恒州 (河北省)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
真定府から転送)
ナビゲーションに移動 検索に移動
中国地名の変遷
建置 北周
使用状況 1913年廃止
南北朝恒州
恒州
恒山郡
高陽郡に統合
恒山郡
恒州
常山郡
平山郡
恒州
鎮州
五代鎮州
真定府
鎮州
恒州
鎮州
真定府
鎮州
北宋/鎮州
真定府
南宋/真定府
真定路
真定府
真定府
正定府
中華民国廃止

恒州(こうしゅう)は中国にかつて存在した州。

魏晋南北朝時代[編集]

北周により恒州が設置された。

隋代[編集]

隋朝恒州を設置、下部に2郡5県を管轄した。607年大業3年)、郡制施行に伴い恒州は恒山郡と改称[1]され下部に8県を管轄した。613年(大業9年)に恒山郡は廃止となり高陽郡に統合されたが、617年義寧元年)に再び設置されている。隋朝の行政区分に関しては下表を参照。

隋朝の行政区画変遷
区分 開皇元年 区分 大業3年
恒州 定州 恒山郡
常山郡 蒲吾郡 鮮虞郡 真定県 井陘県 霊寿県
行唐県 九門県 滋陽県
石邑県 房山県
真定県 井陘県 霊寿県 蒲吾県
行唐県
新市県

唐代[編集]

618年武徳元年)、唐朝は恒山郡を廃止し恒州を設置した。742年天宝元年)には常山郡と改称、756年(天宝15年)には平山郡と改称された。758年乾元元年)、郡制廃止に伴い平山郡は再び恒州と改称、821年長慶元年)正月には穆宗の諱を避けるべく鎮州と改称された。

五代十国時代[編集]

923年同光元年)4月、後唐は鎮州を真定府と改編したが11月には再び鎮州に戻されている。942年天福7年)、後晋は鎮州を恒州と改称している。続いて後漢が建朝されると947年(天福12年)に再び鎮州948年乾祐元年)に真定府と改称された。後周が成立すると951年広順元年)に鎮州とめまぐるしく改称されている。

宋代以降[編集]

宋朝が成立すると当初は鎮州が設置されたが、1048年慶暦8年)に真定府と改称され、金朝に踏襲された。モンゴル帝国がこの地を支配した後は 、1229年真定路と改称、明朝が成立した1368年洪武元年)に真定府と改称された。清代になると1723年雍正元年)に雍正帝の諱を避けるべく正定府と改称され、清末まで沿襲された。中華民国が成立すると1913年民国2年)の府制廃止に伴い正定府は廃止された。

鎮州、真定府、正定府などの中心が置かれたのは正定県であったが、やがて鉄道駅のできた石家荘の町が大きくなり、地域の中心の地位を正定から奪った。

関連項目[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『元和郡県志』では大業9年に恒州が廃止となり高陽郡に統合されたとあるが、これは誤りである。