FC町田ゼルビア
FC町田ゼルビア | |||
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原語表記 | FC町田ゼルビア | ||
呼称 | FC町田ゼルビア | ||
クラブカラー | ブルー[1] | ||
創設年 | 1989年 | ||
所属リーグ | 日本プロサッカーリーグ | ||
所属ディビジョン | J2リーグ | ||
クラブライセンス | J1 | ||
ホームタウン | 東京都町田市[1] | ||
ホームスタジアム | 町田GIONスタジアム[1] | ||
収容人数 | 10,609[1] | ||
運営法人 | 株式会社ゼルビア[1] | ||
代表者 | 下川浩之[1] | ||
監督 | ランコ・ポポヴィッチ | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 未上場 |
本社所在地 |
195-0062 東京都町田市大蔵町550[1] |
設立 | 2008年3月17日[2] |
業種 | サービス業 |
法人番号 | 3012301007100 |
事業内容 | サッカークラブの運営他 |
代表者 | 大友 健寿 |
資本金 | 1億円 |
売上高 | 7億0,900万円 (2018年1月期)[3] |
営業利益 | 3,100万円(2018年1月期)[3] |
経常利益 | 2,900万円(2018年1月期)[3] |
純利益 | 734万6000円(2020年01月31日時点)[4] |
総資産 | 13億3980万円(2020年01月31日時点)[4] |
決算期 | 1月期 |
主要株主 | サイバーエージェント 80% |
外部リンク | http://www.zelvia.co.jp |
FC町田ゼルビア(エフシーまちだゼルビア、FC Machida Zelvia)は、日本の東京都町田市をホームタウンとする[1]日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブである。
概要
FC町田(1977年設立)のトップチームとして1989年に創設された「FC町田トップ」が前身[1]。ホームスタジアムは町田GIONスタジアム[1](町田市立陸上競技場)、練習場は小野路グラウンドである[1](詳細は#スタジアムを参照)。
愛称の「ZELVIA」は町田市の樹・ケヤキ「zelkova」(ゼルコヴァ)と、花・サルビア「salvia」を合わせた造語[1]。チームマスコットはゼルビーである。
歴史
前史
- 1977年 FC町田の前身となる少年サッカーチーム「FC町田トレーニングセンター」が結成[5]。小学校の教諭たちが「子供たちのバランス感覚を養うにはサッカーがよい」として、地元の小学生に対してサッカーの指導を始め、その優秀選手を中心に「フットボールクラブ(FC)町田」という選抜チームの結成につながり、清水市(現・静岡市)と並んで「少年サッカーの盛んな地域」として知られるようになった。[6]
- 1989年 - トップチーム(第1種登録チーム)として「FC町田トップ」を創設[5]。町田サッカー協会理事長(当時)の重田貞夫が初代代表兼監督に就任。
- 1996年 - 菰田省二が監督に就任。
- 1997年 - FC町田ゼルビアにチーム名を変更。また、東京都社会人サッカーリーグ1部へ昇格[5]。
- 2003年 - 後援会組織を特定非営利活動法人化、アスレチック・クラブ町田(アスレチック・クラブまちだ)が設立[5]。
- 2004年 - FC町田ゼルビアの運営を受託。竹中穣ら町田市出身者や縁のある日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)経験者を中心に補強。
- 2005年 - 都リーグ1部および関東社会人サッカー大会で優勝。
- 2006年 - 関東サッカーリーグ2部優勝。
- 2007年 - 川添孝一がスーパーバイザーに就任。関東リーグ1部に昇格して初優勝。第43回全国社会人サッカー選手権大会は2回戦で敗退。第31回全国地域リーグ決勝大会は1次ラウンドで敗退。
- 2008年 - 3月17日に運営会社となる株式会社ゼルビアが設立。FC岐阜元監督の戸塚哲也が監督に就任。関東リーグ1部を連覇。第32回全国地域サッカーリーグ決勝大会で優勝した。12月9日、日本フットボールリーグ(JFL)の評議員会でJFLへの昇格が承認された。
2009年 - 2011年(JFL)
- 2009年
2月17日、Jリーグ準加盟クラブとして承認された[7]。9月25日、予備審査で指摘された平均入場者数が基準(3,000人)に満たないことに加えJリーグ基準のスタジアムの確保が来季開幕まで間に合わない(町田市立陸上競技場が収容人員1万人に満たないことと夜間照明が設置されていないこと)ため、2010年のJリーグの本加盟申請を見送った[8]。
- 2010年
元サッカー日本代表の相馬直樹が監督に就任。3月にメジャーリーグサッカー(MLS)のD.C.ユナイテッドと業務提携を結んだ。日本のクラブとMLSクラブと業務提携は史上初[9]。
リーグ戦では、最終的にJ2昇格条件の4位以内の3位となり、平均入場者数もJ2昇格条件を満たしていたが、9月1日にJリーグから正会員入会予備審査で「スタジアムの整備の問題でJリーグの基準を満たしていない」との通知を受け[10]、Jリーグ加盟を申請せずに2011年からのJリーグ加盟を断念した[11]。 天皇杯は、2回戦でJ2の東京Vに勝利した。リーグ戦終了後に相馬が監督を退任した(後に川崎の監督に就任)。
- 2011年
- チームスローガン:ALL POWER MACHIDA
元大分監督のランコ・ポポヴィッチが監督に就任。リーグ戦は12月11日のカマタマーレ讃岐戦に勝利を収めて、J2昇格圏内の3位でシーズンを終えた。また、町田市立陸上競技場の改修を町田市が2012年までに完了させることを受けて、12月12日、Jリーグ臨時理事会でJリーグ加盟が承認され、2012年シーズンからのJ2参入が決定した。なお、天皇杯は2回戦でヴァンフォーレ甲府に敗退。シーズン終了後にポポヴィッチが監督を退任した(後にFC東京の監督に就任)。
2012年(J2)
- チームスローガン:ALL POWER MACHIDA 〜町田イズム〜
監督にかつて清水などJ1の3クラブで指揮を採ったオズワルド・アルディレスが就任した。
8人の選手が退団・引退。一方で、草津から元日本代表戸田和幸、川崎から相澤貴志を完全移籍で、東京Vから平本一樹、川崎から薗田淳をレンタル移籍で獲得。庄司悦大と鈴木孝司が入団した。また昨年大分からレンタル移籍で加入した石田良輔は完全移籍となり、横浜FMからレンタル移籍で加入していた田代真一はレンタル期間が延長された。
Jリーグ初戦は愛媛FC、ホーム初戦は福岡に敗北したが、第3節の鳥取戦でJリーグ公式戦初勝利を挙げた。なお、この試合で平本が決めた先制点が町田のJリーグ初得点であり、同時にJ2通算10,000ゴール目となった。第4節熊本戦で連勝し、同節終了時で順位を12位まで上げたが、第12節のホームの北九州戦から第27節のアウェーの北九州戦まで16試合連続無勝利(5分11敗)を喫した。また、第33節の松本戦で最下位に転落して以降、最下位から脱出できず、最終節の湘南戦に敗北してJ2最下位が確定した。なお、JFLで優勝したV・ファーレン長崎の2013年からのJリーグ加盟が承認されたため、長崎と入れ替わりでのJFL降格と、Jリーグ正会員資格消失[12] が決定した[13]。11月17日にアルディレスが監督を辞任し、11月26日に京都元監督の秋田豊が監督に就任した。天皇杯は4回戦でG大阪に敗退した。
2013年(JFL)
- チームスローガン:共闘 -想いをひとつに-
東京Vから深津康太、吉弘充志、AC長野パルセイロから向慎一を完全移籍で、柏から相馬大士、東京Vから田中貴大、高野光司を期限付き移籍でそれぞれ獲得。一方、鈴木崇文が岡山へ、勝又慶典が栃木SCへそれぞれ完全移籍。戸田和幸、ドラガン・ディミッチ、津田和樹が退団、酒井良が引退した。
前半戦は首位・カマタマーレ讃岐と勝点6の差で3位の成績。6月25日、前半戦終了時の1位に与えられる第93回天皇杯全日本サッカー選手権大会のシード権を逃したことやホームゲームで3勝2分4敗と不振であったこと等を理由に、秋田を監督から解任し、楠瀬直木が監督代行に就任した。11月3日、第31節秋田戦で引き分け、同節で勝利した1位長野、2位讃岐との勝点差が残り3試合で10以上となった時点で、J2昇格条件の2位以内が消滅した[14]。11月19日、日本プロサッカーリーグの理事会でJリーグ正会員への再入会と、2014年のJ3リーグ参加が承認された(これにより、Jリーグの2部制下において唯一のJFL降格クラブとなった)[2]。なお、リーグ戦は4位に終わった。
2014年 - 2015年(J3)
- 2014年
- チームスローガン:超戦 次の25年にツナグために
相馬直樹が4年ぶりに監督に復帰。6月にリーグを一時中断するまでの17試合を12勝4分1敗の成績で終え、首位に立った。しかし終盤になって失速し、最終的に3位となり、3年ぶりのJ2昇格はならなかった。なお、東京都サッカートーナメント(兼天皇杯東京都予選)は明治大学に敗れ、2年ぶりの天皇杯出場はならなかった。また、鈴木孝司が初代J3得点王を獲得した。
- 2015年
- チームスローガン:+1〜熱き想いとトモニ〜
相馬体制2年目。第2クール終了(第26節)時点で山口と勝点差10ながら、第3クールで猛追して最終節終了時点で同じ勝点78となったが得失点差で山口に及ばず2位の成績。J2・J3入れ替え戦は2戦2勝の成績でJ2・21位の大分を破り、4年ぶりのJ2復帰を決めた。
3年ぶりに出場した天皇杯では、2回戦でJ1名古屋を、3回戦でJ2福岡を破ってベスト16に進出した(4回戦でJ1浦和に敗戦)。
2016年 -(J2)
- 2016年
-
- チームスローガン:+one to the next STANDARD
相馬体制3年目。水戸から金聖基、群馬から有薗真吾、長崎から井上裕大、山形から中島裕希、清水からカルフィン・ヨン・ア・ピンを完全移籍で、東京Vから畠中槙之輔、千葉から谷澤達也、群馬から横山翔平をレンタル移籍で補強。三鬼海がレンタル移籍先から復帰、レンタル移籍だった戸島章が完全移籍に移行した。シーズン中には宮崎泰右が栃木SCへレンタル移籍。8月24日、鈴木崇文と三鬼海が退団した。9月に横浜FMから仲川輝人、広島から大谷尚輝がレンタル移籍で加入した。
4月23日、第9節の長崎で1-0で勝利して、クラブ史上初のJ2首位に立った。しかし、ホームスタジアムの町田市立陸上競技場がJリーグクラブライセンス制度のJ1ライセンスの基準に満たないためJ1ライセンスの申請を断念、成績条件を満たした場合でも同年のJ1昇格の可能性は無くなった。最終順位は7位。
天皇杯は1回戦で神奈川県代表の神奈川大学に敗れた。
11月28日には女子サッカーチーム「FC町田ゼルビアレディース」を創設した[15]。
- 2017年
- チームスローガン:+one 超えろJ2!
相馬体制4年目。横山翔平、松下純土、畠中槙之輔、仲川輝人がレンタル移籍期間満了、久木野聡、大竹隆人(藤枝へ移籍)、有薗真吾(秋田へ移籍)、内藤圭佑(東京Vへ移籍)、JFL・MIOびわこ滋賀へレンタル移籍していた稲垣雄太が契約満了で退団、カルフィン・ヨン・ア・ピンが横浜FC、島崎恭平がFC刈谷、遠藤敬佑(藤枝)、宮崎泰右(栃木)、垣根拓也(盛岡)、千葉奏汰(北信越1部・サウルコス福井)がレンタル移籍先へ完全移籍、福田友也が盛岡へレンタル移籍した。
補強面では、群馬から吉濱遼平、山口から奥山政幸、讃岐から藤井航大、岐阜から遠藤純輝を完全移籍で獲得、清水から碓井健平、鹿島から平戸太貴を期限付き移籍で獲得。期限付き移籍だった谷澤達也が完全移籍に移行、ラハティからボリス・タタール(フィンランド)、G大阪ユースから渡辺健太、立命館大学から大田隼輔が加入、広島から期限付き移籍していた大谷尚輝が期間を延長した。シーズン中には増田繁人が新潟からの期限付き移籍で約2年ぶりに復帰し、千葉から吉田眞紀人を期限付き移籍で獲得した。また8月にドリアン・バブンスキーを完全移籍で獲得し、そのまま鹿児島へ期限付き移籍させた。
最終順位は16位。天皇杯は2回戦で大分に敗れた。
- 2018年
- チームスローガン:+one もっと町田の笑顔のために
相馬体制5年目。星野悟が現役引退し、松本怜大、戸島章、重松健太郎、谷澤達也ら合わせて11人が退団。補強面では、D・バブンスキーが期限付き移籍より復帰した他、ロメロ・フランクが完全移籍加入、杉森考起、酒井隆介、小島雅也、下坂晃城、橋口拓哉が期限付き移籍加入、新人として福井光輝、土居柊太、チョン・ハンチョルが加入した。また期限付き移籍加入していた大谷尚輝が完全移籍に移行した。夏の移籍期間では、C大阪より山内寛史が期限付き移籍加入した。
相馬体制以降、初めて明確な順位目標として「6位以内」を掲げシーズンに臨むと[16]、持ち前のハードワークとハイプレス力を発揮し[17]、開幕から8戦負け無しとスタートダッシュに成功[16]。期限付き移籍2年目の平戸がアシストを量産する活躍もあって[16] 序盤から上位争いに加わり、前半戦を3位で折り返す。第30節には同シーズン初の首位浮上を果たした。9月27日にクラブライセンス審査の結果、翌シーズンも引き続きJ2ライセンスとなる事が発表され[18]、成績条件を満たしても同シーズンのJ1昇格は不可能となったが、その後目標を「J2優勝」に上方修正[16]。上位を争っていた大分、福岡に勝利を収めるなど上位をキープし続け、首位・松本と勝ち点差1で最終節を迎えた。最終節・H東京V戦は他会場の結果により勝利すれば優勝という状況であったが、1-1の引き分けに終わり惜しくも優勝は逃す形となった。それでも最終順位は2位・大分と勝ち点差無し(得失点差により大分が上位)の4位とクラブ史上最高成績を収めた[16]。
また、10月1日には東京都渋谷区に本社を置くサイバーエージェントが町田の経営権を取得した事が発表された[19](詳細は後述)。
- 2019年
- チームスローガン:+1 すべては掴み取るために
相馬体制6年目。髙原寿康、土岐田洸平が現役を引退し、鈴木孝司、中村祐也、大田隼輔が契約満了で、吉濱遼平が山口へ完全移籍で退団した。またチョン・ハンチョルがYS横浜に期限付き移籍した。期限付き加入していた選手では、昨季8得点17アシストの成績を残した[20]平戸太貴が鹿島に復帰した他、杉森考起が名古屋に復帰、小島雅也、橋口拓哉は移籍期間満了により退団した。
補強面では期限付き加入していた酒井、下坂が完全移籍に移行した他、町田市出身の端山豪が新潟(前年度栃木に期限付き移籍)から、富樫敬真が横浜FM(前年度FC東京に期限付き移籍)から、ジョン・チュングンが横浜FC(前年度岡山に期限付き移籍)から、平尾壮がG大阪(前年度福岡に期限付き移籍)から完全移籍で、増田卓也が広島(前年度長崎に期限付き移籍)から、山田将之がFC東京から、志村謄がFKスパルタク・スボティツァから期限付き移籍で加入した。新人選手では、岡田優希が早稲田大学から、佐野海舟が米子北高校から加入。また、町田ユースの橋村龍ジョセフがトップチーム昇格後、そのままPSTC(ブラジル)に期限付き移籍となった。
シーズン途中には期限付き移籍加入していた山田が福岡に移籍。平戸が鹿島から完全移籍で半年ぶりに復帰した他、小林友希が神戸から、林陵平が東京Vから期限付き移籍で加入。またPSTCに期限付き移籍していた橋村が復帰した。
最終節までJ3降格の可能性を残すなど前年度とは変わって終始低迷し、最終順位は18位だった。シーズン終了後、相馬が監督を退任した[21]。
またサイバーエージェントが経営に参画したことを受け、胸スポンサーがAbemaTVに交代し、町田のホームゲームをAbemaTVで配信を行った。10月に行われたサポーターミーティングではチーム名変更の提案が行われた(後述)。
この年J1ライセンスが初めて発給された。これは2018年のJ2において町田ゼルビアがJ1参入プレーオフ出場の成績案件である4位を確保しつつも、J1ライセンスを発給するに必要な、(いずれも昇格年度に)「15000人以上収容のスタジアムの確保」「クラブハウスと天然芝(ハイブリッド芝も含む)を1面以上持つグラウンドを確保すること」ができず、J1ライセンスを発給できなかった[22]が、2018年11月の規約改正により、2019年6月締め切りの2020年度のライセンスから「既存施設をホームスタジアムとする場合は最初に上位ライセンスを取得して3年以内に改修・改築して上位ライセンス基準を充足すること(例外規定1)」を申請・承認されれば上位ライセンスを発給できることや、「練習場についても2020シーズンにJ1に昇格した場合、2022年6月末までに工事完了し、供用開始が行われなければならない」とする特例が認められたことによる[23]。
- 2020年
新監督として2011年に監督を務めたランコ・ポポヴィッチが9年振りに就任[24]。
成績
タイトル
リーグ戦
その他
- 東京都サッカートーナメント(兼天皇杯東京都代表決定戦):2回
- 2011, 2015
- 関東社会人サッカー大会:1回
- 2005
- 全国地域サッカーリーグ決勝大会:1回
個人
スタジアム・練習場
スタジアム
ホームスタジアムは町田市野津田町の野津田公園内にある町田GIONスタジアム(町田市立陸上競技場)である[1]。元々は6,000人収容の小規模な陸上競技場であったが、ゼルビアのJリーグ参入に合わせてバックスタンド・サイドスタンドの芝生席から固定席への改修並びにメインスタンドの全面改築(鉄筋コンクリート造6階建て)により、J2基準を満たす10,328人の収容人員を確保している。ただし、このままでは収容人員の面でJ1基準を満たさないことから、町田市は、2021年2月供用開始で、バックスタンドを鉄筋コンクリート造(一部鉄骨造)3階建て屋根付き構造に改築し、収容人員数を5,000席程度増設する計画を明らかにしている[25]。
一方、2008年10月に町田市は中心市街地再開発のビジョンの一つとして、町田駅から徒歩圏内にコンベンション・センター等を兼ねたスタジアムを建設し、周辺にショッピングセンターやレストランなどを整備する「町田駅近(えきちか)スタジアム構想」を発表した[26] が、以降この件に関する動きは無く、構想は事実上頓挫している。
なお、過去の開催スタジアムは当項目を参照のこと。
練習場
練習場は町田市小野路町の小野路公園内にある「小野路グラウンド」を使用している[1]。このグラウンドは人工芝であり、J1ライセンス基準が求めている「天然芝(またはハイブリッド芝)の練習場」の要件を満たしていない。また、公園内及び近辺にクラブハウスもなく、この点でもJ1ライセンス基準を満たしていないことから、仮に町田GIONスタジアムがJ1基準に改築されたとしても、練習場の要件でJ1ライセンスの発給に至らない[27]。
このためクラブでは新たな練習場の確保について模索しており、2018年に大株主になったサイバーエージェントがサポートを確約している状況にある[28]。
2019年に町田GIONスタジアムと同じ野津田公園内にある上の原グラウンドを親会社サイバーエージェントの支援を受けるクラブ側が費用を全面負担する形で改修。それまでクレーだったグラウンドは天然芝と人工芝が融合したハイブリッド芝に生まれ変わり、6月以降は小野路グラウンドと併用する形で同グラウンドでの練習を開始した。これにより練習場の要件でJ1ライセンス基準を満たすに至っている[29]。
2020年6月30日、新たなクラブの拠点を整備することを明らかにした[30]。クラブが町田市から市鶴見川クリーンセンター(町田市三輪緑山)用地の無償貸借を受け、ここに2階建てのクラブハウス(隈研吾建築都市設計事務所設計)と、天然芝グラウンド2面(日本体育施設施工)を整備するもので、2021年7月の完成を予定している。
エンブレム
1997年に誕生して以来、エンブレムは2度大きく変更された。初代は、ケヤキの緑に塗られた町田市の地形を象徴する逆三角形に、「市民」「行政」「チーム」を表す3本の斜線が通り、サルビアを示す赤い模様が下に置かれた。2003年には緑の盾型に変わり、「MACHIDA」の文字をサルビアの赤で表し、盾の中に金色で町田市の地形と白抜きの市章、そして「夢」「情熱」「勝利」「愛」を表す4つ銀星があしらわれた。なお、星は2006年に銀から白に変更された[5]。
2009年のJFL参入と20周年を迎えたことを契機にエンブレムは一新された。クラブカラーが青に変更されたことを受け、青い円の中にゼルビアの「Z」と町田の「M」をデフォルメした3本の白線を配し、「市民」「行政」「チーム」を象徴した。そして、それまでは無かった「ZELVIA」を加えたチーム名をあしらった[5]。
ユニフォーム
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チームカラー
- ブルー[1]
ユニフォームスポンサー
掲出箇所 | スポンサー名 | 表記 | 掲出年 | 備考 |
胸 | AbemaTV | ABEMA TV&VIDEO ENTERTAINMENT |
2019年 - | 2019年 - 2020年は「AbemaTV」表記 |
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鎖骨 | AQUA RESORT | AQUA RESORT |
2018年 2020年 - |
左側に掲出 |
イーグル建創 | EAGLE KENSO |
2019年 - | 右側に掲出 2007年 - 2008年・2011年は背中上部 2009年 - 2010年は袖 2012年 - 2018年は胸 2007年 - 2010年は「イーグル」表記 2020年は「25th Anniversary」表記 | |
背中上部 | 小田急電鉄 | odakyu | 2012年 - | 2009年 - 2010年は胸、 2011年は袖 2012年 - 2013年は「小田急ロマンスカー」表記 |
背中下部 | TERADA | TERADA | 2017年6月 - | 2017年6月 - 2019年は「TERADA ㍿寺田電機製作所」表記 |
袖 | 学校法人玉川学園 | 玉 川 大 学 |
2015年 - | 2009年 - 2010年は背中上部 2011年は胸 2011年は「Tamagawa University」表記 |
パンツ前面 | なし | - | - | |
パンツ背面 | 管清工業 | KANSEI 管清工業株式会社 |
2021年 - [31] |
ユニフォームサプライの遍歴
歴代ユニフォーム
FP 1st | ||||
---|---|---|---|---|
FP 2nd | ||||
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歴代ユニフォームスポンサー年表
年度 | 箇所 | サプライヤー | |||||||
胸 | 鎖骨左 | 鎖骨右 | 背中上部 | 背中下部 | 袖 | パンツ前面 | パンツ背面 | ||
2004 | 40歳からの仕事術 新潮新書[32] |
解禁前 | Best Communication Nac |
解禁前 | - | S 株式会社澤井 |
解禁前 | DELL'ERBA | |
2005 | ダイヤモンド社 20代 しごときん 仕事筋の 鍛え方[33][34] |
ダイヤモンド社 | |||||||
2006 | - | - | Best Communication Nac |
ダイヤモンド社 20代 しごときん 仕事筋の 鍛え方[33][34] | |||||
2007 | Pherrow's Sportswear |
イーグル | override | オーテー 大谷工業株式会社 |
hummel | ||||
2008 | - | ||||||||
2009 | odakyu | 玉川大学 | イーグル | landmark | svolme | ||||
2010 | - | ||||||||
2011 | Tamagawa University |
EAGLE KENSO |
odakyu | ||||||
2012 | EAGLE KENSO |
小田急ロマンスカー | COUMZ 桜美林大学 Consortium of Universities in 玉川大学 MACHIDA ZALVIA[35][36] | ||||||
2013 | ギオン | ||||||||
2014 | odakyu | ||||||||
2015 | 玉 川 大 学 |
I-TAG corporation | |||||||
2016 | Athlete Agent アスリートからビジネスアスリートへ |
- | |||||||
2017 | - / TERADA ㍿寺田電機製作所 |
Athlete Agent アスリートからビジネスアスリートへ | |||||||
2018 | - | AQUA RESORT |
TERADA ㍿寺田電機製作所 |
- / Newton Advisers | |||||
2019 | AbemaTV | EAGLE KENSO |
- | ||||||
2020 | AQUA RESORT |
25th Anniversary | TERADA | - | |||||
2021 | ABEMA TV&VIDEO ENTERTAINMENT |
EAGLE KENSO |
KANSEI 管清工業株式会社 |
経営関連
サイバーエージェントによる経営参入
2018年10月1日に東京都渋谷区に本社を置き、過去には東京ヴェルディの運営にも携わったサイバーエージェントが、町田の運営会社・株式会社ゼルビア株の8割を約11億円で買収し、経営権を取得した事が発表された[19][37]。この決定については、J1を目指す上で選手・監督にとってスタンダードな環境でトレーニングに打ち込めることが喫緊の課題であり、より地域の人々が誇れる、夢を持てるクラブになる為には改革が必要だという結論に至った為だと説明している[37]。サイバーエージェント社長の藤田晋は会見にて「インターネットメディアやコンテンツを活用して、町田のビッグクラブへの成長をサポートしていきたい」とコメントした[19]。
2019年3月7日からは、“ゼルビア応援プロジェクト”としてAbemaTVで、サッカーリアリティーショー『FC町田ゼルビアをつくろう~ゼルつく~』が開始した[38]。
2019年10月11日に開催されたサポーターミーティングの場で、オーナー(サイバーエージェント社長)の藤田晋が、クラブ名を「FC町田トウキョウ」に改名し、エンブレム・マスコットも変更する方針であることを発表した[39]。クラブ名称変更の理由として、藤田は「選手の獲得やブランディングに様々な利点があるので”トウキョウ”は外せない」「ゼルビアという名前は意外と覚えづらい」との理由を示している。なお、「ゼルビア」の名称は運営会社の名称として残す予定であるという。ただ、このサポーターミーティングの場で反発が相次いだこともあり、藤田オーナーが改名等について「いったん保留します」と表明、翌日更新した自らのブログでも同じ内容を説明した[40]。その後、公式サイトにて、「ゼルビアを無くす名称変更に強い反発があったことが世の中に知れ渡ったことは、クラブに新たな歴史を刻んだと思います。」としたうえで「『町田』を軸にチーム名に『東京』を入れ『ゼルビア』を残すことで良い着地が目指せるのではと考えています。」と、双方の意見を取り入れる方針と発表した[41]。
ゼルビアキッチン
2015年9月28日、ゼルビアのトップチーム選手、中学生・高校生のアカデミー選手の食の育成と健康のために、また地域の人たちが誰でも利用できる食事処をオープン。セルフ形式の食堂になっている。メニューは月替わりで、約80種類。地元で採れた野菜を中心に家庭的な内容になっている。食事処としてだけでなく、地元の契約農家と協力して、子どもたちに農業体験を実施し、採れたものを使用する、食育の場としても活用している[42][43][44]。
下部組織
総合型スポーツクラブを目指す手段として、「アスレチッククラブ町田」とともに「AC町田スポーツスクール」を運営。ゼルビアの選手たちがコーチとして幼稚園児や小学生を始め500人以上の生徒を抱え、週5日のスクールに加えホームでの試合後にそのままサッカー教室を行うなどしている。
アカデミーは、ユース(U-18)およびジュニアユース(U-15、U-14、U-13)を有する[1]。また、セカンドチームとして「FC町田ゼルビア・ツヴァイテ」があり、東京都社会人サッカーリーグで活動している。
脚注
- 注釈
- 出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “プロフィール:FC町田ゼルビア”. 日本プロサッカーリーグ. 2017年8月22日閲覧。
- ^ a b "Jリーグ入会審査(J2およびJ3)結果について" (Press release). 日本プロサッカーリーグ. 19 November 2013. 2017年8月22日閲覧。
- ^ a b c “2017年度(平成29年度)Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. 2018年8月7日閲覧。
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の日付が不正です。 (説明) - ^ "サッカーファンにはたまらない! Jリーグクラブ運営の定食店『ゼルビアキッチン』" (Press release). しらべぇ. 20 March 2018. 2019年3月10日閲覧。
関連項目
外部リンク
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