マタイによる福音書

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マタイによる福音書(マタイによるふくいんしょ、ギリシア語: Κατά Ματθαίον Ευαγγέλιον Kata Matthaion Euangelion、ラテン語: Evangelium Secundum Mattheum)は新約聖書におさめられた四つの福音書の一つ。

伝統的に『マタイによる福音書』が新約聖書の巻頭に収められ、以下『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』、『ヨハネによる福音書』の順になっている。呼び方としては『マタイの福音書』、『マタイ福音』、『マタイ伝』などがあり、ただ単に『マタイ』といわれることもある。

構成[編集]

  1. 導入: イエス・キリストの誕生と後日談(1~2章)。イエスの活動の準備(3章)
  2. 第1の出来事( 4章)―荒野の誘惑、ガリラヤ伝道の開始、弟子たちの召命
  3. 五大説教の1:  山上の説教(5-7章)―イエスと共にある者の幸い。神の国の義
  4. 第2の出来事( 8~9章)―メシアとしての権威を現した奇跡と癒しの業(8-9章)
  5. 五大説教の2: 弟子たちへの宣教派遣の説教(10章) 
  6. 第3の出来事(11 ~ 12 章)―イエスの福音宣教に対する疑い、拒否反応、そして不信仰。
  7. 五大説教の3: 「 天の国」についての譬え-神の国の秘儀(13章)
  8. 第4の出来事(14 ~ 17 章)―弟子たちの信仰、受難予告とイエスへの信従、イエスの栄光(山上の変貌)
  9. 五大説教の4: 神の国の共同体:兄弟愛に生きる教会と弟子のあり方(18 章)
  10. 第5の出来事( 19~22章)―エルサレムへの道行き、 権威についての論争
  11. 五大説教の5:  神の国のさばき(23章-25章) ―5 章の「幸い」に対して「不幸」を語る。
  12. 受難(26 - 27 章) ―ベタニアで塗油、最後の晩餐、ゲッセマネの祈り、逮捕・尋問・裁判・死。
  13. 復活( 28章)―復活物語、イエスの宣教命令

概要[編集]

本書の目的は、イエスこそが「モーセと預言者たちによって」予言され、約束されたイスラエルの救い主(キリスト)であると示すことにあり、イエスにおいて旧約聖書の預言が成就していることを示すことであった。『マタイによる福音書』には旧約聖書(ギリシア語訳・七十人訳)の引用が多く見られるが、それらはイエスの到来を予告したものとして扱われている。旧約からの引用箇所は65箇所にも上り、43箇所は地の文でなく語りの中で引用されている。この福音書の狙いは「私は廃止するためでなく、完成するために来た」という言葉にもっともよく表現されている。

『マタイによる福音書』は、イエスはキリスト(救い主)であり、第1章1~17節の系図によれば、ユダヤ民族の父と呼ばれているアブラハムの末裔であり、またイスラエルの王の資格を持つダビデの末裔として示している。このようなイエス理解から、ユダヤ人キリスト教徒を対象に書かれたと考えられる。

なお、いのちのことば社の『新聖書辞典』では、現行のギリシャ語版が書かれた場所として、アンテオケ (アンティオキア)説が強調されている。

また、反ユダヤ的色彩があり、そのユダヤ人観がキリスト教徒、特に中世のキリスト教徒のユダヤ人に対する視点をゆがめてきたという説もある。イエスの多くの言葉が当時のユダヤ人社会で主導的地位を示していた人々への批判となっており、偽善的という批判がそのままユダヤ教理解をゆがめることになったというのである。しかし、実際にはユダヤ教の中でも穏健派というよりは急進派・過激派ともいえるグループがキリスト教へと変容していったとみなすほうが的確である[要出典]

成立時期[編集]

本文からは『マタイによる福音書』の正確な成立時期については聖書学者の間でも意見が2つに分かれている。

伝統的な立場[編集]

伝統的な立場に立つ学者たちは、マタイ福音書24章のエルサレム陥落の記事を イエスによる「予言」 と取っており、紀元70年に起こったエルサレム陥落よりも前(紀元69年以前に書かれたとしている。 教会史家のエウセビオスによると、マタイは15 年間パレスチナで伝道したのち、まずヘブル語で福音書を書き、のちにギリシア語版ができたのであるから、マタイ福音書の成立は早くとも紀元50年ごろである[1]。 以上により、成立年代は紀元50年69年になる。

なお、エウセビオスの『教会史』に「マタイは、はじめはユダヤ人に宣教していたが、他の人びとのところに行こうと決めたとき、彼らに告げた福音を彼らの母語で書いた。こうして彼は、自分が去ろうとしている人びとが、自分が去ることで失うものを著作で代えようとしたのである」(3:24:6)とあることから、マタイはまず上記期間の早い時期に、あとに残していくパレスチナ(おそらくツロやシドンのような港町)のユダヤ人教会のために、ヘブライ語版(アラム語版も考えられるが、いのちのことば社『新聖書辞典』にヘブル語とあるので、ヘブライ語としておく)の福音書を書き残し、その後、次の任地であると思われるアンテオケ(アンティオキア)でローマ帝国の各地に居住しているヘブライ語を話せないユダヤ人のために、ギリシア語版を著したと考えられる。

高等批評の立場[編集]

高等批評の立場に立つ学者たちは、マタイ福音書24章のエルサレム陥落の記事を 歴史的事実に基づく「事後予言(預言)」と取っており、エルサレム陥落後(70年代以降)に書かれたとしている。またマタイ福音書はマルコ福音書を土台として書かれているという高等批評の研究成果から、マルコ福音書が成立した紀元75年以降であるとしている[2]

いずれにせよ、遅くとも紀元85年ごろまでには成立したと考えられている。

著者[編集]

『マタイによる福音書』自身には、著者に関する記述はない。この福音書の著者は、教会の伝承では徴税人でありながらイエスの招きに答えて使徒となったマタイであるとされている。 その理由として、福音書の特徴より著者が『ユダヤ人クリスチャンであること』、『旧約聖書についての知識、興味があること』、『律法学者の伝承に通じていること』があげられ、内容的に『金銭問題』や、『徴税人』について数多く触れられていることなどがあげられる。

一方、近現代の高等批評の立場に立つ聖書学者の多くはこの伝承を疑問視している。

伝統的な学説[編集]

マタイがこの福音書の著者であるという伝承の元となっているのは教会史家カイサリアのエウセビオスによる『教会史』の第3巻で、2世紀ヒエラポリスの司教パピアスの失われた著作からの引用として「マタイがヘブライ語で言葉(ロギア)を記した」と記している部分である。また、歴史家エウセビオスによる次の報告にも根拠を置く。「マタイは、はじめはユダヤ人に宣教していたが、他の人びとのところに行こうと決めたとき、彼らに告げた福音を彼らの母語で書いた。こうして彼は、自分が去ろうとしている人びとが、自分が去ることで失うものを著作で代えようとしたのである」(ibid., III, 24, 6)。


高等批評の立場[編集]

現代、高等批評の立場に立つ学者たちでもっとも有力な仮説とみなされているのは二資料説と三資料説である。二資料説では『マタイによる福音書』は『マルコによる福音書』と「イエスの言葉資料(語録)」(ドイツ語のQuelle(源泉)から「Q資料(仮説上の仮想資料で、存在が証明されていない。)」という名前で呼ばれる)から成立したと考えられている。また三資料説では、二資料(マルコ福音書とQ資料)に加えて、「M資料」というマタイによる福音書独自の資料(例えば、マタイ16章の教会の土台に関する箇所など)も執筆時に参考にしていると主張している。 ただし、伝統的な聖書信仰の立場に立つ福音派の多くは、このような高等批評の立場に立つ学者たちの仮説は受け入れていない。

H.R.ウェーバーは、個人ではなくマタイの名を持つグループや学派による著述の可能性も述べている。また,マタイ福音書の著者マタイは、使徒マタイではなく、ガリラヤ出身でユダヤ教からキリスト教に改宗した元ラビ(ユダヤ教の教師)であったという説に賛成している[3]

特徴[編集]

特徴1: 旧約の成就[編集]

 マタイは、イエスが旧約を廃止しに来たのではなく、その目的に導き、成就させに来たことを示そうと努めています(参照:マタイ5:17 ~ 18)。 さらにマタイは、イエスの教えだけでなく、イエスの生涯そのものが旧約の成就であることを強調しています。(参照):「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」(マタイ1:22 他、数箇所ある)

 新約学者のタイセンは、このことに関して、マタイは、人間は律法を成就するために造られている。このことはまさにキリスト教徒にこそ当てはまるという楽観的な人間観に立っている、と述べています[4]


特徴2: イエスの神の国理解[編集]

 マタイは、マタイ福音書の中で、「王国(み国)」という言葉(ギリシア語では「バシレイア」)を二重の意味で使っている。1つは新約学者であり密林の聖者とも言われたA. シュヴァイツァーが「未来の現実(未来に必ず実現すること)」と呼んだもので、終末(キリストの再臨)の時にキリスト者が入るところで、俗に言う「天国」と同意です。その時にキリスト者は神の国を継ぐ者とされると言われている。参照聖句:「王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。』」(マタイ25:34)  もう1つは新約学者のC.H.ドッドが「現在の現実(今現在、確実に起こっていること)」と呼んだものです。キリストの来臨(初臨)の時から始まっており、具体 的にはキリスト者がイエスを救い主として信じ、受け入れた時に、キリスト者の心の中に、そして教会の交わりの中に神の国が実現するとされている。参照聖句:「神の国はあなたたちのところに来ているのだ。」(マタイ12:28) [5]

特徴3: 教会教育のための福音書[編集]

 マタイ福音書は、未信者にイエスが救い主であることを知らせる(伝道)ために書かれたものでも、異端に対して論駁するために書かれたものでもない。スイスのウェーバーという神学教育家が述べているように、本福音書は教会形成という目的のために、すでにクリスチャンになった成人信徒を教育し、訓練するために書かれたものです。それはマタイが、他福音書にはない「教会」という言葉を用いていることや、学校の教室を彷彿とさせる描写(13:51)を使っていること、学習効果をねらった指導方法(反復や言い換え、リスト、定型句、同じテーマのイエスの説教を1つにまとめていることなど)を使っていることからも分かります。それは個 人伝道や異端論駁を意識したヨハネ福音書とは対照的です[6]


特徴4: 構成上の特徴[編集]

 ルカ福音書が時間の流れに合わせて、イエスの言行を編集していったのに対して、マタイ福音書は教会教育的視点から、よく考えられて構成され、編集されている。同じテーマのイエスの説教は1つにまとめられていて、これが5つあります(いわゆる「五大説教」。しかもそれぞれの説教は、イエスの行動またはイエスを取り巻く出来事の描写の後に来ている。(「聖書大辞典」「新聖書辞典」などを参照)  本福音書全体の枠組や山上の説教の枠組みには、前後対称の対称構造(A - B - C - X - C' - B' - A') が用いられている。これを交差配列法と言い、バッハは受難曲の構成にも用いている。  

執筆言語[編集]

エウセビオスの『教会史』5:8:2 によれば「マタイは、ペテロとパウロがローマで福音を宣べ伝えていたとき、ヘブル人の中で自国語で福音書を著した。」という記述から、マタイ福音書は最初、ヘブライ語(またはアラム語。なお『新聖書辞典』ではヘブル語と明記)で書かれたと思われていた。しかし、近現代の学者たちは文体の問題から、ヘブライ語(またはアラム語)からギリシャ語に翻訳されたものではないと結論づけている。しかし、最初にヘブライ語またはアラム語で書かれ、後にマタイ自身の手によって、ギリシャ語版が書かれた(翻訳ではない)という可能性が残っている[7]

また、マタイ福音書は、すべてがギリシャ語で書かれているわけでなく、マタイ福音書5章22節で、"raca" というアラム語をギリシャ語に翻訳しないで、アラム語の発音をそのままギリシャ語に音写している。(ちなみに、他にも「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」というイエスの言葉も音写である。)新約学者のO.クルマンは、ここから、マタイはアラム語が通じる相手に語っているとしている。[8]

芸術[編集]

なお、『マタイによる福音書』の関連作品として,以下のものがある。

関連項目[編集]


脚注[編集]

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  1. ^ いのちのことば社『新聖書辞典』p.1181 による。エウセビオス『教会史』の箇所は不明。
  2. ^ タイセン著『新約聖書――歴史・文学・宗教』教文館。2003年。 p.153
  3. ^ H.R.ウェーバー『イエスの招き――マタイ福音書の研究』日本基督教団出版局。pp.33~34
  4. ^ G. タイセン 『新約聖書――歴史・文学・宗教』教文館,2003年,P.156
  5. ^ 以上、特徴2は、O.クルマン『 新約聖書』 白水社・クセジュNo.415。 p.34,pp.38-40 に基づく
  6. ^ 以上、H.R.ウェーバー『イエスの招き――マタイ福音書の研究』 日本基督教団出版局 p.32 に基づく
  7. ^ 以上、『新聖書辞典』いのちのことば社。 p.1181 に基づく
  8. ^ O.クルマン『新約聖書』白水社クセジュ No.415。 p.36