袁州
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袁州(えんしゅう)は中国にかつて存在した州。現在の江西省宜春市一帯に相当する。
隋代[編集]
591年(開皇11年)、袁州を設置し、宜陽県(598年に宜春県と改称)に州治を置く。607年(大業3年)、袁州を宜春郡と改称した。
隋朝の行政区画変遷 | |||||||||||
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区分 | 開皇11年 | 区分 | 大業3年 | ||||||||
州 | 袁州 | 郡 | 宜春郡 | ||||||||
郡 | - | 県 | 宜春県 萍郷県 新渝県 | ||||||||
県 | 宜陽県 萍郷県 新渝県 |
唐代[編集]
622年(武徳5年)、宜春郡を袁州と改称、627年(貞観元年)に全国を10道に分割した際には江南道、733年(開元21年)には江南西道の管轄とされた。746年(天宝5年)、宜春郡とされたが、758年(乾元元年)に再び袁州と改称された。
宋代[編集]
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元代[編集]
1276年(至元13年、袁州安撫司を設置、翌年には総管府に昇格し、宜春、分宜、万載、萍郷の4県を管轄した。1282年(至元19年)、袁州路と改編され江西行省の管轄とされた。1295年(元貞元年)には萍郷が州に昇格している。
下部行政区画は下記の通り
明清代[編集]
民国[編集]
中華民国が成立すると1914年(民国3年)に府制廃止に伴い袁州は廃止、管轄県は江西省廬陵道に移管された。
関連項目[編集]
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