雍州

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中国地名の変遷
建置 古代
使用状況 713年
雍州
雍州
雍州
春秋 雍州
戦国 雍州
前漢 涼州
雍州
涼州
後漢 涼州
雍州
三国 雍州
西晋 雍州
東晋十六国 雍州
南北朝 雍州
雍州
京兆郡
雍州
京兆府

雍州(ようしゅう)は中国にかつて存在した

地理[編集]

現在の陝西省中部から北部、南東部を除く甘粛省青海省北東部から寧夏回族自治区一帯に比定される。

先秦時代[編集]

州名は州内の雍山、雍水による。

古代中国の九州とされ、その範囲は『爾雅』では「河西」、『尚書』では「黒水西河」とする。黄河陝西省山西省の境界付近を南から北に流れており、「河西」「西河」は黄河西岸を指す。『周礼』では「正西」すなわち中原から真西側にあたる地域であるとする。

漢代[編集]

漢初は雍州の州名は使用されず、この地域は涼州とされた。武帝の時代に雍州が設置されたこともあるが、まもなく廃されている。

後漢末の194年興平元年)、涼州4郡を分割し雍州が新設された。213年建安18年)、州名を古制に改めるとし雍州と涼州を統合、雍州としている。

魏晋南北朝時代[編集]

220年黄初元年)、禅譲により成立した魏朝は旧雍州地域に涼州を設置、旧涼州地域が雍州とされた。また文帝の時代に雍州西部に秦州を設置している。

西晋が成立すると州治は長安に移され、東晋の時代になると太元年間に華州としての雍州が設置されたが、554年、東晋を滅ぼした西魏はその版図内に同名州が存在することとなったため、僑州を襄州と改称している。北周が成立すると雍州は国都である長安の所在となり、長官は刺史の上位の州牧が設置され、唐朝に継承された。

またこれ以前の487年太和11年)、北魏により雍州西部に岐州を設置している。

隋代[編集]

605年大業元年)、宜州及び華州雍州に統合され8郡、26県を管轄していた。607年(大業3年)に郡制に改められ京兆郡と改称、22県を管轄するようになった。隋朝の行政区分に関しては下図を参照。

隋朝の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
雍州 宜州 華州 京兆郡
京兆郡 馮翊郡 扶風郡 咸陽郡 通川郡 宜君郡 雲陽郡 華山郡 大興県 長安県
鄠県 盩厔県
藍田県 新豊県
渭南県 高陵県
万年県 三原県
富平県 始平県
武功県 涇陽県
醴泉県 華原県
宜君県 同官県
雲陽県 鄭県
華陰県 上宜県
万年県
長安県
鄠県
盩厔県
藍田県
新豊県
渭南県
高陸県
広陽県
三原県
富平県
始平県
武功県
莫西県
涇陽県
寧夷県
石安県
泥陽県
土門県
宜君県
同官県
雲陽県 鄭県
華陰県
敷西県

唐代[編集]

713年開元元年)、雍州は京兆府と改称され、行政区画名としての雍州の名称は消滅した。

日本への影響[編集]

唐朝との日本の交流の中、雍州が長安の所在地であることより、日本の京師である山城国の雅称に転用し、そこから「雍尋城州」という異称も派生している。『雍州府志』も山城国の地誌である。

関連項目[編集]