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イエス・キリストのたとえ話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
放蕩息子の帰還グエルチーノ

イエス・キリストのたとえ話(イエス・キリストのたとえばなし)とは、新約聖書の四つの福音書に見られる、イエス・キリストによるたとえ話を用いた教え。

概要

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イエスのたとえ話を解釈するにあたり、イエスが取った教え方の多くがたとえ話であったこと、そしてその教えの多くが神の国についてのものであったということが、広く受入れられている。たとえ話は概念や規則と異なり、人々の記憶の中に刻まれる物語であり、有効な教育手段となっている。また、たとえ話はその筋書きによって、人生の模範・モデルを提供するものとなる[1]

イエスのたとえはシンプルでありながら、印象深く忘れ難いイメージとメッセージ性を持っており、その主要な教えとなっている[2][3]。そして、イエス・キリストのたとえ話は西洋におけるたとえ話の原型にもなっている[4]

これらのたとえ話にはイエスの時代に生きた徴税人、羊飼い、農夫、漁師、日雇い労働者、裁判官、主人、婦人、父親、息子、管理人、しもべ、王、金持ち、物乞い、やもめなど様々な階級の人々が登場する。イエスはこれらの人々を登場させて当時の社会生活の中から、日常生活の様々な出来事を取り上げて神の国の奥義を教えている[5]

主なイエスのたとえ話の一覧

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たとえ話に加えて、イエスが語ったことばに含まれる、物語性のない比喩も合わせて取り上げる。以下に、福音書の調和英語版の整理に基づいた、たとえ話・比喩の一覧を示す。

たとえ話がなされた時系列上の順序は議論の余地があるが、下記表38番までの順序は、William Newcome英国国教会、1778[6] )、およびSteven L. CoxKendell H. Easley(ともにバプテスト派、2006[7])のものに基づく。

主なイエスのたとえ話・比喩
番号 たとえ マタイ マルコ ルカ ヨハネ 主題
1家と土台(賢い大工)(enマタイ7:24–27ルカ6:46–49弟子の覚悟
2新しいぶどう酒と古い革袋enマタイ9:16–17マルコ2:21–22ルカ5:36–39新しい契約[注釈 1]
3強い人のたとえen, esマタイ12:29マルコ3:27ルカ11:21–22悪霊を制する強い人とはキリスト自身であること
4二人の負債者(罪の女)(enルカ7:36–43罪人への神の憐み
5種を蒔く人enマタイ13:3–9マルコ4:3–9ルカ8:5–8神の国
6ともし火のたとえenマタイ5:14–16マルコ4:21–25ルカ8:16–18弟子の覚悟
7成長する種en, ruマルコ4:26–29神の国
8毒麦のたとえenマタイ13:24–30最後の審判
9善きサマリア人enルカ10:25–37隣人愛
10夜中にパンを求める友enルカ11:5–8神への祈り、根気
11愚かな金持ちenルカ12:16–21神の国
12実のならないいちじくの木enルカ13:6–9神の忍耐[注釈 2]
13からし種のたとえenマタイ13:31–3217:19マルコ4:30–32ルカ13:18–1917:5神の国[注釈 3]
14パン種のたとえenマタイ13:33ルカ13:20–21神の国
15隠された宝enマタイ13:44神の国
16真珠商人のたとえenマタイ13:45–46神の国
17網のたとえenマタイ13:47–50最後の審判
18天の国のことを学んだ学者(家主の倉)(itマタイ13:51–52神の国
19上席と末席(招かれた客)(enルカ14:7-14謙遜と高慢
20塔を建てる人と戦いに臨む王(費用の計算)(en, fr, de, esルカ14:28–33弟子の覚悟
21失われた羊enマタイ18:10–14ルカ15:4–6罪人への神の憐み
22仲間を赦さない家来enマタイ18:23–35人への寛容さ(同僚の負債)
23銀貨を無くした女enルカ15:8–9罪人への神の憐み
24放蕩息子のたとえenルカ15:11–32罪人への神の憐み
25不正な管理人en, ruルカ16:1–13霊的豊かさ
26金持ちとラザロenルカ16:19–31隣人愛
27主人としもべ(役に立たないしもべ)(en, ruルカ17:7–10弟子の覚悟
28やもめと裁判官のたとえenルカ18:1–8神への祈り、忍耐[注釈 4]
29パリサイ人と徴税人のたとえenルカ18:9–14神への祈り、謙虚さ(二人の祈り[12]
30ぶどう園の労働者のたとえenマタイ20:1–16神の国[注釈 5]
31ふたりの息子enマタイ21:28–32悔い改め
32ぶどう園と農夫(悪い小作人)(enマタイ21:33–41マルコ12:1–9ルカ20:9–16神の国
33婚宴のたとえenマタイ22:1–14ルカ14:15–24最後の審判
34いちじくの木のたとえ(芽吹いたいちじくの木)(enマタイ24:32–35マルコ13:28–31ルカ21:29–33最後の審判
35忠実な僕(目を覚ましている僕)(enマタイ24:42–51マルコ13:34–37ルカ12:35–48最後の審判
36十人の乙女enマタイ25:1–13最後の審判
37タラントのたとえ(タラントンのたとえ)(en, ruマタイ25:14–30ルカ19:12–27弟子の覚悟
38羊と山羊のたとえenマタイ25:31–46最後の審判
(39)地の塩、世の光enマタイ5:13マルコ9:49ルカ14:34弟子の覚悟
(40)空の鳥と野の花enマタイ6:26ルカ12:24神の助けと守り[注釈 6]
(41)おが屑と丸太enマタイ7:1弟子の覚悟
(42)狭い門のたとえit, id, fr, enマタイ7:13ルカ13:22–30神の国
(43)木とその実enマタイ7:15ルカ6:43弟子の覚悟
(44)幼子のようにenマタイ18:1マルコ9:33ルカ9:46神の国の民
(45)善き羊飼い(羊の門)(enヨハネ10:1–42神の愛
(46)一粒の麦の死enヨハネ12:23–26神の愛
(47)まことのぶどうの木enヨハネ15:1–27神の愛

イエスがたとえ話を用いる理由

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イエス・キリストは譬(たと)えで話す理由については以下のように述べて、理解できる人と理解できない人がいる事を示した。

それから、弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、「なぜ、彼らに譬でお話しになるのですか」。

そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。 おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。 だから、彼らには譬で語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである。

こうしてイザヤの言った預言が、彼らの上に成就したのである。『あなたがたは聞くには聞くが、決して悟らない。見るには見るが、決して認めない。この民の心は鈍くなり、その耳は聞えにくく、その目は閉じている。それは、彼らが目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、悔い改めていやされることがないためである』。しかし、あなたがたの目は見ており、耳は聞いているから、さいわいである。マタイによる福音書13章10節から16節(口語訳)
弟子たちは、この譬はどういう意味でしょうか、とイエスに質問した。 そこで言われた、「あなたがたには、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの人たちには、見ても見えず、聞いても悟られないために、譬で話すのである。ルカによる福音書8章9節から10節(口語訳)
  • イエスは、神の国について人々の聞く能力に応じてわかりやすく教えることを目的としてたとえ話を用いている[15]
  • イエスのたとえ話は光と影、啓示と秘密、恵みと裁きの意味を同時に含んでいる。律法学者やファリサイ派の人々からイエスの伝道活動を妨げられることが予想された。そのためイエスは彼らの前では、たとえ話の奥義を語ることを好まず、こっそりと弟子たちだけにその意味することを解説した[16]
  • 恵みと裁きが同時に現われることは「持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまでも、取り上げられるであろう」<ルカ 8:18>ということばで語られている。
  • マタイによる福音書<21:33>でイエスはたとえ話を用いて当時の祭司長たちやパリサイ人たちに自分たちの裁きについて自分の口から言わせている[17]

外典

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いくらかのたとえ話・比喩に関して、トマスによる福音書をはじめとする外典福音書使徒教父書簡などに並行・類似箇所が確認されている。また、非正典文書にのみ見られる論争中の箇所としては、トマスによる福音書の空の壺のたとえ英語版(97節)や暗殺者のたとえ英語版(98節)が挙げられる。

芸術

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イエスの足に香油を塗る女 (作者不明)
種を蒔く人 (ジェームズ・ティソ
James Tissot, Brooklyn Museum

脚注

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注釈

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  1. 古い自分を捨て、新しい自分に生まれ変わること[8]
  2. 人は何度でも繰り返し立ち直って、神の恵みにふさわしい実を実らせる生活を生きていくことができる。ここに、このたとえ話が我々に与える希望がある[9]
  3. たとえ小さく弱くても人はみな生きる使命がある[10]
  4. やもめは、かばってくれる人もない弱者の代表[11]
  5. 強い者も弱い者も、みな平等に生かされている[13]
  6. 新改訳聖書とフランシスコ会訳注『新約聖書』では「野のゆり」と訳されている[14]

出典

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  1. 『キリスト教神学事典』(432頁〜433頁)
  2. Friedrich Gustav Lisco 1850 The Parables of Jesus Daniels and Smith Publishers, Philadelphia pages 9-11
  3. Ashton Oxenden, 1864 The parables of our Lord William Macintosh Publishers, London, page 6
  4. William Barclay, 1999 The Parables of Jesus ISBN 066425828X page 9
  5. 場崎 洋(2011)p.20
  6. William Newcome (1834), Edward Robinson, ed., A harmony of the Gospels in Greek, in the general order of Le Clere & Newcome, with Newcome's notes: Printed from the text and with the various readings of Knapp, Gould and Newman, pp. v–xviii
  7. Steven L. Cox; Kendell H. Easley (2006), HCSB Harmony of the Gospels, B&H Publishing, p. xviii, ISBN 978-0805494440
  8. 船本弘毅(2002)p.192
  9. 加藤常昭(2001)p.135
  10. 船本弘毅(2002)p.183
  11. フランシスコ会訳注『新約聖書』259頁。
  12. 『新約聖書譬喩略解』p.210
  13. 船本弘毅(2002)p.187
  14. フランシスコ会訳注『新約聖書』25頁。
  15. 場崎 洋(2011)p18
  16. 場崎 洋(2011)p19
  17. マタイ傳福音書(文語訳)#21:33-46

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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