曽ヶ端準
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名前 | ||||||
愛称 | ソガ | |||||
カタカナ | ソガハタ ヒトシ | |||||
ラテン文字 | SOGAHATA Hitoshi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1979年8月2日(44歳) | |||||
出身地 | 茨城県鹿嶋市 | |||||
身長 | 187cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 鹿島アントラーズ | |||||
ポジション | GK | |||||
背番号 | 21 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1998- | 鹿島アントラーズ | 464 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
2001-2003[1] | 日本 | 4 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2015年11月24日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
曽ヶ端 準(そがはた ひとし、1979年8月2日 - )は、茨城県鹿嶋市出身のプロサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。鹿島アントラーズ所属。元日本代表。
来歴
鹿島アントラーズ
1998年に鹿島アントラーズにトップチーム昇格の形で入団(同期入団は小笠原満男、中田浩二、本山雅志、山口武士、中村祥朗)。2001年、当時の正GK高桑大二朗に替わり、レギュラーに定着。以後、正GKとして活躍している。
2012年3月31日のJ1第4節・横浜FM戦でクラブ公式戦通算最多出場(475試合)、8月18日のリーグ・浦和戦でリーグ戦クラブ最多出場(360試合)、同月25日のリーグ・新潟戦でクラブ公式戦通算500試合をそれぞれ達成した。
2013年7月31日のJ1第18節・名古屋戦で、国内3大大会通算500試合を達成した。
2014年4月12日のJ1第7節・新潟戦で、リーグ戦217試合連続出場を達成。元FC東京などに在籍していた土肥洋一が保持していた出場記録を更新した[2]。
2015年3月8日、1stステージ第1節でベンチ入りしたものの出場機会がなかった(佐藤昭大が先発フル出場)ため、2007年10月20日のジュビロ磐田戦から続いていた連続フルタイム出場試合数のJリーグ記録が「244」で止まった。負傷やミスなども重なり、シーズンは24試合の出場にとどまり、一時は佐藤にポジションも譲ったがトニーニョ・セレーゾから石井正忠に監督が代わるとレギュラーに復帰した。
2016年シーズンに、同期の本山雅志がギラヴァンツ北九州へ完全移籍したため、クラブ史上最長在籍(19シーズン)を記録した。
日本代表
ユース代表として、AFC U-19選手権(1998年、タイ)に参加。
2000年からフィリップ・トルシエ監督が率いるA代表としてプレー。国際Aマッチデビュー戦となったイタリア戦では楢崎正剛と川口能活の怪我により出番が回ってきた格好となったが、落ち着いたプレーを披露し高い評価を得た。2002年日韓W杯のメンバーとして選ばれるも控えに終わった。アテネオリンピックでは山本昌邦五輪監督から小野伸二と共にオーバーエイジ枠で招集されたが、直前の強化試合で致命的なミスから失点すると本大会でも安定感を見せられず3試合で7失点を喫した。
以後、代表選出からは遠ざかっていたが、2010年10月9日、川島永嗣の負傷により日本代表に追加招集された[3]。
プレースタイル
総合力の高いGK。ハイボールに強く、前方に飛び出してのリベロ的なプレーも得意とし、守備範囲が広い[4]。シュートやクロスへの反応が速く、見切りを行うことで不要な動作はせず、次に備える。また、キックやスローイングも正確で鹿島のカウンター攻撃発動の起点となる。コーチングにも優れ、シュートコースを限定することでセービングを有利にしたり[5]、相手ゴール前でのセットプレー時でも、カウンターに備え声を出して相手FWのマークを確認する程である[6]。 上記の個人能力と周囲へのコーチングもあり、曽ヶ端の枠内シュートセーブ率はリーグ屈指である[7]。 尚、コーチングをよく行うのはチームメイトのためだけでなく、自分自身の集中力を切らさないためでもあるという[8]。
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
- 1998年 - 現在 鹿島アントラーズ
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1998 | 鹿島 | 29 | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1999 | 28 | J1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | |
2000 | 2 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 6 | 0 | |||
2001 | 21 | 21 | 0 | 6 | 0 | 2 | 0 | 29 | 0 | ||
2002 | 30 | 0 | 3 | 0 | 5 | 0 | 38 | 0 | |||
2003 | 30 | 0 | 5 | 0 | 4 | 0 | 39 | 0 | |||
2004 | 27 | 0 | 6 | 0 | 3 | 0 | 36 | 0 | |||
2005 | 34 | 0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 41 | 0 | |||
2006 | 22 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 | 29 | 0 | |||
2007 | 32 | 0 | 10 | 0 | 5 | 0 | 47 | 0 | |||
2008 | 34 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 38 | 0 | |||
2009 | 34 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 40 | 0 | |||
2010 | 34 | 0 | 2 | 0 | 6 | 0 | 42 | 0 | |||
2011 | 34 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 | 40 | 0 | |||
2012 | 34 | 0 | 9 | 0 | 4 | 0 | 47 | 0 | |||
2013 | 34 | 0 | 6 | 0 | 3 | 0 | 43 | 0 | |||
2014 | 34 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 40 | 0 | |||
2015 | 24 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 29 | 0 | |||
2016 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 464 | 0 | 74 | 0 | 50 | 0 | 588 | 0 | |
総通算 | 464 | 0 | 74 | 0 | 50 | 0 | 588 | 0 |
その他の公式戦
- 2001年
- Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2002年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2008年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2009年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2010年
- スーパーカップ 1試合0得点
- 2011年
- スーパーカップ 1試合0得点
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2002-2003 | 鹿島 | 21 | 0 | 0 |
2008 | 8 | 0 | ||
2009 | 7 | 0 | ||
2010 | 7 | 0 | ||
2011 | 7 | 0 | ||
2015 | 6 | 0 | ||
通算 | AFC | 35 | 0 |
その他の国際公式戦
- 2001年 - 2002年
- アジアクラブ選手権 5試合0得点
- 2012年
- スルガ銀行チャンピオンシップ 1試合0得点
- 2013年
- スルガ銀行チャンピオンシップ 1試合0得点
- 出場歴
- リーグ戦初出場(初完封試合) - 1999年5月8日 J1 1st第12節 対アビスパ福岡戦(富山県総合運動公園陸上競技場)
- リーグ戦通算100完封試合 - 2011年8月13日 J1第21節 対ベガルタ仙台戦(ユアテックスタジアム仙台)
- 公式戦通算500試合出場試合 - 2012年8月25日 J1第23節 対アルビレックス新潟戦(カシマサッカースタジアム)
タイトル
クラブ
- 鹿島アントラーズ
- J1リーグ:6回(1998年、2000年、2001年、2007年、2008年、2009年)
- Jリーグカップ:5回(2000年、2002年、2011年、2012年、2015年)
- 天皇杯:3回(2000年、2007年、2010年)
- FUJI XEROX SUPER CUP:4回(1998年、1999年、2009年、2010年)
- A3チャンピオンズカップ:1回(2003年)
- スルガ銀行チャンピオンシップ:2回(2012年、2013年)
個人
- 2001年 - ヤマザキナビスコカップニューヒーロー賞
- 2002年 - Jリーグベストイレブン
- 2003年 - Jリーグフェアプレー個人賞
代表歴
- 国際Aマッチ初出場 - 2001年11月7日 キリンチャレンジカップ2001 対イタリア戦(埼玉スタジアム2002)[1]
- 国際Aマッチ初完封試合 - 2002年4月29日 キリンカップサッカー2002 対スロバキア戦(国立霞ヶ丘競技場)[1]
出場大会
- U-23日本代表
- 日本代表
- 2002年 2002 FIFAワールドカップ
試合数
- 国際Aマッチ 4試合 0得点 (2001年 - 2003年)[1]
日本代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2001 | 1 | 0 |
2002 | 1 | 0 |
2003 | 2 | 0 |
2010 | 0 | 0 |
通算 | 4 | 0 |
脚注
- ^ a b c d “曽ヶ端 準”. サッカー日本代表データベース
- ^ 曽ヶ端、217試合連続出場でJ記録更新! 土肥の記録8年ぶりに抜く スポーツニッポン (2014年4月12日)
- ^ 第90回天皇杯全日本サッカー選手権大会#3回戦が行われている最中での選出であり、同月11日、13日に試合を控えていた半数近くのJリーグクラブからは招集が難しい状況だった。
- ^ 【選手評 曽ヶ端準編】 鹿島アントラーズ語り部ブログ
- ^ 王者を完封した前節・広島戦。守護神・曽ケ端準の視点 BLOGOLA
- ^ 鹿島の守護神 曽ヶ端準|中原の鹿 スポーツナビ+
- ^ 続、サッカーにおけるGKの話 pal-9999の日記
- ^ プロサッカー選手曽ヶ端準|スペシャルインタビュー ビープラス