遜色急行

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遜色急行(そんしょくきゅうこう)は、 急行列車で使用することを想定していない普通列車用車両(一般形車両[注 1])を用いて運転された、車両が一段格落ちの急行列車を皮肉った、主に鉄道ファンによる俗称(造語)[注 2][注 3]

当項目では以下のものについても解説している。

  • 私鉄の有料急行列車において遜色のある車両を使用した事例[注 4]
  • 特急列車において遜色のある車両を使用した事例。
  • 日本国外の優等列車における事例。
  • 対比語である 乗り得列車(のりとくれっしゃ)。

概要

1960年代から1970年代にかけては、準急・急行列車が多く設定されており、急行形車両も不足気味であったため、一般形車両が定期の優等列車に使用されることがあった。また、国鉄内部で「波動輸送」と呼ばれる、帰省ラッシュ時に運転される臨時急行にも、各客貨車区からかき集められた戦前製の経年車や、居住性と乗り心地が劣る「鋼体化客車」やロングシート改造車が充てられることがあった[5]

しかし、通常なら料金不要の車両に対して急行料金を課すことは、接客サービスの低下を意味する。かつての準急列車が到達時分の短さ(速さ)を一番のセールスポイントとし、車両の質が落ちることの代償として、急行料金に比べて安価な準急行料金が設定されていた経緯を考慮しても、これらの代用車両列車はなおそれ以下の水準とみられたことから、このように呼ばれるようになった。

要因

このような急行列車が運転されることに至った主な要因としては、以下のことが挙げられる[6]

急行形車両の絶対数不足
ダイヤ改正毎に急行列車の増発や新設が行われて来たが、急行形車両の製造はほとんどが1970年代で終了しており、車両需給の関係から充当可能な車両の絶対数が不足していた。この時代以後に優等(有料)列車での使用を前提として新製された一般形車両は、北海道の急行「礼文」・「大雪」(新造後の臨時のみ)に使用されたキハ54形急行仕様車、急行「陸中」に使用されたJR東日本キハ110系0番台程度となる。
単行運転可能な急行形車両の不在
急行形車両はそれまで使用していた客車を置き換えるため、長編成で使用することを前提としたため、ローカル線での輸送需要の小ささに対応できる優等列車向けの適当な車両がなかった。1両での運転(単行運転)となる場合、1980年代以前の急行形気動車には単行運転が可能な両運転台車両は存在せず、必然的に単行での運転が可能な一般形気動車を使用することになる[注 5]。以後も、単行運転が可能で、かつ急行列車に適する水準の接客設備を備えた車両は、前述のキハ54形急行仕様車とキハ110系0番台・300番台しか製造していない[注 6]
送り込み運用との兼ね合い
首都圏特有の事情として、ラッシュ時ターミナル駅を発着する優等列車を送りこむ際、1本でも営業列車を多く設定したいがために回送列車の設定は難しく、また急行形車両はデッキ付2扉車ということもあり、ラッシュ輸送には適さない[注 7]ことから、やむを得ず一般形車両を充当せざるを得ない事情もあった。
特定の乗客層のへ絞り込み
本来快速で設定するような列車であっても、その列車のターゲットとなる乗客層のへ絞り込みを行なう(目的の旅客以外を制限する)ため、料金が必要な急行として運転したケースも、臨時列車を中心に見られた。JR九州では臨時急行「ふるさとライナー」に715系811系電車を使用したことがあるほか、JR西日本でも221系電車の落成当時に臨時急行として使用した例がある。
急行用車両の陳腐化
本来急行向けに製造された車両を急行列車に使用していても、サービス水準が時代にそぐわなくなっていったケースもある。この場合は「時代遅れの急行」として扱われるケースも多い[注 8]
一般形車両の水準向上
見解が分かれるが、これとは逆に、一般形車両の接客設備が従来の急行用を上回る水準が当然となった時代に一般形車両を急行に充当したため、優れた車内設備と走行性能を持っている車両であるにもかかわらず、遜色扱いされる場合がある。1970年代に登場したキハ66・67形は転換クロスシートを備えた一般形車両がまだ珍しい時代であったため、急行として使用しても遜色急行扱いされなかったのに対し、当時の車両より質が向上しているはずのキハ75形が使用された「かすが」が遜色急行扱いを受けていたケースがある。その理由は、キハ75形車両が「かすが」に充当されることとなった当時、既に一般形車両の設備水準が上がり、中京圏関西では転換クロスシートや空気ばね台車が一般化していたことと、前任のキハ58系時代の末期に、リクライニングシートに改造された専用車両が使われていたことによる。

遜色急行と呼ばれた定期列車

  • 「しれとこ」・「くなしり」・「らうす」(釧網・標津線系準急列車)
    「らうす」新設当時の1962年5月から、翌1963年10月の液体式気動車への置き換えまでの間、普通列車と共通運用の戦前型機械式気動車キハ05形が使われていた。国鉄機械式気動車が有料優等列車に使われた唯一のケースである。車体・座席幅が狭く背ずりも低いうえにその間隔も大正時代の木造客車レベルという状態で、トイレ設置改造で辛うじて長距離運用に対応していたが、1960年代初頭としても優等列車用車両の水準から著しく逸脱した低グレードぶりであった。なお、以後もキハ22形と共通運用のキハ21形気動車が充当されることがあった。
  • いなわしろ
    会津線只見線への乗り入れ編成がキハ52形気動車キハ53形気動車の単行であった。当時の鉄道関係書籍では、「たった1両の急行」として珍重されていたふしもある。このために、当時の国鉄が首都圏色化を進めながら、敢えてキハ52 128を朱色とクリーム色という旧国鉄標準色で残した(列車廃止後に盛岡→米子に転出して、JR西日本に配置後も1999年の廃止時までこの色で残った)と言う話もある。
  • ときわ
    本来451・453系を充当すべきところ、新製455系の両数不足と冷房改造工事による車両不足から、1968年10月1日から1978年10月1日まで、臨時列車と定期列車1往復に「赤電」こと近郊形401系・403系電車を使用。コイルばね台車の乗り心地の悪さや冬季の隙間風に加え、車内騒音が高い、座席が小さい上にシートピッチが狭い、非冷房の確率が高い[注 9]、もとより座席数も少ないなど、かなりの遜色ぶりであった。
    設定期間が長期であったことと、利用客の多い首都圏での運転であったことから悪評を生んだ。
  • なすの」・「日光
    1968年10月1日から1976年まで、下り1本で115系電車を使用。小金井駅で運転停車の上、付属編成の一部の切り離しを行っていた。
  • あかぎ」・「ゆけむり
    1968年10月1日から1976年まで、下り1本で115系電車を使用。
急行「かいじ」に使用されたこともある115系(写真は2012年に運行された「なつかしの115系かいじ」)
  • かいじ」・「かわぐち
    1968年10月1日から1978年10月1日まで、1往復に115系電車を使用。当時の中央本線では70系電車がまだ残っていたことから、115系電車は別格扱いで、遜色急行の中でも位置付けは上のほうであると言われていた[注 10]。また、1970年10月1日から1972年10月1日までの2年間は、165系電車グリーン車(サロ165-14)を組み込んでいたが、グリーン車に関しては急行として遜色はなかった。
  • 天竜
    1978年5月24日から10月1日まで115系を使用した(下り1本のみ)。80系電車から165系への置き換え過程で充当車両がなくなったための暫定的なものだった。ただし、115系の1000番台だったため、シートピッチに関しては急行として遜色なかった。また80系時代はもともと中央西線のローカル列車の間合い運用だったため、シートピッチの狭い300番台以前の車両が入る場合も多く、165系(その当時は既に冷房改造済)を使用している「きそ」等と比べると遜色があった。
  • 能登路
    七尾線電化とともに、415系800番台の列車が登場。この改造車両はクロスシート部分のシートピッチを1,700mmと従来のボックスシートよりも280mm拡大しており、座面もバケット式に交換されているが、座席幅は近郊形車両用のボックスシートである幅880mmのものをそのまま流用しているために、急行用のものより狭く、3扉車かつ車端部がロングシートであった。なお準急として運行開始した当時は、キハ20系気動車、気動車急行の車両がキハ58形キハ65形気動車が主流になった後もキハ55形・キハ26形気動車が使用されるなど、歴史上「遜色急行」だったことが多い。
キハ48形使用の急行「つやま」 車両リニューアル前 車両リニューアル後
キハ48形使用の急行「つやま
車両リニューアル前
車両リニューアル後
  • つやま
    2003年10月1日からキハ40系により運転。2007年7月からは、JR唯一の昼行急行列車となったが、2009年3月廃止。急行運用に際して原則デッキ付き・片開き扉のキハ48形が限定的に充当され、両開き扉でデッキなしのキハ47形は充当しないなど一応の配慮はされていたが、後に車両のリニューアルが行われたものの、座席はセミクロスシートのままでJR北海道キハ400・480形気動車のように座席のグレードアップ(回転クロスシートなどへの交換)はされなかった。地元では「遜色急行」と同義の「ぼったくり急行」と呼ばれていた[8]。並行する快速「ことぶき」も、ほぼ同等のキハ40系キハ47形を使用し、停車駅が1つ多いだけである。
    元々は1997年、急行「砂丘」を智頭急行智頭線経由の特急「いなば」に置き換えて廃止すると同時に設定された列車である。高速運転が可能な智頭線を経由することで岡山駅 - 鳥取駅間の所要時間の大幅な短縮をはかるとともに、「いなば」が経由しない岡山駅 - 津山駅間の急行は快速へ格下げして置き換えることが打診されたところ、地元商工会を中心とした急行「砂丘」廃止に対する激しい反対運動が起こり、その結果1往復だけが急行として残された結果誕生したものであった。しかしこの反対運動は利便性よりも地元のイメージダウンを阻止するためのものであり、「急行が走る町」「1町に1駅急行停車」といった「地元のメンツ」によるものであったと言われている[9]
  • ぎんなん
    1968年10月1日から1972年3月まで、下り1本に421系・423系電車を使用。
  • ゆのか
    1968年10月1日から1972年3月まで、1往復に421系・423系電車を使用。

遜色急行として見解が分かれるもの

列車

キハ40形使用の急行「えりも
  • えりも
    1985年3月14日から1986年10月31日まで、キハ40系気動車が使用されることがあり、末期はほとんどキハ40系だった。洗面所やテーブルと窓側席の肘掛が無い以外、座席や台車の違いから、むしろ乗り心地は急行用のキハ27形よりも良く、暖房能力もそれらを大きく上回っているため、遜色があるといえるかどうかは見解が分かれる。
キハ75系使用の急行「かすが
  • かすが
    1999年12月4日から廃止までキハ75形を使用していた。ただし走り装置は特急形のキハ85形と同等であり、走行性能での遜色はなく、居住性に関してもデッキ無し、3扉につり革もあるという難点はあるものの、全座席クロスシートで車端部と扉付近以外は転換式となり、一般的な急行よりも車内設備は進化したものとなっていた。快速・普通列車用の新造車両が従来の急行形を上回る車内設備で製造されるようになった時代に、快速と同形式の車両を投入したが故に遜色扱いされたという時代背景の違いがあったことが他の遜色急行とは異なる点であり、それゆえ当列車は「遜色急行には該当しない」という見解を持つ鉄道ファンも少なくない。なお運転に際しては、3扉のうち中扉を締め切り扱いとし、布のヘッドカバーを独自に用意するなど快速運用時とは接客面で差をつける配慮が見られた。
  • 陸中
    1990年3月10日から快速化(快速はまゆり)に伴う廃止までキハ110形0番台で運転された。性能面は先述の「かすが」同様遜色はなく、全座席クロスシートで車端部以外はリクライニングシートとなり特急型にも負けない設備ではあったが、出入台と客室を仕切るデッキ扉がなかった。なお、快速化後も同じ車両が使われたため、後述の乗り得列車になった。

車両

車両区分上では一般形(近郊形)車両であるものの、設定段階で急行にも使用されることを想定していた形式の場合、鉄道雑誌などでは「遜色急行」の一種として扱われる一方で鉄道ファンからは遜色扱いされていないこともあり、現状では遜色急行の定義が明確でないことからこれらの車両が充当された場合は遜色急行の範疇に含めるかどうかは見解が分かれるものである。

  • キハ22形気動車
    分類上は一般形であるが、北海道での亜幹線以下での急行・準急列車の新設目的も課せられていた。窓側席に肘掛けが無く、ロングシートが客室端部に備わる。冬季の保温を目的としたデッキ付きの車体構成やシートピッチは急行形と同様で、便所の出入り口もデッキ側(客室外)であるなど、準急での使用の場合は遜色は全くなく、急行での使用であっても遜色は比較的少ない。また、走り装置も1エンジンの急行形と同等である。座席指定用の座席番号票を備える。
  • 711系電車
    分類上は近郊形であるが、当初から急行(「かむい」など)にも使用することが前提となっており、455系電車に準じた車体に、キハ22形やキハ56系などの北海道向け車両に標準となっていた二重窓構造を採用して製造され、便所のほかに独立した洗面所を備え、ロングシートも新製時は戸袋部と雪切り室周り(主電動機の冷却風から粉を分離する区画)のみであった。窓側の肘掛けが無い以外、シートピッチも急行形と同様で、座席指定に対応した座席番号票や窓側の栓抜き付きテーブルも新製時より備わっており、急行から撤退した現在でもこれらは残っている。乗り心地は急行形気動車よりも良く、電車特急の運転が開始される以前は、静粛性や速達性でも80系気動車を使用した特急をも凌駕していた[注 11]
  • キハ66・67形気動車
    分類上は一般形として製造されたものの、実質は新幹線連絡列車用であり、転換クロスシートの接客設備は、ボックスシートが当然であった当時の急行形車両をしのぐ水準であった。ロングシートは戸袋部にしかなく、座席や空調の面では、一時期「新幹線リレー号」にも充当された「名目特急」の185系電車と比べても遜色は無い[注 12]
臨時急行「いよ52号」機関車次位にオハフ61が入った編成(1985年)。
  • 10系以前の客車(旧型客車
    10系以前の旧型客車については明確な車両区分を定めていないが、国鉄の現場では20系客車以降の新系列客車との対比や1970年代後半以降、優等列車への充当が減少したことと普通列車への充当が増加し、普通列車用の一般形客車である50系客車と同類とされたことから表現上、便宜的に「一般形」(「在来形」とも)と呼称していたが[11]、10系以前の客車が製造された時点での規定上ではこの区分は存在せず、50系客車以外は正式な意味で一般形の区分に分類されるものではない[12][13][注 13]。普通車については戦災復旧車である70系客車以外は幹線長距離列車で使用することを前提にしていたため、デッキ付きの2ドアクロスシートで製造され、独立した便所と洗面所も備えている。旧型客車については系列という概念がないため、車種による運用上の区別はしていないが、急行列車への使用は列車の性質上、実質普通列車用とされた70系客車と鋼体化改造車である60系客車の普通車を除いて常に程度の良い車両が優先的に使用され[5]、後継車両が登場するにつれて普通列車にも使用されるようになっている[14]。1960年代後半以降は10系客車と近代化改造及び体質改善工事を受けた[注 14]35系客車43系客車、スロ62形客車などが実質的に急行用として使用された[5][注 15]。ただし鋼体化客車である60系客車の普通車は普通列車への使用が前提であったため、居住性と乗り心地が劣ることから[注 16]、ロングシート改造車が充当された場合も遜色扱いされることがある[5]
  • 80系電車
    旧性能電車については車両上の区分を定めていないが、80系電車は元々は長距離の普通列車用として登場した。ロングシートは戸袋部にしかなく、300番台については準急列車への使用を想定して製造され、座席指定用の座席番号票も備えるが[17]、二等車(のちの一等車)はボックスシートであり、普通車には独立した洗面所がないことや釣り掛け駆動で性能面において劣ることから、準急であれば問題はないものの、急行への使用については遜色扱いされることがある。

私鉄の有料急行列車における事例

東武5700系使用の快速急行「だいや」
キハ52形を使用するいすみ鉄道の観光急行列車

便宜上、派生的な種別も含めて解説している。

秩父鉄道
有料急行「秩父路」が、急行形車両(3000系6000系)が検査入場などで車両が不足した時にオールロングシートの5000系(過去には元JR101系電車1000系も)で運用された実績がある。
東武鉄道
伊勢崎日光線系統の急行「だいや・おじか」においてセミクロスシートの快速用車両である6000系や特急から格下げされた5700系が使用されていたが、国鉄の特急形車両に近い接客設備を持つ1800系を使用する伊勢崎線系統の急行「りょうもう」に比べて[注 17]冷房がなく、6000系についてはボックスシートで扉付近にロングシートがあり接客設備面で、5700系については6000系と比較して車内設備は上であったものの、釣り掛け駆動で性能面において遜色があった。1976年以降は快速急行に種別変更したが、他社の快速急行とは異なり、急行のスピードアップ化というより車両の接客設備や性能面の格差によるものであり、列車種別としても遜色があった。1985年から1986年にかけて6000系は車体更新・冷房化を受ける形で6050系に改造され、順次置き換えられたが、ボックスシートで扉付近にロングシートがあること自体は6000系時代と変わらなかった。1991年300・350系に置き換えられ、再び急行に戻り、急行「きりふり・ゆのさと・南会津」に格上げされた。ただしその後2006年にはこれらの急行は特急に格上げされている[注 18]
快速においても1963年から1975年の間、一部車両に指定席車を設定したが、6000系が充当された場合は指定席車にもロングシートがあったため、座席指定車両としては遜色があった[注 19]
秋田内陸縦貫鉄道
有料急行「もりよし」には専用車両であるAN8900形気動車が使用されていたが、2012年3月のダイヤ改正以降は経費削減のため、一般車両であるAN8800形気動車が充当されている。
いすみ鉄道
JR西日本から譲受したキハ52形を使用した観光急行列車が2011年から運行している。2013年からはキハ28形も加わるが、キハ28形もJR西日本時代に座席の一部をロングシートに改造しているため、急行形でありながら遜色がある。

特急における事例

特急列車の場合、列車の性質上露骨に格下の車両を充当するケースがないため、「遜色特急」といわれるケースは急行よりは少ない。しかし、特急列車は快適性の他に速達性の面も重視されていることから[18]、車内設備は特急に相応しくても走行区間の全部または大半がローカル線でスピードが出せず、所要時間も急行時代と大差ないことを理由に「遜色」扱いを受ける場合があるほか、車内設備に対しても通常の特急形車両よりランクが劣る場合は遜色扱いされることがあり、改善も無しに引き続き特急列車に使用している場合にも「時代遅れの特急」と扱われるケースがある。

日本国有鉄道・JR

185系使用の「新特急草津」 はやとの風
185系使用の「新特急草津」
はやとの風

国鉄・JRでは使用する車両が特急形であっても側窓が開閉可能で座席が転換クロスシート[注 20](のちに通常の背面テーブル付き回転リクライニングシートに交換されたが窓枠の固定化は行われていない)の185系の他に、分散電源方式のため乗り心地に難のある14系寝台車による寝台特急や、1960 - 70年代に製造された「時代遅れの車両」による特急、固定クロスシートの581・583系電車による昼行特急群、253系(200番台を除く)、座席自体は特急用として遜色ないものの近郊形と同様の両開き扉でデッキも設置されていない(客室への騒音を遮断する扉が無い)373系振り子式車両による運転で表定速度が速い381系くろしお」と比較して非振り子式で低重心構造でもないため所要時間の面で相当の格差があった485系運転の「くろしお」[注 21]、ボックス式固定クロスシートの急行用客車を使用していた客車時代末期の山陽本線特急「かもめ」などが「遜色」扱いされたケースに当たる。これらは、元来急行列車として走行していたものを特急に格上げしたケース、あるいは設計段階で急行列車への使用を想定していた車両で多い。

ほかにキハ40系で運転される「はやとの風」や「指宿のたまて箱」、キハ125形で運転される「海幸山幸」は車内設備こそ特急に相応しい水準ではあるものの、一般形車両を種車に改造した車両を使用しているためデッキが無く、乗り心地や速達性に難があるという理由で「遜色」扱いを受けることがあるなど、一部の特急列車においても「遜色」扱いされるケースが見られる。

またこれとは別に急行形車両が使用される場合もあり、1969年10月1日から1970年2月28日まで北斗の1往復でキハ56系が使用され、1970年代に14系座席車が登場するまで12系客車が臨時特急列車に使用されたりしたが、これらは接客設備が劣ることから特急料金が割り引かれたほか、JR発足後には「エーデル北近畿」などにキハ65形を種車に改造した車両が充当されたり、一般型のキハ110系300番台にリクライニングシートとデッキを装備した秋田リレー号が一年間暫定特急として走ったこともある。

私鉄

特急に充当されたこともある小田急1600形(写真は戦時中に撮影)
小田急電鉄
新宿 - 小田原間にノンストップ特急を1948年(昭和23年)に運行を開始したが、当初の車両はロングシート車である1600形が使用され、中央の扉を締め切って補助席を置き、座席に白いカバーをかけた上で通路に灰皿を並べただけの代物であり、便所や洗面所すらないなど、必ずしも特急にふさわしい車両とはいえず、接客設備としては遜色があった。1949年(昭和24年)には特急用車両である1910形(後の2000形)が登場したが、中間車には喫茶カウンターと便所が設置されたものの、座席は通勤輸送との兼ね合いからセミクロスシートとされ、こちらも接客設備としては国鉄モハ42系電車と同じで遜色があった。1959年(昭和34年)には料金不要の座席定員制列車であるサービス急行を格上げする形で有料の「準特急」が特急の補完列車として週末に運行され、停車駅は新宿 - 小田原間をノンストップで運行していたが、車両は名目上、準特急用とされた2320形及び特急から格下げされた2300形が使用され、接客設備はセミクロスシートであり、平日には料金不要列車にも充当していたため、ロマンスカーより遜色があることから料金制度も割安に設定され、「準特急」の種別が使用された[注 22]。1963年にNSEこと3100形が増備されたため、特急の増発を受けて準特急は廃止された。
「開運号」用として使用された京成3200形3298編成(写真は2007年1月のリバイバル運転時に撮影)
京成電鉄
1963年(昭和38年)から1974年(昭和49年)まで開運号において3150形3200形のセミクロスシート車が使われたことがあり、接客設備面では他社の有料特急用車両に比べて冷房がなく[注 23]、座席においても先代車両である1500形1600形より劣るものの、逆に性能面では上回っていた。この車両はAE形登場後に格下げされることを前提に他の一般車同様3扉としたが、座席指定を維持するためにセミクロスシートとしていた(3200形は一般車との差異が大きく、扉は片開きで便所も備えていた)。運転に際しては、3扉のうち中扉を締め切り扱いとし、中扉部分には車内販売のためのスタンドを設置していた[19]
特急格上げ後も急行時代の車両を使用する「きりふり」 スカイツリートレイン
特急格上げ後も急行時代の車両を使用する「きりふり」
スカイツリートレイン
東武鉄道
前述の「きりふり・ゆのさと・しもつけ」は急行列車として運行していたが、2006年(平成18年)には特急に格上げされたものの、車両面では急行時代の車両(300系・350系)が引き続き使用され、100系に比べて性能面や接客設備面で劣る(リクライニングシートではないなど)ことから、急行時代の料金が適用されている。
2012年(平成24年)から運行を開始した「スカイツリートレイン」は快速用車両である6050系を改造した634型が使用されており、車内設備こそ特急にふさわしい接客設備に改造しているものの、デッキがなく、料金面においても「きぬ・けごん」と同額である。
南海1000系「四国号」(1985年)
南海電気鉄道
高野線特急「こうや号」は専用車両の絶対数不足から21000系が代走や季節列車に充当されたことがある。ただし座席指定維持の観点から原則として転換クロスシート車が充当された。
本線においても特急「四国号」はセミ転換クロスシート車である11001系・12001系・1000系(初代)が使用され、1963年から一部に指定席車を設定したが、当該車両は急行などの料金不要列車にも使用され、自由席車や料金不要列車への充当に関しては遜色はないものの指定席車も座席の一部にロングシートがあったため、指定席車としては遜色があった。国鉄直通特急[注 24]「きのくに」も国鉄キハ55系の同型車であるキハ5501形・キハ5551形が使用され、国鉄側の車両がキハ58系に置き換えられた後も引き続き使用され、ボックスシートであり、2エンジン車のみで冷房化すら困難な車両であったため、遜色があった。

日本国外の優等列車における事例

日本国外の優等列車は日本の列車種別を明確に当てはめることは難しいが、同類の列車として以下のものがある。

韓国

ムグンファ号へ改造された9501系気動車

韓国の韓国鉄道公社では9501系気動車が登場時から2004年までは優等列車であるトンイル号(後に通勤列車へ格下げ)に使用されたほか、その後は日本の普通列車と同類の種別である通勤列車の廃止・削減により、通勤列車用の気動車であるムグンファ号に転用されるケースが現れている。窓の大型化、座席のリクライニングシート化など優等列車にふさわしい接客設備に改造しているため、必ずしも遜色があるといえるかどうかについては見解が分かれる。

インドネシア

インドネシアKRLジャボタベックでは急行に近似する種別としてEkspresが存在した。普通に近似する種別であるEkonomiとは運賃に格差があり、Ekonomiの乗車券ではEkspresには乗車できないものであった。Ekspresはロングシート車であったが、原則として冷房車が充当された。2013年現在ではEkspresは廃止されている。

乗り得列車

「遜色急行」に対して「乗り得列車」という言葉も存在する。特急形車両を用いた普通列車など、本来は特別料金を必要とする設備を有する車両を普通乗車券のみもしくは低廉な追加料金で利用可能とした列車を特に乗り得列車と呼ぶ場合がある。特別急行にちなみ特別鈍行なる俗語がある。

日本国有鉄道・JR

特急列車は急行・準急とは一線を画し、車両基地と始終着駅の間での回送では客扱いをしない事が長らく通例となっていた。しかし外房線全線電化開業に伴う1972年7月15日のダイヤ改正で安房鴨川駅着の「わかしお9号」を翌日の折り返し「わかしお2号」(183系)とする際に館山駅で夜間留置するための往復を普通列車として客扱いが行われたのが初めとされている[注 25]

さらに1980年代になると、この年代の始めに新製された185系による普通列車運用が常態化する。暫定的に使用を開始した急行「伊豆」の間合いの普通列車運用を1981年10月1日に登場したエル特急踊り子」でも引き継ぎ、東北・上越新幹線暫定開業による「新幹線リレー号」や東北・高崎線系統に登場した新特急の末端区間での普通列車扱いなどが相次ぐこととなる。特に末端区間の普通列車扱いは地方路線の特急にも拡大するようになった(しかし185系は側窓が開閉可能で座席は1990年代中盤頃まで転換クロスシートで、特急には不足と見られていたから、「踊り子」は逆に“遜色特急”扱いを受けた)。

1984年6月1日に、特急列車回送を客扱いすることで運行を始めた「ホームライナー大宮」はまもなく各地の通勤線区に拡大することとなり、また初期の一部列車においてはグリーン車も普通車として一般開放されたため乗り得感においては高いものがあった。また、北海道では14系座席車の定期急行列車への投入により1981年2月には、(荷物郵便車以外の)新系列客車では北海道初の運用となる「ニセコ」に投入された。当時の道内の特急列車には、経年が20年を迎えた80系気動車が多数残っており、14系の居住性はそれらに勝っていた。この「ニセコ」は札幌運転所への回送の際、普通列車として運転され「豪華な各停」や「特別鈍行」として話題となった。

2004年10月16日から宇都宮線高崎線湘南新宿ラインで、2007年3月18日より常磐線で普通列車グリーン車のサービスが開始されたが、それぞれ開始前の数か月間、グリーン車を普通車扱いとしていた。グリーン車の普通車扱い(グリーン開放)は国鉄時代より東北本線・高崎線・信越本線の普通列車に165系・185系が運用された際にも行なわれていた。

JR東日本では地方の快速列車に特急形車両を充当するケースが存在した。快速「くびき野」(新潟駅 - 新井駅間運転)・普通「妙高」(長野駅 - 直江津駅間運転)・快速「あいづライナー」(郡山駅 - 会津若松駅間運転)には特急形車両で運転されていたが、これらは2015年3月14日のダイヤ改正を以って廃止された。

2015年現在、よく知られている乗り得列車としては、特急形である485系を使用する新潟駅 - 糸魚川駅間の快速列車、特急形から格下げ改造されたキハ185系3100番台[注 26]を使用する予讃線の普通列車、急行「陸中」で使われていたキハ110形0番台を一部用いた快速「はまゆり」(盛岡駅 - 釜石駅間運転)などがあげられる。

私鉄

東武鉄道では多客期に前述の300系・350系の種車となった1800系による臨時快速が運行されることもあり、「きりふり・ゆのさと・しもつけ」と同じ車両設備ながら特急料金が不要となっている。なお、通常の快速/区間快速はセミクロスシートの6050系が用いられることからデッキ付で回転クロスシートの1800系臨時快速は料金・設備両面で「乗り得列車」になる。過去には佐野線や小泉線の普通列車に格下げの形で転用された車両もあり、こちらは座席の一部とデッキ・便所などが撤去され、つり革が設置されたほかは座席が固定化された程度であった。前述の5700系は特急から格下げされた形で伊勢崎・日光線の快速列車にも使用されたが、他社の格下げ車両のように扉の増設やロングシート化などされることなく[注 27]、設備も特急車時代のままで当時の料金不要列車としては格別なものであった(なお、性能は釣り掛け駆動であり、前述のとおり、急行や快速急行に充当された場合は性能面において遜色があった)。

中小私鉄では大手私鉄の有料特急用車両の譲受車が普通列車に使用されることがあり、大井川鐡道では近鉄16000系電車の譲受車が普通列車に使用されたり、富山地方鉄道では西武5000系電車の譲受車である16010形電車は有料特急だけでなく、普通列車などの料金不要種別にも使用されている。

脚注

注釈

  1. ^ 国鉄・JRの普通列車用車両は、列車や線区の実情に合わせて、通勤形・近郊形・一般形と用途分類を明確に定義しているが、広義では通勤形と近郊形も一般形の概念に含まれるものである[1]詳細は「一般形車両 (鉄道)」を参照)。なお、国鉄の定義では、一般形は「客室に出入口を有し、横型(ロングシート)及び縦型腰掛(クロスシート)を備え、通勤輸送に適した性能を有する車両形式のもの」と規程しているが[2][3]、以下、例外的に明確な用途分類を用いる必要がない場合を除き、便宜上、通勤形や近郊形として製造された車両も含めて「一般形」の表現を使うことにする。
  2. ^ 鉄道友の会誌『railfan』1978年8月号が初出ではないかと考えられている[4]。この記事では「いぶり」「深浦」にキハ22、「うおの」にキハ52の例をあげている
  3. ^ この造語は、鉄道友の会会員の寺本光照が後に自著で多用するようになってから、一般に知られるようになった。
  4. ^ 料金不要の急行列車においても専用車両を使用している事業者では一般車両が充当される事例もあるが、当項目では省略する(急行形車両#料金不要の「急行」を主体とする車両を参照)。
  5. ^ 特に北海道においては、一般形気動車でも1958年登場のキハ22形以降はデッキ付きであり、独立した洗面所のないこと、窓側席の肘掛けが無いこと、デッキ近くに若干ロングシートがあること以外、急行形との設備の差異が少なく、乗り心地にも遜色がなかった。もっとも例外はあり、旧式で居住性の悪いキハ12形や、デッキ無しで冬季の耐寒性が不足するキハ21形を用いた事例も1970年代以前には見られた。中でも最も遜色のあった列車の実例と見られているのは、1960年代に戦前製の機械式気動車であるキハ05形を用いて運転された、釧路駅発着の標津線直通準急の一部である[7]
  6. ^ 北海道では国鉄末期に、急行形であるキハ56形の改造によりキハ53形500番台が登場し、一部は急行列車にも用いられたこともあるが、むしろ地域輸送用として、深名線廃止)・札沼線(学園都市線)末端などの閑散・豪雪線区で両運転台の利便性と、余剰出力による排雪能力を両立させることが、本来の製作目的であった。
  7. ^ 高崎線ではこれらの事情も原因の1つとなって、1973年に乗客による大暴動「上尾事件」が発生している。
  8. ^ 1970年代後半 - 1980年代初頭まで冷房のない43系客車が使用されていた列車や、縦揺れと冬季のすきま風に悩まされるナハ10系もこのケースに該当する。またキハ58系の気動車急行において、1970年代後半以降も、非冷房のまま運用されていたケース(東北地方に多かった)も同様である。その後は1998年2月長野五輪の際に運転された臨時急行「安曇野」が、アコモデーション未改善の165系電車で運行された例がある
  9. ^ 末期は415系新製冷房車が運用に入ることもあった。
  10. ^ 1975年以降、特に夏期には同じ115系でも冷房付きの300番台が充当されることも多かった。
  11. ^ 当時の近郊形電車の最高速度が95km/hであった中、711系の最高速度は唯一110km/hと急行形電車並を誇っており、新設計の空気ばね台車の装備も相まって、1980年代中期まで100km/h以下に留まっていた気動車を上回る性能を有した。また、札幌 - 旭川をノンストップの1時間38分(設定当初の下りは1時間36分)で結び、表定速度83.8km/h(国鉄・JRを通じ、急行列車の最高記録。)を記録した急行「さちかぜ」も設定された。後年、この列車を格上げした形のエル特急「いしかり」では、同じ6両編成電動車の数が倍加した485系1500番台が投入されたが、接客設備は簡易リクライニングシートなどで向上したものの、所要時間のみで見れば、わずか2分の短縮にしかならなかった。
  12. ^ 117系電車や115系電車3000番台に類似することもあり、近郊形に分類されることもあるが[10]、国鉄時代の液体式気動車は特急形を除いて互換性が重視され、他の一般形との併結も想定されたことや、急行列車への使用も想定され、汎用性が追求されたことから、近郊形でも急行形でもなく、一般形にカテゴライズされていた。
  13. ^ 50系客車については名目上は通勤列車用であるが、導入先である地方での需要に反映して接客設備をセミクロスシートにしたため、「通勤形でも近郊形でもない」ことから一般形に分類されている[3]。このため、国鉄の客車には明確な意味で通勤形や近郊形に分類される客車は歴史上製造されていない。
  14. ^ 陳腐化に対処するための改造で1962年に開始され、室内灯の蛍光灯化・ドアと内張りの取り替え・窓のアルミサッシ化・扇風機の取り付けなどが挙げられる。1964年以降に施工された車両は青15号に塗装された。
  15. ^ これら客車はその用途から急行形に分類されることもあるが[15]、岡田は旧型客車が製造された時代の客車には正式な意味で急行形に分類したものではないことを言及している[16]
  16. ^ 例外的にオハニ63形は優等列車で使用することを前提に製造されているが、台車については他の60系客車の普通車と同じで乗り心地が劣っていた。のちに乗り心地向上のために台車を交換し、オハニ36形に改造されている。
  17. ^ 1970年代の時点での有料急行列車としては格別なものであった。
  18. ^ 東武での急行の列車種別は同年の改正で東上線や他の大手私鉄と同様に一般車を使用した列車に転用された。
  19. ^ 私鉄の快速列車では運賃のほかに座席指定料金を徴収する異例の存在でもあった。
  20. ^ 実質的には581・583系の固定クロスシートと同等かそれ以下でしかなかった。
  21. ^ 2012年3月から充当されている287系電車も振り子式ではないが、こちらは低重心構造を採用し、車両の性能も向上しているため、所要時間が最大で約10分前後伸びた程度に留まっている。
  22. ^ 「準特急」という種別は後に近畿日本鉄道京王電鉄でも使用され、こちらは特急より停車駅を多く設定しものであり、近鉄のものは主要駅停車タイプの特急(乙特急)の前身種別として使われた。京王のものは元々は急行及び通勤快速の速達化を目的としたもので他社の快速急行と同格の種別であったが、2013年2月のダイヤ改定以降は高尾線内の各駅停車の有無によるものであり、急行とは停車駅で逆転現象が生じている。
  23. ^ 一般車格下げ後、後年に更新工事に際して冷房化された。
  24. ^ 南海本線では特急、国鉄線内では急行として運行。
  25. ^ 設備面だけで見るなら、1959年9月22日日光線電化開業にあわせて新製された157系が、準急運用の間合いに、送り込み回送を兼ねた日光駅 - 黒磯駅で快速列車として1往復客扱いした例がある。157系は準急型車両ではあるものの、本来であれば設備水準が準急型車両よりも上位であるはずの急行型車両の標準的な水準よりもはるかに上であり、冷房がない点を除けば特急型電車に匹敵する破格のものであった。157系はこうした破格の設備水準であったため、準急列車への充当でもいわゆる“乗り得準急”であったが、短区間の運転で、かつ1往復のみのあったとは言え、この設備水準で料金不要の快速列車にも充当されたことは、当時としては極めて異例なものであった。
  26. ^ 格下げに際しては最小限のものでリクライニング機能の使用停止・テーブルや灰皿の撤去などされたほかは特急時代のままであった。
  27. ^ 優等列車(特に特急列車)用車両は程度が良くても後継車両に比べて見劣りがする車両は一般車両に格下げ改造されることがあった。特に旧型の特急用車両や料金不要特急を運行している京浜急行電鉄阪急電鉄京阪電気鉄道西日本鉄道の車両で見受けられた。

出典

  1. ^ JTBパブリッシング 石井幸孝『キハ47物語』 p 36 - 37
  2. ^ ネコ・パブリッシング『JR全車輌ハンドブック2009』 p 15
  3. ^ a b 誠文堂新光社 岡田直明・谷雅夫『新版 国鉄客車・貨車ガイドブック』 p 28、p 48
  4. ^ 鉄道ピクトリアル』768号 p 10
  5. ^ a b c d イカロス出版『J-train』vol.25 p.27
  6. ^ 電気車研究会 『鉄道ピクトリアル』768号 p.13 - p.14
  7. ^ 『鉄道ピクトリアル』768号 p 9に写真あり
  8. ^ 朝日新聞2008年11月2日 「ぼったくり」と呼ばれ…JR最後の昼間急行が廃止へ
  9. ^ 朝日新聞2008年3月19日 「JR最後の昼間急行「つやま」で行く小旅行」[1]
  10. ^ 日本交通公社『国鉄車両一覧』p 172-173
  11. ^ ネコ・パブリッシング『Rail Magazine』No.355 p 120
  12. ^ JTBパブリッシング 岡田誠一『国鉄鋼製客車Ⅰ』 p 239
  13. ^ ネコ・パブリッシング『Rail Magazine』No.336 p 9
  14. ^ グランプリ出版 塚本雅啓『戦後日本の鉄道車両』p.90
  15. ^ グランプリ出版 塚本雅啓『戦後日本の鉄道車両』p.88
  16. ^ 交友社『鉄道ファン』No.413 p.50
  17. ^ JTBパブリッシング 福原俊一『国鉄急行電車物語』p 58
  18. ^ PHP研究所 梅原淳『雑学3分間ビジュアル図解シリーズ 特急列車のすべて』p. 78
  19. ^ ネコ・パブリッシング『RM LIBRARY No.154 京成赤電ものがたり』p.41

参考文献

  • 電気車研究会
    • 鉄道ピクトリアル』671号(1999年7月号)「国鉄近郊型電車を使用した急行列車アラカルト」
    • 『鉄道ピクトリアル』768号(2005年11月号)【特集】遜色急行
    • 『鉄道ピクトリアル』805号(2008年7月号)寺本光照「キハ40系の優等列車」