堂本光一
堂本光一 | |
---|---|
出生名 | 堂本光一 |
生誕 | 1979年1月1日(45歳) |
出身地 | 日本 兵庫県 |
ジャンル | J-POP |
職業 |
歌手 俳優 タレント |
担当楽器 |
ボーカル ギター |
活動期間 | 1992年 - |
レーベル | ジャニーズエンタテイメント |
事務所 | ジャニーズ事務所 |
共同作業者 |
堂本剛 白井裕紀 新美香 |
堂本 光一(どうもと こういち、1979年1月1日 - )は、日本の歌手、俳優、タレントであり、KinKi Kidsのメンバー。愛称は光ちゃん、王子等。
KinKi Kidsの相方・堂本剛と名字が同じなのは偶然で、縁戚関係は全く無い。
参加ユニット
- KinKi Kids
- J-FRIENDS
- 他 ジャニーズ関連プライベートユニット
来歴
ジャニーズ事務所入所・KinKi Kids
小学校6年生の時、少年隊ファンの姉が送った履歴書がきっかけでジャニーズ事務所の社長ジャニー喜多川から電話が入り、神戸で行われた光GENJIのコンサートに招待される。 その後1991年5月5日、横浜アリーナでの光GENJIのコンサートに招待され、事務所に入る。 『KISSした?SMAP』にて初めて「Kinki Kids」[1]のグループ名を発表。 1997年7月21日、シングル「硝子の少年」、アルバム『A album』の同時発売でCDデビュー。 デビューから31作連続でオリコンシングルチャート初登場第1位を継続、今なお自身で記録を更新中である。ギネス・ワールド・レコーズにも掲載されている。
ソロCDデビュー
2006年7月12日堂本光一として「Deep in your heart/+MILLION but -LOVE」の両A面CDをリリースしソロCDデビュー。 同年1月発売のサウンドトラック『KOICHI DOMOTO Endless SHOCK Original Sound Track』 (2006年度日本ゴールドディスク大賞サウンドトラック部門受賞)を始め、ソロ名義作品は2002年から既に5作品をリリースしていたが、ソロでCDシングルを出すのはこれが初めてとなった。 KinKi KidsとしてCDデビューする以前からドラマのエンディングにてソロの楽曲を披露していたがソロデビューはまだしていなかった[2]。
ソロコンサート
2010年までにソロでの国内ホールツアーを4度、2011年にはソロ初の海外公演(韓国・台湾)を1度行っている。いずれも光一自身による構成・演出・総合プロデュースとなり、2004年『KOICHI DOMOTO LIVE TOUR 2004 1/2』、 2006年『KOICHI DOMOTO CONCERT TOUR 2006 "mirror" 〜The Music Mirrors My Feeling〜』と題したツアーでは、2004年は「それまでの堂本光一の集大成」として過去と現在を総括した内容で構成、2006年はファーストソロアルバム『mirror』を中心に構成・展開した。2009年のツアーは、2010年に発売することが決まっていたソロアルバム『BPM』への連動も匂わせた『KOICHI DOMOTO CONCERT TOUR 2009 -Best Performance and Music-』というタイトルのもと、“今の自分だからこそ表現できるもの”を軸に敢行した。2009年に「今回のソロ活動はたくさんの人に背中を押されて始まった。次は僕からそのお返しができればいいなと思う。」と本人が語った通り、一年後の2010年には、4年振りとなるオリジナルソロアルバム『BPM』を引っ提げての全国ツアー『KOICHI DOMOTO CONCERT TOUR 2010 BPM』を開催した。2011年の韓国・台湾公演は、2010年のBPMツアーを観に来た韓国のエージェントから「こういうステージを是非韓国でもやって欲しい」とオファーされ、それを受けて実現したもの。2004年30万4千人、2006年33万人、2009年30万2千人、2010年29万人、動員とのメディア発表。
舞台
1993年『ANOTHER』、1997年『kyotokyo』、1999年『MASK(初主演)』を経て、2000年から『SHOCK』シリーズの座長・主演を務める。 『SHOCK』は、2000年の初演から2011年現在まで12年連続で毎年開催されており、2011年3月10日夜公演で799回を数えた。通算動員数は147万人。 2008年4月『Endless SHOCK』が第33回「菊田一夫演劇大賞」を受賞。高い舞台成果に対しスタッフ・出演者一同に贈られたもの。同演劇賞ではジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長が2002年に特別賞を受けたが、同事務所の所属タレントが大賞を受賞するのは初めて。 堂本光一は『Endless SHOCK』では、脚本・演出・音楽にも参加している。また、演者としては、2009年3月12日夜公演で、帝劇単独主演記録625回(森繁久彌)を23年ぶりに塗り替え、帝劇史上最速で最多単独主演記録を保持することとなった[3]。 800回目の公演であった2011年3月11日昼公演の1幕と2幕の幕間に東日本大震災が発生し、当日の2幕から3月31日千穐楽までの計28公演が中止となった。 2011年まで『SHOCK』シリーズは東京の帝国劇場のみで上演されてきたが、2012年は初めて、福岡博多座でも公演を行う。東京公演を含む日程は、博多座2012年1月7日 - 1月31日、帝国劇場2月7日 - 4月30日(計139公演)。
ドラマ・映画
1992年公開の映画『200X年 翔』が映像での俳優デビュー。 その後オーディションを受けた『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら』に出演が決まり、『家なき子2』『銀狼怪奇ファイル〜二つの頭脳を持つ少年〜』等で注目を集める。 2007年から2008年に掛けてドラマと映画で主演した『スシ王子!』では、初めての本格コメディーへの出演となった。
声優
2006年にはフジテレビ系アニメ『獣王星』(樹なつみ原作)で主人公トールの声(青年期)を演じ、初の声優挑戦となった(主題歌も担当)。2008年には主演映画『銀幕版 スシ王子! 〜ニューヨークへ行く〜』のキャンペーンの一環として『クレヨンしんちゃん』にKAT-TUNの中丸雄一と共にゲスト出演した。
バラエティ番組・司会
KinKi Kidsとして、堂本光一として、90年代から様々なジャンルの番組を担当し、現在は『新堂本兄弟』で司会を務める。
ダンス
2010年現在、シングルではタイトル曲は全曲ダンスを披露している(米寿司名義も含む)。 KinKi Kidsで披露されるダンスはいわゆるジャニーズ的なものだが、ソロで披露されるものはそのほとんどが自身の作ったメロディーに乗せられた独特なものでバックダンサーもジャニーズJr.ではなく(ただし、ソロデビュー前は元々光一のバックダンサーとして結成された、こちらもデビュー前、すなわちジャニーズJr.時代のKAT-TUNがバックダンサーを務めていたこともある。また、Musical Academyは例外。)女性ダンサーを採用している。要因として、光一自身がダンスにこだわりを持っていること、自身の作るメロディーが典型的なダンスナンバーというよりはそれに独特の哀愁(クセ)が含まれたものであることなどが挙げられる。
作詞・作曲・映像編集
作詞・作曲も手がけ、ソロシングル・アルバムともほぼ全ての曲を自身で作曲している。 KinKi Kidsのデビューから現在までのKinKi Kidsのシングル・アルバム、また、自身の舞台サウンドトラックにも作詞・作曲(作曲のみ含)をした楽曲が収録されている。 他者への楽曲提供も行っている(NEWS「private hearts」、KAT-TUN「Change」、滝沢秀明「dream boy」など)[4]。が、基本的には“作曲のみ”というのが光一のスタイルであり、ソロ楽曲のほとんどは作曲のみを担当している。KinKi Kidsとしても、剛との共作を始めてからはファン投票で1位に選ばれた『愛のかたまり』やシングルのA面になった『Family〜ひとつになること』をはじめ、作詞が剛で作曲が光一というパターンの方が圧倒的に多い。また、『I album -iD-』に収録されいている『futari(作詞が光一で作曲が剛という稀有なパターン)』について光一自身「俺書けへんて言うたで~。詩(詞)で表現するタイプちゃうし~。」と発言している。作曲は1997年の処女作「MY WISH」以来、主にギターを使って行ってきたが、2004年に初めて舞台音楽を制作した際はそれまでと違った手法を用いた。マイナーコードの曲を作ることが多い[5]。ソロでのCD、グループでのCD共に、コーラスの歌入れ、ミックス、トラックダウンなどを自らする場合が非常に多く、レコーディング期間中はスタッフと毎日朝まで話し合いながら作る事が多いとのこと。また、ソロの映像作品のほとんどの編集にも細かく立ち会う。CDシングル、CDアルバム、ビデオ、DVD等の作品への関わりもそうだが、コンサートの構成、演出等も、スタッフと話し合いながら自身で細かく行う[6]。作詞作曲時の名義は「堂本光一」だが、KinKi Kidsの「solitude 〜真実のサヨナラ〜」のみ「K.Dino」と明記されている。これは「自信作なので作り手云々ではなく純粋に曲を聞いて吟味してほしい。」との思いから、堂本光一であることを隠したためである。「K.Dino」の由来は、F1のチーム・フェラーリの創始者・エンツォ・フェラーリの息子であるアルフレード・フェラーリの愛称“ディーノ”から取られている。
人物
- 父親、母親、3歳年上の姉(既婚)、本人の4人家族である。
- 『光一』という名前の由来は、母曰く「父親の名前の一字をとって、光一と命名」[7]。本人は「1月1日の朝生まれたので「光る一番」と言っている[8]。
- 2009年3月に、メスのチワワ(2009年1月9日生まれ)を飼いはじめた。名前は「パン」。
- 自他共に認める仕事人間である。ライヴや舞台等では「普段は聴こえることのない音や間を目でも楽しんで貰えるステージを作りたい」ということを心掛けている。ステージ作りついて本人は、「お客様が見に来るというのが大前提で、その中でどうお客様を楽しませようか、というのを考えるのが一番大事なこと。」[9]と語っている。
趣味・嗜好
車が好きで、携帯電話の待ち受けは愛車のエンブレム、着信音はF1、19000回転のエンジン音である。そのため車に関する話題が多く『KinKi Kids どんなもんヤ!』のソロコーナーは、毎週F1・車の話題である。2006年3月からは雑誌『GRAND PRIX SPECIAL(F1グランプリ)』(ソニー・マガジンズ)で「F1賛歌」を、2007年からは東京中日スポーツ紙上でF1に関するコラムを連載している。
F1に詳しく、2000年と2002年にフジテレビF1中継にゲスト出演した際には、その知識と熱意を知られ、以後川井一仁と親交を深めるようになる。また、2009年10月に鈴鹿サーキットで行われた2009年日本グランプリにFIA唯一の公式VIPゲストとして招かれ、前夜祭イベントやフジテレビF1中継等に出演した。F1に異常に詳くなったきっかけは、幼い頃によくしてくれた近所のお兄さんが好きだったから。2005年9月には、プライベートでベルギー・グランプリを観戦に行った。
憧れの人はアイルトン・セナで、ドライビングスタイルだけではなくその人物自体にも非常に強く惹かれている。また、ミハエル・シューマッハにも憧れている。
好きなアーティストはBon Joviなど。幼少期は母親の影響でTOTOなどを聞いていた。お気に入りの曲は串田アキラの「宇宙刑事ギャバン」。『LOVELOVEあいしてる』やライブで歌ったこともある。
初めて買ったCDは小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」であり、LOVELOVEあいしてるSPに小田がゲスト出演した時に告白し、セッションした。
好きな飲み物はコーラで、コンビニで売っている氷をグラスの半分まで入れて飲むのが定番[10]。好きな食べ物は、水分の多い果物、桃、イチゴ、タコ、イカ、もずく、豚の生姜焼き、餅、味噌汁(ネギ多め)。甘い物は苦手だが、チョコレートは食べられる。ただし、チョコレートケーキは食べられない。苦手な食べ物は、おにぎり、臓物系の料理、生クリーム、あんこ、パクチー、ナス等。大福やタイ焼きは外側の皮しか食べない。喫煙者であって、お酒はビール、ワインなどを嗜む。1日1食で満腹になる。
野球好き。プロ野球では巨人ファン。元・巨人の選手の川相昌弘のファン。
ゲーム好き。とくにファイナルファンタジーシリーズ(FF)は子供の頃からも含めて、すべてクリアしている。中でもFF10がお気に入りで[11]FF10でワッカ役を演じていた声優中井和哉と獣王星で共演した際は嬉しかったと言う。その後、中井に自身のライブDVD『KOICHI DOMOTO CONCERT TOUR 2006 mirror~The Music Mirrors My Feeling~』のCMでのナレーションを依頼している。FFシリーズのオンラインゲームについても、当時ジャニーズJr.だった秋山純に誘われ、植草克秀との交流を深める触媒となった。また剛共々『無双シリーズ』のファンであると公言しており、このことが縁で『真・三國無双6』とのタイアップを実現させている。その他にX-BEATと言うネットゲームにはまってる[12]。
流行やブランドにはこだわりや関心がほとんどないが、クロムハーツを気に入っており、同ブランドのクロスネックレスをよく身に付ける。また、稽古着としてジャージやウインドブレーカーを愛用している。
好きな科目は理科[13]。
子供と動物好きで、特に猫が好きだが猫アレルギーである。過去に「ウニ」「ゆず」という名前の猫を飼っていた。
エピソード
芸能活動が多忙になり途中から高校に通えなくなったため、単位を通信制に持って行き、通信制で5年かけて卒業した(光一が行っていた東海大学付属望星高校は、単位制と通信制の両方がある)。
事務所に入ろうと思ったきっかけの大きなものとしてミュージカルへの憧れがあった。15歳時のインタビューで将来の夢を聞かれた時には、「歌も踊りも芝居も全て入っているミュージカルをやりたい。」と答えている[14]。
ライフワークとも言われる舞台『SHOCK』に関しては、「色んな意味で自分の人格形成された場所。生き方や仕事のやり方があの舞台を通じて出来てきた。」[15]と語る。また常々、「舞台やステージは皆で作るもの」と言い、菊田一夫演劇大賞を受賞した際も「全員の力で頂くことが出来た。とにかくひとつになることを大切にしてきた。スタッフ、キャストがひとつになって作り上げてきたこの舞台でこのような賞が頂けて本当に嬉しい。」と語った。
2009年3月12日に帝劇単独主演記録を更新した際は、「(625回は)あっという間だった。自分では漠然としていてわからないが、“一公演一公演、大事にしていこう。”というのが、“何回”というのを目標にするのではなくて、結果的に“何回”やらせて貰えたとう事に繋がったのだと思います。」と話した。
SHOCKシリーズの初演となる2000年の『MILLENNIUM SHOCK』の公演中に太股の筋肉断裂、2002年6月の『ショー劇・SHOCK』再演の初日に足の靱帯損傷という大怪我を負った。両公演ともサポーターや添え木をして1ヶ月の公演をやりきったが、2002年の初日カーテンコールでは、「自分の不注意から怪我をして、全力のショーをお見せできず、申し訳ありません」と涙を見せた。
光一が主演を務めた『スシ王子!』の監督堤幸彦は、「米寿司を演じるのは大変だったと思う。寿司を握る練習、99%代役なしで挑んだ過酷なアクションシーンなど、非常にストイックで真面目。身体能力という点では、日本の俳優の中でトップクラス。体がよく動き、なおかつ綺麗で凄い。」と言い、共演の山下真司は、「『スシ王子!』は自分の芸能生活28年の中でいちばん大変な撮影だった。スケジュールが厳しく、毎日ほぼ24時間働き続けているような状態だったが、光一だけが寡黙に集中力を途切らせることなく頑張っていた。格好良くてよく働く。養子になって欲しいくらい。」と話した。
『LOVELOVEあいしてる』・『堂本兄弟』・『新堂本兄弟』プロデューサーのきくち伸は光一を、「早くから完成されていた天才仕事人。だが、いつまでも少年の心を持ち続けている。」「プロフェッショナル」と評した。
ジャッキー・チェンは、2000年の『MILLENNIUM SHOCK』と2005年の『Endless SHOCK』を観劇したことがあり、2005年のSHOCK観劇後に仕事で会ったTOKIOの松岡昌宏に、「光一は素晴らしい。SHOCKは素晴らしい。」と絶賛して話したとのこと[16]。
その風貌によりメディアやファンから「王子」と呼ばれている。及川光博から「王子を譲る」「日本の王子は君だけ」、関ジャニ∞の大倉忠義からは「24時間王子である」、光一が主演を務めた『スシ王子!』 の監督である堤幸彦は、「王子といえば光一だろう」と思い光一に出演を依頼したと語っていた。
本人は自分の声があまり好きではないと言っていたが、福山雅治のラジオ番組で視聴者から声がセクシーな男性タレントの第3位に選ばれている。
自分の家の中にいることが好きで、プライベートでは殆ど家の外に出ない。自宅に居る時は、大抵バスローブで、寝る時はほぼ全裸という[17]。「篠原ともえのプリプリプリティ」においてKinKi Kidsの寝起きドッキリをした際、布団にくるまれた光一は全裸であり(と篠原が言っていた)、篠原は絶叫した。
スペースシャワーTVの番組『MUSIC UPDATE』で「イブに一人で過ごしてそうなミュージシャン」で6位に選ばれた。
交友関係
- TOKIOの長瀬智也とは自他共に認める親友であり、 国分太一とは一緒に野球をすることがある。
- Musical Academyのメンバーを信頼しており、自身のライヴや舞台での共演が多いほか、プライベートでも誕生日プレゼントの交換をしたり、食事をしたりする仲である。MAのメンバー屋良朝幸、町田慎吾、米花剛史それぞれが、自身のweb日記やインタビューで光一に対する尊敬と敬意をこめた発言をよくしている。元MAの秋山純(元MA)も信頼を寄せていた後輩で、「俺にとっての癒し系」と明言している。
- ジャニー喜多川(ジャニーズ事務所社長)とは「良いバトルをしながら良いものを作っていく」関係。光一は「ジャニーさんの目指すところ、考えていること、俺、すごくわかるの」と発言している。本人によるとジャニー喜多川には滅多に誉められることはなく、「You、最悪だよ」とまで言われるとのこと[18]。
- 植草克秀(少年隊)とは食事やオンラインゲームで交流を深めていたが、仕事では一緒になることがあまり無く、2009年の舞台『Endless SHOCK』が本格的な初共演となった。
- 滝沢秀明、Hey! Say! JUMPの薮宏太、山田涼介、KAT-TUN中丸雄一、ジャニーズJr.の、中間淳太、など、よくジャニーズ事務所の後輩から憧れの先輩に挙げられる。
- 吉田拓郎を慕っており、「拓郎さんは僕らを受け入れてくれた人。目線を合わせてくれて、否定せず、知らないうちに導いてくれていた。」という。「番組で拓郎さんに、いきなり『曲を作れ!』と言われて。初めて作った曲を持っていったときに『よく作ったね』って言ってくれたのは、今も忘れない。」「拓郎さんは俺たちに『あ、自分にも、曲が作れるんだ』って思わせてくれたんだよね。今、俺が曲を作っているのも、あの当時のことがキッカケ。たぶん、あの出会いがなかったら、今まで作った曲たちも生まれていなかったと思うよ」と話している[19]。共演番組が終了した後、光一と話したり、メールをする中で、吉田はお互いの大切さをより強く感じ、KinKi Kidsに向けて『ありがとう』という曲を作った[20]。
- 山下達郎はKinKi Kidsのデビュー曲をはじめ、曲の提供を受けている。光一のことを「1番は少年ぽい人で、ビジネスのアンテナを張って若者の感じが分かってる。」と話していた[21]。
- 松岡充(SOPHIA)はソロやKinKi Kidsで詞や曲を提供してもらったこともある。光一が司会をしていたポップジャムでの共演もあり、光一がポップジャムを卒業する回にもSOPHIAは出演していて、ラストには松岡が労いの花束を贈呈した。
- 小栗旬とは『獣王星』での共演を通して仲良くなった。
- 北大路欣也とは『銀幕版 スシ王子! 〜ニューヨークへ行く〜』で共演し、その後は光一の舞台に足を運んでいる。北大路からはKinKi KidsのCDデビュー10周年のお祝いとして、プレゼントが贈られた。
- Endless SHOCK出演のダンサー達とは長年にわたる信頼関係を築いており、彼らがKinKi Kidsや堂本光一のコンサートを見に訪れたり、プライベートでカートレースを楽しんだりしている。
- 自身が主演を務める舞台『SHOCK』には、黒木瞳や大地真央なども観劇に訪れ、その後に食事へ行くことも多いという。
- 森光子とはプライベートでも仕事でも尊敬しており、舞台の公演期間には森から食事の差し入れがあるおかげで「体重も(減らずに)キープできている」と話していた。光一は「森さんとお会いすると本当にいつもすごくパワーを頂ける」と話し、森は光一を「若き同志」「ずっと夢を追い続けて皆さんを楽しませておあげになる天使」と言う。2009年の舞台観劇の際には森から「あなたは私の夢ですから」との言葉を贈られた。
- 川井一仁とはF1中継に出演したことがきっかけで親しい。本人曰く、寿司を食べに行くときは決まって川井と一緒だという。
- 高木虎之介とは電話をしたり、家に遊びに行ったりする仲である。
- 佐藤琢磨とは、リポーターとドライバーとして現地で関わったり、雑誌で対談をしたりすることがある。プライベートで佐藤、加藤寛規と共に食事をした際は、「大事件です」「(二人と食事をすることが)この上ない天国。夢のようなひと時でした。」と、ファンに報告した[22]。加藤は2007年に『Endless SHOCK』を観劇に訪れている。
音楽活動
※KinKi Kidsの項目もあわせて参照のこと。
シングル
堂本光一名義
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1 | 2006年7月12日 | Deep in your heart/+MILLION but -LOVE |
2 | 2009年7月29日 | 妖 〜あやかし〜 |
米寿司名義
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1 | 2008年4月30日 | No more |
アルバム
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1 | 2006年9月13日 | mirror |
2 | 2010年9月1日 | BPM |
サウンドトラック
# | 発売日 | タイトル |
---|---|---|
1 | 2006年1月11日 | KOICHI DOMOTO Endless SHOCK Original Sound Track |
コンサート
- KOICHI DOMOTO LIVE TOUR 2004 1/2
- 2004年3月29日〜5月5日(6ヶ所16日間27公演30万4千人動員)
- 北海道立総合体育センター/仙台市体育館/横浜アリーナ/大阪城ホール/広島グリーンアリーナ/マリンメッセ福岡
- 1/2は、「ワンハーフ」と読む。
- KOICHI DOMOTO CONCERT TOUR 2006 "mirror" 〜The Music Mirrors My Feeling〜
- 2006年9月13日〜10月30日(7ヶ所19日間27公演33万人動員(追加公演3公演を含む))
- 真駒内アイスアリーナ/宮城県総合運動公園総合体育館/横浜アリーナ/サンドーム福井/名古屋レインボーホール/大阪城ホール/マリンメッセ福岡
- 9月17日18時開演の福岡公演は、台風の影響により10月3日18時30分開演に振り替えとなった。
- 堂本光一 CONCERT TOUR 2009 Best Performance And Music
- 2009年8月15日〜10月12日(5ヵ所16日間25公演30万2千人動員(追加公演10公演含む))
- マリンメッセ福岡/名古屋 日本ガイシホール/大阪城ホール/横浜アリーナ/北海道立総合体育センター
- 横浜アリーナは9月・10月の2回に分けての公演。
- KOICHI DOMOTO CONCERT TOUR 2010 BPM
- 2010年9月11日〜11月14日(9ヵ所22日間28公演29万人動員(追加公演3公演含む))
- 沖縄コンベンションセンター展示場/北海道立総合体育センター/大阪城ホール/マリンメッセ福岡/横浜アリーナ/名古屋日本ガイシスポーツプラザ ガイシホール/仙台 セキスイハイムスーパーアリーナ/大分ビーコンプラザ コンベンションホール/神戸ワールド記念ホール
- KOICHI DOMOTO 2011 BPM ソウル・台北公演
- 2011年9月9日〜10月2日(2か所5日間6公演2万7千人動員(追加公演3公演含む))
- 韓国・ソウル オリンピック公園-オリンピックホール[23] (2011年9月9日-10日)/台湾・台北 南港101 (2011年9月30日-10月2日)
ビデオ/DVD
- KOICHI DOHMOTO SHOCK DIGEST(2002年6月19日)
- Koichi Domoto SHOCK(2003年1月16日)
- KOICHI DOMOTO LIVE TOUR 2004 1/2(2004年10月14日)
- KOICHI DOMOTO Endless SHOCK(2006年2月15日)
- KOICHI DOMOTO CONCERT TOUR 2006 mirror〜The Music Mirrors My Feeling〜(2007年5月16日)
- Endless SHOCK 2008(2008年10月29日)
- KOICHI DOMOTO CONCERT TOUR 2010 BPM(2011年3月9日)
出演作品
※KinKi Kidsの項目もあわせて参照のこと。
テレビ
テレビドラマ(連続)
※太字は主演
- 人間・失格〜たとえばぼくが死んだら〜 (TBS系:1994年7月8日 - 9月28日)影山留加役
- 家なき子2 (日本テレビ系:1995年4月15日 - 7月8日)牧村晴海役
- 銀狼怪奇ファイル 〜2つの頭脳を持つ少年〜(日本テレビ系:1996年1月13日 - 3月16日)不破耕助/銀狼(二役)
- 若葉のころ (TBS系:1996年4月12日 - 6月28日)藤木甲斐役
- 新木曜の怪談「cyborg」 (フジテレビ系:1996年10月17日 - 11月21日)戒堂晃役
- ぼくらの勇気 未満都市 (日本テレビ系:1997年10月18日 - 12月20日)ヤマト役
- ハルモニア この愛の涯て (日本テレビ系:1998年7月11日 - 9月12日)東野秀行役
- P.S.元気です、俊平 (TBS系:1999年6月24日 - 9月16日)加地俊平役
- 天使が消えた街 (日本テレビ系:2000年4月12日 - 6月29日)高野達郎役
- ルーキー! (フジテレビ系:2001年4月10日 - 6月26日)愛田誠役
- リモート (日本テレビ系:2002年10月12日 - 12月14日)氷室光三郎役
- スシ王子! (テレビ朝日系:2007年7月27日 - 9月14日)米寿司役
テレビドラマ(単発)
※太字は主演
- ドラマシティー'93「愛よ、眠らないで」(日本テレビ系:1993年)池田浩一役
- 木曜の怪談マリオ (フジテレビ系:1995年11月2日)毬夫役
- 金曜エンタテイメント「炎の料理人」 (フジテレビ系:1995年12月1日)周富徳役
- 「パパ帰る'96」(テレビ朝日系:1996年1月4日)福原光太郎役
- 24時間テレビ ドラマ 「勇気ということ」 (日本テレビ系:1997年8月23日)田村和夫役
- 艶姿!ナニワの光三郎七変化 (関西テレビ系:1997年10月2日)浪速屋光三郎役
- 世にも奇妙な物語 秋の特別編 (2006年)「昨日公園」(フジテレビ系:2006年10月2日)陽介役
テレビバラエティ(連続)
- KISSした?SMAP (ABCテレビ:1993年4月4日 - 1996年9月24日)
- 歌謡びんびんハウス (テレビ朝日:1993年8月8日 - 1994年8月21日)
- 超人ドッジボール伝説(関西テレビ:1994年10月17日 - 1994年12月12日)
- それ行けKinKi大冒険(日本テレビ系:1996年4月7日 - 1996年9月29日)
- それ行けKinKi大放送(日本テレビ系:1996年10月6日 - 1998年3月29日)
- まけたらアカン!(フジテレビ系:1996年10月14日 - 1997年2月24日)
- Toki-kin急行 好きだよ!好きやねん(TBS系:1996年10月16日 - 1997年3月12日)
- バリキン7賢者の戦略(TBS系:1996年10月17日 - 1997年9月11日)
- LOVE LOVEあいしてる(フジテレビ系:1996年10月19日 - 2001年3月31日)
- スターどっきり大作戦(フジテレビ系:1997年4月12日 - 1997年9月15日)
- チチパパ親父!娘をたのむで! (フジテレビ系:1997年4月25日 - 9月26日)
- Gyu!と抱きしめたい!(日本テレビ系:1998年4月5日 - 1998年9月27日)
- KinKi KidsのGyu!(日本テレビ系:1998年10月4日 - 1999年9月26日)
- ピカイチ (日本テレビ系:1999年10月3日 - 2001年9月30日)
- ポップジャム (NHK系:2000年4月1日 - 2002年2月18日)
- 堂本兄弟→新堂本兄弟(フジテレビ系:2001年4月8日 - )
- ジャパン☆ウォーカー (日本テレビ系:2001年10月7日 - 2002年3月31日)
- 世代密林(ジェネレーションジャングル) (日本テレビ系:2002年4月7日 - 2002年9月29日)
- ジェネジャン! (日本テレビ系:2002年10月6日 - 2003年3月30日)
- 遊ワク☆遊ビバ! (日本テレビ系:2003年4月6日 - 2004年3月28日)
- ジェネジャン!!(日本テレビ系:2004年4月24日 - 2005年3月26日)※現在は不定期放送
テレビバラエティ(単発)
- 視聴者限定TV堂本光一のみちゃだめ!!(テレビ朝日系:2005年5月28日)
- 視聴者限定TV堂本光一のみちゃだめ!!II(テレビ朝日系:2005年10月1日)
- 堂本光一所長presentsアンラッキー研究所 (日本テレビ系:2008年10月25日)
- 堂本光一PRESENTS 死ぬまでに知りたい10の事〜知神(しりがみ)さまのギモン評議会(日本テレビ系:2008年11月1日)
- 堂本光一のアンラッキー研究所 笑える不幸話バトル!絶句SP(日本テレビ系:2009年1月14日)
- 堂本光一のアンラッキー研究所(日本テレビ系:2009年9月26日)
- 堂本光一のアンラッキー研究所(日本テレビ系:2010年4月5日)
- 堂本光一 すべてはステージのために~究極のエンターテインメント『SHOCK』~(NHK系:2010年8月18日)
- 堂本光一のアンラッキー研究所藝能人失戀SP(日本テレビ系:2011年1月4日)
映画
- 200X年 翔(1992年11月14日公開)聖翔役
- シュート!(1994年3月12日公開)
- 家なき子(1994年12月17日公開)堀口稔役
- 銀幕版 スシ王子! 〜ニューヨークへ行く〜(2008年4月19日公開)米寿司役-主演
舞台
- ANOTHER (1993年8月6日 - 8月24日)
- こけら落し特別公演ジャニーズファンタジー kyotokyoシアター1200 (1997年8月9日 - 8月15日)全23公演
- SHOW劇’99 MASK(1999年1月6日 - 1月31日)
- MILLENNIUM SHOCK (2000年11月2日 - 11月26日)全38公演
- ショー劇・SHOCK (2001年12月1日 - 12月25日, 2002年1月3日 - 1月27日)全76公演
- ショー劇・SHOCK (2002年6月4日 - 6月28日)全38公演
- SHOCK is Real SHOCK (2003年1月8日 - 2月25日)全76公演
- Shocking SHOCK (2004年2月6日 - 2月29日)全38公演
- Endless SHOCK (2005年1月8日 - 2月28日)全76公演
- Endless SHOCK (2006年2月6日 - 3月29日)全76公演
- Endless SHOCK (2007年1月6日 - 2月28日)全81公演
- Endless SHOCK (2008年1月6日 - 2月26日)全76公演
- Endless SHOCK (2009年2月5日 - 3月30日)全76公演
- Endless SHOCK (2010年2月14日 - 3月30日・7月4日 - 7月31日)全100公演
- KANSAI SUPER SHOW 七人の侍 (2010年11月20日 - 21日) 全4公演
- Endless SHOCK (2011年2月5日 - 3月31日) 全76公演
- Endless SHOCK (2012年1月7日 - 31日)
- Endless SHOCK (2012年2月8日 - 4月30日)
声優
- 獣王星 (フジテレビ系:2006年4月13日 - 6月22日)第6話〜 トール(青年期)役
ラジオ
- KinKi Kids どんなもんヤ! (文化放送)
- キンキラKinKiワールド (ニッポン放送:1995年 - 2007年9月)
CM
※ソロ出演作のみ。堂本剛との共演CMは、KinKi Kidsの項目を参照。
- ベネッセコーポレーション (1997年)
- Panasonic (1997年 - 1999年12月)
- 『PHS携帯電話 ル・モテ』
- ハウス食品
- 『バーモントカレー』 (1998年12月 - 1999年1月)
- 『カップシチュー』 (2007年9月15日 - )
- 武田薬品工業 『ハイシービフィーズ』 (2000年5月 - 2001年4月)
- 森永製菓 (2000年9月 - 2008年4月)
- 『DARS』 (2000年9月 - 2007年8月)
- 『チョコモナカジャンボ』 (2001年4月 - 2008年4月30日)
- NTTドコモ関西 (2001年11月 - 2003年6月)近畿地区でのみのOA
- 日本コカ・コーラボトラーズ 『コカ・コーラ』 (2003年3月 - 7月)
- サントリー 『DAKARA』 (2005年6月 - 2006年3月)
連載
- GRAND PRIX SPECIAL(ソニー・マガジンズ)-「F1賛歌」 (2006年〜)
- 東京中日スポーツ - 「光速コーナー」(2007年 - )
- ぴあ-『Endless Days ~堂本光一のオワラナイ日々~』(2010年2月〜2010年12月)
著書
- 僕が1人のファンになる時(ソニー・マガジンズ、ISBN 978-4789734493、2011年1月20日発売)
- 『GRAND PRIX SPECIAL』での連載「F1賛歌」をベースに加筆された本。そのためF1関連の話題がメインである。
取得資格
- 1998年3月8日、締固め用機械(ローラー)運転業務特別教育修了(無制限)
- 1998年6月21日、ソフトボール第3種公認審判員
- 1998年7月13日、四級小型船舶操縦士
- 1998年9月17日、チェーンソー伐木業務特別教育修了
- 1998年11月13日、食品衛生責任者
- 1999年2月8日、COMPETITION LICENSE JAPAN AUTOMOBILE FEDERATION(国内B)
- 1999年3月15日、COMPETITION LICENSE JAPAN AUTOMOBILE FEDERATION(国内A)
- 1999年4月24日、小型車両系建設機械(整地・運搬・積込み用及び掘削用)運転業務特別教育修了(機体重量3t未満)
- 1999年7月2日、日本綱引連盟公認審判員(シングルA)
- 1999年11月10日、一級小型船舶操縦士
- 1999年11月24日、ボイラー取扱技能講習修了(小規模ボイラー)
- 1999年12月16日、フォークリフト運転業務特別教育修了(最大荷重1t未満)
- 2000年1月19日、ラッピングコーディネイター
- 2000年4月26日、アーク溶接等業務特別教育修了
- 2000年5月10日、日本ドッジボール協会公認C級審判員
- 2000年6月1日、大型特殊自動車免許
- 2000年7月5日、そば打ち名人資格
- 2000年8月23日、SWIFTWATER RESCUE First Respond
- 2000年10月17日、車両系建設機械(整地・運搬・積込み及び掘削用)運転技能講習修了(機体重量3t以上)
- 2001年1月20日、アームレスリング国内3級審判員
- 更新していないものが多く、現在いくつの資格が残っているのかは不明。資格証を財布に入れて持ち歩いているものもあり、まったく更新をしていないわけではないとの事(本人談)。
- 資格を活かし、コンサート会場でフォークリフト操作を披露したことがある。
- チェーンソー伐木資格を活かし伐採したクリスマスツリーが、横浜みなとみらい21ランドマークタワーのドックヤードガーデンで公開された。
- アーク溶接の資格を活かし、USJのジョーズ溶接に一役かったことがある。
脚注
- ^ 当時はまだ“K”の表記が全て大文字ではなかった。
- ^ 当時の歌は『A album』に収録されている。
- ^ 東宝
- ^ 光一の曲のコード進行は、音楽のノウハウをまだよくわからずに作った「MY WISH」から既に独特で吉田拓郎や吉田建らが驚いたことがある。
- ^ その展開によって明るくも切なくもなる“E♭メジャーセブン”というコードを使うこともよくあるという。
- ^ ソロ活動では全て自身で行うが、KinKi Kidsのコンサートに於いては、1994年のファーストコンサートから2002年あたりまでは構成を光一が考え、それを元に皆で詰めていく方法をとっていて、2003年以降のKinKi Kidsのコンサートでは堂本剛と共に話し合いながら行っている。しかしGコン以降のコンサート構成や、夏模様以降の販売作品への関わり(楽曲選びや歌割りなど)は、「最近は任せるところは任せるようにしている」と言う趣旨の発言をしていたことがある。
- ^ ファースト写真集『Get the Kinki』母親談。
- ^ 『堂本兄弟』
- ^ 2009年11月15日『少年倶楽部プレミアム』ステージリポート
- ^ 『おしゃれイズム』等
- ^ KinKi Kids どんなもんヤ!より
- ^ J-web
- ^ 『オーラの泉』『HEY!HEY!HEY!』他
- ^ 『人間・失格〜たとえばぼくが死んだら〜』 ビデオ特典インタビュー
- ^ 『Endless SHOCK』575回カーテンコール挨拶
- ^ 『キンキラKinKiワールド』松岡昌宏談
- ^ 『ちちんぷいぷい』等
- ^ 堂本光一のアンラッキー研究所
- ^ 『ポポロ』2009年4月号、p124
- ^ 吉田拓郎のラジオ番組での発言
- ^ 『僕らの音楽』
- ^ Johnny's web日記『Show must go on』より
- ^ 2011年8月第2週にプロモーションのため韓国を訪れ、音楽番組『M! Countdown』等に出演した。