建寧府

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福建省の建寧府の位置(1820年)

建寧府(けんねいふ)は、中国にかつて存在した宋代から民国初年にかけて、現在の福建省南平市一帯に設置された。

概要[編集]

1162年紹興32年)、南宋により建州が建寧府に昇格した。建寧府は福建路に属し、建安甌寧建陽崇安浦城松渓政和の7県と豊国監を管轄した[1]

1279年至元16年)、のとき、建寧府は建寧路と改められた[2]。建寧路は江浙等処行中書省に属し、録事司と建安・甌寧・建陽・崇安・浦城・松渓・政和の7県を管轄した[3]

1368年洪武元年)、により建寧路は建寧府と改められた。建寧府は福建省に属し、建安・甌寧・建陽・崇安・浦城・松渓・政和・寿寧の8県を管轄した[4]

のとき、建寧府は福建省に属し、建安・甌寧・建陽・崇安・浦城・松渓・政和の7県を管轄した[5]

1913年中華民国により建寧府は廃止された。

脚注[編集]

  1. ^ 宋史』地理志五
  2. ^ 元史』世祖紀七
  3. ^ 『元史』地理志五
  4. ^ 明史』地理志六
  5. ^ 清史稿』地理志十七