趙州

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

趙州(ちょうしゅう)は、中国にかつて存在した南北朝時代から民国初年にかけて、現在の河北省石家荘市一帯に設置された。

魏晋南北朝時代[編集]

北魏が広阿城に設置した殷州を前身とする。北斉により趙州と改称された。

隋代[編集]

初には、趙州は下部に2郡4県を管轄した。590年開皇10年)に廉州596年(開皇16年)に欒州が分割設置されたが、605年大業元年)にそれぞれ廃止され、趙州に統合された[1]607年大業3年)、郡制施行に伴い、趙州は趙郡と改称され、下部に11県を管轄した[2]。隋朝の行政区分に関しては、下表を参照。

隋朝の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
趙州 定州 趙郡
趙郡 南趙郡 巨鹿郡 平棘県 高邑県 廮陶県
大陸県 藁城県 元氏県
房子県 欒城県 賛皇県
柏郷県 鼓城県
平棘県 高邑県
廮遥県
広阿県 高城県

唐代[編集]

618年武徳元年)、張志昂に帰順すると、趙郡は趙州と改められた。742年天宝元年)、趙州は趙郡と改称された。758年乾元元年)、趙郡は趙州と改称された。趙州は河北道に属し、平棘・寧晋昭慶・柏郷・高邑・臨城・賛皇・元氏の8県を管轄した[3]

宋代[編集]

1119年宣和元年)、北宋により趙州は慶源府に昇格した。慶源府は河北西路に属し、平棘・寧晋・臨城・高邑・隆平・柏郷・賛皇の7県を管轄した[4]

1127年天会5年)、慶源府はに降った[5]1129年(天会7年)、慶源府は趙州の称にもどされた。1151年天徳3年)、沃州と改められた。沃州は河北西路に属し、平棘・臨城・高邑・賛皇・寧晋・柏郷・隆平の7県と奉城鎮を管轄した[6]

元代[編集]

により沃州は趙州の称にもどされた。趙州は真定路に属し、平棘・寧晋・隆平・臨城・柏郷・高邑・賛皇の7県を管轄した[7]

明代以降[編集]

のとき、趙州は真定府に属し、柏郷・隆平・高邑・臨城・賛皇・寧晋の6県を管轄した[8]

1724年雍正2年)、により趙州は直隷州に昇格した。趙州は柏郷・隆平・高邑・寧晋・臨城の5県を管轄した[9]

1913年中華民国により趙州は廃止され、趙県と改められた。

脚注[編集]

  1. ^ 『隋書』地理志では、596年に設置された欒州が、607年に趙州と改称したとされるが、本記事では『元和郡県志』の記述を採用する。
  2. ^ 隋書』地理志中
  3. ^ 旧唐書』地理志二
  4. ^ 宋史』地理志二
  5. ^ 金史』太宗紀
  6. ^ 『金史』地理志中
  7. ^ 元史』地理志一
  8. ^ 明史』地理志一
  9. ^ 清史稿』地理志一