ヴィニシウス・ヂ・モライス

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ヴィニシウス・ヂ・モライス

マルクス・ヴィニシウス・ダ・クルス・エ・メロ・モライス(Marcus Vinícius da Cruz e Mello Moraes, 1913年10月19日 - 1980年7月9日)はブラジル詩人作家作詞家作曲家翻訳家外交官歌手ジャーナリストオ・ポエティーニャ(O Poetinha, 「小さな詩人」の意)のペンネームでも知られる。

リオ・デ・ジャネイロ生まれ。1950年代後半、アントニオ・カルロス・ジョビンらとともにボサノヴァというポピュラーミュージックのスタイルを生み出した立役者の一人である。ジョビンが作曲し・モライスが作詞したナンバー「イパネマの娘」(1962年)はジョアン・ジルベルトスタン・ゲッツの共演作品などによって世界的なヒット曲となった。洗練された詩風でボサノヴァの歌詞のあり方に指針を示し、以後のブラジルのポピュラー音楽に多大な影響を与えたと評されている。

1960年代には、ギタリストとして有名なバーデン・パウエル (Baden Powell)やトッキーニョ (Toquinho)ら多くのミュージシャンたちと共作し、ボサノヴァに留まらず、それ以前のジョビンとの作品とは趣を変えた、サンバ(あるいはサンビーニャとも)や、アフロ・サンバといった土着的な感覚に重きを置いた個性ある音楽作品を送り出した。「ビリンバウ」などがこの時期の代表的な曲である。1960年代、外交官として赴任した先のフランスパリでは、フランシス・レイピエール・バルーなどにボサノヴァを教え、それによって「フレンチ・ボッサ」(フランス人によるボサノヴァ)を誕生させたとも言われる。1962年以降は自ら歌手として歌うようにもなり、決して美声とは言い難いが独特の味のある飄々とした歌声をしばしばステージで披露した。

また、フランス・ブラジル合作の映画である「黒いオルフェ」は、彼が1959年に作成・発表した戯曲である「オルフェウ・ダ・コンセイサゥン」を元に制作されていることも特筆すべき点である。

外交官としてはブラジルの国連大使を務めるほどのキャリアがあったが、1964年にブラジルのクーデター軍事政権が発足してからは、左翼的なポリシーの持ち主故に排斥され、「アルコール依存症」を表向きの理由にブラジル外務省から馘首された。以後は晩年まで音楽分野での活動を続けた。

詩才に優れ、数カ国語を操るなど非常に多彩な能力を発揮する一方で、その生涯に9度結婚離婚を繰り返したほどの「恋多き男」であり、また希代の大酒豪でもあった。気難しい性格で奇行でも知られ、数々の風変わりな逸話を残す。

作詞家としての代表作[編集]