三沢飛行場
三沢飛行場 Misawa Airfield | |||||||||||
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三沢空港 旅客ターミナルビル | |||||||||||
IATA: MSJ – ICAO: RJSM | |||||||||||
概要 | |||||||||||
空港種別 | 軍民共用 | ||||||||||
所有者 | 防衛省 | ||||||||||
運営者 | アメリカ空軍 | ||||||||||
所在地 | 青森県三沢市 | ||||||||||
建設 | 1941年 | ||||||||||
所在部隊 | アメリカ空軍第35戦闘航空団 航空自衛隊第3航空団 | ||||||||||
標高 | 119 ft / 36 m | ||||||||||
座標 | 北緯40度42分19秒 東経141度22分19秒 / 北緯40.70528度 東経141.37194度 | ||||||||||
ウェブサイト | 三沢空港 | ||||||||||
滑走路 | |||||||||||
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三沢飛行場(みさわひこうじょう)は、青森県三沢市所在の飛行場。日本で唯一、航空自衛隊とアメリカ空軍が使用し同時に空港でもある飛行場である。「三沢空港」、「三沢基地」とも呼ばれる。
概要
三沢飛行場(三沢空港)は、青森県の太平洋岸東南部にある三沢市のほぼ中央に位置し(三沢市中央部までバスで約15分)、青森県東部の玄関口となる空港である。飛行場の施設については日本政府(防衛省装備施設本部・東北防衛局三沢防衛事務所)が設置し、アメリカ軍が日米地位協定第3条に基づき管理している。民間定期便が乗り入れるため使用されているエプロン、航空旅客ターミナル等(民航ターミナル地域)については国土交通省東京航空局および民間事業者が設置および管理を行っている。国土交通省が管轄する総面積約10.7haの民航ターミナル地域が「三沢空港」である。民間航空機の駐機スポットと滑走路・誘導路との間は電動ゲートで仕切られている[1]。
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/68/MSJ_airport_diagram.png/240px-MSJ_airport_diagram.png)
滑走路は10/28方向に3050mであり、滑走路の両側に2本の平行誘導路を有する。着陸帯の幅は300mであり、計器進入に対応している。ILSは滑走路10および28に、カテゴリIが設置されている。
空港ターミナルビルは滑走路南東側の民航用エプロンに接して1棟あり、内部は国内線の設備のみ備えている。ボーディングブリッジは1基を備える。空港ターミナルビルに隣接するエプロンには中型ジェット機用3バースを備える。
2002年12月1日に東北新幹線の盛岡~八戸間が開業。新幹線「はやて」が八戸駅~東京駅間を最速2時間56分で運行している。運行(運航)便数の差や八戸市内へのアクセスの利便性では東北新幹線に劣るため、東京国際空港線は減便・機材の小型化(A300から新幹線開業当時はMD-81/87/90に変更、現在はボーイング737-800も)がされ、旅客数も約4割減少している。三沢空港利用促進期成会などが東京便4便体制復活を求める署名を行っていた時期もある(合わせて、札幌便の復活を求める署名も行っていた)。
近年の旅客数は減少傾向にあり、2008年度の輸送実績は約27万人まで落ち込んでいる[2]。
軍民共用空港として
- アメリカ空軍の戦闘機部隊が駐留しており、主に、ロシアや北朝鮮への備えを行っている。三沢に駐留するアメリカ空軍を「北の槍」と呼称することもある。
- アメリカ本土から極東にアメリカ軍機を移動させる際、通常は、アラスカの基地から長駆北太平洋を横断して、三沢に着陸するコースを取る。その為、移動途中のアメリカ軍機の着陸が多い。また、近くに天ヶ森射爆場(Ripsaw Range)や広大な訓練空域があるため、航空自衛隊や在日米軍の訓練で頻繁に使用される。
- 駐留するアメリカ空軍は、民間航空会社や自衛隊も使用しているため、三沢飛行場が「混雑している」として、日本政府に第2滑走路の建設を要求しており、防衛省装備施設本部は、3,000 m滑走路を想定して調査を行っている。アメリカ空軍は、しばしば「空港の混雑」、「燃料不足」などを理由に、近くにある海上自衛隊八戸航空基地へ着陸しており、地元ではそのたびに問題になる。また、津軽海峡周辺の訓練空域で機体故障を起こした戦闘機が函館空港や青森空港に緊急着陸しており、滑走路が閉鎖されるなどの影響を与えている。
- アメリカ軍の管理となっている為、飛行機の機体等の撮影は禁止となっているので注意が必要。
沿革
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/34/Misawa_Air_Base_Control_Tower.jpg/250px-Misawa_Air_Base_Control_Tower.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/64/Misawa-ab-f16s.jpg/250px-Misawa-ab-f16s.jpg)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e7/Misawa-f16s.jpg/250px-Misawa-f16s.jpg)
- 1941年(昭和16年) - 日本帝国海軍航空基地として開設。三沢海軍航空隊が置かれる
- 1945年(昭和20年) - アメリカ軍による飛行場拡張
- 1952年(昭和27年) - 民間機の運航を開始
- 1965年(昭和40年) - 民間機の運航を休止、民間航路を八戸飛行場発着に移転
- 1971年(昭和46年) - アメリカ軍から航空自衛隊に管制権移管
- 1975年(昭和50年) - 民間機の運航を再開
- 1977年(昭和52年) - 民間用ターミナル供用開始
- 1978年(昭和53年) - 小牧基地から第3航空団が移動
- 1985年(昭和60年) - 再びアメリカ軍に管制権を移管。同年、民間用ターミナル新築移転
- 1989年(平成元年)10月2日 - 自衛隊三沢病院が開設される
- 2002年(平成14年) - 東京国際空港便減便
- 2007年(平成19年)10月1日 - 新千歳空港便休止
- 2007年(平成19年)11月6日 - JTAGSの設置
- 2010年(平成22年)10月31日 - 大阪国際空港便休止
施設
空港ターミナルは三沢空港ターミナル株式会社が運営している。地上3階建て。
- 1階 - 航空会社カウンター、到着ロビー
- 2階 - 出発ロビー、搭乗待合室
- 3階 - 送迎デッキ(100円)
駐車場は有料駐車場が約300台。
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就航路線
かつての定期就航路線
アクセス
当飛行場は、三沢駅よりも三沢の中心街に近い。
航空保安無線施設
局名 | 識別信号 | 周波数 | |
VOR | TACAN | ||
三沢 | MIS | 115.4 MHz | 111.8 MHz |
保守は、東京航空局三沢空港事務所でなく、米空軍が担当。
航空自衛隊三沢基地
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/9/99/Security_Hill_at_Misawa_Air_Base_with_AN-FLR-9_%281990s%29.png/250px-Security_Hill_at_Misawa_Air_Base_with_AN-FLR-9_%281990s%29.png)
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Navy-Radome.jpg/250px-Navy-Radome.jpg)
航空自衛隊では、三沢基地と呼称し、基地司令は航空自衛隊第3航空団司令が兼務する。北部航空方面隊の司令部が千歳基地ではなく三沢にあるのは、樺太に近い千歳では、ロシア空軍戦闘機部隊による司令部への直接攻撃のリスクが、より高いとされたためである。
北部航空方面隊隷下
航空総隊直轄
航空支援集団隷下
防衛大臣直轄
- (航空警務隊)三沢地方警務隊
自衛隊共同機関
第35戦闘航空団 - 35th Fighter Wing
![](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/40/ANFLR-9_antenna_array.jpg/250px-ANFLR-9_antenna_array.jpg)
第35運用群 - 35th Operation Group
- 第13戦闘飛行隊 13th Fighter Squadron "Panthers" - F-16CJ/DJ ブロック50を装備。空対空、空対地、敵防空網制圧(SEAD)任務に従事。
- 第14戦闘飛行隊 14th Fighter Squadron "Samurais" - F-16CJ/DJ ブロック50を装備。空対空、空対地、敵防空網制圧(SEAD)任務に従事。
敵防空網制圧(SEAD)を任務とした第5空軍第35戦闘航空団が駐留。F-16C/Dを使用。アメリカ海軍の飛行隊も駐留している。
近くの姉沼の畔には、姉沼通信所(三沢安全保障作戦センター (MSOC) 、旧三沢暗号作戦センター、通称セキュリティー・ヒル)があり、米空軍の電子保安中隊が管理し、米陸海空軍とアメリカ国家安全保障局 (NSA) が使用している。直径450m、高さ36mにも及ぶ世界最大級の外周を持つ「象の檻」(AN/FLR-9, Wullenweberアンテナ)があり、日本の周辺国の通信の傍受を行っていた。また、姉沼通信所、飛行場、天ヶ森射爆場内には多くのレーダードームが点在し[3][4]、米国の軍事衛星との交信や軍事衛星通信の傍受、受動型マイクロ波レーダーにより人工衛星を追跡している。欧州連合や専門家は、これらの一部が、インテルサットなど民間衛星通信の傍受にも用いられ、アングロ・サクソン諸国の世界的通信傍受ネットワーク「エシュロン」に関わっている可能性を指摘している。米国政府は「エシュロン」の存在自体を認めていない[5]。
八戸市には、八戸貯油施設があり、タンク8個に、三沢飛行場で使用する航空燃料8万バレルを貯蔵している。航空燃料は、パイプラインを使って八戸貯油施設から三沢飛行場まで直接運ばれる。2006年6月までは本八戸駅から三沢駅まで八戸線・東北線を経由し、三沢駅から基地までの専用線を経てのジェット燃料輸送貨物列車(米タン)が不定期ながらも設定されていたが、同月廃止された。
つがる市車力地区の航空自衛隊車力分屯基地内に設置・運用されているアメリカ軍の弾道ミサイル早期警戒レーダー「Xバンドレーダー」は、2006年6月に三沢基地から搬入された[6]。三沢基地がレーダー運用の後方支援の拠点となる可能性も指摘されている[7]。
基地内にAFNMisawa放送局がある。1575kHz(600W)で三沢市周辺でもAMラジオ放送の聴取が可能。
アメリカ軍三沢基地報道部によると、F-16戦闘機12機と整備要員100人が2007年1月16日、イラクに出動、中東地域の作戦に参加し、同年10月に帰還した。イラク出動中の2007年8月12日に同部隊のF-16戦闘機4機がイラクから直接アフガニスタン東部の反政府武装勢力タリバンの拠点を夜間に精密誘導爆弾で攻撃する作戦を行なったことがわかった。この作戦は13回にわたって空中給油を受け往復約6800km、6カ国の上空を通過する11時間に及ぶ小型の戦闘機としては異例の長距離飛行で、このことは日本の駐留部隊が米空軍の世界戦略である「グローバル・ストライク・システムズ(全地球規模での長距離先制攻撃)[8]」の役割を担っていることの証明であるとされる[9]。
2007年11月6日には、ミサイル防衛システムの地上構成要素である、アメリカ軍の早期警戒衛星からの情報を受信する設備JTAGS(Joint Tactical Ground Station)が設置された。
航空祭(航空ショー)
毎年初秋の9月頃に航空祭を実施している。 三沢基地所属機による展示飛行、「ブルーインパルス」の展示飛行の他に、他基地からの外来機の地上展示、各種イベント等が実施される。
1994年は35年ぶりの来日となる「サンダーバーズ」の『西太平洋ツアー』に合わせ、当初9月15日開催予定を早め、平日水曜日の8月10日に実施、「ブルーインパルス」と「サンダーバーズ」が初共演した。
2004年の『西太平洋ツアー』で来日した「サンダーバーズ」は三沢基地を日本拠点として、百里、浜松へ展開したが 悪天候でフライトディスプレイはキャンセルされ、三沢でも航空祭とは別にフライトディスプレイの予定があったがこちらも悪天候でキャンセルされた。
2009年は10月18日に開催され、アメリカ空軍曲技飛行チーム「サンダーバーズ」が『西太平洋・東アジアツアー』の一環でフライトディスプレイ(展示飛行)を行った。
脚注
- ^ 民航地域とアメリカ軍基地の境界上に設置されている電動ゲート(国交省八戸港湾・空港整備事務所)
- ^ 国土交通省東京航空局
- ^ 「増殖するピンポン玉」2000年5月2日 東奥日報
- ^ 「研ぎ澄まされる耳」2000年5月3日 東奥日報
- ^ 「終わりなき情報戦争」2001年10月4日〜10日 東奥日報
- ^ 「Web東奥・特集/米軍Xバンドレーダー」東奥日報
- ^ 「米軍基地抱える三沢/「後方支援の拠点」危惧[リンク切れ]」2006年3月14日 東奥日報
- ^ GlobalSecurity.org - Global Strike (GS) / Global Persistent Attack (GPA)
- ^ 「三沢F16がタリバン爆撃/昨年8月」2008年7月20日 東奥日報
関連項目
外部リンク
- 民航関係
- 三沢空港ターミナル株式会社
- 国土交通省東北地方整備局八戸港湾・空港整備事務所
- 基地関係