GLA総合本部

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GLA(ジーエルエー)、God Light Associationは、1969年設立の新宗教団体。正式名称は宗教法人ジー・エル・エー総合本部

創設者は、高橋信次。現在の指導者は、高橋信次の長女、高橋佳子。  

沿革[編集]

1968年頃に高橋信次の下に集まってきた人々に対して信次が自宅で教えを説いていたのが始まりで、 当時は、週一回土曜日に集まる為に「土曜会」と称していた。その後、自然発生的に組織を形成しようとする動きが生じ、 1969年4月に「大宇宙神光会」が発足した。1970年12月には、国際化を考慮して 会名を「GLA」に変更した。(GLAとはGod Light Associationの略)[1]

しかし、高橋信次、高橋佳子の大悟は、それまで信次を釈迦の生まれ変わりと解釈してきた一部の講師に動揺を与えた。 信次と若い新参者の佳子に対して、周辺にいた者に、猜疑心や不信感、嫉妬心や対抗意識などの荒みが 出ていたということである。その後、信次の健康状態の悪化に伴い、佳子は信次の代理として講演活動を 行うようになり[1]、信次の死去に伴い当時19歳の佳子が法の継承者になった。 信次は生前、佳子に対して、「自分は今の日本人が解りやすいように主として仏教的な説き方をしたが、これでは神理は世界に伝わらない。 佳子は新しい言葉で語りなさい」と言い、 関西における講演会にて実際に佳子が自分の言葉で講演したことを東京にいながら感じ、大いに喜んだという [1]

GLAの会員数は、1976年6月(高橋信次の死亡時)9千人弱 [2]、 1976年末8761人[1]、1978年9千人(『日本宗教総覧』)、 1988年1.3万人(同)、1994年1.6万人[1]、 2001年2万人(『日本宗教総覧』)、2006年2.6万人[2]

教義概要[編集]

高橋信次は、時代が変わっても変わる事のない「神理」、すなわち釈迦イエスが説いた教えに戻れと主張し、八正道を基に置き、反省の重要性を訴えた。詳細は「高橋信次」を参照。

高橋佳子は、煩悩を4種類(快暴流、苦暴流、快衰退、苦衰退)に大別するとともに、12の菩提心を提示し、煩悩の種類毎に、煩悩を克服する「行」および育むべき菩提心を定めている。 詳細は外部リンク「GLA」を参照。

宗教学者による評価[編集]

沼田健哉の評価(1994年時点)[編集]

信次、佳子とも、非凡な資質の持ち主である。信次から佳子への継承時における教義の転換は、 会員数の増加という点だけから考えるならば、短期的には望ましくなかった可能性がある。

しかし、佳子はきわめてすぐれた素質の持ち主のようにみうけられ、佳子の学識は、 専門の研究者に互しても遜色ない。 その説く内容は、現代的というよりも、21世紀を先取りした先見の明がある。 長期的に見て佳子のとった路線が正しかったか否かは今後の歴史により明らかになるだろう。

GLAがより大きな教団となって、社会的影響力を持つ可能性は十分ある。[1]

島田裕巳の評価(2007-2008年時点)[編集]

以下の記述は島田裕巳『日本の10大新宗教』[2]第10刷による。 GLAは、「日本の10大新宗教」の中では、信者数が最も少ない部類に属し、分派も小規模であるが、高橋信次を宗教家として高く評価する人たちは少なくなく、教団外部に熱心な高橋信次のファンが少なからず存在する。

2003年に起こった「白装束騒動」。その集団の指導者千乃裕子はその著作において、天上界のエル・ランティーと呼ばれる神のもと(信次はエル・ランティは神ではなく、その命を受けた天使であるとしている モーゼ、イエス、ブッダと並んで高橋信次を聖人として捉えるが、千乃自身がそれに関わったともいわれるGLAにおいての後継者争いあるいは信者であったか否かを含めてGLAとの関わりはないと見てよいと考える。

1964年、東京都大田区大森にコンピュータ関連の高電工業株式会社を設立した信次は、4年後の1968年に 体験した古代エジプトや中国の霊による霊的現象を体験。それを契機として同11月に開かれた「土曜会」 が70年発展的にGLAとなり、73年に宗教法人としての認証を得た。1960年代当時のアメリカの『ミステリー・ゾーン』や 日本の『ウルトラQ』等の放送を受けて醸成された、社会のオカルト的なものへの関心にGLAは合致していた。 また、東大阪の宗教団体「瑞宝会」の集団帰依による組織そのもののGLA関西本部への転換、東京小金井の キリスト教会の宣教師、建物ごとのGLA移籍などがみられる。

高橋信次死後、佳子は、後継者として就任した。 その後、 佳子は経営、医療、教育等に跨る「TL(トータルライフ)人間学」を提唱し、講演会の開催、地域における小規模な研鑽、60歳以上の人を対象とした「豊心大学」の開設・実践に取り組む。 GLAの講演会は洗練されており、宗教というイメージからはむしろ遠い。 佳子は、死を間近にした会員やその家族のケアなども行っており、現代において宗教に求められる役割を忠実に果たしている。

ただ、活動が現実的である分教団は大きくは伸びず、会員数も2万人台であり、新宗教一般に見られるような大規模施設の建設も見られず、浅草雷門付近の総合本部施設も、普通のビルで、通行人も言われなければ宗教団体の本部とは気付かない。

GLAは、信次から佳子に継承されることで、土俗的、土着的な要素が払われ、大規模な精神世界の運動にその姿を変えてきた。終末論・世直し的な側面は見られず、また急速な拡大がなかったため、GLAからは千乃正法のような集団は生まれない。 現在のGLAの活動はひどくまっとうであり、問題にすべきことはほとんどなく、今後の新宗教が進んでゆく道を示している。 しかし、それは現代社会に対する批判性を失っているからであるともいえ、批判性を失い、日常化した新宗教がどこまで信者の関心をつなぎとめておけるのかということは、GLAのみならず新宗教全般の課題である。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f 清水雅人 編『新宗教時代2』大蔵出版、1994年12月、ISBN 978-4804352074
  2. ^ a b c 島田裕巳『日本の10大新宗教』幻冬舎、2007年11月、ISBN 978-4344980600

関連項目[編集]

外部リンク[編集]