吉川博
吉川 博 よしかわ ひろし | |
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生年月日 | 1923年5月18日 |
出生地 | 愛知県海部郡十四山村(現弥富市) |
没年月日 | 2008年7月2日(85歳没) |
死没地 | 愛知県弥富市 |
出身校 |
旧制愛知県立津島中学校 東京第三師範学校(現東京学芸大学) |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
藍綬褒章 勲二等瑞宝章 従四位 |
選挙区 | 愛知県選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1983年7月10日 - 1995年7月22日 |
第59代愛知県議会議長 | |
在任期間 | 1979年5月 - 1980年5年 |
選挙区 | 海部郡選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1967年4月30日 - 1983年 |
十四山村長 | |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1949年 - 1965年 |
当選回数 | 4回 |
吉川 博(よしかわ ひろし、1923年5月18日 - 2008年7月2日)は、日本の政治家。
愛知県海部郡十四山村長(4期)、愛知県議会議員(4期)、参議院議員(2期)、農林水産政務次官、参議院農林水産委員長などを歴任。地元では「水の神様」と呼ばれた[1][2]。
来歴
[編集]愛知県海部郡十四山村(現弥富市)出身。祖父も父親も十四山村議会議員だった[3]。1941年(昭和16年)3月、愛知県立津島中学校(現愛知県立津島高等学校)を卒業。その後、東京第三師範学校(現東京学芸大学)を卒業[1]。
戦後、十四山村議会議員を務め、1949年(昭和24年)に十四山村長に初当選し、4期務めた[1]。1965年(昭和40年)に、愛知学芸大学名古屋分校4年課程設置の陳情を行った[4]。また伊勢湾台風の被害から7年後の1966年(昭和41年)には、十四山西公園内に伊勢湾台風災害復興之碑を設立した[5]。
1967年、愛知県議会議員選挙に海部郡選挙区(定数3)から自由民主党公認で立候補し、初当選[6]。県議を4期務めた。
国政にて
[編集]1983年(昭和58年)6月、第13回参議院議員通常選挙で愛知県選挙区に自由民主党公認で出馬し初当選を果たした。党内では田中派に所属[7]。
1987年(昭和62年)7月、経世会が結成され、田中派が竹下派(経世会)、二階堂グループ、中立系に3分裂した際は竹下派に移った[8]。同年11月に発足した竹下内閣で農林水産政務次官を務めた。
1989年(平成元年)、第15回参議院議員通常選挙で2度目の当選を果たし[9]、参議院農林水産委員長などを務めた[10]。
1995年、自民党県連は参院選に向けて吉川の公認を一旦決定したものの[11]、公認申請を行った県議の鈴木政二との共倒れを恐れ、同年5月10日、参院選の候補者を鈴木に一本化した。その結果、吉川は衆院選愛知9区に鞍替えをさせられた[12]。
1996年(平成8年)9月20日、第41回衆議院議員総選挙の愛知9区において、新進党の海部俊樹に惨敗した。
2008年(平成20年)7月2日、愛知県弥富市の病院で肺炎のため死去[13]。85歳没。死没日をもって正八位から従四位に叙される[14]。
人物など
[編集]- 海抜ゼロメートル地帯が広がる地元の海部地域で、河川の排水整備や木曽川用水関連土地改良事業(パイプライン化)に尽力し、「水の神様」と呼ばれた[1]。
- 母校の愛知県立津島高等学校の同窓会会長を昭和から平成にわたり十数年間担い、また愛知県土地改良事業団体連合会会長や愛知県農業会議会長を務めた[15]。
- 吉川の業績を記念し、弥富市に吉川の銅像が建立された。
受章
[編集]著作
[編集]- 尾張の大地――21世紀に向けて尾張平野の土地と水資源 山海堂、1987年 ISBN 9784381020574
脚注
[編集]- ^ a b c d 中日新聞2008年7月3日付
- ^ “市議会議事録” (PDF). 弥富市議会 (2009年12月11日). 2011年10月2日閲覧。
- ^ 『中日新聞』2008年7月3日付夕刊、11面、「吉川博氏死去 元参院議員 『水の神様』」。
- ^ “第049回国会 文教委員会 第1号”. 衆議院 (1965年8月6日). 2011年10月2日閲覧。
- ^ “十四山西公園 伊勢湾台風災害復興之碑”. 2011年10月2日閲覧。
- ^ 『愛知県議会史 第十一巻』愛知県議会、1986年3月15日、357頁。
- ^ 『国会便覧 昭和62年2月新版』(第75版)日本政経新聞社、1987年2月28日、334-337頁。
- ^ 『国会便覧 昭和62年8月新版』(第76版)日本政経新聞社、1987年9月1日、333-336頁。
- ^ “歴代参議院議員リスト”. 参議院. 2009年9月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年4月3日閲覧。
- ^ “第120回国会 農林水産委員会 第5号”. 参議院 (1991年3月28日). 2011年10月2日閲覧。
- ^ 『中日新聞』1995年3月8日付夕刊、2面、「参院選出馬決意の鈴木氏 名古屋市議団も支援 自民」。
- ^ 『中日新聞』1995年5月11日付朝刊、2面、「参院選に鈴木氏決定」。
- ^ “吉川博氏死去 元自民党参院議員”. 共同通信 (2008年7月3日). 2011年10月2日閲覧。
- ^ 『官報』第4888号10-11頁 平成20年8月8日号
- ^ “農業委員統一選--新体制整う”. 全国農業会議所 (2005年9月16日). 2011年10月2日閲覧。
関連項目
[編集]議会 | ||
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先代 仲川幸男 |
参議院農林水産委員長 1990年 - 1991年 |
次代 永田良雄 |