欽州 (古代)

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欽州(きんしゅう)は、中国にかつて存在した隋代から民国初年にかけて、現在の広西チワン族自治区欽州市一帯に設置された。

概要[編集]

天監年間、南朝梁により設置された安州を前身とする。

598年開皇18年)、隋により安州は欽州と改称された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、欽州は寧越郡と改称された[1]

621年武徳4年)、蕭銑を滅ぼすと、寧越郡は欽州と改められた。742年天宝元年)、欽州は寧越郡と改称された。758年乾元元年)、寧越郡は欽州の称にもどされた。欽州は嶺南道の容管十州に属し、欽江保京霊山遵化内亭の5県を管轄した[2]

のとき、欽州は広南西路に属し、安遠・霊山の2県を管轄した[3]

1278年至元15年)、により欽州に安撫司が置かれた。1280年(至元17年)、欽州安撫司は欽州路総管府と改められた。欽州路は湖広等処行中書省に属し、安遠・霊山の2県を管轄した[4]

1369年洪武2年)、により欽州路は欽州府と改められた。1374年(洪武7年)、欽州府は欽州に降格した。1376年(洪武9年)、欽州は欽県に降格し、廉州府に属した。1381年(洪武14年)、再び欽県は欽州に昇格した。欽州は廉州府に属し、霊山県1県を管轄した[5]

1888年光緒14年)、により欽州は直隷州に昇格した。欽州直隷州は広東省に属し、防城県1県を管轄した[6]

1912年中華民国により欽州直隷州は廃止され、欽県と改められた。

脚注[編集]

  1. ^ 隋書』地理志下
  2. ^ 旧唐書』地理志四
  3. ^ 宋史』地理志六
  4. ^ 元史』地理志六
  5. ^ 明史』地理志六
  6. ^ 清史稿』地理志十九