仁坂吉伸

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日本の旗 日本の政治家
仁坂 吉伸
にさか よしのぶ
Yoshinobu Nisaka-20070215.jpg
生年月日 1950年10月2日(63歳)
出生地 和歌山県和歌山市
出身校 東京大学経済学部卒業
前職 国家公務員経済産業省
所属政党 無所属自由民主党公明党推薦)
配偶者 仁坂佳子

和歌山県の旗 公選第18代 和歌山県知事
当選回数 2回
任期 2006年12月17日 -
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仁坂 吉伸(にさか よしのぶ、1950年10月2日 - )は、日本政治家和歌山県知事関西広域連合副広域連合長。

経歴[編集]

1950年10月2日ニット製造企業経営者仁坂幸夫(和歌山メリヤス工業組合副理事長・和歌山県テニス協会初代会長)の長男として和歌山県和歌山市鷹匠町4丁目に生まれた。和歌山大学教育学部附属小学校同中学校和歌山県立桐蔭高等学校を卒業。高校時代の同級生に竹中平蔵がいる。当初は東大紛争による入試見送りのため京都大学に進学したが、同大学で講義をした教授政治に対する姿勢に疑問を抱き、東京大学へ転学することとなり、同大学経済学部卒業。和歌山市西高松に親族がいる。

官僚時代[編集]

1974年通商産業省(現・経済産業省)に入省。入省同期に、石毛博行(元中小企業庁長官)、肥塚雅博(元特許庁長官)など。ジェトロ・ミラノセンター、生活産業局総務課長、経済企画庁長官官房企画課長、大臣官房審議官通商政策局担当)、製造産業局次長などを経て、外務省に出向して2003年7月から2006年10月まで駐ブルネイ大使を務めた。

和歌山県知事時代[編集]

2006年11月談合事件で当時の和歌山県知事木村良樹が辞職したのに伴い、和歌山県知事選挙自民党公明党推薦で出馬表明。桐蔭高校東大出身で竹中平蔵の友人であり、元大蔵省国際局アジア通貨室長の岸本周平が代表を務める民主党和歌山県連が独自候補の擁立を見送った。12月17日に投開票された知事選で、日本共産党推薦の候補を破り初当選を果たした。

2009年6月和歌山徳島両県が、国の高速料金の大幅な値下げで打撃を受けている南海フェリーに1億円ずつ支援して運賃を値下げする計画に関連し、南海フェリーが計画の一部への協力を渋っているとする質問を記者会見で受け、同社に決死の覚悟で国の奇策を諌める諫死(かんし)を促す意味で「渋る元気があったら国土交通省の前で割腹自殺でもしたらいい」と発言した。「割腹自殺」という発言は、会見後すぐに取り消した上で「ちゃんとした抗議」という表現に訂正した[1]

2010年7月20日より前立腺癌治療のため29日まで休養[2]

同年11月28日投開票の知事選挙に出馬し、再選を果たした[3]

宮崎県前知事の東国原英夫とも、同じ汚職知事の後任同士ということで親交がある[4]

政治姿勢[編集]

  • 木村良樹前知事が官製談合事件で失脚したため、全てのの公共調達で指名競争入札を廃止し一般競争入札を実施するなど、官製談合が起こる余地のない公共調達制度改革を行った[5]
  • 2007年6月に発覚した介護業界最大手コムスンによる介護報酬不正請求事件において、同社が厚生労働省から介護サービス事業所の新規及び更新指定不許可処分を受けた直後に子会社に全事業を譲渡すると発表した問題については、「明らかな脱法行為で正義に反する。そのような人間が福祉事業に手を出していること自体がおかしい。国が(譲渡を)認めても(和歌山)県は絶対に認めない」と全国に先駆けていち早く宣言し、話題となった。
  • 厚生労働省が生後20ヶ月以下のBSE検査を、2008年7月末をもって全国一斉に終了するように求める通達を出したことについては、期限を過ぎても不安が解消されるまでは検査を続けるとした上で、「県が必要だと考えて行っていることに、国がやってはいけないと言うべきではない」と厚生労働省を批判するなど、常に国の政策よりも一歩踏み込んだ姿勢をとっている。
  • 橋下徹大阪府知事が率先して進めた大阪都構想に当初から賛成表明している[6]
  • 道州制 については、導入は不可避ではあるが、道州間及び道州内の財政調整などについて詳細な制度設計が不分明な現状では、導入の必要性について判断することはできないと発言している[7]
  • リーマン・ショックによる高校生就職難が急増し、特に県内ではその数値が顕著な中、卒業後に期間限定の臨時職員として採用する救済措置を発表している。(県庁が経済危機を理由に臨時職員採用を募るのは極めて異例)
  • 関西国際空港ハブ化に賛成表明しているが、大阪国際空港の廃港には言及していない。
  • 橋下徹大阪府知事(当時)が「ぼったくりバーのようだ」として、国が行う直轄事業に対して都道府県から負担金をとることを批判して廃止を訴えた際に、一方で県事業に対して市町村から負担金をとることは矛盾するとして、2010年度から市町村負担金を原則的に廃止した[8]
  • 2012年に、景観を阻害する廃墟を、周辺の住民からの要請を受けて、県が強制撤去できる条例「建築物等の外観の維持保全及び景観支障状態の制限に関する条例案(通称:景観支障防止条例)」を制定した[9]
  • 2011年8月の県の広報誌において、太平洋戦争の責任は当時の国民にもあるという持論を展開した。[10]
  • 2014年4月の定例会見で、2010年の参院選の「一票の格差」の裁判で違憲状態とした最高裁判決に対し、全くの間違い、判決を下した最高裁判事には国民審査でバツを付けたいという発言をした。[11]

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]