業を買収した事例 [編集]
「バブル景気」も参照
- 1984年 当時の三菱銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)がバンク・オブ・カリフォルニアを買収。
- 1988年 当時の東京銀行が(現在の三菱東京UFJ銀行)ユニオンバンクを買収。
- 1989年 三菱地所がニューヨークのロックフェラーセンターを買収。
- 1989年 ソニーが当時のコロンビア・ピクチャーズを買収し、社名をソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントに変更。
- 1990年 当時の松下電器(現在のパナソニック)がミュージック・コーポレーション・オブ・アメリカを買収。
- 1991年 イトーヨーカドーがサウスランド(現在のen:7-Eleven Inc.)を買収。
- 1992年 住友商事がCantexを買収。
- 1996年 日本電気がパッカードベルを買収。
- 1997年 大正製薬がプロクター・アンド・ギャンブルのコーラック事業を買収。
- 1998年 杏林製薬がプロクター・アンド・ギャンブルのミルトン事業を買収。
- 2000年 ブーツ・ヘルスケア・ジャパンがプロクター・アンド・ギャンブルのクレアラシル事業を買収。
- 2000年 日立製作所がIBMのハードディスク事業を買収。
- 2002年 大正製薬がプロクター・アンド・ギャンブルのヴィックス事業を買収。
- 2002年 伊藤忠商事がエキサイトの日本法人を買収。
- 2002年 楽天がライコスの日本法人を買収。
- 2003年 楽天がインフォシークの日本法人を買収。
- 2006年 東芝がBritish Nuclear Fuels(BNFL)からウエスチングハウス・エレクトリックの商業用原子力発電事業を買収。
- 2006年 三菱商事がエイボン・オートモーティブを買収。
- 2006年 三井物産がSunWize Technologiesを買収。
- 2007年 三井物産がEllison Technologiesを買収。
- 2007年 三井物産がスチール・テクノロジーを買収。
- 2007年 三菱商事がFGDIを買収。
- 2007年 伊藤忠商事がSolar Depotを買収。
- 2007年 リコーがIBMのデジタル印刷事業を買収。
- 2007年 日本電気がSphere Communicationsを買収。
- 2007年 富士通がOkereを買収。
- 2007年 第一三共がアジェンシスを買収。
- 2007年 大王製紙がプロクター・アンド・ギャンブルのアテント事業を買収。
- 2008年 エーザイがMorphotekを買収。
- 2008年 エーザイがMGI Pharmaを買収。
- 2008年 塩野義製薬がサイエル・ファーマを買収。
- 2008年 リコーがアイコンオフィスソリューションズを買収。
- 2008年 武田薬品工業がミレニアム・ファーマシューティカルズを買収。
- 2008年 野村ホールディングスがリーマン・ブラザーズのアジア・太平洋地域の事業、ヨーロッパ・中東地域の事業を買収。
- 2009年 塩野義製薬がビクトリー・ファーマを買収。
- 2009年 武田薬品工業がIDMファーマを買収。
米軍に対する意見 [編集]
日本がアメリカ合衆国と軍事同盟を締結し、アメリカ軍に基地を提供し、 在日米軍の存在を容認していること、また思いやり予算で管理費用を負担し、その行動を“特例法”で国内法の適用対象外としていることは対米従属であるとの意見を持っている人々も多く存在する(琉球新報は社説で“対米卑屈”と喝破した[39])。
また日本とアメリカの軍事同盟締結のアメリカ合衆国側の事情としては、
- 日本が核攻撃を受けても、アメリカ自身が核攻撃される危険を犯してまで報復核攻撃はしないと、ヘンリー・キッシンジャーなどの複数の米国政府元要人や学者が述べている。
- 自由民主主義社会・資本主義国家の主導国として、冷戦に勝利することを追求していた。
- 冷戦に勝利するためには多種多様な分野で有力な同盟国ができるだけ多く必要だった。
- 日本は政治・軍事・経済・産業・科学・技術、その他の多種多様な分野で有力な同盟相手国だった。
- 日本はソ連領、中国領の東岸の列島が領土・領海であり、ソ連と中国を牽制する地政学上の要所である。
といったことがあった。
だが、もし日本、アメリカ合衆国、ロシア、中国、世界の情勢が変化し、日米両国の国民や議会の多数意見が、日米の軍事同盟は必要ないとの認識に変わるなら、日米の少なくともどちらか一方が日米安全保障条約の破棄を通告すれば、日米安全保障条約は1年後に解消される[40]。
フィリピンの米軍基地はフィリピン政府の都合で1992年に閉鎖になり、アイスランドの米軍基地はアメリカ合衆国政府の都合で2006年に閉鎖になったように、日本とアメリカ合衆国の軍事同盟が永久に続く根拠はない。
自衛隊の国外派遣 [編集]
自衛隊海外派遣は1991年にペルシャ湾に機雷の掃海に派遣されて以来、復興支援活動、国際連合平和維持活動、難民救援活動、国際緊急援助活動、海上警備行動に基づく海賊対策などの目的で国外派遣の実績を積み重ねてきた。自衛隊イラク派遣では死傷者が出るかと懸念されたが、自衛隊は派遣されていた2年6か月の間にイラク国民を一人も死傷させず、一発の弾も撃たないで帰国できた(死者16人。障害が残る重傷を負った者もいる)。一方イラクに駐留している米軍には死亡者や負傷者が多数発生している。
脚注 [編集]
- ^ a b ティム・ワイナー『CIA秘録』(上下)、文藝春秋
- ^ 外務省. “各国・地域情勢>パレスチナ”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ 読売新聞 2008年12月22日 第21回外務省外交文書公開 「キューバミサイル危機の時、アメリカ合衆国政府は日本政府に対してキューバに対する国交断絶を要求した」
- ^ 外務省. “各国・地域情勢>キューバ”. 2009年5月22日閲覧。
- ^ United Nations>General Assembly>Documents>Documents by Agenda Item 62nd(2007) Session>Resolutions Regular Sessions. “Resolutions 62nd(2007) Session>Resolution No. A/RES/62/3 - Meeting Record A/62/PV.38 - Draft A/62/L.1 - Topic Necessity of ending the economic, commercial and financial embargo imposed by the United States of America against Cuba”. 2009年5月22日閲覧。
- ^ 外務省. “各国・地域情勢>ベトナム”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ 外務省. “各国・地域情勢>イラン”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ 日本貿易振興機構. “各国・地域情勢>イラン”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ 外務省. “各国・地域情勢>シリア”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ 外務省. “各国・地域情勢>リビア”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ UN>General Assembly>Documents>Documents by Agenda Item 63rd(2008) Session>Resolutions Regular Sessions. “Resolutions 63rd(2008) Session>Resolution No. A/RES/63/58 - Meeting Record A/63/PV.61 - Draft A/63/389 - Topic Towards a nuclear-weapon-free world: accelerating the implementation of nuclear disarmament commitments”. 2009年1月11日閲覧。
- ^ 外務省. “外交政策>軍縮・不拡散>我が国核軍縮決議の国連総会本会議における採択”. 2009年1月11日閲覧。
- ^ 外務省. “外交政策>軍縮・不拡散>包括的核実験禁止条約”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ UN Multilateral Arms Regulation and Disarmament Agreements. “CTBT”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ 外務省. “外交政策>軍縮・不拡散>対人地雷禁止条約”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ UN Multilateral Arms Regulation and Disarmament Agreements. “Mine-Ban Convention”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ 外務省『中曽根外務大臣』中曽根外務大臣の「クラスター弾に関する条約署名式」への出席2008年12月
- ^ 衆議院『議案審議経過情報』議案名「クラスター弾に関する条約の締結について承認を求めるの件」の審議経過情報
- ^ “クラスター爆弾:禁止条約の批准案、衆院通過”. 毎日新聞. 2009年5月12日閲覧。
- ^ 外務省. “外交政策>国際刑事裁判所”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ International Criminal Court. “Assembly of States Parties>States Parties”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ 外務省. “外交政策>人権・人道>国際人権規約>経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ 外務省. “外交政策>人権・人道>女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ 外務省. “外交政策>人権・人道>児童の権利に関する条約”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ 外務省. “外交政策>難民”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ US Department of Homeland Security. “Immigration Statistics>Yearbook of Immigration Statistics”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ 在日アメリカ合衆国大使館. “アメリカ合衆国憲法”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ US Natinal Archives. “Constitution of the United States”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ Death Penalty Information Center. “Execution Database”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ 外務省. “外交政策>地球環境>生物多様性条約”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ Convention of Biological Diversity. “Information>National Information>List of Parties”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ 環境省. “地球環境・国際環境協力>地球温暖化対策>気候変動枠組条約・京都議定書”. 2008年8月26日閲覧。
- ^ IMF. “Data and statistics>World Economic Outlook Database>By Country Groups (aggregated data) and commodity prices”. 2009年5月21日閲覧。
- ^ IMF. “Data and statistics>World Economic Outlook Database>By Countries (country-level data)”. 2009年5月21日閲覧。
- ^ IMF. “Data and statistics>World Economic Outlook Database>By Countries (country-level data)”. 2009年5月21日閲覧。
- ^ JETRO. “日本の制度・統計>貿易・投資・国際収支統計>ドル建て貿易概況>日本の貿易相手国TOP10 1990~2008年”. 2009年5月22日閲覧。
- ^ アメリカ合衆国財務省. “Treasury International Capital System>Securities Holdings and Transactions>Cross-Border Portfolio Holdings of Securities>Historical data”. 2009年5月21日閲覧。
- ^ IMF. “Data and statistics>World Economic Outlook Database>By Countries (country-level data)”. 2009年5月21日閲覧。
- ^ 『菅官房長官来県 「対米卑屈」を拒否する』2013年4月5日
- ^ 防衛省. “日米安全保障条約”. 2008年8月26日閲覧。
関連文献 [編集]
- 孫崎享「アメリカに潰された政治家たち」小学館 ISBN 9784093798365
- 孫崎享「戦後史の正体」創元社(「戦後再発見」双書)ISBN 9784422300511
- 末浪靖司「対米従属の正体」高文研 ISBN 9784874984826
関連項目 [編集]
- 親米
- 日米関係
- 日米関係史
- 対米従属論
- アメリカ帝国
- 反米
- 保護国
- 従属国
- 日米安全保障条約
- 砂川事件
- 日米地位協定
- 思いやり予算
- 在日米軍
- 自衛隊海外派遣
- 年次改革要望書
- 規制緩和
- 日米構造協議
- 在日米軍裁判権放棄密約事件
- 日米核持ち込み問題
- 日米社会20年遅延説
- 自由民主党 (日本)
外部リンク [編集]
- 吉田敏浩ルポルタージュ シリーズ「国家が情報隠蔽をするとき」(ASIAPRESS NETWORK)
- 「外交文書 対米関係の弱点が明確に」(信濃毎日新聞社説 2011年2月19日)