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{{by|2012年}}も開幕から代打での起用が続いていたが、5月27日の対[[埼玉西武ライオンズ]]戦では5番右翼で先発出場。スタメンは2009年6月13日の対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦以来3年振りだが、守備についてのスタメンとなると2008年8月7日の対広島戦以来4年振りであった。しかし代打では、8月23日の中日戦で安打を放ったことを最後に、翌年5月8日の対巨人戦(東京ドーム)まで22打席ノーヒットが続いた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/05/09/kiji/K20130509005767430.html 12回V打 神様桧山様!巨人に3連勝で2・5差] [[スポーツニッポン]]、2013年5月8日。</ref>。
{{by|2012年}}も開幕から代打での起用が続いていたが、5月27日の対[[埼玉西武ライオンズ]]戦では5番右翼で先発出場。スタメンは2009年6月13日の対[[千葉ロッテマリーンズ]]戦以来3年振りだが、守備についてのスタメンとなると2008年8月7日の対広島戦以来4年振りであった。しかし代打では、8月23日の中日戦で安打を放ったことを最後に、翌年5月8日の対巨人戦(東京ドーム)まで22打席ノーヒットが続いた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/05/09/kiji/K20130509005767430.html 12回V打 神様桧山様!巨人に3連勝で2・5差] [[スポーツニッポン]]、2013年5月8日。</ref>。


{{by|2013年}}も開幕から一軍に帯同すると、前述の巨人戦で自身23打席振りの安打を放つとともに、代打通算99打点を記録。阪神の選手では歴代1位、セ・リーグでは歴代3位の代打通算打点記録を樹立した<ref>[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130508-00000135-spnannex-base 桧山”代打の神様”超え99打点!] [[スポーツニッポン]]、2013年5月8日。</ref>。5月12日の対ヤクルト戦でも適時打を放ち、[[宮川孝雄]]・[[浅井樹]]に次ぐ代打通算150安打、宮川・[[川又米利]]に次ぐ代打通算100打点(ともに史上3人目)を記録。8月7日の対広島戦([[マツダスタジアム]])では、セ・リーグ歴代単独2位となる代打通算155安打を放った<ref>[http://www.sanspo.com/baseball/news/20130808/tig13080805020013-n1.html 代打155安打!虎・桧山、セ歴代単独2位浮上] [[サンケイスポーツ]]、2013年8月8日。</ref>。しかし、9月7日の対巨人戦(甲子園)の試合前に、2013年シーズン限りで現役を引退することを表明した<ref>[http://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2013/09/07/0006317284.shtml 阪神・桧山が現役引退表明] [[デイリースポーツ]]、2013年9月7日。</ref>。10月5日には、シーズンでの主催試合最終戦になった対巨人戦で、球団主催の引退セレモニーを開催<ref>[http://hanshintigers.jp/news/topics/info_2988.html 『桧山進次郎選手引退セレモニー』のご案内](阪神タイガース公式サイト2013年9月24日付「球団ニュース」)</ref>。2002年シーズンの定位置だった「5番・右翼手」で約1年4ヶ月振りに先発した桧山は、3打数0安打で8回表の守備から交代した(最終打席の結果は一塁ゴロ)。試合後のセレモニーでは、終始笑顔を見せながら「今日ここまで皆さんと共に2回のリーグ優勝を僕は手に入れました。しかしながら、日本一という称号はまだ手に入れてません。この忘れ物をいつか必ず取りに来ます。その時はまた、ファンの皆さん、タイガース球団の皆さん、一緒に戦いましょう。本当に僕は幸せ者でした。22年間、ありがとうございました」と挨拶した<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20131005-1200288.html 【阪神】桧山「幸せ者」引退あいさつ全文] [[日刊スポーツ]]、2013年10月6日</ref>。なお、チームが2位でシーズンを終えたことから、甲子園球場での広島との[[2013年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ]]ファーストステージにも出場。[[10月13日|同月13日]]の第2戦では、9回裏2死1塁の場面で代打に起用されると、同球場のライトスタンドへ2点本塁打を放った。チームは4対7でファーストステージでの敗退が決定したが、結果として桧山はこの代打本塁打で現役生活を締めくくった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/10/13/kiji/K20131013006803060.html 桧山意地の2ランも…和田監督「勢いの違い出た 私の責任」]スポーツニッポン2013年10月13日配信</ref>。
{{by|2013年}}も開幕から一軍に帯同すると、前述の巨人戦で自身23打席振りの安打を放つとともに、代打通算99打点を記録。阪神の選手では歴代1位、セ・リーグでは歴代3位の代打通算打点記録を樹立した<ref>[http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130508-00000135-spnannex-base 桧山”代打の神様”超え99打点!] [[スポーツニッポン]]、2013年5月8日。</ref>。5月12日の対ヤクルト戦でも適時打を放ち、[[宮川孝雄]]・[[浅井樹]]に次ぐ代打通算150安打、宮川・[[川又米利]]に次ぐ代打通算100打点(ともに史上3人目)を記録。8月7日の対広島戦([[マツダスタジアム]])では、セ・リーグ歴代単独2位となる代打通算155安打を放った<ref>[http://www.sanspo.com/baseball/news/20130808/tig13080805020013-n1.html 代打155安打!虎・桧山、セ歴代単独2位浮上] [[サンケイスポーツ]]、2013年8月8日。</ref>。しかし、9月7日の対巨人戦(甲子園)の試合前に、2013年シーズン限りで現役を引退することを表明した<ref>[http://www.daily.co.jp/newsflash/baseball/2013/09/07/0006317284.shtml 阪神・桧山が現役引退表明] [[デイリースポーツ]]、2013年9月7日。</ref>。10月5日には、シーズンでの主催試合最終戦になった対巨人戦で、球団主催の引退セレモニーを開催<ref>[http://hanshintigers.jp/news/topics/info_2988.html 『桧山進次郎選手引退セレモニー』のご案内](阪神タイガース公式サイト2013年9月24日付「球団ニュース」)</ref>。2002年シーズンの定位置だった「5番・右翼手」で約1年4ヶ月振りに先発した桧山は、3打数0安打で8回表の守備から交代した(最終打席の結果は一塁ゴロ)。試合後のセレモニーでは、終始笑顔を見せながら「今日ここまで皆さんと共に2回のリーグ優勝を僕は手に入れました。しかしながら、日本一という称号はまだ手に入れてません。この忘れ物をいつか必ず取りに来ます。その時はまた、ファンの皆さん、タイガース球団の皆さん、一緒に戦いましょう。本当に僕は幸せ者でした。22年間、ありがとうございました」と挨拶した<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20131005-1200288.html 【阪神】桧山「幸せ者」引退あいさつ全文] [[日刊スポーツ]]、2013年10月6日</ref>。なお、チームが2位でシーズンを終えたことから、甲子園球場で開催の[[2013年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ]]ファーストステージ・対広島戦にも全試合に代打で出場。[[10月13日|同月13日]]の第2戦では、9回裏2死1塁の場面で代打に起用されると、同球場のライトスタンドへ2点本塁打を放った。チームは4対7でファーストステージでの敗退が決定したが、結果として桧山はこの代打本塁打で現役生活を締めくくった<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2013/10/13/kiji/K20131013006803060.html 桧山意地の2ランも…和田監督「勢いの違い出た 私の責任」]スポーツニッポン2013年10月13日配信</ref>。


== 詳細情報 ==
== 詳細情報 ==

2013年10月13日 (日) 11:39時点における版

桧山 進次郎(黄 進煥)
阪神タイガース #24
2008年7月16日
基本情報
国籍 大韓民国の旗 韓国
出身地 日本の旗 日本 京都府京都市右京区
生年月日 (1969-07-01) 1969年7月1日(54歳)
身長
体重
177 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手一塁手
プロ入り 1991年 ドラフト4位
初出場 1992年5月30日
最終出場 2013年10月13日
年俸 3,800万円(2013年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
桧山進次郎
各種表記
ハングル 황진환
漢字 黄進煥
発音: ファン・ジンファン
ローマ字 Hwang Jin-hwan
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桧山 進次郎(ひやま しんじろう、1969年7月1日 - )は、阪神タイガースに所属するプロ野球選手外野手内野手)。一部メディアでは、「檜山進次郎」と表記[2]

2013年時点では、阪神の生え抜き最古参・最年長選手。1997年から2005年頃までレギュラー、2006年からは主に代打で活躍している。打席に立つたびにスタンドから盛大な声援を受けるほどの人気選手で、代打に定着してからは、メディアやファンから(八木裕に次ぐ)「代打の神様」と呼ばれることが多い。愛称は「ひーやん」、「ひー」、「悠久の若虎」など。

在日韓国人3世[2]で、本名は黄 進煥[2](ファン・ジンファン、ハングル:황진환)。2013年現在唯一の在日韓国人選手である。日本に帰化する意思はないことを明言している[2]

経歴

京都府京都市右京区出身。平安高校を経て東洋大学へ進学。東都大学野球リーグ通算76試合出場、261打数83安打打率.318, 13本塁打、45打点。ベストナイン3回。第20回日米大学野球選手権大会日本代表に選出された際は後にプロでチームメイトとなる金本知憲と同室になった。

1991年プロ野球ドラフトで、阪神から4位指名を受け入団。入団会見で「巨人オロナミンCならば、リポビタンDのCMをしたい」と笑いを誘った。

1995年のシーズン後半から不調の亀山努に代わって終盤まで6番・右翼手で起用された。

1996年には5番・左翼手に定着し、中日ドラゴンズ野口茂樹から2試合にまたがって4打席連続本塁打を放つなど22本塁打を記録。

1997年は4番・右翼手として出場し、共に前年の自己最高を更新する23本塁打・82打点を記録。しかし打率は2割台前半で三振も多く、確実性の面で課題を残した。

1998年レギュラーとして出場するが、坪井智哉の台頭により定位置の右翼は奪われた形になる。また、開幕カードで2番スタメンを経験した。

1999年には開幕に出遅れたことや不振などもあり、出場試合は95試合に留まり、2000年にはトニー・タラスコらとのレギュラー争いに敗れ代打要員となった。

2001年にはタラスコ解雇に伴いレギュラーに復帰し、シーズン後半は帰国したイバン・クルーズに代わって4番を務める。無理に長打を狙わないことで当時の史上7位・球団記録となる28試合連続安打や自身初の打率3割を記録。同年にチーム選手会長にも就任。

2002年は主に5番・右翼手として出場。終盤に左肩亜脱臼で戦列を離れ、チーム失速の一因となった。濱中治の台頭に加わり、オフに広島東洋カープから金本知憲FA移籍が決定的になると、レギュラー構想の説明を求めるなどフロントと揉めた末にFA宣言するが、他球団からのオファーはなく、また星野新監督の慰留もあり権利を行使した上で阪神に残留した。

2003年濱中治が4番・右翼手に入り、桧山はキャンプから一塁手へのコンバートに挑戦した。開幕は一塁手としてアリアス、片岡らと併用されるかたちで迎えたが、一塁守備は不安定だった。5月に濱中が右肩の負傷で戦線離脱したため4番・右翼手レギュラーに復帰。7月2日の対中日戦で史上58人目(62度目)のサイクル安打を達成。チームは18年ぶりにリーグ優勝した。日本シリーズでも4番・右翼手として出場し、第5戦で決勝適時打、第6戦で本塁打を放ち優秀選手賞を獲得。同年、選手会長を退任して後任の今岡誠に引き継いだ。

2004年5月5日の対広島戦で1イニング2三振のプロ野球タイ記録を作るが、シーズン成績は自己新の84打点、打率.306, 打撃スタイルを変えた2001年以降では最多の18本塁打を記録した。

2005年シェーン・スペンサーとの併用で起用される。シーズン序盤は打撃不振だったが尻上がりに調子を上げ、8月31日にはプロ通算150号本塁打を記録。しかし、それまで好調だった数年間と比較するとやや成績を落とした。

2006年は主に代打として出場するが、不振にあえぎ一軍定着後最低の打率.180を記録。代打としても出塁率.300・打率.208に終わった。同年、2度目となるFA権を取得したが行使せずに残留。

2007年シーズン当初は二軍で5月4日に一軍合流したが、濱中に加えて桜井広大林威助などの台頭もあって前年より更にスタメンの機会は減り、控え外野手としても葛城育郎の好調の陰に隠れた。8月21日の対東京ヤクルトスワローズ戦で松岡健一から自身初の代打満塁本塁打を放ちチームの逆転勝利に貢献。次の試合もタイムリーを放ち、これ以降は勝負強い打撃を見せたが前半の不振が響きシーズン成績は前年に続いて打率1割台、代打での打率は.186と前年より更に落ち込んだ。10月15日、『デイリースポーツ』紙の1面に「阪神を退団」という記事が掲載され、桧山自身が自らのサイトでこれを否定する一幕もあった。

2008年は進退をかけて臨み、開幕直後から代打で安打を重ねて高橋光信や葛城育郎らと共に代打として活躍。勝負強さを買われてセ・パ交流戦を中心にスタメンでも起用された。打率3割をマークし、この年から八木裕に代わる「代打の神様」として定着した。

2009年も主に代打として出場したが、前年よりも打撃成績は落ち込んだ。10月4日の対中日最終戦で、同年限りでの引退を表明した同学年の立浪和義に対し、阪神を代表して慰意の花束を贈呈した。

2010年は5月18日の対福岡ソフトバンクホークス戦で遠井吾郎の球団記録に並ぶ代打通算108安打[3]、6月4日の対オリックス・バファローズ戦で球団新記録となる代打通算109安打を記録した[4]。また9月16日の対横浜ベイスターズ戦では、代打で登場した金本が怪我のため守備につくのが困難なことや、他の控え外野手を使い切ってしまっていたことから、9回裏1イニングだけライトのポジションについた。この年守備についたのはこの一度であるが、桧山が打席に立たずに守備だけで出場するのは、2007年7月6日の中日戦以来3年ぶりのことであった。

2011年は、5月8日の対横浜戦の7回に適時打を打ち、代打での通算86打点で球団3位タイの記録に並び[5]、5月14日の対中日戦で9回裏二死に代打で登場して本塁打を放ち、球団新記録の代打通算14本塁打および球団3位の代打通算87打点を記録した[6]

2012年も開幕から代打での起用が続いていたが、5月27日の対埼玉西武ライオンズ戦では5番右翼で先発出場。スタメンは2009年6月13日の対千葉ロッテマリーンズ戦以来3年振りだが、守備についてのスタメンとなると2008年8月7日の対広島戦以来4年振りであった。しかし代打では、8月23日の中日戦で安打を放ったことを最後に、翌年5月8日の対巨人戦(東京ドーム)まで22打席ノーヒットが続いた[7]

2013年も開幕から一軍に帯同すると、前述の巨人戦で自身23打席振りの安打を放つとともに、代打通算99打点を記録。阪神の選手では歴代1位、セ・リーグでは歴代3位の代打通算打点記録を樹立した[8]。5月12日の対ヤクルト戦でも適時打を放ち、宮川孝雄浅井樹に次ぐ代打通算150安打、宮川・川又米利に次ぐ代打通算100打点(ともに史上3人目)を記録。8月7日の対広島戦(マツダスタジアム)では、セ・リーグ歴代単独2位となる代打通算155安打を放った[9]。しかし、9月7日の対巨人戦(甲子園)の試合前に、2013年シーズン限りで現役を引退することを表明した[10]。10月5日には、シーズンでの主催試合最終戦になった対巨人戦で、球団主催の引退セレモニーを開催[11]。2002年シーズンの定位置だった「5番・右翼手」で約1年4ヶ月振りに先発した桧山は、3打数0安打で8回表の守備から交代した(最終打席の結果は一塁ゴロ)。試合後のセレモニーでは、終始笑顔を見せながら「今日ここまで皆さんと共に2回のリーグ優勝を僕は手に入れました。しかしながら、日本一という称号はまだ手に入れてません。この忘れ物をいつか必ず取りに来ます。その時はまた、ファンの皆さん、タイガース球団の皆さん、一緒に戦いましょう。本当に僕は幸せ者でした。22年間、ありがとうございました」と挨拶した[12]。なお、チームが2位でシーズンを終えたことから、甲子園球場で開催の2013年のセントラル・リーグクライマックスシリーズファーストステージ・対広島戦にも全試合に代打で出場。同月13日の第2戦では、9回裏2死1塁の場面で代打に起用されると、同球場のライトスタンドへ2点本塁打を放った。チームは4対7でファーストステージでの敗退が決定したが、結果として桧山はこの代打本塁打で現役生活を締めくくった[13]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1992 阪神 7 17 17 1 3 0 0 0 3 1 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .176 .176 .176 .353
1993 33 73 68 8 11 4 0 2 21 6 0 0 0 0 5 0 0 26 1 .162 .219 .309 .528
1994 32 36 36 6 10 2 0 2 18 7 0 0 0 0 0 0 0 15 0 .278 .278 .500 .778
1995 115 338 305 34 76 17 2 8 121 36 3 2 4 3 20 1 6 67 10 .249 .305 .397 .702
1996 130 541 464 65 122 23 0 22 211 73 5 7 0 8 66 1 3 108 11 .263 .353 .455 .808
1997 136 544 466 68 106 13 5 23 198 82 2 2 0 3 68 4 7 150 4 .227 .333 .425 .758
1998 122 456 398 42 90 19 4 15 162 52 3 5 2 2 47 1 7 101 9 .226 .317 .407 .724
1999 95 323 285 29 73 11 2 8 112 37 6 2 3 2 30 1 3 55 7 .256 .331 .393 .724
2000 87 186 159 18 35 9 2 4 60 16 0 2 0 1 22 2 4 43 6 .220 .328 .377 .705
2001 121 448 406 52 122 24 0 12 182 57 7 3 0 5 29 2 8 62 7 .300 .355 .448 .803
2002 110 452 416 51 122 20 2 13 185 61 7 1 2 3 21 1 10 69 7 .293 .340 .445 .785
2003 111 456 414 70 115 21 3 16 190 63 1 3 0 3 34 0 5 77 9 .278 .338 .459 .797
2004 130 513 468 59 143 26 1 18 225 84 4 0 1 7 32 0 5 74 7 .306 .352 .481 .832
2005 119 342 302 29 84 19 0 8 127 40 1 1 1 3 29 1 7 66 4 .278 .352 .421 .772
2006 85 144 133 8 24 5 0 2 35 12 1 0 0 0 10 1 1 42 0 .180 .243 .263 .506
2007 85 106 89 6 17 1 0 3 27 13 1 0 0 1 15 3 1 27 5 .191 .311 .303 .615
2008 94 121 110 7 33 8 2 0 45 19 0 0 0 1 9 1 1 26 2 .300 .355 .409 .764
2009 82 99 89 5 20 2 1 1 27 9 0 0 0 2 7 2 1 27 1 .225 .283 .303 .586
2010 72 71 67 4 17 3 1 1 25 12 0 0 0 0 3 0 1 18 0 .254 .296 .373 .669
2011 69 69 62 1 17 2 0 1 22 8 0 0 0 1 5 2 1 17 1 .274 .333 .355 .688
2012 67 69 58 0 13 1 0 0 14 6 0 0 0 1 8 2 2 13 3 .224 .333 .241 .580
通算:21年 1902 5404 4812 563 1253 230 25 159 2010 694 41 28 13 46 460 25 73 1088 94 .260 .331 .418 .752
  • 2012年度シーズン終了時

年度別守備成績


一塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1992 - 5 5 0 0 0 1.000
1993 - 23 35 0 0 0 1.000
1994 - 12 10 0 0 0 1.000
1995 - 109 180 4 1 2 .995
1996 - 130 193 7 4 1 .980
1997 - 134 245 7 2 3 .992
1998 - 113 179 3 4 0 .978
1999 - 86 129 6 0 1 1.000
2000 14 100 3 0 13 1.000 38 46 0 2 0 .958
2001 - 116 167 8 2 1 .989
2002 - 110 177 5 1 2 .995
2003 33 240 12 4 18 .984 75 124 3 0 0 1.000
2004 - 123 209 4 2 0 .991
2005 - 89 123 1 0 1 1.000
2006 - 25 18 0 0 0 1.000
2007 - 12 6 0 0 0 1.000
2008 - 10 10 0 1 0 .909
2009 - 1 1 0 0 0 1.000
2010 - 1 1 0 0 0 1.000
2012 - 3 2 0 0 0 1.000
通算 47 340 15 4 31 .989 1215 1860 48 19 11 .990

表彰

記録

初記録
節目の記録
  • 100本塁打:2002年4月23日、対広島東洋カープ3回戦(広島市民球場)、6回表に長谷川昌幸から中越2ラン ※史上218人目
  • 1000試合出場:2003年4月10日、対中日ドラゴンズ3回戦(阪神甲子園球場)、5番・一塁手として先発出場 ※史上384人目
  • 1000本安打:2004年8月25日、対横浜ベイスターズ19回戦(大阪ドーム)、8回裏に秦裕二から中前適時打 ※史上226人目
  • 150本塁打:2005年8月31日、対中日ドラゴンズ16回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に川上憲伸から右越ソロ ※史上139人目
  • 1500試合出場:2007年9月5日、対横浜ベイスターズ18回戦(阪神甲子園球場)、6回裏に久保田智之の代打として出場 ※史上154人目
  • 1000三振:2008年7月18日、対中日ドラゴンズ12回戦(ナゴヤドーム)、8回表に川上憲伸から ※史上42人目
  • 代打100打点:2013年5月12日、対東京ヤクルトスワローズ12回戦(松山坊っちゃんスタジアム)、9回表にオーランド・ロマンから右前適時打
その他の記録

背番号

  • 24 (1992年 - 2013年)

登場曲

脚注

  1. ^ 阪神 - 2013年度契約更改 - データ集 - プロ野球 - 野球 - SANSPO.COM サンケイスポーツ、2013年6月17日閲覧。
  2. ^ a b c d 朝鮮日報-阪神タイガースの檜山進次郎選手が「在日」を公表 朝鮮日報、2004年1月20日。※リンク先は、インターネット・アーカイブ2007年4月18日付保存キャッシュ。
  3. ^ 阪神、熱戦制し2位浮上!桧山が同点タイムリー サンケイスポーツ、2010年5月18日、2010年6月6日閲覧。
  4. ^ 阪神:桧山、代打で左前適時打…代打通算で球団記録を更新 毎日新聞、2010年6月5日、2010年6月6日閲覧。
  5. ^ 桧山 代打通算86打点!球団3位真弓に並ぶ デイリースポーツ、2011年5月9日。
  6. ^ 【阪神】桧山代打弾!八木抜いた14本目 日刊スポーツ、2011年5月14日。
  7. ^ 12回V打 神様桧山様!巨人に3連勝で2・5差 スポーツニッポン、2013年5月8日。
  8. ^ 桧山”代打の神様”超え99打点! スポーツニッポン、2013年5月8日。
  9. ^ 代打155安打!虎・桧山、セ歴代単独2位浮上 サンケイスポーツ、2013年8月8日。
  10. ^ 阪神・桧山が現役引退表明 デイリースポーツ、2013年9月7日。
  11. ^ 『桧山進次郎選手引退セレモニー』のご案内(阪神タイガース公式サイト2013年9月24日付「球団ニュース」)
  12. ^ 【阪神】桧山「幸せ者」引退あいさつ全文 日刊スポーツ、2013年10月6日
  13. ^ 桧山意地の2ランも…和田監督「勢いの違い出た 私の責任」スポーツニッポン2013年10月13日配信

関連項目

外部リンク