代郡

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中国地名の変遷
建置 戦国時代
使用状況 後燕に廃止
代郡
前漢代国
代郡
厭狄
後漢代郡
三国代郡
西晋代郡
東晋十六国代郡

代郡(だいぐん、拼音:Dài jùn)は、かつて中国に存在した。歴史上、時代の幽州代郡(現在の河北省蔚県)と、北朝時代の恒州代郡(現在の山西省大同市)がある。

沿革[編集]

戦国時代武霊王によって設けられた。

代、現在の河北省蔚県に代県を置いて郡治(郡役所)とした。内外の長城の間に置かれ、異民族防衛の要衝の地となる。

前漢の時代[編集]

州:幽州、戸数:56771、人口:278754人、県数:18

  • 桑乾県
  • 道人県
  • 当城県
  • 高柳県
  • 馬城県
  • 班氏県
  • 延陵県
  • 狋氏県
  • 且如県
  • 平邑県
  • 陽原県
  • 東安陽県
  • 参合県
  • 平舒県
  • 代県
  • 霊丘県
  • 広昌県
  • 鹵城県→雁門郡へ

新の時代[編集]

代郡は厭狄郡と改称され、郡治のあった代県は厭狄亭となった。

後漢の時代[編集]

州:幽州、戸数:20123、人口:126188人、城数:11

  • 高柳県
  • 桑乾県
  • 道人県
  • 当城県
  • 馬城県
  • 班氏県
  • 狋氏県
  • 北平邑県…永元8年(96年)に再編入
  • 東安陽県
  • 平舒県
  • 代県

建武25年(49年)、烏桓族の大人(たいじん:部族長)の郝旦(かくたん)らが後漢に朝貢すると、光武帝は彼らを幽州の各郡に居住させ、代郡にも烏桓族が住むようになる。建安年間では普富盧、能臣氐といった代郡烏桓が叛服した。

晋の時代[編集]

州:幽州、戸数:3400、県数:4

  • 代県
  • 広昌県
  • 平舒県
  • 当城県

西晋建興3年(315年)、鮮卑拓跋部大人の拓跋猗盧愍帝によって代王に封じられ、代国を建国した。平城(現在の山西省大同市)を都とし、現在の内モンゴル中部から山西省北端を治めた。376年前秦苻堅によって代国が滅ぼされると、一時は前秦領となり、後燕建興3年(388年)に廃止された。

北朝の時代[編集]

州:司州、後に恒州、県数:4

  • 平城県
  • 太平県
  • 武周県
  • 永固県

隋代[編集]

大業年間に代郡を設置、後に馬邑郡となる。

参考資料[編集]

  • 漢書』(地理志下)
  • 後漢書』(志第二十三 郡国五)
  • 晋書』(志第四 地理上)
  • 魏書』(志第五 地形志上)

関連項目[編集]