明星中学校・高等学校 (大阪府)
明星中学校・高等学校 | |
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北緯34度40分19.5秒 東経135度31分32.7秒 / 北緯34.672083度 東経135.525750度座標: 北緯34度40分19.5秒 東経135度31分32.7秒 / 北緯34.672083度 東経135.525750度 | |
過去の名称 |
明星学校 (1898) 明星商業学校 (1900) 明星工業学校 (1944) 明星商業学校 (1945) 明星中学校 (1946) |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人大阪明星学園 |
校訓 |
地の塩・世の光 よき明星紳士たれ! |
設立年月日 | 1898年9月1日 |
創立者 | ヨゼフ・ウォルフ(マリア会) |
共学・別学 | 男女別学(男子校) |
中高一貫教育 | 併設型 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
学校コード |
C127310000050 中学校) D127310000085 (高等学校) | (
高校コード | 27523K |
所在地 | 〒543-0016 |
外部リンク | 大阪明星学園 明星中学校・明星高等学校 |
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明星中学校・高等学校(めいせいちゅうがっこう・こうとうがっこう、英: Meisei Junior/Senior High School)は、大阪府大阪市天王寺区餌差町にある私立中学校・高等学校。
マリア会が日本で3校目に設立したカトリックを教義とするミッションスクールで、大阪府で唯一の明治から続く男子校である。
概要
大阪で明治期に設立された中等教育の学校は、キリスト教主義学校が多くほとんどが女子校で、本校は現在まで男子校である唯一の学校である。
フランスのマリア会が設立したカトリックによるミッションスクールで、暁星中学・高校、海星中学・高校 (長崎県)、札幌光星中学・高校と同じく聖母マリアを示す”星”を中心に据え、「明星」に学ぶ生徒たちを見守る「聖母マリア像」を頂く。
1903年(明治36年)に現在地へ移転し、当初は外国語学校のちに高等小学校を開くがいずれも生徒募集に苦労する。商都である大阪の立地を考慮して商業学校として再開すると、次第に評価を得て校舎が手狭になった[1]。
かつては野球部が私学7強として有名で、1963年(昭和38年)に第45回全国高等学校野球選手権大会で優勝し、以後の10年で夏の甲子園に5回出場する。サッカー部も1965年(昭和40年)の第44回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝する。当時は入試でスポーツ推薦枠もあったが、現在は廃止されている。
昭和50年代から進学校として東大、京大、阪大、神大、関関同立などに合格者を輩出する。
2012年度入学生から6か年課程と3か年課程それぞれにコース制を再開して週6日制を採る。
近隣に高等学校や中高一貫校が多い。現校地は、大坂冬の陣・夏の陣の折に真田幸村が構築したとされる大阪城の出城であった真田丸が所在した地の跡地に当たると比定され、顕彰碑を敷地内に設置している[2][3]。
沿革
- 1898年 - 日本マリア会管区長ヘンリックより初代校長ウォルフに学校設立の命が与えられ、大阪市西区江戸堀北通1丁目(現:江戸堀1丁目)に「明星学校」が設立。
- 1901年 - 大阪市南区千年町(現:中央区東心斎橋2丁目)に移転。生徒数50人。
- 1902年 - 文部省より甲種商業学校に認定。「明星商業学校」となる。
- 1903年 - 大阪市東区餌差町(現:天王寺区餌差町)の現在の敷地(真田丸跡)を購入。第1回卒業式挙行(卒業生5人)。生徒数238人。
- 1904年 - 現在の校地に移転。木造校舎が落成。以後、増改築を重ねる。
- 1905年 - 第1回陸上大運動会(現在の体育祭)開催。
- 1908年 - 「明星商業学校同窓会」発足。
- 1915年 - 図書館開設。
- 1944年 - 「明星工業学校」に転換。
- 1945年 - 戦災により、木造校舎が全焼。
- 1946年 - 明星中学校(旧制)として再建。
- 1947年 - 新制明星中学校設立。
- 1948年 - 新制明星高等学校設立。
- 1951年 - 学校法人大阪明星学園設立。
- 1952年 - マリア会総長ジョルゲンス師来校。
- 1957年 - マリア会教育長フェリー師来校。聖母像除幕式挙行。
- 1958年 - 新校舎落成。
- 1963年 - 第45回全国高等学校野球選手権大会優勝。
- 1965年 - 第44回全国高等学校サッカー選手権大会優勝。
- 1969年 - 明星会館落成。
- 1979年 - 第4回全日本高等学校選抜ソフトテニス大会優勝。
- 1983年 - 第8回全日本高等学校選抜ソフトテニス大会優勝。
- 1992年 - 第15回全日本アンサンブルコンテスト金賞受賞。
- 2002年 - 中高一貫教育コースである、「エスポアール」設置。
- 2005年 - 高校新入課程のI類・II類を廃止し、高校に「ルミエール」新設。
- 2012年 - 「エスポアール」「ルミエール」制を廃止し、「6カ年一貫コース(特進コース・英数コース)」・「3カ年コース(文理選抜・文理)」設置。
- 2016年 - 2月1日、敷地内に真田丸の跡地として顕彰碑が設立される[2][3]。
- 2023年 - 創立125周年を迎える。
特色
- 卒業生は3万人を超える。
- フランスのマリア会を母体としている。
- 校名は聖母マリアの称号の一つである「明けの明星(みょうじょう)」に由来する。校章は、聖母マリアの象徴である「星」を中央に据え、聖母マリアの勝利の「月桂樹」を周りに配したものである。
- 制服は金ボタン7個の黒詰襟学生服。1995年までは制帽もあった。
- 全教室に「地の塩、世の光」という聖句と絵画が入った額縁と、マリア像が描かれた時計が飾られている。
- 正門横に、聖堂がありクリスマスなどにミサを催す。
- 授業開始のベルは校歌、授業終了のベルは「アヴェ・マリア」をそれぞれ用いる。
- 25mプール、大講堂、聖堂、638席ある食堂、3つの体育館、2つのICT教室、広いグラウンド、クラブハウス、4面のオムニコート、蔵書5万冊の図書館など様々な設備が充実している。エレベーター、地下駐車場、職員トイレは、生徒の利用が禁止である。
- 長髪、染髪、脱色などは禁止で、月毎に1回頭髪検査を実施する。
- 自転車通学は禁止である。
- 携帯電話の持ち込みは禁止されていたが、2018年6月の大阪府北部地震を受けて、許可制で持込可となった。登校後は個々人のロッカーへ収めることが指導され、持ち込み許可を受けた場合でも校内および登下校中の使用は緊急時以外禁止されている。
- 年1回の体育祭は、「ビン釣り競走」「ラケット玉運び」「そろそろいそげ」など本校特有の競技がある。
教育課程
本校は履修漏れが無いことが確認済みである。大学受験に影響が低い教科や科目は、卒業に必要な最低限度を履修する。
中学2学年終了時までに数学、英語、国語の中学課程を学習する。
2012年にエスポアールコース・ルミエールコース制、週5日制の「土曜セミナー」(土曜日開設の希望制補講)を廃止し、以降は6か年一貫コース(特進コース・英数コース)と3か年コース(文理選抜コース・文理コース)制を配して週6日制となる。
設置コース
- 6か年コース
- 特進コース(4クラス)- 最難関国公立を目指すコース
- 特進選抜(2クラス)- 中2から編成
- 特進(2クラス)- 中2から編成
- 英数コース(2クラス)- 難関国公立を目指すコース
- 特進コース(4クラス)- 最難関国公立を目指すコース
中1終了時に、習熟度に応じて、特進コースの中でも特進選抜(2クラス)、特進(2クラス)を編成する。高2まで各学年ごとに特進コース・英数コースの入れ替えが行われる。高2で、特進選抜・特進・英数からそれぞれ文系・理系に分かれる。高2終了時にクラス替えおよびコース入れ替えは行われない。
- 3ヵ年コース
- 文理選抜クラス(2クラス)- 最難関国公立を目指すコース
- 文理クラス(1クラス)- 難関国公立を目指すコース
高1終了時に文理選抜・文理コースの入れ替え、および文理選抜の中から文系選抜・理系選抜が編成される。高2終了時ではクラス替えおよびコース入れ替えは行われない。6か年コースと3か年コースは同じクラスにならない。
グローバル教育
本校は、外国語学校としてスタートしたということもあり、グローバル教育に力を入れており、大学受験に対する英語の学習にとどまらず、英会話学習や海外研修などを通して、高度な語学力の取得や異文化理解などを目指している。
英会話学習
本校では、外国人講師 (ALT) による英会話学習だけでなく、英語を通して国際問題の学習を行い、ディスカッションやプレゼンテーションを行うことで、自らの考えや意見を英語で発信する力を身につけること目指している。この他にも、海外大学の教授を招いて、授業を行うこともある。
海外研修
様々な海外留学のプログラムを実施しており、留学先もアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、カンボジアなど様々である。それらのプログラムのほとんどは夏季休暇中に実施されているが、中には3ヵ月間の留学プログラムもある。これらの留学プログラムを通して、コミュニケーション能力の上達や異文化理解を目指しているが、これらのグローバル教育の集大成として位置付けられているのが、洛星高校と共同で行われている「次世代リーダー養成プログラム」である。これは世界トップレベルの大学であるアメリカのハーバード大学の学生寮に滞在し、現地の学生と共に学ぶことで、高度な英語の発信力の獲得にとどまらず、次世代のリーダーに求められるリーダーシップを養うことを目的としている。またこれらの留学プログラムとは別に本校を休学して、1年間の海外留学を行うことも可能である。
部活動
野球部
1906年(明治39年)創部。1915年の第1回全国中等学校優勝野球大会(現在の全国高等学校野球選手権大会)から予選に参加している。かつては大阪私学7強として有名であり、夏の甲子園に8回、春の甲子園に4回出場している。特に、1963年の第45回全国高等学校野球選手権大会では、プロ野球でも活躍した真田重蔵監督の采配の下で優勝を果たした。以後、1972年までの10年間で夏の甲子園に5回出場した。
サッカー部
1912年(大正元年)創部。1918年の第1回日本フートボール優勝大会(現在の全国高等学校サッカー選手権大会)から8年連続で全国大会に出場した。これまで選手権大会には27回出場しており、1965年の第44回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝したほか、5回の準優勝を記録している。特に、1957年から1966年にかけては10年連続で大阪代表となり、この間、優勝1回、準優勝2回を含めベスト8以上に8回進出した。
その他
かつては、入試においてスポーツ推薦枠もあったが、現在は廃止されている。しかし、今なおクラブ活動は盛んで、2006年度には、ソフトテニス部、2007年度には、陸上競技部、2008年度には、水泳部、2019年度には、剣道部からインターハイ出場者を輩出した。(水泳部は1992年、1993年、1994年にも出場)。
様々な文化系部活動も近年特に活発であり、毎年のように全国大会へ頻繁に出場している。ディベート部や弁論部なども有名な強豪である。2004年度に「全日本学生児童発明くふう展」で内閣総理大臣賞を受賞した生徒が、千葉大学工学部に飛び入学している。2019年度より、コンピュータ同好会が、コンピューター研究部に昇格した。
かつてのコース編成
2011年度入学生までの編成
- 中学校・高等学校(中高6ヵ年課程)
- エスポアール - 中2まで6クラス 中3以降4クラス
- エラン (Elan) - 中3からの編成 2クラス
中3で選抜クラスである「エラン」を選抜する。エラン・エスポアール間の入れ替えは、中2の2学期と高1の2学期の2回行われる「到達度判定試験」の成績に、定期試験の成績を加味して、前学年の3学期末に決定されていた。ただし、高1でもエランの成績不振者とエスポアールの成績上位者を若干数入れ替えていたことはあった。さらに高2では、エラン・エスポアール共に文系クラスと理系クラスに分かれ、以降クラス分けは行われなかった。
- 高等学校(高校3ヵ年課程)
- ルミエール (Lumiere) コース
- 文理クラス(2クラス)
- 理系選抜クラス(1クラス)
- ルミエール (Lumiere) コース
「文理クラス」では従来の特進クラスであるI類のカリキュラムを採用、「理系選抜クラス」ではI類のカリキュラムをベースアップした新カリキュラムを組んでいた。文理クラスは高2で文系クラスと理系クラスに分かれる。同時に理系選抜クラスの成績不振者と文理理系クラスの成績上位者の入れ替えや、志望を文系に変更した理系選抜クラスの生徒の文系クラスへの移動も行われる。理系選抜クラス・文理理系クラス間の入れ替えは、高1の2回に渡って行われる校内実力試験の成績に、定期試験の成績を加味して、高1の3学期末に決定され、以降行われない。 エスポアールは「希望」、エランは「飛躍」、ルミエールは「光」を、それぞれ意味するフランス語である。
2001年度入学生までの編成
- 高等学校(6ヵ年課程・3ヵ年課程)
- I類
- II類
I類が上位クラスであり、入試時に、I類クラスとII類クラスを分けて募集していた。I類クラスの方が人数が多いという、他校にはない特徴を持っていた。 高1時点では、内部進学者(6ヵ年)と外部入学者(3ヵ年)は別クラスとなっており、I類・II類とも高2で文系と理系に分かれていた。高2以降はI類理系クラスを除き、全て両者混成クラスとなっていた。 I類理系クラスは、1998年度以前の入学生ではすべて内部進学者のみであり、1999年度以後の入学生から、内部進学者のみの選抜クラスと、外部入学生と内部進学者の混成のクラスに分かれた。
アクセス
- Osaka Metro(長堀鶴見緑地線)玉造駅より徒歩7分
- JR(大阪環状線)玉造駅より徒歩10分
- 近鉄(大阪線・難波線)大阪上本町駅より徒歩12分
- Osaka Metro(谷町線・長堀鶴見緑地線)谷町六丁目駅より徒歩12分
著名な出身者
- 政治・行政
- 樽床伸二(第16代総務大臣)
- 村井嘉浩(第18代宮城県知事)
- 山枡儀重(衆議院議員)
- 信貴芳則(元岸和田市長)
- 吉田弘明(元香芝市長)
- 長内繁樹(豊中市長)
- 梅田邦夫(外交官)
- 八田卯一郎(裁判官、サッカー選手)
- 学術
- 経済
- 文化・芸能
- 伊藤正宏(放送作家、脚本家)
- 今川泰宏(アニメ監督、演出家、脚本家、放送作家)
- 稲川榮一(東京藝術大学名誉教授、元読売日本交響楽団、チューバ奏者)
- 岡本和也(山形交響楽団、ホルン奏者)
- 桂三金(落語家)
- 北野徹(大阪音楽大学理事長、パーカッション奏者)
- 清竜人(ミュージシャン)
- 康すおん(俳優)
- 小市慢太郎(俳優)
- 呉山平煥(京都市交響楽団、首席オーボエ奏者)
- 渋谷天外(俳優・松竹新喜劇座長)
- 島田正吾(俳優。※明星商業学校中退)
- 菅野完(著述家)
- 頭師孝雄(俳優)
- 頭師佳孝(俳優)
- 住田洋(テレビ愛媛元アナウンサー・フリーアナウンサー)
- 諏訪雅(俳優・ヨーロッパ企画)
- 龍城弘人(元大阪市音楽団団長、クラリネット奏者)
- 辻本憲一(東京フィルハーモニー交響楽団、首席トランペット奏者)
- 津田健次郎(俳優・声優)
- 壺井勘也(彫刻家)
- 土井善晴(料理研究家)
- 中山康樹(音楽評論家)
- はたけ(ミュージシャン・シャ乱Qリーダー)
- 松井朝敬(ミュージシャン・スウィートストリングス主宰)
- 三澤肇(毎日放送元アナウンサー・報道局記者・ベルリン支局長、現:報道局解説委員)
- 三浦徹(国立音楽大学教授、ユーフォニアム奏者)
- 森内俊雄(小説家)
- 吉田勝博(大阪芸術大学客員教授、大阪フィルハーモニー交響楽団、バストロンボーン奏者)
- スポーツ
- 野球
- 阿野鉱二(元プロ野球選手)
- 岡田彰布(元プロ野球選手、監督、中学卒業後は北陽高等学校へ進学)
- 平野光泰(野球解説者・元プロ野球選手)
- 堀井和人(元プロ野球選手)
- 前田正治(元高校野球解説者・元社会人野球選手・監督)
- 松久保満(元プロ野球選手)
- 室井豊(元プロ野球選手)
- 山尾孝雄(元プロ野球選手)
- 山口忠良(元プロ野球選手)
- 和田徹(野球解説者・元プロ野球選手)
- サッカー
- 安積四郎(元日本代表)
- 神田清雄(元日本代表)
- 北口晃(メルボルン五輪日本代表)
- 佐々木康治(元日本代表)
- 高田正夫(元日本代表)
- 西田満寿次郎(日本代表元監督)
- 原田福三郎(元日本代表)
- 八田卯一郎(元日本代表)
- 日高卯三郎(元日本代表)
- 古川好男(メルボルン五輪日本代表)
- 湯口栄蔵(メキシコシティ五輪日本代表)
- その他
- 岡野武志(弁護士、税理士、YouTuber、TikToker)
- 森田勝之(英語教育学者、哲学研究者)
- 松浦悟郎(カトリック名古屋教区司教)
教諭・クラブ指導者(元職も含む)
- 松永政行 - 現職(体育)。1992年バルセロナオリンピック体操男子個人種目別平行棒銅メダリストおよび男子団体総合銅メダリスト。
- 肥塚一晃 - 現職(体育)。元ガンバ大阪・セレッソ大阪・京都パープルサンガ所属。現役時代のポジションはMF。
- 真田重蔵 - 元野球部監督。第45回全国高等学校野球選手権大会優勝時の監督。
- 福田紀一 - 元職(社会)。作家。
姉妹校
かつて姉妹校関係にあった学校
- 泰星中学校・高等学校(1946年 - 1969年までマリア会が経営)
- セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジ(廃校)
参考文献
- 2012年度 大阪明星学園 明星中学校・高等学校 入学案内
注釈
- ^ 『2001年 価値のある学校(ラッキースクール)を探そう 関西男子校+共学校』旺文社、2000年7月1日、213頁。ISBN 4-01-008958-X。
- ^ a b 「真田丸」跡地の学校に顕彰碑 ゆかりの地、大阪PR 朝日新聞 2016年2月1日 2016年11月19日閲覧
- ^ a b 「真田丸」の地に顕彰碑 NHK 真田丸ニュース 2016年2月1日配信 2016年11月19日確認