傷だらけのローラ

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傷だらけのローラ
西城秀樹シングル
初出アルバム『傷だらけのローラ/西城秀樹
B面 淋しがりやの君
リリース
規格 EP
ジャンル アイドル歌謡曲
時間
レーベル RCA ⁄ ビクター音楽産業
作詞・作曲 作詞:さいとう大三
作曲:馬飼野康二
ゴールドディスク
チャート最高順位
  • 2位(オリコン
  • 1974年度年間34位(オリコン)
  • 週間48位(Billboard Japan Hot 1002018年
  • 西城秀樹 シングル 年表
    激しい恋
    1974年
    傷だらけのローラ
    (1974年)
    涙と友情
    (1974年)
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    傷だらけのローラ」(きずだらけのローラ)は、1974年8月25日にリリースされた西城秀樹の10枚目のシングルである。

    解説[編集]

    • さいとう大三の作詞による初めての作品で、「ちぎれた愛」、「愛の十字架」に続く「愛」をテーマにした絶唱型の楽曲。
    • 西城秀樹はこの曲で「ちぎれた愛」に続いて、第16回日本レコード大賞で2年連続して歌唱賞を受賞する。これは演歌歌手青江三奈森進一五木ひろし)を除き、ポップス歌手では史上初の事であった。
    • 実際には、前曲『激しい恋』の前にレコーディングされていたが、曲調により秋に勝負曲としてリリース。
    • この曲で『第25回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たすが、当日のステージ上では日本のテレビ音楽番組として初めて『CO2ボンベでドライアイス・スモークを噴出させる』演出を行って観客や視聴者を驚かせた[1][2]怪傑ゾロの衣装でアイドルなのに顔を隠して登場するという前代未聞の演出を行い、伝説の"名唱"とも言われたが[1][2]、実は1974年の秋ごろから声の調子が悪く[3][4]、1974年の暮れに音楽番組の関係者に「声の伸びが、ちょっと足らないみたいな気がする」と指摘されたため[4]国立東京第二病院で診察を受けると、声帯が痛んでおり、放っておくと悪化すると診断され、手術の必要はないが声帯を治すには、声を出さずに休養をとることが最良の治療法と入院を勧められた[3][4]。西城は1975年の自身に課したテーマとして"アプローチ・ツー・ザ・ワールド(世界に挑戦)"という雄大な目標を据え[4]、1975年2月1日から二週間の予定でアメリカロサンゼルスへ行き、レコーディングを予定していたが[4]、苦渋の決断を下しアメリカ行きをキャンセル、この間、同病院に検査入院した[3][4]
    • 西城秀樹の初の海外進出作品として、1975年1月17日フランス語版のレコーディングが行われ、2月15日には、フランススイスベルギーの各国で、3月31日にはカナダ[5]発売された[5]。特にカナダではヒットチャート第2位にランクインされた。国内でも1975年4月15日にフランス語版の「LOLA」がリリースされている。
    • カナダで本曲が発売された経緯は、1974年8月に第3回東京音楽祭出場で来日したカナダで大人気だったティーン歌手・ルネ・シマールが「傷だらけのローラ」に痺れて、「カナダの人たちに『傷だらけのローラ』を聞かせたい」とルネのマネージャー・ギィ・クルティエと西城サイドで話し合われ、西城がフランス語でレコーディングをしてカナダやフランスで発売しようと話がまとまった[6]。ギィ・クルティエはルネのマネージャー兼カナダのノーベル・レコードのオーナーだった[5]。前述のように1975年の1月17日にレコーディングは終えたが、冬のカナダはカーニバルシーズンで、各地でカーニバルが展開され、国民の関心はカーニバルに集中して音楽活動は盛んでなく[5]、「傷だらけのローラ」がホットでエネルギッシュな曲のため、寒い冬のイメージではないことから発売を延ばし、カナダでは1975年3月31日にレコードが発売された[5]
    • 1988年9月16日ソウル五輪の前夜祭で西城は「傷だらけのローラ」を歌った。韓国で初めて日本語の歌がオフィシャルに放映(KBS)され、世界137か国にもその映像が衛星中継された。

    収録曲[編集]

    1. 傷だらけのローラ
    2. 淋しがりやの君

    リサイタル[編集]

    カヴァー[編集]

    傷だらけのローラ[編集]

    脚注[編集]

    1. ^ a b “西城秀樹の歴史的お宝作品が発売! NHK紅白では怪傑ゾロの衣装でハプニングも/芸能ショナイ業務話”. サンケイスポーツ. 産業経済新聞社. (2017年9月16日). http://www.sanspo.com/geino/news/20170916/geo17091611110016-n1.html 2018年5月17日閲覧。 
    2. ^ a b 安川達也 (2017年). “ベテランプロデューサー・尾形靖博 『HIDEKI NHK Collection 西城秀樹~若さと情熱と感激と~』を語る”. otonano (ソニー・ミュージックダイレクト). オリジナル2018年5月22日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20180522084148/http://www.110107.com/s/oto/page/hideki_DVD_interview?ima=0000&oto=ROBO004 2018年5月31日閲覧。 
    3. ^ a b c 「ヒデキスペシャル報告 西城秀樹初公開の友情秘話」、『近代映画』1975年5月号、近代映画社、 73 - 77頁。
    4. ^ a b c d e f 「《2月1日~15日》西城秀樹 "アメリカ行き"が突然中止 なぜ? 絶唱型歌手の宿命として」、『週刊セブンティーン』1975年2月11日号、集英社、 27–29頁。
    5. ^ a b c d e 「西城秀樹 誕生日にヒデキがキミとする3つの約束 4月13日に20歳をむかえる西城秀樹のある計画 約束1 専属のロックバンドを作る! 約束2 世界の舞台で『西城秀樹ショー』」、『週刊セブンティーン』1975年4月22日号、集英社、 54–57頁。
    6. ^ 「男の子の友情対談 ルネ・西城秀樹 ヒデキをカナダに紹介しようよー ルネのアイデアでヒデキの歌がカナダに流れる カナダの女の子たち きっとヒデキを愛しちゃうよ」、『月刊明星』1974年12月号、集英社、 86-87頁。

    関連項目[編集]