興元府

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興元府(こうげんふ)は、中国にかつて存在した唐代から初にかけて、現在の陝西省漢中市一帯に設置された。

概要[編集]

784年興元元年)、唐により梁州が興元府に昇格した。興元府は山南西道に属し、南鄭褒城城固西金牛三泉の6県を管轄した[1]

北宋のとき、興元府は利州路に属し、南鄭・城固・褒城・西の4県を管轄した。1134年紹興4年)、南宋により廉水県が加増された[2]

のとき、興元府は興元路総管府と改められた。興元路は陝西等処行中書省に属し、南鄭・城固・褒城・西郷の4県と鳳州洋州金州の3州を管轄した[3]

1370年洪武3年)、により興元路が漢中府と改められた[4]

脚注[編集]

  1. ^ 旧唐書』地理志二
  2. ^ 宋史』地理志五
  3. ^ 元史』地理志三
  4. ^ 明史』地理志三