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=== 後世への影響 ===
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ブラヴァツキーに始まる神智学の影響は非常に広範囲に及び、現代まで続いている。大田俊寛は、「神智学」という存在が功罪を含めてきわめて大きな影響力をふるっているにもかかわらず、現在ではほとんど認知されておらず、客観的な立場から書かれた日本語の研究書は、まだ一冊もないのではないだろうかと述べている。<ref name=kozai/>2004年出版のグッドリック=クラークの書籍では、その影響は次のように述べられている。<ref name=sugimoto>杉本良男 [http://ir.minpaku.ac.jp/dspace/handle/10502/4459 「比較による真理の追求 : マックス・ミュラーとマダム・ブラヴァツキー」] 国立民族学博物館調査報告 90, 173-226, 2010-03-31 </ref>
ブラヴァツキーに始まる神智学の影響は非常に広範囲に及び、現代まで続いている。大田俊寛は、「神智学」という存在が功罪を含めてきわめて大きな影響力をふるっているにもかかわらず、現在ではほとんど認知されておらず、客観的な立場から書かれた日本語の研究書は、まだ一冊もないのではないだろうかと述べている。<ref name=kozai/>2004年出版のグッドリック=クラークの書籍では、その影響は次のように述べられている。<ref name=sugimoto>杉本良男 [http://ir.minpaku.ac.jp/dspace/handle/10502/4459 「比較による真理の追求 : マックス・ミュラーとマダム・ブラヴァツキー」] 国立民族学博物館調査報告 90, 173-226, 2010-03-31 </ref>
#神智協会からの分派がインドにも西洋にも多くのこされたこと。
#神智協会からの分派がインドにも西洋にも多くのこされたこと。
#のちの協会の歴史の中で、アニー・ベザントが協会会長時代、インド国民会議の議長に就任したことで、インドの国民意識の発展に大きな貢献を残したこと。また[[ガンディー]]と[[ネルー]]がともにインドの宗教的・哲学的遺産を再発見するために神智学にひきつけられたこと。
#のちの協会の歴史の中で、アニー・ベザントが協会会長時代、インド国民会議の議長に就任したことで、インドの国民意識の発展に大きな貢献を残したこと。また[[ガンディー]]と[[ネルー]]がともにインドの宗教的・哲学的遺産を再発見するために神智学にひきつけられたこと。
#西欧では、現代のオカルトのリバイバルに単独のもっとも重要な要因になったこと。
#西欧では、現代のオカルトのリバイバルに単独のもっとも重要な要因になったこと。
#西欧での心霊主義の流行を宇宙論、近代人類学、進化理論を人間の霊的発展とむすびつけて、一貫した教義を打ち立てたこと。
#西欧での心霊主義の流行を宇宙論、近代人類学、進化理論を人間の霊的発展とむすびつけて、一貫した教義を打ち立てたこと。
#西欧神秘主義のふるくからの源泉を、西欧が植民地支配によって接触できたアジア宗教の用語によって再解釈しグローバル化したこと。
#西欧神秘主義のふるくからの源泉を、西欧が植民地支配によって接触できたアジア宗教の用語によって再解釈しグローバル化したこと。

2015年10月23日 (金) 22:38時点における版

神智学(しんちがく)[注釈 1]とは、通常の人間的な認識能力を超えた神秘体験や神秘的直観、もしくは天使の啓示によって、神を体験・認識しようとするもので、ヨーロッパ[注釈 2]において形成された信仰・思想である。神知学、神知論、接神論ともいう。

語源的には、ギリシア語を意味する θεόςテオス叡智を意味する σοφίαソピアー、ソフィアの合成語 θεοσοφία, theosophia (テオソフィア、神智)に由来する。

広義の神智学と狭義の〈神智学〉

広義の(一般的)神智学[注釈 3]は、聖典や啓示の解釈を通じて神や世界の秘密を探ろうとする知的・精神的営為[2]、存在と自然の神秘にかんする秘教哲学の体系、あるいはその神秘についての直接的な知を得ることを目指す探求を指す。本来的な意味での神智学は特に神の本性を知ることに重きを置くものを指しており、これに対して、世界や自然の秘密を知ろうとする傾向の神智学思想は汎智学: Pansophie パンゾフィー)とも呼ばれる[3]。神智学は秘教の広範な領域の一部であり、個の照明と救済をもたらす隠された知識や智慧に関連すると考えられている。神智家は宇宙の神秘を、そして宇宙と人間と神との結びつきを理解しようとする。神智学が目指すのは神と人間と世界の起源を探ることであり、それらを吟味することによって、神智家は宇宙の目的と起源についての首尾一貫した説明を見出そうとする。神智学には新プラトン主義グノーシス派カバラヨアキム主義も含まれ[4]、宗教改革以後では、新プラトン主義の系譜をひく自然神秘主義的な思想を展開し、医療錬金術を探求したパラケルスス、神秘体験から独自の神学を唱えたヤーコプ・ベーメらの著作も神智学の系列に属する[5]。とりわけ17世紀初頭のベーメの諸著作は以後のキリスト教神智学の大きな水源となり[6]、神智学が隆盛した18世紀から19世紀初めには、エマヌエル・スヴェーデンボリマルティネス・ド・パスカリフランス語版など多くの神智学的思想家が登場した[7]

狭義の〈神智学〉[注釈 4]は、19世紀にブラヴァツキー夫人ことヘレナ・P・ブラヴァツキーが唱導した心霊主義[4]、なかでも彼女とヘンリー・スティール・オルコットが創設した神智学協会(Theosophical Society、1875年創設)に端を発する、古代の忘れられた叡智の再発見と普遍宗教の確立を目指す運動とその教義を指す。現代において〈神智学〉と言えば、神智学協会の教義を指すことが多い。ブラヴァツキーはヤーコプ・ベーメにも言及しているが、初期のブラヴァツキー〈神智学〉は古代の新プラトン主義に範を取っており、従来のキリスト教神智学にはあまり目を向けなかった[8]。〈神智学〉の基礎となる主要著作のひとつは、1888年に出版されたブラヴァツキーの大作『シークレット・ドクトリン』である。神智学協会の諸団体は世界の52以上の国でなおも活動している[注釈 5]

英語では一般的な意味での神智学的思想家は theosopher (神智家)といい、神智学協会の追従者を指す Theosophist (神智学徒、神智主義者)とは区別される[9]伝統主義学派英語版の旗手ルネ・ゲノンは、『神智主義 - ある似非宗教の歴史』(1921年)を著して神智学協会を批判し、同協会の教義を「神智主義」(: théosophisme テオゾフィスム)と呼んで伝統的な神智学と区別した[10]

語源

神智学 (theosophy) という用語は、古代ギリシア語のθεοσοφίαテオソピアーを語源としており、直訳すると「神の叡智」「神に関する智慧」という意味になる。ブラヴァツキーは、3世紀の古代ギリシアの思想家アンモニオス・サッカスとその弟子たち(オリゲネスプロティノスなど)が使い始めたと述べている[11]。この theosophia (神智)という言葉は、古くはポルピュリオスイアンブリコスの新プラトン主義の著作に現れ[12]、初期キリスト教の教父たちのギリシア語・ラテン語の著作においても神学の同義語として用いられている[13]theosophoi は「神にかんすることを知る者たち」である[14]。神智学は神学の同義語として用いられることが多かった[15]。「神智学」という言葉は絶え間なくさまざまな意味を付与されてきた[16]。そのため、神智学という言葉を古代に使われたような意味で用いたり、厳密に語源にもとづいた意味で用いることは、学会においては一般的ではない。

伝統的・キリスト教的神智学(広義の神智学)

古代・中世

神智学という言葉は、古くは3世紀には神学の同義語として用いられた[13]ロバート・グロステストのものとされる13世紀の著作『哲学大全』は、神智家と神学者を区別した。同書では、神智家は聖典のみから霊感を吹きこまれる著者であるとされ、一方、偽ディオニュシニウス・アレオパギタオリゲネスのような神学者は神智を説明することを務めとする人であるとされた[15]

ユダヤ神秘主義英語版においては、カバラ(ヘブライ語で「受け取られた伝承」)の神智学的[17]教義体系が12世紀後葉の南仏に出現し(バーヒール英語版の書)、13世紀のスペインに広まった(13世紀後葉のゾーハルの書で頂点に達する)。カバラは後世のユダヤ神秘主義の発展の基礎となった。ユダヤ教の神智学的カバラは16世紀のオスマン・トルコ領パレスチナでイツハク・ルーリアによって再解釈された(ルーリアのカバラ英語版)。ルネサンス期以降、折衷的な非ユダヤ的伝統である神学的クリスチャン・カバラ英語版と魔術的なヘルメス的カバラ英語版は、ユダヤ教の文献を研究し、その体系をかれらのさまざまな哲学に組み込んだ(それは今なお西洋の秘教の中心的な構成要素となっている)。ユダヤ神秘主義の先駆的研究者ゲルショム・ショーレムは、厳密に一神教的に解釈しながらも、中世のカバラとルーリアのカバラはユダヤ教にグノーシス主義的モチーフを組み込んだものであると考えた[18]

16-17世紀

ルネサンス期の間、神智学という用語から、ひとを神や媒介的諸霊の世界に結びつけるものを識ることを通じて個の照明と救済をもたらす霊智的な知識を指す言葉としての用法が生じた[14]。16世紀のドイツでは、キリスト教神秘主義と秘教的自然哲学とを架橋するような神智学の潮流が興った。マイスター・エックハルトのようなドイツ神秘主義の伝統とパラケルスス(1493年-1541年)の錬金術的思想を結びつけたヴァレンティン・ヴァイゲル(1533年–1588年)がその代表である[12]。『永遠の叡智の円形劇場』(1595年)を著したパラケルスス主義者ハインリヒ・クンラート(1560年-1605年)[12]、『神聖なる権威の啓示』(1619年)という著作を遺したエギディウス・グトマン(1490年-1584年)[19]も16世紀末のドイツ神智学の重要人物に数えられる。しかしながら神智学という言葉はまだ確立した意味にまで達していなかった。というのもヨハネス・アルボレウスによる16世紀中葉の Theosophia は、長々とした説明を加えながらも秘教については何も触れなかったのである[20]

17世紀ドイツのキリスト教神秘家ヤーコプ・ベーメ(1575年-1624年)は、著作のなかで「神智学」という言葉を使うことはめったになかったが、かれの業績はその言葉が広まる大きな要因となった。それはベーメの著作のいくつかの表題によるものであるが[注釈 6]、それらの表題はベーメ自身というよりも編集者らによって選ばれたものと思しい[22]

17世紀の神智家は比較的少数であったが、かれらの多くは多作であった[23][注釈 7]。ドイツ以外では、オランダ、イングランド、フランスにも神智家がいた。その代表的人物はヤン・バプティスト・ファン・ヘルモント (1618年–1699年)、ロバート・フラッド(1574年–1637年)、ジョン・ポーディジ(1608年–1681年)、ジェーン・リード(1623年–1704年)、ヘンリー・モア(1614年–1687年)、ピエール・ポワレ(1646年–1719年)、アントワネット・ブリニョン(1616年–1680年)である[23][注釈 8]。この時期の神智家たちがよく取った方法は、神秘の完全な理解に向けて、象徴的意味を引出して知識追及を推し進めるために能動的想像を活用し、特定の神話ないし啓示に基づく解釈によって自然を探るというものであった[14][24]

18世紀

18世紀には、神智学という言葉は一部の哲学者の間で広く使われるようになった。しかし「神智学」という言葉は18世紀全体を通じて辞書や百科事典においてはなおも「実質的に不在」であり、19世紀の第2四半世紀になってようやく頻出するようになった[25][注釈 9]。少なくとも19世紀中葉までは、神智家自身が神智学という言葉を使うのは控えめであった[26]。ヨーハン・ヤーコプ・ブルッカー (1696年–1770年)の記念碑的著作『哲学の批判的歴史』(1741年)には神智学にかんする長い一章が設けられていた。ブルッカーは哲学史における当時の標準的な論及のなかで、秘教における他の潮流と並んで神智家たちを加えた。ドイツの哲学者たちはこの時期に、ザムエル・リヒター(筆名シンケルス・レナトゥス)の『神智哲学 理論と実践』(1710年)、ゲオルク・フォン・ヴェリング(筆名ザルヴィクト、1655年-1727年)の『魔術カバラ的・神智学的論文』といったキリスト教神智学の主要な著作群を生み出した[27]。他にこの時期の著名な神智家には、ヨーハン・ゲオルク・ギヒテル(1638年–1710年)、ゴットフリート・アルノルト(1666年–1714年)[28]、フリードリヒ・クリストフ・エーティンガー(1702年–1782年)[29]、ウィリアム・ロー(1686年–1761年)、ディオニュシウス・アンドレアス・フレーアー(1649年–1728年)がいる[30]。18世紀までに、「神智学」という言葉はしばしば「汎智学」と併せて用いられるようになった。汎智学とは、具象宇宙の神聖文字を解読することによって獲得される、神的事物にかんする知識である。これに対して「神智学」という言葉は、より正確には、具象宇宙の内容をつかむために神的なものを観照するという逆転した過程に特化した用語である[31]

イングランドでは、メソジストの背景をもつ印刷業者ロバート・ヒンドマーシュがエマヌエル・スヴェーデンボリの著作を翻訳して印刷・配布するために、1783年に「神智学協会」を作った[32]。この会はスヴェーデンボリ主義にもとづく信仰から成り立っており、1785年に「英国新教会教義普及協会」に改名された[33][34][注釈 10]

フランスではルイ=クロード・ド・サン=マルタンフランス語版(1743年-1803年)とジャン=フィリップ・デュトワ=マンブリーニ(別名ケレフ・ベン・ナータン、1721年-1793年)が18世紀後葉における神智学の隆盛に寄与した[35]。他にこの時代の神智学的思想家としてはカール・フォン・エッカルツハウゼン(1752年–1803年)、フリードリヒ=ルドルフ・ザルツマン(1749年–1821年)、ヨーハン・ミヒャエル・ハーン(1758年–1819年)が挙げられる[36]ドゥニ・ディドロはフランス啓蒙期に出版された『百科全書』の編纂者であるが、この事典でかれが執筆した一記事は、同時代の他の百科事典以上に神智学という言葉に注意を払った[37]。その記事は主としてパラケルススを扱ったもので、ありていに言ってブルッカーの『哲学の批判的歴史』の剽窃であった[38]

19世紀

1891年にパピュスフランス語版の創設したマルティニスト団のような諸団体は、ユダヤ・キリスト・イスラム教の伝統と西洋の秘教に緊密に関連する神智学の潮流に追随した。

ブラヴァツキーと神智学協会(狭義の神智学)

ブラヴァツキーらの神智学は、西洋伝統思想が基礎にあり、西洋と東洋の智の融合・統一を目指すものであるとされる[39]。その思想にはヒンドゥー教仏教の教えが多く取り入れられたが、理解には限界があり、理解可能で利用できる部分だけを摂取して、それから先はユダヤ教の伝統に基づいた神秘思想カバラや、古代ギリシアのプロティノス(3世紀)に始まり、万物は一者から流出したもの(流出説)と捉える新プラトン主義で補うという方法がとられた[40](神智学において、魂の構造や再生について多様な解釈が生まれるのは、ブラヴァツキーがそうした点を明確に説明していないからである[40])。古代密儀宗教以降の西洋秘教伝統のすべてが研究対象となっており、神智学の体系と内容は、多くの宗教・哲学の要素を折衷して組み立てられているため極めて複雑であるが、簡単にまとめると、人智を終局的に規定する神の智の認識を、五感を越えた超感覚的な霊性を基礎として探究することを目的としている[39]。ブラヴァツキー自身は、神智学は宗教ではなく、神聖な知識又は神聖な科学であると述べている。人類学者の杉本良男は、神智協会の性格づけはなかなか難しい意味があり、いわば否定的定義として、宗教のようで宗教でない、オカルトのようでオカルトでない、心霊主義のようで心霊主義でない、哲学のようで哲学でない、それらの純粋型としてのまことの「古代の智慧」の探求だということになるのであろうと述べている。この純粋型は当時すでに失われていたが、インドのヴェーダにその原型をとどめているとされた。[注釈 11]

神智学は、ブラヴァツキーが人種・宗教・身分を超えた神秘主義研究を訴えたためか、当時は影響が大きかった。ヨーロッパ諸国、北米、英国の統治下にあったインドを中心に世界的に普及し、ルドルフ・シュタイナー人智学など多くの分派や支流を生み出した。1930年代には衰退したが[4]、近現代の多くの「新宗教」、「ニューエイジ」、「オカルト」に影響を与えた[41]

日本では、1889年にオルコットが来日するなど19世紀末にはすでに知られていた。編集者の松岡正剛は、鈴木大拙今東光川端康成らになにがしかの灯火をともしたと指摘している[4]。また、日本の神智学協会運動は、三浦関造竜王会が継承していると主張されている。一般に広まったのは、「精神世界」の流行や「第三次宗教ブーム」が見られた1970年代から80年代以降である[41]。神智学はヨーガを含めた「精神世界ブーム」の重要な一角を占めており、グノーシス主義等を研究する宗教学者大田俊寛の指摘するところでは、幸福の科学オウム真理教GLA本山博の玉光神社、阿含宗などの日本の新新興宗教にも、神智学の唱えた霊的進化論の隠然たる影響が見てとれる[41]。また、京都の鞍馬寺を本山とし、650万年前に金星から降り立った護法魔王尊を崇める鞍馬弘教(1947年 - )も神智学の系統である。

ブラヴァツキーの精力的で喧嘩好きな性格や、神秘を演出するためのちょっとした手品、思想を彩る作り話、演出された態度、学問的精密さと「科学的」資料が重視された時代に著作の典拠をセンセーショナルに偽るといったやり方は反発を招いた[42]。奇妙な歴史観・進化の解釈、人類進化の先頭に立つのは「アーリア」民族で、オーストラリア・アフリカの原住民は「脳の狭い」人間の名残でアーリア人より遙かに劣るとするような人種差別的見解などが評価を下げているが、ニューエイジとその周辺を研究したセオドア・ローザクは、ブラヴァツキーの思想には歴然としたあらゆる欠陥があり、批判が山積みにされているが、彼女のオカルト諸派の教えに対する直感は鋭く、主題にふさわしいスケールの仕事をし、その才能は際立っていると評価している[42]。彼女のぶかっこうな形而上学的思弁を評価できないにしても、その神智学は19世紀思想中で最も冒険的で興味ある体系であり、少なくとも超越的パーソナリティに関する心理学においては創始者と見るべきであると述べている[42]。一方、大田俊寛は、神智学を一つの始まりとする、「輪廻」を通した「霊魂の進化」という思想は、往々にして純然たる誇大妄想の体系に帰着してしまい、霊的なレベルを根拠とする階級意識・差別意識、被害妄想の昂進、偽史の膨張などの問題が見られると指摘している[41]

芸術においては、一時期神智学協会に属した詩人ウィリアム・バトラー・イェイツや、抽象絵画の創始者と言われるワシリー・カンディンスキー、抽象画家ピエト・モンドリアン、作曲家のアレクサンドル・スクリャービンなどに影響を与えた[4][40]

背景

近代神智学の背景となっているのは、硬直化したキリスト教と、「霊」を排して「物質」のみに根拠を求めようとする自然科学へ反発である[40]。神智学は、自然科学が台頭した時代に、科学の検証に耐えうる新しい宗教として打ち立てられた[40]。ブラヴァツキーはしばしば超常現象を見せ、それは奇術まがいのトリックであったが、人々の耳目をひきつけた[40]。彼女自身の魅力と超常現象への興味があいまって、神智学は注目された[40]

思想

3つの柱

ブラヴァツキーは『神智学の鍵』 (The Key to Theosophy) において、折衷的神智学[注釈 12]の思想の柱は次の三つであるとしている[43]

  • 全宇宙の根底には、一つの絶対的で人智を超えた至高の神霊や無限の霊力が存在しており、見えるものも見えないものも含めた万物の根源になっている、という思想。
  • 普遍的な魂からの放射である人間は、その至高の神霊と同一の本質を共有しているがために初めから永遠で不滅である、という思想。
  • 神聖な作業」を通じて神々の働きを実現すること。

理論・思想

神智学の思想は多様な要素が強引に折衷されており、極めて複雑である。1888年に「ジアンの書」というセンザール語で書かれたという(架空の)古代奥義書をブラヴァツキーが翻訳・解説した(という設定の)『秘密教義』(シークレット・ドクトリン、The Secret Doctrine)が発表され、これにより彼女の思想は完全な形で世に出たが、通常の理解力では到底把握できない内容・文体であった[41]。セオドア・ローザクは、『ヴェールを剥がれたイシス』と『秘密教義』の「そのパノラマはあまりに広く、洞察と偏屈な意見が多すぎて容易な論評を許さない」[42]と述べている。ほとんどの人が『秘密教義』を理解できず、わかりやすく大要をまとめた『神智学の鍵』が出版された[41]。深遠さを演出して読者を煙にまく神秘化の手法も用いられ、重厚で難解だったブラヴァツキーの思想が当時の人々にどれほど理解されたかは不明であるが、彼女の思想に含まれる諸要素は、彼女の死後に明確化・具体化されていった[41]

神智学の思想を簡単にまとめると、人智を終局的に規定する神の智の認識を、五感を越えた霊性を基礎として探究することを目的としている[39]。理論には、マクロコスモス(宇宙)とミクロコスモス(人間)との照応という西洋伝統思想が基礎にある[39]。基本教義は、万物を構成する「宇宙的生命」すなわち絶対的本質であり、これが万物を流出させる根源的な原理であり、それは精神と物質、光と闇、男性と女性、能動性と受動性といった区別を越えたところにあると想定された[40]。人格神は否定している。

ブラヴァツキーは同時代に流行した心霊主義霊媒として活動していたが、心霊主義の単純な霊魂論に異議を唱え、物的証拠とは無縁の霊魂の存在と、ユダヤ・キリスト教では否定されていた死後の「再生」を確信し[4]、神智学に新しい心霊学としてインド思想を取り入れた[40]

取り入れられた宗教・思想

神智学は、西洋伝統思想に仏教など多様な宗教・思想を折衷して作られた。様々な宗教や神秘思想、オカルトを1つの真理の下で統合することを目指すものとされ、古代エジプト神秘主義ヘルメス思想ギリシア哲学キリスト教新プラトン主義グノーシス主義カバラヴェーダバラモン教ヒンドゥー教アドヴァイタ・ヴェーダーンタヨーガを含む)、仏教(北伝仏教)、ゾロアスター教魔術錬金術占星術心霊主義神話フリーメーソン薔薇十字団などが様々な文脈の中で引用されたり語られたりしている。

これらと進化論などの新しい知見を折衷して、万物の一元性、宇宙や文明や人種の周期的な発生と衰退、カルマと普遍的な因果応報、再生(輪廻転生)、太古の文明、超能力、高次の意識、原子や鉱物や惑星の進化、生命体の進化に伴う天体間の移動などが説かれている。ただし、西洋のインド思想・仏教の理解は誤解に満ちており、理解できない部分を西洋思想で補って解釈しているため、「カルマ」や「輪廻転生」などの解釈は引用元のものとは相当に異なる。

霊的進化と再生

ダーウィンが提唱した進化論から進化という概念を、インド思想からカルマの法則と輪廻転生(再生)の理論を借用して再解釈し、キリスト教のように絶対者が霊魂の救済と罰を審判するのではなく、すべての行為が原因となって果報を生じるカルマの普遍的な因果応報が人間を支配すると考えた。そして輪廻転生の繰り返しを通した「霊的進化」の終わりに、人間の「霊的な完成」を想定し、人間の魂は宇宙的生命へと回帰するとされた[40]。自助努力によって無限の精神の向上が可能であり、最後には「神」に近い存在に近づくことができるとし、キリスト教に替わって自己が自己を救済するというシステムを構築したのである[40]。インドでは解脱の手段として苦行、ヨーガ、祈りなど様々な方法がとられており、神智学同様、輪廻転生と霊的進化を教義に持つスピリティズム(カルデシズモ)では、霊的進化の手段として慈善活動を重視するが、神智学では霊的進化の手段として、理論と霊知の探究に力点を置いている[40]。神智学の霊的進化論(霊性進化論)は、神が天地創造の際に人間を神の似姿として作ったという神話の逆である[40]。また人類は肉体を持たない霊的な存在(第一根源人種)であったが、徐々に退化して物質世界に埋没し、猿人になったとされており、これはダーウィンの進化論の「逆」であるといえる[40]

マハトマ・大師

神智学の主張によると、宗教、神秘主義、オカルトの奥義は、それが支配する力の大きさや危険性から、どの時代においても一部の選ばれた少数の人間にのみ伝授され守られてきたという。宗教、神秘主義、オカルトに関する知識は、自分自身の内的な認識、超能力神秘体験、霊覚、直接的な観察などによって得られるとされるが、宗教、神秘主義、オカルトの思想家たちは、古代のエジプトやインドの賢者たちも含めて、外部の様々な現象を分析し客観性や合理性を重視する実証主義的な現代の科学者達よりもある意味では優れた認識や理解を持っているという。

そうした、宗教神秘主義オカルトの教義に精通し、神秘の奥義を伝授されている人間は、一般的に「秘教の秘伝への参入者」と呼ばれるが、その中でも特に奥義を体得している者達は、様々な超常的な力(物質化テレパシーなど)を持っていたり、肉体を通常よりもかなり長い期間にわたって維持していたり、宇宙の諸現象の理解や人類への愛の面で卓越していたりするという。神智学協会の設立者のひとりであるブラヴァツキーはチベットでそれらの参入者達に師事して教えを授かったと主張している(しかし、これ以前にブラヴァツキーがチベットを訪問したという証拠はない)。

ブラヴァツキーはインドに渡って以降、自らの思想が、「大師(マスター)」「マハトマ(偉大な魂)」と呼ばれる霊的熟達者に由来するとした。マハトマとは、マハー(大)+アートマ(霊)からなり、大賢者としてゴータマ(釈迦)から伝わる大宇宙の秘儀に通じているとされた[40]。マハトマは複数であり、チェラ(弟子)にその秘儀を継承していくと考えられた(マハトマ・モリヤのチェラがブラヴァツキーであるとされる)。彼らはヒマラヤに住んでいるとされ[44]チベットの奥地にあるシャンバラで「グレート・ホワイト・ブラザーフッド(大白色同胞団)」という秘密結社を形成し、古代の叡智を受けついでいるとされた[41]

マハトマは神智学の根本にある思想であるが、当初から存在自体が疑問視されていた[40]。霊的存在で不可視であるなら見えないことも道理であるが、そうは考えられておらず、ブラヴァツキーは地上でしばしば目撃されると述べており、インドのヒンドゥー教改革団体で一時神智学協会と提携していた「アーリヤ・サマージ」の設立者ダヤーナンダ・サラスヴァティー英語版と同一視されたこともある[40]

ブラヴァツキーは大師たちと超自然的な方法で交信しており、大師からの手紙「マハトマ書簡」を空中から取り出す(アポート)という奇跡をしばしば実演した。ブラヴァツキーとアルフレッド・パーシー・シネット英語版は「マハトマ書簡」で、オカルトの達人の名前として、モリヤクートフーミヒラリオンジュワルクール英語版などの名前をあげている。マイトレーヤ弥勒)もマハトマであり、キリストもそのひとりとしたため(イエス大師)、神智学はカトリックの嫌悪の対象になった[41]

マドラス郊外のアディヤール地区にあった神智学協会本部では、ブラヴァツキーの知人エマ・クーロンが働いていたが、彼女は「マハトマ書簡」出現トリックの助手であったとされる。彼女は1884年に、「マハトマ書簡」がブラヴァツキーによって書かれた証拠と共に、「奇跡」の手の内を暴露した(クーロン事件)[40]。1885年にイギリス心霊現象研究協会リチャード・ホジソンによって虚偽性を非難するホジソン報告英語版が発表されている[41][注釈 13]。心霊現象研究協会の社会的信頼は大きく、神智学協会は大きな打撃を受けた。

チャールズ・ウェブスター・レッドビータ(リードビーター)は、霊的進化を完成させた人間が大師(マスター)であり、彼らが諸文明の発展を導いていると考えた[41]。霊的進化を確実かつ順調に行うためには、大師が定める指針に従わなければならず、大師に出会うためには宗教を学ぶこと、特に神智学が示したヨーガや瞑想の実践を通して大師に精神的波長を合わせることが推奨された[41]。大師に出会うことができた人間は、グレート・ホワイト・ブラザーフッドの一員になるためイニシエーション(加入礼、秘儀伝授)を受けるが、これは9段階で構成され、どこまで通過したかによってグレート・ホワイト・ブラザーフッドの「ハイアラーキー」(階級組織)に占める位置が区別される[41]。第一から第四までは大師になるための前段階で、第五階級は大師の入り口であり、これに到達した人間は「超人」(アセーカ)と呼ばれる[41]。第六から第九までは、それぞれ「首長」(チョーハン)、「大首長」(マハー・チョーハン)、「仏陀」「世界君主」と呼ばれ、その上に世界の創造主として「ロゴス」が君臨している[41]

マハトマとの交信は、ウィリアム・エグリントンなどの霊媒によって、神智学とは別にも進められたが、これはニューエイジチャネリングと共通する発想である[40]

歴史観

神智学では、過去の人類はレムリア大陸アトランティス大陸という、現在では架空と考えられている大陸などで興亡したとされており、独自の歴史観が主張されている[41]。人間の歴史は、「霊的進化」と「物質的進化」という二種類の進化のラインの交錯が繰り返され、霊的進化に従えば神的存在に近づき、物質進化に導かれれば、悪魔や怪物を含む動物的存在に堕ちていくとされた[41]。霊的進化の導き手が「大師」「大霊」「天使」といった高級霊で、これに対し物質進化をもくろみ高級霊たちを邪魔する悪しき低級霊(「悪魔」「動物霊」と呼ばれたもの)が存在するとされた[41]

世界観・人間観

具体的には、 世界を物質界・アストラル界・メンタル界(下位天界・上位天界)・ブッディ界(または直観界)・霊的界・ モナド界・神的界の七次元に分類する[39]。それと同時に、世界に対応する形で身体性を体・魂・霊の三元に分類し、さらに高我(エゴ)に対して低我を肉体・エーテル体(生気体)・アストラル体(星気体)・メンタル体・コーザル体の五次元に類型分けする[39]

陰謀論

ブラヴァツキーの死後、「グレート・ホワイト・ブラザーフッド」に対し、悪の秘密結社「ダーク・ブラザーフッド(闇の同胞団)」(ブラックロッジ)が存在し、マハトマと神智学協会の活動を妨害するために暗躍しているという陰謀論が一部で唱えられるようになった[41]

後世への影響

ブラヴァツキーに始まる神智学の影響は非常に広範囲に及び、現代まで続いている。大田俊寛は、「神智学」という存在が功罪を含めてきわめて大きな影響力をふるっているにもかかわらず、現在ではほとんど認知されておらず、客観的な立場から書かれた日本語の研究書は、まだ一冊もないのではないだろうかと述べている。[46]2004年出版のグッドリック=クラークの書籍では、その影響は次のように述べられている。[47]

  1. 神智協会からの分派がインドにも西洋にも多くのこされたこと。
  2. のちの協会の歴史の中で、アニー・ベザントが協会会長時代、インド国民会議の議長に就任したことで、インドの国民意識の発展に大きな貢献を残したこと。またガンディーネルーがともにインドの宗教的・哲学的遺産を再発見するために神智学にひきつけられたこと。
  3. 西欧では、現代のオカルトのリバイバルに単独のもっとも重要な要因になったこと。
  4. 西欧での心霊主義の流行を宇宙論、近代人類学、進化理論を人間の霊的発展とむすびつけて、一貫した教義を打ち立てたこと。
  5. 西欧神秘主義のふるくからの源泉を、西欧が植民地支配によって接触できたアジア宗教の用語によって再解釈しグローバル化したこと。
  6. 1893年のシカゴ万国宗教会議で最初の試みが行われた、比較宗教研究に道をつけたこと。
  7. 霊的発展のさいの意識を重視することで、唯物論や機械的自然観と対決し、伝統的なヘルメス哲学の小宇宙と大宇宙の交流図式にモダンかつダイナミックな面を導入したこと。その文化的な影響は非常に広く、近代芸術、量子物理学、それに最近のニューエイジ宗教などに及んでいるといわれる。[47]

杉本良男は、神智協会の直接の影響下に育って分派していったクリシュナムルティルドルフ・シュタイナーアリス・ベイリー、その直接の影響を強く受けたガイ・バラード(アイ・アム運動)のほか、若干距離をとっていたグルジェフピョートル・ウスペンスキー、神智協会創設の年に生まれてその使命をうけついだと自称したアレイスター・クロウリーティモシー・リアリーなどの高名な近代神秘主義者は、いずれも直接間接にブラヴァツキーの影響下にあると述べている。[47]

神智学は「ニューエイジ」運動に影響を与えた[44]といわれており、近年では、ニューエイジ運動などへの関心から遡って、神智協会とくに始祖としてのブラヴァツキーへの評価が高まっている[47]。また、大田俊寛の指摘するところでは、チャネラー・心霊治療家のエドガー・ケイシーUFO研究・UFO信仰ジョージ・アダムスキーマヤ暦に神秘的な意味を求め、宇宙的存在(宇宙人)のビームの影響で地球に文明がもたらされたとするホゼ・アグエイアス爬虫類人類による陰謀論を唱えたデイビッド・アイクといったアメリカやイギリスのポップ・オカルティズム(通俗オカルティズム)の旗手にも神智学の影響が見てとれる[41]。神智学は下火になったが、その思想体系は大量消費社会が実現された「アメリカ」でポップ・オカルティズムへと形を変え、ニューエイジ文化の一部となったと見ることができる[41]。また大田は、日本の心霊主義においても浅野和三郎が神智学を取り入れており、スピリチュアル・カウンセラーを名乗る江原啓之の言う「人生の地図」も、その骨格は神智学だと思われると述べている。[46]

杉本良男は、ニューエイジに関連する興味の高まりの一方、神智協会の影響を受けたスリランカでの仏教復興(オルコット、アナガーリカ・ダルマパーラ)、インドの国民会議議長(アニー・ベサント)、南インドの古典舞踊再編(ルクミニー・デーヴィー)などの、南アジアのナショナリズムに関連する歴史的な意義は、少数の専門家をのぞけば現在ではほとんど省みられらなくなっていると述べている。[47]

大田俊寛は神智学が果たした歴史的役割についての覚書きで、上記と重複しない内容として、次の点を挙げている。[46]

  • オカルト人種主義。太田は、神智学の霊的進化論はしばしば人種論とも結びいたとしている。オカルト的な人種主義は、ナチズムの人種論の先駆を為したことが指摘されていると述べている。[46]
  • ユネスコの創設を促したこと。大田は、神智学の文化観や教育観がタゴールモンテッソーリを通じてユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の創設を促したと言われる、と述べている。[46]

教育学者の岩間浩は、ユネスコ創設源流における重要人物として、新教育運動の連帯組織の創造をリードした神智学者ベアトリス・エンソアを取り上げている。また、ブラヴァツキーが『神智学の鍵』で、子どもに自分で考えさせること、相互扶助の精神、独立心、推論する力の育成、機械的暗記を最小限にして内的感覚や潜在能力を発達させること、子どもを個人として尊重すること、知的・精神的に自由で、偏見のない、利己心を脱した自由な男女を育成するなどの教育の理想を語っており、この望みはアニー・ベサントの時代に実現に移されたと述べている。ベサントは教育による社会改造に深い関心を持った人物で、ベナレスに中央ヒンドゥ・カレッジを設立するなどインドの教育にも寄与した。[48]

代表的な流れ

第一世代

神智学協会が設立されて間もない頃の代表的な論者としては、ブラヴァツキー、ヘンリー・スティール・オルコットアルフレッド・パーシー・シネットなどがいる。

ブラヴァツキーの著書としては、最初の著作である『ヴェールを剥がれたイシス』、人類や宇宙の創造や進化ついての壮大な思想を展開する『シークレット・ドクトリン(秘密教義)』、神智学協会の設立の経緯や神智学の基本的な思想についてQ&A形式で答える『神智学の鍵』、霊性進歩の弟子道を説いた『沈黙の声』、19世紀後半のインドを神秘主義的紀行の形で著した『インド幻想紀行』などがある。ウィニーフレッド・パーレィがブラヴァツキーの著作から編纂した『ブラヴァツキーのことば365日』も日本語訳が刊行されている。

ブラヴァツキーの死後

ブラヴァツキーの死後、神智学協会は、マハトマ書簡への疑いと指導者の地位をめぐって争い分裂したが、著名な女性運動家アニー・ベサントと英国教会の聖職者であったチャールズ・ウェブスター・レッドビータ(1854年 - 1934年)が新たな方向性を示した[41]

後期神智学協会は救世主を求めてインドに赴き、 ヨーガ理論とその実践による、透視千里眼オーラの感知、アカシック・レコードと呼ばれる霊的な記憶の場にアクセスすることによる過去視・未来視などの霊能力の開発を強調するようになった[39]。レッドビータは、インド・スリランカの貧しい子供たちから優れた資質を持つ者を見つけ出し、イギリスで教育を受けさせ、神智学協会のエリート、救世主として育て上げようとした[39][41]。これにより見い出されたのが14歳のジッドゥ・クリシュナムルティである。レッドビータのこの活動はスキャンダルが付きまとっており、レッドビータは同性愛者・小児性愛者であり、心霊術の訓練と称して少年たちに自慰行為を強要しているといううわさが流れた。彼は数度告発され、その行為は少年たちを性的緊張から解放し、精神エネルギーを上昇させる訓練であると弁明した[41]

神智学協会のドイツ支部事務総長であったルドルフ・シュタイナーは、クリシュナムルティをキリストの生まれ変わり、救世主、世界教師とするアニー・ベサントらの動きに呆れ、神智学協会を離れ、1913年に人智学協会を設立した[4]。成長したクリシュナムルティもまた、アニー・ベサントらの主張と盲目的な信者たちに疑問を抱き、1928年に自らをトップとする「東方の星教団」を解散させて神智学から離れた[4]

神智協会は19世紀末から1920年代までのほぼ半世紀の間は、洋の東西を問わず大きな影響力を持っていた。インドネシアにおける神智協会の活動について研究しているデ・トレナーレによれば,神智協会の影響力の世界的ピークは1920年前後だという。また、インドやインドネシアなどではベサントがインド国民会議議長の地位にあった1917~8年ごろ頂点にあったが、1928年のクリシュナムルティの離脱を境に凋落し、ベサントの死後、1930年代には衰退に向かった[4]。教義の過度の神秘化、マハトマ(大師、未知の指導者)の実在性や霊能力の信憑性に対する疑惑、分派間の対立、クリシュナムルティを救世主として掲げた「東方の星教団」の解散、ナチズムとの関係性など様々な要因が重なり、第二次世界大戦以降は全体として下火になった[41][49]。神智学協会の会員は最も多い時で世界中に数百万人いたが、1990年代初頭には数万人になっていた[50]

神智学の著作

  1. ^ : Theosophieテオゾフィー: théosophieテオゾフィー: theosophyセオソフィー
  2. ^ フランスのイスラーム思想研究者アンリ・コルバンは、中世イランのシーア派やイスマーイール派の秘教思想についても神智学という用語を使用した。かれの学術的かつ神智学的な考察はキリスト教神智学の理解にとっても示唆的であった[1](神谷幹夫「アンリ・コルバンの「創造的想像力」について」『エラノス叢書I 時の現象学I』270頁も参照)。
  3. ^ 英語では頭小文字。
  4. ^ 英語では頭大文字。
  5. ^ ここでいう諸団体には、神智学協会アディヤール[1]、神智学協会パサディナ[2]、神智学ユナイテッド・ロッジ[3]が含まれるが、それだけではない。
  6. ^ たとえば、ベーメに『神智学の六つの要点』 Von sechs Theosophischen Puncten; Sex puncta theosophica という表題の小著がある[21]
  7. ^ フランスのエゾテリスム史家アントワーヌ・フェーヴルフランス語版は北西ヨーロッパ(ドイツ含む)の17世紀の神智家としておおよそ10名を挙げている。
  8. ^ フェーヴルはヘンリー・モアを留保付きでリストに加えている。
  9. ^ ディドロはフェーヴルの言及する例外である。
  10. ^ 1783年の神智学協会への言及については Odhner, Carl T., ed (1898). Annals of the New Church. Philadelphia: Academy of the New Church. pp. 119–120, 122–123, 125, 127, 140, 219, 297, 314, 330, 405. OCLC 680808382. http://books.google.com/books?id=yk5GAAAAYAAJ&pg=PA120 を参照。
  11. ^ 杉本は、ここに神智学協会と、宗教研究にはじめて「比較」という方法を取り入れ近代宗教学の祖となったマックス・ミュラーとの、インドを介した深い関係が見てとれると指摘している。
  12. ^ 折衷的神智学は、初期神智学協会の重要メンバーであったアレクサンダー・ワイルダーの用語。草創期のブラヴァツキー神智学は、古代の新プラトン主義を折衷的神智学として位置づけ、古代アレクサンドリアに象徴される新プラトン派の後継者を標榜した[8]
  13. ^ 心霊現象研究協会のヴァーノン・ハリソン英語版は、1986年に同レポートの正確性を研究し、ホジソンの調査には認知バイアスがかかっており、科学的調査とは言えないと指摘している[45]

出典

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  2. ^ フェーヴル, 田中訳 1995, pp. 33–34.
  3. ^ フェーヴル, 田中訳 1995, pp. 33, 63–64.
  4. ^ a b c d e f g h i 33夜『遺された黒板絵』ルドルフ・シュタイナー 松岡正剛の千夜千冊
  5. ^ 「神智学」『日本大百科全書(ニッポニカ)』
  6. ^ フェーヴル, 田中訳 1995, pp. 59–61.
  7. ^ フェーヴル, 田中訳 1995, pp. 74–78.
  8. ^ a b Goodrick-Clarke 2008, pp. 216–217.
  9. ^ フェーヴル, 田中訳 1995, p. 34.
  10. ^ フェーヴル, 田中訳 1995, pp. 129–130.
  11. ^ H. P. Blavatsky, The Key to Theosophy, The Meaning of the Name
  12. ^ a b c Greer 2003, pp. 481–482.
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  17. ^ The Jewish Religion: A Companion, Louis Jacobs, Oxford University Press 1995; entry on Kabbalah
  18. ^ Kabbalah: A Very Short Introduction, Joseph Dan, Oxford University Press; chapters on Medieval and Lurianic Kabbalah
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  21. ^ 四日谷敬子「J・ベーメの神智学 - シェリングの自然哲学の理解の為に」
  22. ^ Faivre 2000, pp. 13, 19.
  23. ^ a b Faivre 2000, pp. 10–11.
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  25. ^ Faivre 2000, p. 47.
  26. ^ Faivre 2000, p. 24.
  27. ^ フェーヴル, 田中訳 1995, p. 75.
  28. ^ フェーヴル, 田中訳 1995, p. 61.
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  40. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 吉村 2010.
  41. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 大田 2013.
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  48. ^ 岩間浩 『ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会』学苑社、2008年
  49. ^ Webマガジンen ブックレビュー 佐藤真「藤原辰史ナチス・ドイツ有機農業「自然との共生」が生んだ「民族の絶滅」』柏書房(2005年)」
  50. ^ ストーム, 高橋・小杉訳 1993, p. 26.

参考文献

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  • 吉村正和 著『心霊の文化史—スピリチュアルな英国近代』河出書房新社、2010年。 
  • ピーター・ワシントン 著『神秘主義への扉―現代オカルティズムはどこから来たか』白幡節子・門田俊夫 訳、中央公論新社、1999年。 
  • 近代ピラミッド協会 編『オカルト・ムーヴメント―近代隠秘学運動史』創林社、1986年。 (近代ピラミッド協会は、稲生平太郎岩本道人らが結成していたオカルティズム研究グループ)
  • フレデリック・ルノワール 著『仏教と西洋の出会い』今枝由郎・富樫瓔子 訳、2010年。 
  • セオドア・ローザク 著『意識と進化と神秘主義』志村正雄 訳、鎌田東二 解説、紀伊国屋出版社、1978年。 
  • レイチェル・ストーム 著『ニューエイジの歴史と現在 - 地上の楽園を求めて』高橋巖・小杉英了 訳、角川書店〈角川選書〉、1993年。 
  • 吉永進一 執筆「神智学」『現代宗教事典』井上順孝 編、弘文堂、2005年、279-280頁。 
  • アントワーヌ・フェーブル 著『エゾテリスム - 西洋隠秘学の系譜』田中義廣 訳、白水社文庫クセジュ〉、1995年。 
  • Faivre, Antoine (1987). "Theosophy". In Eliade, Mircea; Adams, Charles J. (eds.). The encyclopedia of religion. Vol. 14. New York: Macmillan. ISBN 9780029094808 {{cite encyclopedia}}: |display-display-editors=2の値が不正です。 (説明)
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  • Goodrick-Clarke, Nicholas (2008). The Western Esoteric Traditions. New York: Oxford University Press 
  • Lobel, Diane (2007). A Sufi-Jewish dialogue: philosophy and mysticism in Baḥya Ibn Paqūda's "Duties of the heart". Jewish culture and contexts. Philadelphia, PA: University of Pennsylvania Press. p. 27. ISBN 978-0-8122-3953-9 
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  • Rix, Robert (2007). William Blake and the cultures of radical Christianity. Burlington, VT [u.a.]: Ashgate. ISBN 9780754656005 
  • Greer, John Micheal (2003). The New Encyclopedia of the Occult. Llewellyn Publication 
  • Harrison, Vernon (1997). H.P. Blavatsky and the SPR : an examination of the Hodgson report of 1885. Pasadena, CA: Theosophical University Press. ISBN 9781557001177. http://www.theosociety.org/pasadena/hpb-spr/hpbspr-h.htm 

関連項目

外部リンク