穆宗(ぼくそう)は、唐朝の第15代皇帝。憲宗の三男。
初名は宥であったが、元和7年(812年)に立太子された際に恒と改名した。元和15年(820年)に父帝が宦官の王守澄によって殺害されると、王守澄によって皇帝に擁立された。史書によれば主体性に欠け、享楽に耽る生活を送っていた。このため穆宗の代に宦官による専横がさらに顕著化し、牛李の党争と呼ばれる官僚らの派閥闘争が激化した。自らの長命のために道士が勧めた金丹による中毒により、30歳にして崩御した。
- 王妃(恭僖皇后)
- 蕭氏(貞献皇后)
- 韋貴妃(宣懿皇后)
- 武貴妃
- 楊賢妃
- 張昭儀
唐の第15代皇帝(820年 - 824年) |
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高祖 618–626 / 太宗 626–649 / 高宗 650–683 / 中宗 684 / 睿宗 684–690 / 中宗 (重祚) 705–710 / 殤帝 710 / 睿宗 (重祚) 710–712 / 玄宗 712–756 / 粛宗 756–762 / 代宗 762–779 / 徳宗 780–805 / 順宗 805 / 憲宗 806–820 / 穆宗 821–824 / 敬宗 824–826 / 文宗 826–840 / 武宗 840–846 / 宣宗 846–859 / 懿宗 859–873 / 僖宗 873–888 / 昭宗 888–904 / (徳王 900–901) / 哀帝 904–907
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