キリストの昇天

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キリストの昇天(キリストのしょうてん)は、キリスト教の教義で、復活したイエス・キリストが天にあげられたこと、またそれを記念するキリスト教の祝日。「イエスの昇天」は使徒信条ニカイア・コンスタンティノポリス信条にも含まれている。復活祭と連動する移動祭日でもある。なお、日本正教会では升天祭(しょうてんさい)との表記が祈祷書などにおいて正式な表記である。

教義[編集]

世俗の用法と異なり、現在のキリスト教ではこの語を人の死の意味で用いることはない。キリスト教の正統信仰では、普通の人の死に際して起こっていることはイエスの十字架の死と同じ現象、すなわち「陰府(よみ)に下る」ことであり、復活の栄光の体をもって天に昇る「昇天」とは分けて考える。カトリック教会ではイエスの他に聖母マリアが、死後直ちに天にあげられたという信仰が有り、これを聖母被昇天(ラテン語: assumptio)と呼ぶ。

聖書の記述[編集]

イエス・キリストの昇天に関する記述が見られる第一の資料は『マルコによる福音書』16章14節から19節である。その描写によると、11人の使徒が食事をしていたところにイエスが現れ、イエスは弟子たちに福音を述べ伝えるよう命じ、信じるものはにも倒れず、病気のものを癒す力が与えられると言った。イエスはこう言い終えるとにあげられ、の右の座についたという。昇天という出来事自体に関する記述はない。『ルカによる福音書』24章50節から51節の記述はもっと短い。イエスは11人の使徒とエルサレム近郊のベタニアに赴く。イエスは彼らを祝福し、天にあげられたという。マルコでもルカでも、昇天は復活後すぐに起こっている。

今から弟子たちとペテロとの所へ行って、こう伝えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう、と」。(『マルコによる福音書』16章7節)

その後、十一人が食事をしているとき、イエスが現れ、その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。復活されたイエスを見た人々の言うことを、信じなかったからである。それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。(『マルコによる福音書』16章14節~19節)

マルコによる福音書では、16章7節で天使と思われる若者が「ガリラヤでお会いできる」と明言しているので、イエスと11人の使徒が再会した場所は、イスラエル近郊の家屋(そもそも、マルコ福音書には、食事をしていた、食卓に着いていた、と書かれているだけで、室内・屋内とは名言されていない。ヨハネ福音書のように屋外での食事風景かもしれない)ではなく、マタイ福音書と同じくガリラヤである。そうでなければ天使が嘘をついたことになる。


イエスは、そこから彼らをベタニアの辺りまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。(『ルカによる福音書』 24章50節~51節)

昇天に関してもっとも詳細な描写を行っているのは『使徒言行録』1:9-12である。それによれば復活後の四十日間、イエスは神の国について語り続けた。四十日のあと、イエスと弟子たちはベタニア北部のオリベト山に集まった。イエスは弟子たちに聖霊の力が与えられるだろうと告げ、福音を全世界に伝えよと命じる。イエスはそこで昇天し、雲の間に消えた。そこへ白衣を着た二人の男があらわれてイエスがやがて同じように再臨すると告げたという。

イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」(『使徒言行録』1章7節~11節)

一見すると、これらの三つの記述は微妙に食い違っているようである。特にルカ福音書と使徒言行録が同じ著者によって書かれたという伝承があるだけに読者は戸惑いを感じるであろう。しかしよく見ると、ルカ福音では決してイエスが復活後すぐに天にあげられたといっているわけではないことがわかる。また聖書学的にはマルコ福音書の本来の末尾は16:8であり、それ以降の部分は後代の付加であろうという説が有力になっていることにも留意する必要がある。

マタイによる福音書』は、ガリラヤの山でイエスが弟子たちに世界へ福音を伝えるよう命じて終わっており、昇天に関する記事はない。マルコ、ルカ、使徒言行録以外では聖書に昇天に関する言及はない。

ヨハネによる福音書』では、海辺で153匹の魚を獲る話とイエスの愛しておられた弟子ヨハネの話で終わっている。しかし、この153匹の魚は、イエスの復活から153日間=5か月間の時間経過を表しているとも考えられる。復活から5か月後に辿り着くその場所は、マタイ・マルコ福音書と同じくガリラヤ(ガリラヤは死海を挟んでエルサレムの真向かいにある)である。マリアとイエスの故郷にして、イエスが宣教の主舞台とした、このガリラヤに再び辿り着くことが、昇天と同じ意味を持っているのである。この場所で、パンと魚の朝食を済ませた後、イエスはペトロに三度問う。「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペトロは三度答える。「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。これはかつてイエスが連行されたエルサレムの大祭司の館の中庭において、ペトロがイエスを三度否認したことと対比をなすものである。そして朝食は最後の晩餐と対比をなすものである。イエスはペトロに後事を託す。「わたしの羊を飼いなさい」。ガリラヤは、終わりの地であるエルサレムと対となる、始まりの地なのである。このガリラヤをもう一つの新しいエルサレムと解釈することも可能である。

ジョット作「主の昇天」

キリスト教における死の婉曲表現[編集]

キリスト教はそもそも信仰上の理由から死を忌むことが少なく、そのまま「死亡」「死去」「逝去」などの語を用いるが、何らかの配慮が必要な際には逆に死生観の異なる仏教神道に基づく表現を使うわけにいかず、不自由することになる。使えない語としては、成仏はもちろん、転生を意味する往生、霊界の存在を明示する他界、鬼籍に入る、復活の教義に抵触する永眠(ただし正教では正式な用語として使う)などがある。

そこで独自の表現を用いることになるが、上記教義上の区別により、「召天」(しょうてん、天に召される)「帰天」(きてん、天に帰る)などの語を用いる。ただし、「召天」は戦後に、人の死去に対し「昇天」を用いる神学的問題とキリストに対する不遜を避ける遠慮から音を合わせて造語されたものであり、漢文に親しんだ世代からは「『天を召す』としか読めない、間違っている上にかえって不遜な表現である」という批判がある[要出典]

昇天祭[編集]

昇天祭または昇天日 (Ascension Day) はキリスト教の祝祭日の一つである。「キリストの昇天」を記念し祝う。

キリストの昇天の祝日はキリスト教の典礼暦の中でもっとも大きな祝いの一つであり、教派を超えて広範に祝われている。日本語表記は教派によって異なるが、「主の昇天」や「昇天祭」などと呼ばれる。 この日は復活祭に連動して動くため、西方教会の場合早くて4月30日、遅くて6月3日になる。本来、昇天は復活祭から40日後(復活祭の日を第1日と数えるため、実際には39日後。正確な表現では、復活祭から数えて6回目の日曜日後の木曜日。)のことで木曜日にあたるが、西方教会では、平日に教会に集まりにくい信徒の事情を考慮してその次の日曜日に祝われる地域もある。

カトリック教会では主の昇天の祭日は大きな祝い日で守るべき祭日とされている。現在はプロテスタント地域であるスカンジナビア諸国、オランダドイツなどでは、昇天の祝日は国祭日となっている。ドイツでは同日が父の日にもあたっている。またインドネシアでも国民の休日となっているが、日付はずらされることがある[1]

正教会では升天(昇天祭)といい、十二大祭のひとつである。正教会ではこの日をもって復活祭期の終わりとするため、教会暦上の大きな節目のひとつでもある。

大西洋にあるイギリス領のアセンション島は、昇天の祝日にヨーロッパ人に発見されたため、「昇天」を意味する名前がついた。パラグアイの首都アスンシオン聖母の被昇天の祭日である8月15日に開かれたため、スペイン語で被昇天を意味する名がつけられているので、イエスの昇天とは無関係である。