肥後克広

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
肥後 克広
本名 肥後 克広
ニックネーム リーダー
生年月日 (1963-03-15) 1963年3月15日(53歳)
出身地 日本の旗 日本沖縄県那覇市
血液型 AB型
身長 179cm
方言 共通語沖縄弁
最終学歴 沖縄県立那覇工業高等学校
師匠 杉兵助
出身 渋谷道頓堀劇場
トリオ名 ダチョウ倶楽部
相方 寺門ジモン上島竜兵
芸風 コントものまね など
立ち位置 中央
事務所 太田プロダクション
活動時期 1985年 -
同期 ウッチャンナンチャン
中山秀征 など
現在の代表番組 徳光&史朗の暴走おやじアナ
過去の代表番組 志村けんのだいじょうぶだぁII(深夜シリーズ)
志村劇場
志村座
朝はビタミン! など
配偶者  既婚
親族 肥後DNA(長男)
肥後千暁(長女)

肥後 克広(ひご かつひろ、1963年3月15日戸籍上) - )は、日本お笑い芸人であり、ダチョウ倶楽部のリーダー。

沖縄県那覇市出身。太田プロダクション所属。愛称は「ヒゴンヌ」(竜兵会土田晃之らが主に使用)。志村けんからは「克っちゃん」とも呼ばれる。沖縄県立那覇工業高等学校卒業。身長179cm、体重72kg。長男は元「ジュモンれもん」ボケ担当で現「ドレミ倶楽部」メンバーの肥後DNA、長女は肥後千暁で、共に同じく太田プロダクション所属。

来歴[編集]

那覇市に三人兄弟の末子(上は姉2人)として出生。肥後自身は「お笑いタレント」としての立場上多くは語らないが生家は経済的に苦しかった上、肥後の実父が病気で早世するなど少年時代は母と二人の姉ともども苦労が多かった。母親は奄美大島出身。

生年月日は1963年3月15日としているが、実際には産まれたのが7ヵ月早く、1962年8月15日[1]。詳しい理由は今となっては不明だが、実際には寺門ジモン(1962年11月25日生)より早く生まれていてメンバー最年少でなかったことも判明した[2]

商業デザイナーとして就職・活動するもお笑い修行のため辞職、ダチョウ倶楽部結成以前からコント赤信号の活動に参加したり、映画にチョイ役で出演していた。なお、南部虎弾の脱退で(戸籍上は)メンバー最年少にもかかわらずリーダーとなったが、ネタやものまねを最終的にまとめるのは彼の役目であり、彼らのギャグのように「背の高さだけでリーダーをやっている」わけではない。

中村正人に容姿が似ており、肥後と中村はお互いこれをネタにしている。映画「アマレット」では肥後が「ドリカムの中村正人」を演じているが、これは中村の希望によるものだった。

私生活では元女優だった夫人とブレイク前に結婚、上島竜兵の婚約直前に妻と一男一女があることを発表し話題となった。その後もう一人女児を授かり現在は三児の父である。また沖縄に住んでいる実母(一般人)もたびたびバラエティー番組に登場したが、2010年3月に死去。長女の千暁は、2010年1月5日放送の「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」に当時は素人として登場し、中島美嘉の歌マネを披露、同年3月30日では肥後のいるダチョウ倶楽部と対戦した。ここで千暁は太田プロに入ったことを発表する。

コントネタの際に見られる姿は主にツッコミだが、それ以外ではボケに回ることが多い。トリオとして揃ってものまねネタを行う際には大オチとして寺門・上島から同時にツッコミを受けるパターンがお約束となり、2004年10月から開始された『志村通』のコーナードラマ『志村運送物語』ではメインの志村けんを困らせるお向かいの幼なじみ役を演じ、その後も設定等を変え『志村屋です。』『志村軒』に至った。

有吉弘行に付けられたあだ名は、「絞りカス」。

ものまねレパートリー[編集]

ほか

出演[編集]

過去[編集]

映画[編集]

書籍[編集]

  • 「なんくるないサー!オッカーと僕とアメリカだった沖縄と」(晋遊舎発行)

脚注[編集]

  1. ^ 単行本「竜兵会―僕たちいわばサラリーマンです。出世術のすべてがここに」内のプロフィールでは1962年8月15日となっている
  2. ^ 2010年8月29日放送の「24時間テレビ」より[出典無効]
  3. ^ 映画「アマレット」- Introduction http://www.dctgarden.com/amoretto/

関連項目[編集]

外部リンク[編集]