ボサノヴァ

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ボサノヴァ
現地名 Bossa Nova
様式的起源
文化的起源 1950年代後期、ブラジルリオデジャネイロ市ゾナ・スウ
使用楽器
サブジャンル
関連項目
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ボサノヴァBossa Nova、ボッサ・ノーヴァ、直訳:「新しい傾向」)は、サンバなどと並ぶブラジル音楽のジャンルのひとつである。ボサノバと表記されることも多い。

概要

Bossa NovaNova とはポルトガル語で「新しい」、Bossa とは「隆起、こぶ」を意味する。したがって Bossa Nova とは「新しい傾向」「新しい感覚」などという意味になる[注 1]。なお Bossa という語は、すでに1930年代から1940年代に黒人サンビスタなどがサンバ音楽に関する俗語として、他とは違った独特な質感をもつ作品を作る人に対して彼のサンバにはボサがあるなどと使い、それらの楽曲を Samba de Bossa などと呼んでいた。

1950年代後半、リオデジャネイロコパカバーナ[注 2]イパネマといった海岸地区に住む白人中産階級の学生やミュージシャンたちによって生み出された[1]。ブラジルでのヒットのきっかけは1958年アントニオ・カルロス・ジョビン作曲、ヴィニシウス・ジ・モラエス作詞、ジョアン・ジルベルト歌・ギターによる“Chega de Saudade”(シェーガ・ジ・サウダージ、邦題:想いあふれて)[2]のシングルによるものであり、ジョアン・ジルベルトはボサノヴァ・ギターのパイオニアだった[3]。ただしこの時点ではボッサ・ノヴァという呼び名はまだ生まれていなかった。

サンバショーロをはじめとするブラジルの伝統的な大衆音楽、特にサンバ・カンサゥン (Samba Canção) を基に、1950年代から1960年代に広まった。中産階級の若者たちの求めていた心地よく洗練されたサウンド、「新しい感覚」のサンバとして成立した。

ボサ・ノヴァをジャズの一種と見るなどさまざまな見方もあるが、少なくとも本来のボサ・ノヴァはサンバの一種であると定義される。ボサはブラジルに新しいポピュラー音楽ジャンルを生み、その後世界の音楽シーンに広がっていった。

なお一口にボサ・ノヴァといってもミュージシャンによってその作風は多様で、例えば公的には上記1958年の“Chega de Saudade”がボサ・ノヴァ第1号といわれるが、それより以前の1953年、ジョビン&ヴィニシウス作品でジョニー・アルフが歌った“Rapaz de Bem”(和題:心優しい青年)を真のボサ・ノヴァ第1号とする説もある。アルフの場合はジャズに影響された作風を持っているのが特徴で、ジョアン・ジルベルトなどとは明らかにスタイルが異なっていることが理解できる。

1964年にブラジルでは軍事クーデターが発生し、カステロ・ブランコ[注 3]による軍事独裁政権が誕生すると、ジルベルト・ジルらのトロピカリア・ムーブメントは、愛や自然を歌うものから体制を批判するものに変化していった。軍事政権は1964年から1985年まで、長期間に渡ってブラジルを支配した。

歴史

1950年代中期、リオデジャネイロに在住していた若手ミュージシャンたちによって創始された。ボサノヴァ誕生の中心となった人物として、作編曲家のアントニオ・カルロス・ジョビン[注 4](トム・ジョビン)、歌手でギタリストでもあったジョアン・ジルベルト、ブラジル政府の外交官にしてジャーナリストも兼ねた異色の詩人ヴィニシウス・ヂ・モライスらが挙げられる。

ボサノヴァの誕生には、ジョアンが幾日もバスルームに閉じこもってギターを鳴らす試行錯誤の末、それまでにないスタイルのギター奏法を編み出すことに成功したという逸話が残っているが、その際、変奏的なジャズや抑制された曲調のサンバであるサンバ・カンサゥン(1950年前後に発展した)、バイーア州周辺で発展したバチーダというギター奏法の影響は無視できない。彼を中心とするミュージシャンらの間で、1952年から1957年頃、ボサ・ノヴァの原型が形作られ、発展したものと見られている。

1958年、ジョビン作曲、モライス作詞の“Chega de Saudade” (想いあふれて) が、当時すでに人気歌手であったエリゼッチ・カルドーゾによってレコーディングされる。その際ジョアン・ジルベルトがバックのギターを演奏するが、エリゼッチの歌い方はジョビンやジルベルトが目指す音楽とはかけ離れたものであった。そこで同年ジョビンがレコード会社を説得してジョアン・ジルベルトが歌う同曲が録音、発売されボサ・ノヴァ・ブームの幕開けとなる。

音楽のジャンルとしての「ボサ・ノヴァ」という言葉が生まれたのは、ジョアン・ジルベルトやナラ・レオンのアパートに集まる他のアマチュア・ミューへジシャンが参加した、大学でのコンサートの告知として掲示板に書かれた言葉が、若者達の間で広まったとされる。

1959年には、1957年にジョビンとモライスが古代ギリシャオルペウスの神話を題材にして企画した劇を元にしたブラジル・フランス合作映画「黒いオルフェ[注 5]」(マルセル・カミュ監督)の劇中曲として多くのボサノヴァが使われ、世界にその存在を知らしめた。また1962年11月21日には、カーネギー・ホールでボサノヴァのコンサートが行われ、ジョアン・ジルベルト、カルロス・リラセルジオ・メンデス等が出演。

1962年(August 28, 1962)、ジャズとボサノヴァを融合したアルバムが、アメリカのジャズ・サックス奏者ズート・シムズによってニューヨークで録音された[4]

1963年には、ジョアン・ジルベルトがアメリカのジャズ・サックス奏者スタン・ゲッツと共演したボサノヴァ・アルバム『ゲッツ/ジルベルト』が制作され、アメリカで大ヒット。特にこの中でジョアンの当時の妻アストラッド・ジルベルトが英語詞で歌った「イパネマの娘」は爆発的な売り上げを記録し、アメリカの大衆に「ボサノヴァ」を浸透させた。しかしこのアルバムのためにアメリカの大衆は「ボサノヴァはゲッツの創始になるもの」「ボサノヴァを代表する歌手はアストラッド」という極端な誤解をしてしまったともいう。アストラッド・ジルベルトは、歌はそれほど上手ではなかったが、歌心があり聴衆にアピールする力があった。また、ケニー・ドーハムやハンク・モブレイ、バド・シャンク、ジーン・アモンズ、ミルト・ジャクソン、ポール・デスモンド、ポール・ウィンターズート・シムズチャーリー・バード英語版、クインシー・ジョーンズ、ハービー・マン[注 6]らのジャズ・ミュージシャンも、ボサノヴァ・アルバムを発表している。

以後の一時期、アメリカではボサノヴァ・ナンバーに英語詞を付けたものが、ポピュラー歌手によって盛んに歌われた。だが、その実状は多分にエキゾチシズムを帯びた一過的なものとして消費された感が強く、歌唱や演奏の在り方も、本来のボサノヴァからはかけ離れたものであった。これは日本においても共通した傾向である。この「本来のボサノヴァ」と「ボサノヴァ風の亜流音楽」の並立は、その後も長く続した。戦後における都市文化の爛熟期にあったブラジルには、若いアーティストたちが輩出し、ボサノヴァは1960年代初頭に隆盛を迎えた。

1964年クーデターによるブラジルの軍事独裁政権樹立と、それに伴う強圧的な体制は、「リオの有閑階級のサロン音楽」的な傾向のあったボサ・ノヴァを退潮させる主因となったともされる。セルジオ・メンデスカエターノ・ヴェローゾなど決して少なくないボサ・ノヴァ音楽家たちが、国外へ半亡命的な形で去り、アメリカやフランス等のミュージックシーンに足跡を残した。

抽象的・享楽的な傾向のあったボサ・ノヴァの歌詞も、体制批判など政治的な内容を含んだものが少数現れた(例:ナラ・レオンのアルバム O Canto livre de Nara(ナラが自由を歌う)や、マルコス・ヴァーリ[注 7]のアルバム「ヴィオラ・エンルアラーダ」など)。これらはボサ・ノヴァのカテゴリーから外してとらえる批評家も多い。

1960年代半ばには、セルジオ・メンデス&ブラジル66が「マシュケナダ」のヒットを放った。ポルトガル語の曲がアメリカでヒットしたのは、きわめて稀な例である。「マシュケナダ」はボサノヴァというよりも、ボサ・ロックに分類された。1960年代中期以降、ブラジルの大衆音楽のムーブメントからは外れていったものの、1970年代から現代にまで連なるMPBMusica Popular Brasileira、ブラジルの大衆音楽)と呼ばれる、新ジャンルが創設され、その影響は21世紀まで続いている。特にフランスやベルギーなどのヨーロッパ各地では、イザベル・アンテナクレール・シュヴァリエなどのミュージシャンのボサ作品が発表されている。1950年代~60年代に作られたボサ・ノヴァ・ナンバーの一部は、爽快さ、親しみやすさから、スタンダードとして世界各国で聴かれ、歌唱・演奏の題材として頻繁に取り上げられている。有名な曲は、モライスの詞とジョビンの曲になる“Garota de Ipanema”(イパネマの娘)が挙げられる。

21世紀のブラジル本国では、ボサ・ノヴァは主に白人の大卒の中流層以上で教養の高い人々を中心に好まれる音楽で、あまり大衆的な音楽ではない。また年齢層が高い人が聴く昔の音楽というイメージもある。若い世代は欧米のロックやポップスを好むため、あまりボサ・ノヴァは聴かれていない。

しかし日本では、その後もボサ・ノヴァのファンが多いと言われる。これは、日本で1950年代から1960年代半ば以降に、高度経済成長期を受けて大卒以上の中産階級が増えたことが大きい。また、これとは別に、1990年頃からのカフェブームに関し、カフェ店内で流す音楽として、ジャズ等とともにボサ・ノヴァが多く取り上げられたということもある。このため日本国内でボサ・ノヴァの古い音源がCDでリイシュー(再発売)されることが多く、ブラジルでも日本や欧州のマーケットを意識してCDをリリースして輸出することもあり、ブラジル国内よりも日本の方が音源を入手しやすいという状況にある。2003年にはジョアン・ジルベルトが70歳代で初の来日公演を行い、話題となった。

音楽的特徴

ボサノヴァをはじめ、ブラジルのポピュラー音楽であるサンバショーロMPBトロピカリアノルデスチなどは、それぞれ厳密なジャンル分けが存在するわけではなく、重なる部分が多いことに留意である(後年になって融合した面も大きい)。

「サンバの華やかなリズムに、それと相対するようなソフトな歌声」「黒人らによる土着的な民族音楽と、輸入された白人による西洋音楽」「牧歌的な音色を奏でるクラシックギターと、ジャズに影響された都会的な音色を奏でるピアノサックス」など、その音楽的な二面性が大きな特色である。

ボサノヴァ誕生の地であるリオデジャネイロの「海と山に囲まれた自然豊かな都会」という地理的特性からも醸し出される、その都会的洗練とラテン的なくつろいだ雰囲気は、夏のリゾート地カフェラウンジを連想させた。

ただし制作者の意図と関係なく、雰囲気のみが利用されることも多く、大衆からはボサノヴァはお洒落なBGMとして、ジャズと同様かそれ以上に商業主義的な大量消費音楽の扱いを受けることもある。

演奏

ギター
ギターの弾き語りをするジョアン・ジルベルト

ボサノヴァにおける重要な楽器として、ナイロン弦のクラシック・ギター(ブラジルではヴィオラゥン Violão と呼ぶ)がある。ギターはピックを使わず、指で奏でる。そのもっとも基本的なフォームは、ジョアン・ジルベルトが示したような、ギターとボーカルだけの演奏においてよく見ることができる。グループ演奏でのジャズ的なアレンジメント(編曲)においても、ギターが潜在的にビートを鳴らすのが特徴的である。ただしギターを用いず、後述するドラム・ビートだけでそのリズムを表現することもある。ジョアンに代表されるように、ボサノヴァにおけるヴィオラゥンの基本的なリズムは、親指がサンバの基本的な楽器であるスルドのテンポを一定に刻み、他の指はタンボリン[5]のシンコペーションのリズムを刻む。このボサノヴァ独特のギター奏法は、叩き合わせる、またミックスするという意味を持つ「バチーダ」と呼ばれる。

ピアノ
ピアノの弾き語りをするA.C.ジョビンの孫、ダニエル・ジョビンポルトガル語版

ギターほどではないが、ピアノもボサノヴァにとって重要な楽器である。ジョビンはピアノのための曲をよく書き、彼のレコードにおいて彼自身がピアノを弾いてレコーディングした。このピアノはまた、ジャズとボサノヴァをつなぐ架け橋としても用いられ、ピアノのおかげで、この2つのジャンルが相互に影響を及ぼす結果となったと言える。演奏には、ジョビンの影響から、印象主義的な和音が好まれ、優美な印象を与えた。

打楽器

ボサノヴァのドラム・パターン例

ドラムパーカッションは、ボサノヴァにおいて本質的な要素の楽器ではない(そして事実として、なるべくパーカッションをそぎ落とそうと考えていた制作者もいた)が、ボサノヴァには独特のドラム・パターンおよびスタイル(バックビート)が確立した。これは8分音符のハイハットの連打と、リム・ショットによって特徴づけられている。これはサンバのタンボリンのリズムであり、リムはテレコ・テコを代用した音である。

その他の楽器
フルートを吹くA.C.ジョビン

フルートはショーロから引き継がれ、伴奏やソロなどで幅広く使用されている。ベースは、ソロパートが設けられることが少ないため認知されにくいが、基本的に多くの場合で編成に参加している。またサックストランペットハーモニカなどは、ジャズから導入されており、奏者もボサノヴァやブラジル音楽専門ではなく、ジャズ畑の者が多い。近年ではチェロも使用される例が見られる。電子楽器も少なからず使用されているが、MPBとジャンル的に重なる部分がある。

ストリングス

「ボサノヴァにはオーケストラストリングス)の伴奏が用いられる」というのが、"エレベータ・ミュージック"や"ラウンジ・ミュージック"などといった、北アメリカ的なボサノヴァのイメージである。しかし、ジョビンの録音でそういったオーケストラ・サウンドを耳にすることはあっても、それ以外の多くのボサノヴァではあまり聴かれない。ジョビンによる録音の知名度の高さから、このような誤解が生まれたと考えられる。ジョビン自身は、ボサノヴァの可能性を広げるために、編曲の一手法として、オーケストラを導入していた。

ヴォーカル

声を張らない囁くような歌声が、一般的に多く見られる特徴であり、サウダージの表現として捉えられる。この歌唱法は一説に、ジョアン・ジルベルトが、ジャズミュージシャンのチェット・ベイカーの歌声から着想を得て、生み出したとも言われている。ジャズと同様にスキャットも多用される。またソロのほか、コーラスも一般的である。歌詞は、ヴィニシウス・ヂ・モライスに代表されるように、詩的・情緒的な表現や言葉遊びが多く、知的な印象を与えた。ポルトガル語のエキゾチックな響きも他国の人々を魅了した。また歌詞に2番、3番があることは少なく、アドリブや編曲を除くと1分以内で歌い終わるほど短い歌詞も少なくない。

著名な曲(スタンダード)

国際的に有名な楽曲のみ少数列挙する。


ボサ・ジャズの曲

主なアルバム

  • OST "黒いオルフェ・Black Orpheus(Orpheu Negro)",[6][7]1959
  • Nova — カルロス・リラ — on Phillips, 1960
  • A Bossa dos Cariocas — Os Cariocas—on Phillips, 1962
  • Trio — Tamba Trio—on Phillips, 1962
  • Big Band Bossa Nova — Oscar Castro Neves—on Audio Fidelity, 1962
  • News from Brazil Bossa Nova — Eliana & Booker Pitman, 1963
  • A Bossa Muito Moderna de Donato —J oão Donato—on Polydor, 1963
  • Baden Powell à Vontade — Baden Powell(Brazil)—on Elenco, 1964
  • Menina Rica — Carlos Lyra and Dulce Nunes—on CBS, 1964
  • Zimbo Trio — Zimbo Trio—on RGE, 1964
  • Entre Nós — Walter Wanderley —on Phillips, 1964
  • Opinião de Nara — Nara Leão —on Phillips, 1964
  • Milton Banana Trio — ミルトン・バナナ Trio— on Odeon, 1965
  • Elis — エリス・レジーナ — on Phillips, 1966
  • ジャズ・サンバ(Só Danço Samba/Jazz Samba

ミュージシャン・歌手

ブラジル

ブラジル以外(ジャズ奏者含む)

関連ジャンル:MPB

脚注

注釈

  1. ^ 一般的な「新しい傾向」という意味ではなく、特定の時期の音楽について呼ばれる。このため、新しくなくなってもボサノヴァである。
  2. ^ バリー・マニロウが78年に曲のタイトルに使用した。
  3. ^ 67年に辞任、同年に事故死している。
  4. ^ 「想いあふれて」「メディテーション」などの楽曲がある。
  5. ^ ルイス・ボンファの「カーニバルの朝」は名曲として知られている。
  6. ^ ボサノヴァだけでなく、メンフィス・ソウルやディスコなど、流行のサウンドをいち早く取り入れたアルバムを発表した。
  7. ^ 「サマー・サンバ」の作曲者。
  8. ^ ボサ曲「あの日にかえりたい」(自身の作詞・作曲)がヒット。
  9. ^ ボサ曲「ロング・バージョン」(作詞:湯川れい子、作曲:安部恭弘)がヒット。
  10. ^ ボサ曲「どうぞこのまま」(自身の作詞・作曲)がヒット。
  11. ^ ボサ曲「おんなの朝」(作詞:西沢爽、作曲:米山正夫)がヒット。

出典

  1. ^ http://www.umich.edu/~ac213/student_projects05/
  2. ^ Spessoto, Toninho. “As 100 Maiores Músicas Brasileiras - "Chega de Saudade"”. Rolling Stone Brasil. Spring. 2021年7月23日閲覧。
  3. ^ Bitencourt, Paulo. “What is Bossa Nova?”. bitencourt.net. 2020年1月6日閲覧。
  4. ^ Zoot Sims - New Beat Bossa Nova, Vol. 1
  5. ^ http://www.marcdedouvan.com/en/instru.php?instru=tamborim
  6. ^ Youssefnia, Julia (2007年7月19日). “Black Orpheus”. 2021年7月15日閲覧。
  7. ^ Eli Kooris (2002年8月16日). “Review: Black Orpheus (1959)”. The Austin Chronicle. 2021年7月15日閲覧。

関連項目