放蕩息子のたとえ話

放蕩息子のたとえ話(ほうとうむすこのたとえばなし、英語: Parable of the Prodigal Son)は新約聖書ルカの福音書(15:11 - 32)に登場する、イエス・キリストが語った神のあわれみ深さに関するたとえ話である。
このたとえ話は、福音書に登場するたとえ話のうちで最もよく知られているもののひとつである。
内容[編集]
ある人に二人の息子がいた。弟の方が親が健在なうちに、財産の分け前を請求した。そして、父は要求通りに与えた[1]。
そして、生前分与を受けた息子は遠い国に旅立ち、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。大飢饉が起きて、その放蕩息子はユダヤ人が汚れているとしている豚の世話の仕事をして生計を立てる。豚のえささえも食べたいと思うくらいに飢えに苦しんだ。
父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。彼は我に帰った。帰るべきところは父のところだと思い立ち帰途に着く。彼は父に向かって言おうと心に決めていた。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。」と。ところが、父は帰ってきた息子を見ると、走りよってだきよせる。息子の悔い改めに先行して父の赦しがあった。
父親は、帰ってきた息子に一番良い服を着せ、足に履物を履かせ、盛大な祝宴を開いた。それを見た兄は父親に不満をぶつけ、放蕩のかぎりを尽くして財産を無駄にした弟を軽蔑する。しかし、父親は兄をたしなめて言った。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」(口語訳新約聖書 ルカ 15:11-32)
解説[編集]
この物語の主題は、神に逆らった罪人を迎え入れる神のあわれみ深さである。登場する「父親」は神またはキリストを、「弟」(放蕩息子)は神に背を向けた罪びとを、「兄」は律法に忠実な人を指しているといわれる。
放蕩息子であった弟が故郷に帰還し、父親に祝宴を開いて受け入れられるという物語を通して、神の深い憐れみの奥義が表現されている[2]。
一方、弟のために開かれた盛大な祝宴を喜ぶことができず、父親に不満をぶつける兄の姿は、律法に忠実な人が陥りやすいファリサイ派の精神、傲慢さを表していると読むこともできる。この読み方によれば、兄をたしなめる父親のことばはファリサイ派のパン種(偽善・慢心)[3]に注意しなさいという、この兄のようないわゆる「善人」への警告を含んでいるとも読み取れる[4]。マタイによる福音書(20章1-16節)でイエスは「ぶどう園で働く労働者のたとえ」を語っている。一番はじめに呼ばれた労働者は夜明けから働いた。そしてある人は午前9時から、ある人は12時から、ある人は午後3時から、またある人は午後5時からという具合にぶどう園で働いてもらい、最後に主人は最後に呼ばれた者から順番に同じ金額の報酬を与える。このことに対し最初の労働者が主人に向かって不平を言った。放蕩息子の兄の不平はこの最初の労働者の不平と同じものと言えるのであろう。[5]。
また同時にこのたとえ話は、神の楽園から追い出されていった創世記のアダムとエバ[6]の子孫である人類に対して、神の楽園への帰還を呼びかけるという、壮大な救済の物語を象徴的に重ね合わせている[7]。
文化的影響[編集]


イエスのたとえ話の中でも、もっとも有名なもののひとつである「放蕩息子のたとえ話」は、多くの芸術作品のテーマとなった。レンブラントやホントホルストなど、北ヨーロッパのルネッサンスの多くの画家たちがこの主題を取り上げ描いた。

また、15世紀と16世紀にはイギリスの道徳劇のサブジャンルともみなされるほどの人気であった[8]。シェイクスピアも「ベニスの商人」や「お気に召すまま」「冬物語」でも言及されている。
"Lost and Found"[編集]
「彼は失われていたが見いだされた」(Luke 15:11-32) という言葉は父の言葉としてルカの福音書のなかで二度使われているが、そこから遺失物取扱所、落とし物届、の意で使われるようになる。また「失われていたが見いだされた」という言葉は、無条件の神の愛によって救われる罪深い人間の救済を表すメタファーとなり、奴隷貿易の商人から転じて牧師となったジョン・ニュートン作詞の賛美歌アメイジング・グレイスの歌詞にも使われている。
脚注[編集]
- ^ 申命記21章17節の規定によると、兄2に対して弟は1の割合で相続できることになっている。
- ^ 場崎 洋 『イエスのたとえ話』p.159
- ^ ルカによる福音書(12章1節)
- ^ 場崎 洋 『イエスのたとえ話』pp.170-175
- ^ 場崎 洋 『イエスのたとえ話』p.174
- ^ 創世記(2章15節-3章24節)
- ^ 場崎 洋 『イエスのたとえ話』pp.163-164
- ^ Craig, Hardin (1950-04-01). “Morality Plays and Elizabethan Drama” (英語). Shakespeare Quarterly 1 (2): 64–72. doi:10.2307/2866678. ISSN 0037-3222 .
参考文献[編集]
- 榊原康夫『新聖書注解』いのちのことば社、1973年
- 『新聖書辞典』いのちのことば社、1985年
- 『実用聖書注解』いのちのことば社、1994年
- 鈴木英昭『ルカの福音書』(新聖書講解シリーズ3)、いのちのことば社、1983年
- ヘンリ・ナウエン『放蕩息子の帰郷―父の家に立ち返る物語』あめんどう、2003年 - レンブラントの絵をモチーフに自身の人生を描く
- 新共同訳新約聖書 日本聖書協会
- 口語訳新約聖書 日本聖書協会
- 『新約聖書』フランシスコ会聖書研究所訳注、中央出版社、改訂初版1984年。
- 場崎 洋 『イエスのたとえ話』 聖母の騎士社、2011年3月25日初版発行。
関連項目[編集]
- 放蕩息子 (バレエ)
- 見失った羊のたとえ
- 銀貨を無くした女のたとえ
- 罪の女
- 悪人正機
- 法華七喩 - 長者窮子のたとえ話
- 創世記
- 罪と罰
- 免罪符
- パンをふんだ娘
外部リンク[編集]
- 口語訳新約聖書(ウィキソース) (日本聖書協会翻訳、1954年)
- 口語訳旧約聖書(ウィキソース) (日本聖書協会翻訳、1955年)