地の塩、世の光
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地の塩、世の光(ちのしお、よのひかり)は、新約聖書の山上の垂訓にあるイエスの教えのひとつ、単に塩と光(しおとひかり)と略することもある[1]。マタイによる福音書の5章13節から16節に記述がある。そのほかマルコによる福音書の9章48節から50節、ルカによる福音書の14章34節から35節に、地の塩に関する同様の記述がある。塩は腐敗を防ぐことから、優れたもの、役に立つものを示す比喩で、ここでは愛と慈悲を意味している。また、光は神の智慧とその働きを意味する。
イエスによる教えの主な内容
[編集]塩について
[編集]塩気を失った場合
[編集]光について
[編集]イエスの指導
[編集]- 塩はよいものである。しかし、もしその塩の味がぬけたら、何によってその味が取りもどされようか。あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互に和らぎなさいあなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互に和らぎなさい。 - マルコ9:50[5]
- あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。 - マタイ5:16
解説
[編集]アヴェルキー大主教の解説
[編集]正教会のアヴェルキー大主教(en)は「塩」と「世の光」について次のように解説している。解説によると「塩」は聖霊を意味し、「光」はキリストを意味すると読み取ることができる。
塩は食品を腐敗から守り、健康的で味の良いものにします。同様に、キリスト教徒は世界を道徳的腐敗から守り、その癒しに貢献すべきです。塩は、密接に接触するすべての物質に塩味を与えます。同様に、キリスト教徒は、まだキリスト教徒になっていないすべての人々にキリストの精神を伝えるべきです。塩は、溶ける物質の本質や外観を変えることはなく、ただ風味を与えるだけです。このように、キリスト教は個人や人間社会に外的な混乱をもたらすのではなく、人間の魂を高め、それを通してすべての人間の生活を変え、キリスト教特有の特質を吹き込むのです。「もし塩が塩漬けされるなら、何によって塩漬けされるのか?」 ―東方には、雨や太陽、空気にさらされると塩味を失う塩があります。そのような塩は、何によっても正すことはできません。ですから、かつて聖霊との祝福された交わりを味わった後、聖霊に抵抗するという許されない罪に陥った人々は、神の並外れた助けなしには、もはや霊的に新たになることができません。
世の光は主イエス・キリストご自身ですが、信者はこの光を認識し、それを世に反映させるので、彼ら自身も「世の光」となります。これは特に、キリストの光で輝くことを使命とする使徒たちとその後継者たち、すなわち教会の牧者たちに当てはまります。彼らは、人々が彼らの善行を見て神を賛美するような生き方をしなければなりません。—アヴェルキー『新約聖書研究ガイド四福音書』[6]