桑野信義

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くわの のぶよし
桑野 信義
本名 桑野 信義(くわの のぶよし)
生年月日 1957年4月4日(59歳)
出生地 日本の旗 日本 東京都
血液型 B型
職業 歌手
タレント
お笑いタレント
俳優
作詞家
ジャンル ミュージシャン(J-POPジャズ
トランペッター
テレビ番組
テレビドラマ
活動期間 1980年 -
1986年 - (バラエティ・タレント)
活動内容 1980年鈴木雅之らとシャネルズ(後のラッツ&スター)を結成
1986年:タレント活動を開始
配偶者 既婚(離婚歴あり)
公式サイト JAPAN MUSIC ENTERTAINMENT(桑野信義 タレントページ)
桑野信義&MASAオフィシャルブログ ボクらのじゆうけんきゅう おわらないなつやすみ
主な作品
バラエティ
志村けんのバカ殿様
志村けんのだいじょうぶだぁ

桑野 信義(くわの のぶよし、1957年4月4日[1] - )は、日本お笑いタレントミュージシャントランペット奏者)。「ラッツ&スター」メンバー。東京都出身[1]愛称桑マン(クワマン)

略歴[編集]

生誕から高校卒業まで[編集]

1957年4月4日、東京都で出生。父親はプロトランペッターの先名信勝(本名・桑野信勝)。祖父は軍隊ラッパ手をしていた人物で、桑野曰く「ある意味、親子3代ラッパを生業とした家」。

正則高等学校卒業。ジャズトランペッターとなった。その後、シャネルズ(後のラッツ&スター)に参加したのは、幼稚園から中学校まで一緒だったリーダーの鈴木雅之から「サックスが抜けたので手伝ってくれ」と言われたことがきっかけである。

その頃桑野は渋谷のグランドキャバレーでトランペットを吹いて月18万ほど稼いでいたが、シャネルズはまだアマであり他メンバーが昼間働いていたため、桑野もそれにならってキャバレーを辞め、昼間の様々な仕事をしたが、トラックの配送業務は会社を出れば束縛されないことに気づき、凸版印刷西濃運輸で仕事をしたという[2]

シャネルズ結成からラッツ&スター活動休止まで[編集]

1975年、鈴木雅之らとともにシャネルズ結成。

1977年、YAMAHA「EAST WEST'77」出場し入賞。予選からサザンオールスターズと競い合う。1978年、YAMAHA「EAST WEST'78」出場。優秀グループ賞受賞。同年、大瀧詠一「LET'S ONDO AGAIN 」に2曲参加。1980年2月25日、「シャネルズ」のメンバーとして『ランナウェイ』でデビュー。110万枚の大ヒット。その後『街角トワイライト』、『トゥナイト』、『ハリケーン』と数々のヒットを生む。

1983年4月1日、グループ名を「ラッツ&スター」に改名。改名後初のシングル『め組のひと』が60万枚を超える大ヒット。1986年頃、ラッツ&スター活動休止。メンバーそれぞれがソロワークを始める。1987年鈴木聖美のデビューに参加(鈴木聖美 with Rats&Star)。

バラエティタレントとして[編集]

1980年代後期、田代まさしと共にバラエティに進出し、1987年にスタートした『志村けんのだいじょうぶだぁ』で本格的なお笑いの仕事を行うようになった。当初は「田代の付き添い」というイメージが先行したが、『だいじょうぶだぁ』の番組人気が上がると共に桑野個人としての人気も高まり、志村けんから実力を認められる仲にまでなった。

ものまね王座決定戦』などでものまねタレントとしても活動(最初はラッツ&スターで出場、その後田代とのコンビ出場を経て単独出場に)。当初は田代の付き合い程度でものまね自体は全然似ておらず毎度一回戦敗退が当たり前の賑やかし的な存在だった[3]。単独出場になってからも当初は毎回高島忠夫で出場しお決まりの「イエーイ」のポーズでフレーズを連呼するだけの賑やかし役のままだった。しかしその進歩のなかった芸に行き詰まりを感じて考えを改め、岡千秋の唄い方を真剣に研究して『ものまね王座』で披露したところ敗退ではあったものの過去最高の得点を記録し僅差勝負まで持ち込んだ。これ以降真剣に取り組むようになり、ラッシャー木村和田勉などの代表作を生み出してたびたび決勝まで進むなど上位争いにも喰い込む存在となり、『だいじょうぶだぁ』でも積極的にネタを掛けるなど持ち芸として確立している。[4][5]

ラッツ&スター再集結から現在[編集]

1996年4月22日、ラッツ&スター再集結。11年ぶりのシングル『夢で逢えたら』を発売。代々木第一体育館等でコンサートを行なう。この年NHK紅白歌合戦に初出場。

2005年、「情熱大陸Special Live」において「ゴスペラッツ」(ラッツ&スター(鈴木雅之、佐藤善雄、桑野信義)+ゴスペラーズ(村上てつや、酒井雄二))結成。2006年4月19日、デビューアルバム「ゴスペ☆ラッツ」リリース。オリコンデイリーチャートで初登場1位を獲得。

その後、タレント業のほか舞台や音楽活動などを行っている。

人物[編集]

  • ラッツ&スターでは専ら演奏担当だが、ラッツ&スターのアルバムにおいてリードボーカルを担当している曲もある。2003年にはエピックレコードジャパン25周年記念イベント「LIVE EPIC 25」に参加。
  • 地元・蒲田を愛し、テレビ東京で放送される『出没!アド街ック天国』の蒲田、蒲田2、梅屋敷の回、および『空から日本を見てみよう』の京急線スペシャルの回にゲスト出演している。
  • 離婚歴がある。息子は桑野将直(masa)で、最初の妻との間に出来た子である。二番目の妻との間には一男一女をもうけている。
  • シャネルズおよびラッツ&スター在籍当時は、比較的スリムな体型であった。トレードマークの髭はこの頃から蓄えていた。
  • 調理の心得があり、現在でも子供の弁当を自ら作っている(本人のブログでその弁当を披露することが多い)。

出演作品[編集]

テレビ番組[編集]

バラエティ番組[編集]

テレビドラマ[編集]

その他[編集]

  • SG競艇LIVE - 競艇場リポーター ※準優勝戦以外の中継ではスタジオにコメンテーターとして登場することがある。
  • くわまんのパチ☆パチ☆パラダイム(東京MXテレビ
  • くわまんのパチパチTV→くわまんのパチラックスTV(テレ玉
  • 燃ゆる大阪の祭 船待神社 西湊之変

ラジオ番組[編集]

映画[編集]

PV[編集]

舞台[編集]

ものまねレパートリー[編集]

など

作品[編集]

著書[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 桑野信義”. ジャパン・ミュージックエンターテインメント. 2015年4月26日閲覧。
  2. ^ 日刊ゲンダイ2015年6月6日号より。
  3. ^ しかし『第18回オールスターものまね王座決定戦』ではラッツ&スターとして、『第19回オールスターものまね王座決定戦』では田代とのコンビで優勝を果たしている。
  4. ^ ものまね自体に真剣に取り組む一方で元ネタを活かしてギャラリーを楽しませるための小ネタを開発し、桑野のものまねならではの特徴としている。 例えば
    • 藤島桓夫「月の法善寺横丁」:「包丁一本 さらしに巻いて」という歌詞を活かして衣装に包丁1ダース分12本を仕込んでおいて1本ずつ取り出しながら「包丁一本 包丁二本…」と最後まで包丁を数えるだけの歌詞にしてしまう
    • ルイ・アームストロングのものまね:本業のトランペットの腕前を活かして演奏で聴かせつつもよく聴いてみると歌詞が「いやんばかん」そのままだったりする
    • 西城秀樹傷だらけのローラ」:歌詞の「ローラ」に語感の似た小道具(ローラー、モーラー、甲羅、コアラ、カーラー、コーラ)を仕込んでそれを延々と歌い上げる歌詞にしてしまう
    • ものまね対象人物の名前や代表的なセリフに語感が似た歌詞を含む曲を使って替え歌化、または逆に歌わないで全編語り芝居(しかしその内容は歌詞の流れに沿ったもの)にしてしまう
    しかしいずれも本人そっくりの演技で魅せる場面を作っており、独特の芸風として確立するに至っている。
  5. ^ この桑野の活躍が刺激となり、当時同じく賑やかし役扱いだったダチョウ倶楽部も一念発起して肥後演じる森本レオを披露して評価を一変させた。

外部リンク[編集]