絳州

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絳州(こうしゅう)は中国にかつて存在した州。

魏晋南北朝時代[編集]

北魏太武帝により設置された東雍州を前身とする。孝文帝により一旦廃止されたが、東魏により再設置された。560年武成2年)、北周により絳州と改称された。

隋代[編集]

隋朝が成立すると当初は3郡6県を管轄した。605年大業元年)に邵州廃止にともないその管轄県が統合された。607年(大業3年)、郡制施行に伴い絳州は絳郡と改称され下部に8県を管轄した。隋朝の行政区分に関しては下表を参照。

隋朝の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
絳州 邵州 晋州 絳郡
正平郡 絳郡 高涼郡 邵郡 平陽郡 北絳郡 正平県 聞喜県 曲沃県
絳県 稷山県 垣県
太平県 翼城県
臨汾県
聞喜県
曲沃県
絳県
小郷県
高涼県 亳城県
清廉県
蒲原県
太平県 北絳県

関連項目[編集]

注釈[編集]