ローレンス・クライン

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ローレンス・クライン
ネオケインジアン経済学
生誕 1920年9月14日
ネブラスカ州オマハ
死没 2013年10月20日(満93歳没)
ペンシルベニア州
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ
研究機関 ペンシルヴァニア大学
オクスフォード大学
ミシガン大学
NBER
コウルズ委員会
研究分野 マクロ経済学
計量経済学
母校 MIT (Ph.D.)
カリフォルニア大学バークレイ校 (B.A.)
影響を
受けた人物
ポール・サミュエルソン
影響を
与えた人物
E・ロイ・ワイントラウブ
実績 マクロ計量経済予測モデル
受賞 ジョン・ベイツ・クラーク賞 (1959)
アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞 (1980)
情報 - IDEAS/RePEc
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ノーベル賞受賞者 ノーベル賞
受賞年:1980年
受賞部門:アルフレッド・ノーベル記念経済学スウェーデン国立銀行賞
受賞理由:景気変動経済政策を分析する上での経済的なモデル・手法の開発に対して

ローレンス・ロバート・クライン(Lawrence Robert Klein、1920年9月14日 - 2013年10月20日)は、アメリカ合衆国経済学者。専門はマクロ経済学と計量経済学であり、『ケインズ革命』(1947年)、『アメリカ合衆国の経済変動』(1950年)、『計量経済学』(1953年)、『計量経済学入門』(1962年)などの著作を発表している。また、「国民経済モデルの国際連結モデル」(LINK)の中心メンバーでもあった。

略歴[編集]

学歴[編集]

職歴[編集]

研究経歴[編集]

1.青少年時代
  • 成長するにつれて大恐慌など当時の経済問題に刺激され、特にケインズ経済学の出現に興味を覚えた。一方、数学にも興味を持っており、当時、確立しつつあった経済学の数学的分析手法にも興味をもった。
2.大学院( - 1944年)
3.コウルズ委員会(1944年 - 1947年)
  • 計量経済学的方法とマクロ経済分析を結合するという試みに確信をもっており、共同研究からシステムを構築した。
4.ヨーロッパ旅行(1947年)
5.全米経済研究所NBER)(1948年 - 1950年)
  • 鉄道部門の生産関数の推計のあと、ミシガン大学サーベイ・リサーチ研究所の共同研究を行った。
6.ミシガン大学(1950年 - 1954年)
  • 計量経済モデルの構築に戻った。研究生のアーサー・ゴールドバーガーとクライン=ゴールドバーガー・モデルを構築した。
7.オックスフォード大学(1954年 - 1958年)
  • マッカーシズム時代、平和と学問の自由をもとめてオックスフォード大学へ移る。オックスフォード・モデルの作成に当たって学生が協力してくれた。
8.ペンシルベニア大学(1958年 - 不明)
  • ペンシルベニア大学教授となり、アメリカ経済のモデルに再び着手する。ウォートン・モデルのあと、共同プロジェクトであるブルッキングス・モデル(SSRC=ブルッキングス・モデル)においてアルゴリズムを考案し、後の世代の人々が自由に操ることが可能になった。1963年、ミッシェル・エバンズ教授が加わり、彼のモデルと、ウォートン・モデルを融合させた結合モデルが作られ、「ウォートン計量経済予測ユニット」は大成功となった。
  • アメリカで知己となっていた森嶋通夫市村真一の企画に加わり、新しい『インターナショナル・エコノミック・レビュー』の創刊に努力した。また、1960年から何度も日本に招聘され、新開陽一と共に大阪大学のモデル作成プログラムに参加した。
  • イギリスと日本の経験によって、国際的なモデルの構築に向かった。1966年、アルゼンチン、ブラジル、メキシコのモデルを作った。その後、多くの国のモデルが作られたが、それらの研究から「国民経済モデルの国際連結モデル」というプロジェクト、LINKが生まれた。

日本語訳著書[編集]

  • 『ケインズ革命』、篠原三代平宮沢健一共訳、有斐閣、1952年(新版1965年)
  • 『計量経済学』、宮沢光一・中村貢共訳、岩波書店、1958年
  • 『計量経済学入門』、河野弘忠訳、創元新社、1968年(改訂版1970年)
  • 『経済予測の理論』、佐和隆光訳、筑摩書房、1973年
  • 『中国の計量経済学モデル』、L.R.クライン・市村真一共訳、創文社、2006年
  • 『日本経済のマクロ計量分析』、市村真一・L.R.クライン編著、日本経済新聞出版社、2011年

脚注[編集]

  1. ^ ローレンス・クライン氏死去 80年にノーベル経済学賞 日本経済新聞 2013年10月22日

外部リンク[編集]