鬱林郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

鬱林郡(うつりん-ぐん)は、中国にかつて存在した漢代から隋代にかけて、現在の広西チワン族自治区中部に設置された。

概要[編集]

秦代桂林郡を前身とする。

紀元前111年元鼎6年)、前漢南越国を滅ぼすと、鬱林郡が置かれた。鬱林郡は交州に属し、布山安広阿林広鬱中留桂林潭中臨塵定周増食領方雍鶏の12県を管轄した。王莽のとき、鬱平郡と改められた[1]

後漢が建国されると、鬱林郡の称に戻された。鬱林郡は布山・安広・阿林・広鬱・中溜・桂林・潭中・臨塵・定周・増食・領方の11県を管轄した[2]

264年永安7年)、交州東部を分割して広州が立てられると、鬱林郡は広州に転属した。

のとき、鬱林郡は布山・阿林・新邑・晋平・始建・鬱平・領方・武熙・安広の9県を管轄した[3]

南朝宋のとき、鬱林郡は布山・領方・阿林・鬱平・新邑・建初・賓平・威化・新林・龍平・安始・懐安・晋平・綏寧・帰代・中冑・建安の17県を管轄した[4]

南朝斉のとき、鬱林郡は布山・鬱平・阿林・建安・始集・龍平・賓平・新林・綏寧・中冑・領方・懐安・帰化・晋平・威化の15県を管轄した[5]

南朝梁のときに定州が置かれ、後に南定州と改められた。

南朝陳を平定すると、590年開皇10年)に尹州と改称された。606年大業2年)、鬱州と改められた。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、鬱州は鬱林郡と改称された。鬱林・鬱平・領方・阿林・石南・桂平・馬度・安成・寧浦・楽山・嶺山・宣化の12県を管轄した[6]

621年武徳4年)、蕭銑を平定すると、鬱林郡は南尹州簡州南方州林州南晋州に分割され、鬱林郡の呼称は姿を消した[7]

脚注[編集]

  1. ^ 漢書』地理志下
  2. ^ 後漢書』郡国志五
  3. ^ 晋書』地理志下
  4. ^ 宋書』州郡志四
  5. ^ 南斉書』州郡志上
  6. ^ 隋書』地理志下
  7. ^ 旧唐書』地理志四