人智学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アントロポゾフィーから転送)
移動先: 案内検索

人智学(じんちがく)とは、ギリシア語人間を意味する ἄνθρωποςanthropos, アントローポス)と、叡智あるいは知恵を意味する σοφίαsophia, ソピアー)の合成語、すなわち逐語的には「人間の叡智」を意味する ドイツ語: Anthroposophie の日本訳語である。ドイツ語音からアントロポゾフィーと音訳される[* 1]

19世紀末から20世紀初頭にかけてドイツ語圏を中心とするヨーロッパで活躍した哲学者神秘思想家ルドルフ・シュタイナー(1861年-1925年)が自身の思想を指して使った言葉として有名であるが、この言葉自体は初期近代(近世)にすでに使用されている。

人智学という言葉を使用したドイツ語圏の哲学者イマヌエル・ヘルマン・フィヒテイグナツ・パウル・ヴィタリス・トロクスラードイツ語版は、人間には超感覚的存在としての側面があるという考え方を提示したが、同じく人智学という用語を用いたシュタイナーの思想もその流れを受け継いでいると高橋巖は指摘している[1]

用語[編集]

語源[編集]

人智学(アントロポゾフィー)という言葉は、ギリシア語で人間を示す ανθρωποςanthropos アントローポス)と叡智あるいは知恵を示す σοφιαsophia ソピアー)を合成したものである。シュタイナー思想を指す言葉として広く知られるが、シュタイナーの造語ではなく、初期近代の文献にもその使用が確認されている。それ以降はイグナツ・パウル・ヴィタリス・トロクスラー(Ignaz Paul Vitalis Troxler, 1780年-1866年)や、ヨハン・ゴットリープ・フィヒテの息子であり、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの弟子(右派)であるイマヌエル・ヘルマン・フィヒテにおいてもこの言葉の使用が認められる。

シュタイナー以前の歴史[編集]

16世紀[編集]

人智学(Anthroposophie, アントロポゾフィー)という言葉は、初期近代の時点ですでに使用されていることが確認されている。ルネサンス・プラトン主義者秘教学者として有名なドイツハインリヒ・コルネリウス・アグリッパに端を発するとみなされている、著作者不明の魔術書『アルバテル - 古人の魔術について : 至高の叡智の研究』(Arbatel de magia veterum, summum sapientiae studium, 1575)は、神智学 (Theosophia) と人智学 (Antroposophia〔ママ〕) を「善良なる知識」に分類し、後者には「自然の事象の知識」(Scientia rerum naturalium) と「人間の事象の洞察」(Prudentia rerum humanarum) が該当するとしている[2]

イグナツ・パウル・ヴィタリス・トロクスラー[編集]

19世紀初頭には、スイスの医師であり哲学者でもあるイグナツ・パウル・ヴィタリス・トロクスラー(1780年-1866年)が「人智学」という概念を用い、それを著作『生智学の要素』(1806年)にて生智学: Biosophie, ビオゾフィー)〔βίος/bios:生命 + σοφία/sophia:叡智〕に分類した。生命哲学の、そしてまた何よりもトロクスラーに学んだ自然哲学者シェリングの先駆者という意味において、生智学は「自己認識を通して得る本性認識」を意味している。トロクスラーは人間本性に関する認識のことを人智学と呼んだ。かれに従えば、全ての哲学は人智学にならなければならず、また、全ての哲学は同時に本性認識でなければならない。それは「本来的な人間」に基づいた「客観化された人間学」(objektivierte Anthropologie) と考えられた。必然的に神と世界は、人間本性において神秘的過程を通して統一されるのである。

イマヌエル・ヘルマン・フィヒテ[編集]

かの有名なヨハン・ゴットリープ・フィヒテの息子であり、またゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの弟子(右派)でもあるイマヌエル・ヘルマン・フィヒテも、この概念を使用している。かれは著書『人間学 人間の魂に関する学問』(1856年)のなかで、人智学とは「精神が行う委曲を尽くした承認のみ」における「人間の根本的自己認識」であるとした。「神的な精神の居合わせあるいは実証を、自らの内側に向けることのみ」以外の方法で、「人間の精神」はしかしそれを真に根本的にあるいは徹底的に認識することはできないとした。

ギデオン・シュピッカー[編集]

宗教哲学者であるドイツギデオン・シュピッカードイツ語版(1840年-1912年)は「宗教に、哲学的形式をもって自然科学的な基礎を与える」ことに心血を注ぎ、信仰と知識あるいは宗教と自然科学の葛藤を、自らの人生と思考の根本問題であるとみなした。かれは「最も高貴な自己認識」という意味において人智学の要綱を以下のように表現した。

科学においての問題は事物の認識である、一方哲学においての問題はこの認識に関する認識を裁く最終的な審判である。従って人間が持つべき本来の研究課題とは、人間自身に関するものである。同時にそれは哲学の研究であり、その究極の到達点は自己認識あるいは人智学である。

『シャフツベリー伯爵の哲学』、1872年

シュピッカーの理想は、理性と経験の適用下における自己責任に基づいた認識として、宗教の中での神と世界の統一を包括するものであった。

ロベルト・ツィンマーマン[編集]

オーストリアの哲学者でありヘルバルト主義者でもあるロベルト・ツィンマーマンドイツ語版(1824年-98年)は、いわゆる「哲学序論」の創始者でもある。かれは1882年の自らの著作において「人智学」という言葉を選んだ(『人智学概論 実念論的基礎に基づいた観念論的世界解釈体系のための草稿』、1882年)。その哲学講義を若かりし日にルドルフ・シュタイナーも聴講したことがあるというツィンマーマンは、「通俗的な体験の見地が担う制約と矛盾」を自らの体系において克服するために「人間知の哲学」を構築しようとした。それは経験の科学に端を発するものであるが、同時に論理的思考が必要とされる場合、それを超越するものでもあった。

ルドルフ・シュタイナー[編集]

1880年代中盤からゲーテ研究家ならびに哲学者として活躍していたルドルフ・シュタイナーは、1900年代に入った頃からその方向性を一転させ、神秘的な事柄について公に語るようになった。その年の秋にベルリンの神智学文庫での講義を依頼され、シュタイナーはこれに応じる。1902年1月には正式に神智学協会の会員となり、ドイツを中心にヨーロッパ各地で講義などの精力的な活動を繰り広げる。1912年、アニー・ベサントらを中心とする神智学協会幹部との方向性の違いから同会を脱退、同年12月に当時の神智学協会ドイツ支部の会員ほぼ全員を引き連れてケルンにて人智学協会Anthroposophische Gesellschaft, アントロポゾフィー協会)を設立する(設立年月を1913年2月とする場合もある[3]:225)。

それまで神智学と呼んでいた自身の思想をシュタイナーがどの時点で人智学(アントロポゾフィー)と呼ぶようになったかは不明であるが、1916年にツィンマーマンからの影響に関して以下のように述べている。

我々の持つ事柄(Sache)に、いかなる名前を与えるかという問題には、長い年月を要した。そんな中、非常に愛すべき人物が私の脳裏に浮かんだ。何故なら私が青年時代にその講義も聴講したことのある哲学の教授ロベルト・ツィンマーマンは、自らの主著を『人智学』と呼んでいたからである。

『論文集』全集36番176頁

思想[編集]

シュタイナーは、第一次世界大戦後のドイツの破滅的な状況のなかで、近代の諸問題を克服する思想・実践を模索した。近代の物質主義を忌避しており[4]、人間の意識は進化すること、人間は意識の進化の基礎となる霊的な現実を直接知覚することが可能であること、また、文化活動・経済活動・政治活動を通して社会を発展させることができると信じた[4]。様々な思想や当時の科学的知見を取り入れて自らの思想を構築し、その思想を当初は「神智学」、のちに人智学と呼んだ。人間の内なる霊性の認識と訓育、さらには近代社会の諸問題を乗り越えた新たなる調和に至る社会構想を説いた[5]神智学協会との決裂後、人智学協会を設立した。

ドイツ哲学研究者の三島憲一の説明によると、ゲーテの自然科学論の影響下でシュタイナーが展開したのは、当時さまざまに模索されていた総合知のひとつのかたちであり、その背景には新プラトン主義ドイツ神秘主義、ヨーロッパの古典的な自然科学があった[5]グノーシス主義等を研究する宗教学者大田俊寛の指摘するところでは、シュタイナーは近代神智学の創始者ヘレナ・P・ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』における霊性進化論(人間は転生を繰り返して霊的に進化するという思想)[* 2]を承けて、これを独自の明晰な体系に再構築しようとした[7]:68。シュタイナーはブラヴァツキーによる、聖なる数字とされてきた7を用いたオカルト進化論の単位とも言える「回期(ラウンド)」という図式を、ブラヴァツキー以上に自身の思想に徹底的に組み入れて重視した[7]:68。ただし、インド思想を重視した神智学協会にとってキリスト教は数ある宗教の一つでしかなかったが[8]、シュタイナーは西洋思想とキリスト教的霊性を重視し、特異なキリスト論[* 3]を自らの思想の中軸に据えた[4]。大田は、神智学の回期説のほかに、ミクロコスモス(人間)とマクロコスモス(宇宙)の照応という西洋の伝統的な秘教・自然魔術の観念や、ドイツの生物学者・哲学者エルンスト・ヘッケルの有機体進化論における「個体発生は系統発生を繰り返す」という「反復説」という生命観が折衷・融合されていると指摘している[7]:68

シュタイナーの著作に「人智学」を冠するものはなく[* 4]、その著作において一貫して「人智学とは〜である」といった固定的な表現には否定的であった。シュタイナーの最盛期は最晩年であるとも言われるが、その時期の1924年2月17日に人智学に関する発言が(文書にて)なされた。それが以下のものである。

人智学は認識の道であり、それは人間存在(本性)の霊的なものを、森羅万象の霊的なものへ導こうとするものである。

『人智学指導原則』第一条より抜粋

人智学は何らかの「知識」の総体ではなく、認識の道という「過程」であるとシュタイナーは理解していた。そして通常「認識の限界」と呼ばれているものは、個人の努力によって拡張可能なものであり、その手法こそが一般に「修行」と呼ばれている精神的鍛錬なのだという。人智学とは「認識の道」であるが、単純に修行の手段ではないという。

人智学の思想的一面をシュタイナーは「精神科学」(Geisteswissenschaft[* 5])と呼んだ。以下にかれの精神科学の中心的なテーマを述べる。

人間論[編集]

人間の本質に関する研究。通常の人間が、人間において目という感覚器官を通して知覚することができる存在を、肉体(物質的身体 der physische Leib)と名付け、それを「人間の一肢体(部分、構成要素 Glied)」として位置づけ、それよりさらに「高次の」構成要素は超感覚的であり、通常の人間はそれを知覚することができないとする。精神科学はそれらの超感覚的「肢体」を、肉体の上にさらに六ないしは八つ認め、それら全てを「全体としての人間 der ganze Mensch」とする。

〈わたし〉とは[編集]

上の「人間論」で述べられた「人間の本質」において、最も重要な要素である Ich[* 6] に関する研究。〈わたし〉そのものに関する描写は「人間論」ですでになされているので、歴史における〈わたし〉の成立過程に関する描写がなされる。下の「宇宙論」において「現在の地球に至るまでの時間的な生成過程」がメインテーマであるように、ここでは「現在の〈わたし〉に至るまでの時間的な生成過程」が描写される。前者が「自然史 Natural history」であるのに対して、後者は「歴史学」であるとも言える。

人生論[編集]

人間の人生を支配している法則についての研究。死後の生活に関する記述や、再受肉(生まれ変わり)Reinkarnation の思想へと至る。

宇宙論[編集]

現在の地球、あるいは宇宙が生成した過程に関する研究。人間と同様、地球もまた再受肉する存在であるとみなし、現在の地球のいわば「前世」に関する描写がなされる。

修行論[編集]

以上の2項目に関する描写は、全て超感覚的観照に基づいてなされており、その能力を通常の人間は持っていない。しかしシュタイナーの精神科学では、全ての人間がこのような超感覚的な観照能力をいわゆる「修行」を通して得られるものとされ、その獲得に関する方法論が展開される。修行の道には七つの発達段階があり、以上の5項目に関する研究(学習 Studium)そのものを修行の第一段階とみなしている。

著作[編集]

初期の『輪廻』、『どのようにカルマは作用するか』、『神智学:世界についての超感覚的知識と人類の目的への序文』(1904年)、『アトランティスレムリアそしてオカルト科学:その概要』などの著作には神智学団体への関心が見受けられる[4]

人智学の思想的側面は『自由の哲学』(1894年)、『神智学:世界についての超感覚的知識と人類の目的への序文』、『いかにして人は高い世を知るにいたるか』(1904/05年)、『神秘学概論』(1910年)の四著書に集約されるという意見もある。人智学の信奉者はしばしばこれらを「四大主著」などと呼び、シュタイナーの著作のうちで最も重要視する。

発展[編集]

人智学の思想と運動は以下のように発展した。

芸術運動[編集]

学問としての人智学は、1910年の『神秘学概論』の出版によってその頂点を迎えた。確かに、これ以降もシュタイナーは精神科学の研究を続け新しい研究結果を発表したが、それは常に専門分野に関するもので、思想としての全体像を補う「部分」であった。

芸術運動としての人智学運動の最初の胎動は、その学問的隆盛以前の1907年にすでに見出される。この年の聖霊降臨祭に開催されたミュンヘン会議においてシュタイナーは、インテリア設計において自らの思想(不可視なもの)を芸術を通して可視的な空間に表現することを試みた(ただし、当時かれはプラトン的芸術解釈を否定していた)。そして、この試みは徐々に発展し、人智学芸術運動の象徴的な存在である「ヨハネス建築」の設計に至る。ミュンヘンでのヨハネス建築の計画は当局の建設許可が下りなかったために頓挫したが、スイスのバーゼル近郊都市ドルナッハの土地を篤志家から提供され、1913年9月に建設が始まる。1918年以降は「ゲーテアヌム」と呼ばれるこの木造建築は、1922年の大晦日に未完成のままで放火にあい消失した。同一の場所には、それまでとは全く異なる外観のコンクリート建築が建てられ、それは1923年末に新たに創立された「普遍アントロポゾフィー協会」(Allgemeine Anthroposophische Gesellschaft, 一般人智学協会)の本部となった。一般的に、この現存する建築物は第二ゲーテアヌムと呼ばれ、消失した木造建築は第一ゲーテアヌムと呼ばれる。

1908年頃にはオイリュトミーという全く新しい運動芸術・舞踏芸術がシュタイナーによって始められる。これは日本で最も有名な「シュタイナー芸術」である。オイリュトミーはシュタイナーが死去する1925年まで長い年月をかけて徐々に発展し、最終的には治療オイリュトミーという形で医療の現場にも用いられるようになる。特にドイツでは、治療オイリュトミーによる医療行為に対しても保険が適用されるほど一般に認知されている。

1910年から1913年までの四年間、シュタイナーは毎年夏に戯曲『神秘劇』を新たに書き下ろし、それはミュンヘンで上演された。その内容は主人公であるヨハネス・トマジウス(上記の「ヨハネス建築」はかれの名前に由来)をはじめとする、近代的な人間の精神的成長の過程を描いたものである。シュタイナーは人間の成長を、芸術を通して「具体的に」描こうと試みたのである。1912年に上演された神秘劇第三部の中では、上記のオイリュトミーが初めて上演されたので、この年は本来の芸術としての「オイリュトミー誕生の年」であると認知されている。

社会実践[編集]

神秘劇は本来、7部または12部構成の予定であったが、第一次世界大戦の影響によってその劇作活動は中断を余儀なくされた。第一次世界大戦の惨状の後、1918年頃からシュタイナーは社会組織の三構成運動に心血を注ぐようになるが、これは翌1919年に破綻する。ドイツ共産党やナチ党は、社会三層化論を通じて国民国家の枠を超えた人々の活動についての展望を語ったシュタイナーを敵視し、かれの活動はナチ党員による妨害を受けた[3]:236。それに続くようにヴァルドルフ教育(シュタイナー教育)運動が始まり、同年9月には最初の学校、自由ヴァルドルフ学校シュトゥットガルトが設立される。ヴァルドルフ教育運動は、日本で最も有名な人智学の社会実践である。

人智学の社会実践として、このヴァルドルフ教育運動を皮切りに医療・農業・養護教育・自然科学と様々な職業分野が改新された。現在ではそれに伴う施設は全世界で10,000箇所を超える[10]

ちょうどこの時期にシュタイナーは宗教運動の改新にも助力し、キリスト者共同体の設立にも大きな力を発揮した。これは一般的に人智学の社会実践の一環とみなされる。

総括[編集]

このように、人智学は最終的に社会実践へ向かう。ゆえに、以上の三段階(学問、芸術、社会実践)の発展、すなわち全ての発達を人智学、人智学運動と呼ぶ。あるいはそれらの三段階は、人智学の成長の三段階であるとも言える(そのことはシュタイナー自身も述べている)。シュタイナー自身「人智学は学問として出発し、芸術を通してその命を吹き込まれる」と述べており、そしてそれは社会実践という最も実用的で世俗的な結論に至る。

シュタイナーは思想ではなく、生命を培う場として人智学協会を創立した。

批判[編集]

三島憲一によると、1920年代、ドイツの文芸批評家・哲学者ヴァルター・ベンヤミンはシュタイナーについて「前近代への願望でしかない」(三島 2002 : 596)として軽侮の意を示したという[5]

大田俊寛は、シュタイナーの思想はブラヴァツキーらの神智学と同様に、マックス・ミュラーらによる当時のアーリアン学説の影響を受け、アーリア人中心史観や優越論の傾向があることを指摘している。ただし、ブラヴァツキーやシュタイナーは、現今の支配的人類をアーリア人と呼んでいるが、人類の霊的進化は途上であり、のちに新しいより優れた人種が現れると考えており、アーリア人種至上主義とは言えないと述べている[7]:82

日本の人智学運動組織[編集]

日本におけるシュタイナー研究の第一人者である高橋巖は、1985年に日本人智学協会を設立した。この団体は、スイスのドルナッハにあるゲーテアヌムを本部とする「普遍アントロポゾフィー協会」(一般人智学協会)の日本における邦域協会ではなかった。1986年2月のゲーテアヌム理事会において、同協会は日本ルドルフ・シュタイナー・ハウス(1982年に上松佑二が設立)とともに、邦域協会の前段階とみなされた。1989年に日本ルドルフ・シュタイナー・ハウスは日本アントロポゾフィー協会ルドルフ・シュタイナー・ハウスに改名し、以後二つの協会が併存するようになる。1993年ヨハネ支部が設立され、1994年以降の数年間にわたる邦域協会設立準備会と1999年3月のゲーテアヌム理事会を経て、2000年5月に上松佑二を中心とするメンバーによって、日本アントロポゾフィー協会が、普遍アントロポゾフィー協会の正式な日本の邦域協会として設立された。また、現在(2013年)では普遍アントロポゾフィー協会の日本支部として、「NPO法人日本アントロポゾフィー協会」と「一般社団法人普遍アントロポゾフィー協会 - 邦域協会日本」の二つの協会、および四国アントロポゾフィークライスが存在している。

脚註[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 標準ドイツ語音では /antʁopozoˈfiː/ となる。
  2. ^ 神智学の転生論はアラン・カルデックが創始したフランスの心霊主義運動(スピリティスム)から借用したものである。そのカルデックの転生論も、社会的不平等を説明しようとした19世紀の社会主義者シャルル・フーリエピエール・ルルーなどからの借用であり、その社会主義者たちの理論も、18世紀後半に生まれたニコラ・ド・コンドルセジャック・テュルゴーなどの「進歩」の概念に拠っている[6]
  3. ^ 小杉英了の論じるところでは、シュタイナーの思想には聖霊の恩寵を受けた教会を通じてのみ人は霊的なものに与れるとする正統派のドグマが抑圧してきた、ヨーロッパの隠れた霊性を人々に開示しようとする面があった[9]
  4. ^ シュタイナー遺稿管理局から全集45番として『人智学』という著作が出版されているが、それは『神秘学概論』と人智学協会設立の間の時期である1910年にかれが書いたフラグメント(断片)である。そのことは明記された上で公表された。内容はシュタイナーが独自に考察した感覚論である。なお、正確には『神秘学概論』は1909年12月の時点ですでに脱稿しており、出版されたのが1910年1月である。また、シュタイナーが神智学協会に代わる新しい協会の名前に「人智学」を挙げたのは1912年8月のことである。
  5. ^ 高橋巖はこれを「霊学」と翻訳している。
  6. ^ ドイツ語の一人称の代名詞であるが、ここでは「わたし」とする。

出典[編集]

  1. ^ 高橋巖 『シュタイナー哲学入門 もう一つの近代思想史』 角川書店〈角川選書 213〉、1991年、129-132頁。
  2. ^ Joseph H. Peterson (2009). Arbatel - Concerning the Magic of the Ancients. Ibis Press. pp. 99-101.
  3. ^ a b コリン・ウィルソン 『ルドルフ・シュタイナー その人物とヴィジョン』 中村保男・中村正明訳、河出書房新社〈河出文庫〉、1994年(旧版 1986年)。
  4. ^ a b c d Tingay 2009
  5. ^ a b c 三島 2002
  6. ^ ルノワール 2010[要ページ番号]
  7. ^ a b c d 大田 2013
  8. ^ 深澤 2012
  9. ^ 小杉 2000, pp. 58-86.
  10. ^ Goetheanum - History of the Anthroposophical Society - Overview(2015年11月20日閲覧)

参考文献[編集]

  • 『ルドルフ・シュタイナー著作全集』人智学出版社
  • Steiner, Rudolf: Einführung in die Anthroposophie. Dornach : Rudolf-Steiner-Verlag, 1992. ISBN 3-7274-6560-3
  • Steiner, Rudolf: Einführung in die Geisteswissenschaft. München : Archiati, 2004. ISBN 3-937078-25-8
  • 大田俊寛 著 『現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2013年ISBN 978-4-480-06725-8
  • フレデリック・ルノワール 著 『仏教と西洋の出会い』 今枝由郎・富樫瓔子 訳、2010年
  • 三島憲一 執筆 「人智学」『岩波キリスト教辞典』 大貫隆宮本久雄名取四郎百瀬文晃 編集、岩波書店2002年、596頁。
  • Kevin Tingay 執筆、宮坂清訳 「人智学運動」『現代世界宗教事典—現代の新宗教、セクト、代替スピリチュアリティ』 クリストファー・パートリッジ英語版 編、井上順孝 監訳、井上順孝・井上まどか・冨澤かな・宮坂清 訳、悠書館2009年、451頁。
  • 深澤英隆 「人智学」『世界宗教百科事典』 丸善出版、2012年、774-775頁。
  • 小杉英了 『シュタイナー入門』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2000年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]