綿州

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綿州(めんしゅう)は、中国にかつて存在した隋代から民国初年にかけて、現在の四川省綿陽市一帯に設置された。

南北朝時代[編集]

552年廃帝2年)、西魏により設置された潼州を前身とする。

隋代[編集]

隋初には、潼州は3郡8県を管轄した。585年開皇5年)、綿州と改められた。607年(大業3年)、郡制施行に伴い、綿州は金山郡と改称され、下部に7県を管轄した[1]。隋朝の行政区分に関しては、下図を参照。

隋朝の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
潼州 金山郡
巴西郡 万安郡 安城郡 巴西県 昌隆県 魏城県
金山県 神泉県 万安県
涪城県
巴西県 昌隆県
魏城県 金山県
益昌県 西充国県
万安県 涪城県

唐代[編集]

618年武徳元年)、により金山郡は綿州と改められた。742年天宝元年)、綿州は巴西郡と改称された。758年乾元元年)、巴西郡は綿州の称にもどされた。綿州は剣南道に属し、巴西・涪城・昌明・魏城・羅江・神泉・塩泉龍安西昌の9県を管轄した[2]

宋代[編集]

のとき、綿州は成都府路に属し、巴西・彰明・魏城・羅江・塩泉の5県を管轄した[3]

元代[編集]

のとき、綿州は潼川府に属し、彰明・羅江の2県を管轄した[4]

明代以降[編集]

1370年洪武3年)、により綿州は成都府に転属した。1377年(洪武10年)、綿州は綿県に降格した。1380年(洪武13年)、綿県は再び綿州に昇格した。綿州は羅江・彰明の2県を管轄した[5]

1727年雍正5年)、により綿州は綿州直隷州に昇格した。綿州直隷州は四川省に属し、徳陽綿竹梓潼・羅江の5県を管轄した[6]

1913年中華民国により綿州は廃止され、綿陽県と改められた。

脚注[編集]

  1. ^ 隋書』地理志上
  2. ^ 旧唐書』地理志四
  3. ^ 宋史』地理志五
  4. ^ 元史』地理志三
  5. ^ 明史』地理志四
  6. ^ 清史稿』地理志十六