日南郡

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日南郡(にちなん-ぐん)は、現在のベトナム中部に設置された中国古代の行政区画。漢代から唐代にかけて、断続的に設置された。語源は、太陽の影が南側にできる地という意である[1]

中国地名の変遷
建置 紀元前111年
使用状況 唐代に廃止
象郡
前漢 日南郡
日南亭
後漢 日南郡
三国 日南郡
西晋 日南郡
東晋十六国 日南郡
南北朝 日南郡
林邑国による占領
驩州
日南郡
南徳州
驩州
日南郡
廃止

歴史[編集]

秦代象郡とされたが、秦末の混乱により南越国が成立しこの地を支配していた。前111年前漢が南越国を滅ぼすとその版図に南海郡蒼梧郡鬱林郡合浦郡交趾郡九真郡日南郡珠崖郡儋耳郡、象郡の10郡を設置し、交州の管轄に置いた。当時の日南郡は下部に朱吾県比景県盧容県西巻県[2][3]を管轄し、馬援の南征後に新たに象林県[4]が設置され、1万4千余戸、人口6万9千人を擁していた。新朝が成立すると一時日南亭と改称されたが、後漢により日南郡の名称に戻されている[2]。当時は中国支配に対する反乱が相次ぎ多くの官寺が焼き討ちに遭うなどの混乱がたびたび発生している[5]。後漢末の西暦192年[6]区連による大規模な反乱が発生、象林県を支配下において林邑国(チャンパ王国)を建国している。

三国呉のとき、林邑国は盧容県を占領した。南朝梁のとき、林邑国が日南郡全域を支配下に置いた。

605年大業元年)、劉方が林邑国に遠征して日南郡の故地を奪回し、蕩州農州沖州の3州を置いた。607年(大業3年)、驩州九徳郡)が日南郡と改称された。日南郡は九徳咸驩浦陽越常金寧交谷安遠光安の8県を管轄した[7]

622年武徳5年)、唐の南徳州総管府が置かれた。625年(武徳8年)、徳州と改められた。627年貞観元年)、驩州と改められた。628年(貞観2年)、驩州都督府が置かれた。742年天宝元年)、驩州は日南郡と改称された。758年乾元元年)、日南郡は驩州と改称され、日南郡の呼称は姿を消した[8]

注釈[編集]

  1. ^ 『太平御覧』巻4に引く『山海経』逸文
  2. ^ a b 『漢書』地理志下
  3. ^ 『宋書』州郡志四
  4. ^ 『南史』夷貊伝上
  5. ^ 『後漢書』南蛮西南夷列伝
  6. ^ 137年説と192年説がある。
  7. ^ 隋書』地理志下
  8. ^ 旧唐書』地理志二