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アルフレード・フェラーリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アルフレード・フェラーリ
Alfredo Ferrari
1956年撮影
生誕 アルフレード・フェラーリ
Alfredo Ferrari

1932年1月19日
イタリアの旗 イタリア モデナ
死没 1956年6月30日(24歳没)
イタリアの旗 イタリア モデナ
死因 筋ジストロフィー
墓地 モデナ、San Cataldo Cemetery
別名 Dino(ディーノ)
職業 自動車技術者
雇用者 エンツォ・フェラーリ
団体 フェラーリ
著名な実績 新型V6エンジンの開発に貢献
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アルフレード・フェラーリAlfredo Ferrari1932年1月19日 - 1956年6月30日)は、イタリア自動車技術者であり、フェラーリの創業者エンツォ・フェラーリの息子である。「アルフレディーノ (Alfredino) 」および「ディーノ (Dino) 」という愛称で知られる。

生涯

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エンツォと妻ラウラの一人息子として生まれる。ピエロ・ラルディ・フェラーリは異母弟である。アルフレードという名前はエンツォの父親にちなんで命名されたもので、愛称の「アルフレディーノ」はイタリア語で「小さなアルフレード」という意味がある。フェラーリ副社長のピエロ・ラルディ・フェラーリとは異母兄弟の関係にある。

当時アルファロメオレーシングドライバーだったエンツォは、もし息子が生まれたらレーサーを引退すると誓っていた。その約束を守り、1932年にドライバーを引退し、それ以降は新設したスクーデリア・フェラーリのチーム運営に専念した。

エンツォは幼い頃からアルフレードを後継者として育てた。アルフレードはモデナ工業高校を卒業後ボローニャ大学経済学自動車工学を学んだ後、スイスに移り機械工学を学んだ。

大学を卒業後はフェラーリに入社した。フェラーリ製高級スポーツカーの代名詞といえばV12エンジンであったが、アルフレードは将来的には小型自動車を作るようになるべきだという考えから、小型車向けのV6エンジン(ディーノV6エンジン)の開発に取り組んだ。

アルフレードはフェラーリ・モンツァの開発に大きな功績を残し、また後にフェラーリ・ディーノ・156F2に搭載されることとなる1.5リッターV6エンジン(ディーノV6エンジン)の開発といった功績を残した。アルフレードは1955年末、父エンツォにF2用の1.5リッターDOHC V6エンジンの開発を提案した。 ランチアから移籍してきたヴィットリオ・ヤーノとともに、F2レース用にバンク角65度の1.5リッターV6エンジンを開発を進めた。

しかし、アルフレードはこの頃から健康上の問題を抱え始めた。身体の動きが徐々に硬直し、体のバランスを保つのが困難になることが多くなった。地元のモデナに帰郷した際に、筋ジストロフィーと診断され入院した。入院中の最晩年になっても、同僚のエンジニアであるヴィットリオ・ヤーノや父のエンツォ・フェラーリたちとともに新型V6エンジンの開発について議論を重ねた。しかし、アルフレードは自身が開発に大きく貢献したエンジンの完成を見ることなく、1956年6月30日に地元モデナで亡くなった。24歳没。

没後の1957年、エンツォは息子の栄誉を称え、アルフレードの愛称にちなんでこのV6エンジンを搭載したレーシングスポーツカーに「ディーノ」と名付けた。跡継ぎとして期待していたエンツォは息子の死を大いに悲しみ、晩年まで愛息の墓参りを日課にしていたという。

F1サンマリノグランプリの舞台だったイモラ・サーキットの正式名称は、かつては「アウトードロモ[注釈 1]・ディーノ・フェラーリ (Autodromo Dino Ferrari ) 」であり、エンツォの死後「アウトードロモ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ (Autodromo Enzo e Dino Ferrari ) 」へ改称された。

没後の影響

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ディーノV6エンジン

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アルフレードが開発に携わったV6エンジンは「ディーノV6」として知られることになる。1957年の156F2に搭載されたのち、F1でも2.5リッターに拡大して246F1に搭載され、1958年のドライバーズチャンピオン(マイク・ホーソーン)を獲得した。

1961年にF1用エンジンが1.5リッターに縮小されると、フェラーリは156F2を基にした156F1を投入し、8戦中5勝[注釈 2]という成績で選手権を支配した。実戦ではバンク角を65度から120度に変更したタイプも使用している。

1967年、ヤーノが中心となってF2用のエンジンのホモロゲーション基準「6気筒以下、年間500機製造」をクリアするボアφ85mm×ストローク57mmの1,987ccV6エンジンを開発したが、当時のフェラーリには生産不可能な台数であったため、フィアットにエンジンの鋳造を依頼し、組み立てをフェラーリが行った[2]。これがディーノ206GTに搭載されたV6エンジンで、エンジンブロックにはFIATの文字が入っている。

このエンジンを搭載してフィアットが生産したスポーツカーは「フィアット・ディーノ」と命名され、クーペタイプとスパイダータイプが存在した。クーペタイプのデザインはベルトーネ時代のジョルジェット・ジウジアーロ、スパイダータイプのデザインはピニンファリーナが担当した[要出典]。ただし同じ1,987ccV6エンジンでも、フェラーリ206GTに搭載されたティーポ135Bはマグネシウムタペットカバーであるのに対し、ディーノ246GT/GTSに搭載されたティーポ135CSとフィアットクーペに搭載されたティーポ135ACとフィアットスパイダーに搭載されたティーポ135ASにはアルミニウムのタペットカバーが装着されている。

なお1,987ccエンジンはホモロゲーション用のエンジンのためブロックがアルミ製であったが、その後ホモロゲーション数が満たされるとコストダウンや生産性向上のため鋳鉄ブロックとなり、ボアφ92.5mm×ストローク60mmの2,418cc[2]に拡大された。ディーノ246GTGTS搭載分はティーポ135CS、フィアットクーペ搭載分がティーポ135BC、フィアットスパイダー搭載分がティーポ135BSである。このエンジンは同じフィアット傘下のランチアが作成したラリーカーのランチア・ストラトスにも使用された[3]

フェラーリ・ディーノ

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当初エンツォは、小型車を全て「ディーノ」のブランド名で販売するつもりであった。実際にディーノと呼ばれたフェラーリ車は排気量1986ccのディーノ206GT、排気量2418ccのディーノ246GT/GTSである。これらはフェラーリ車でありながら、どこにもフェラーリの銘が入っていない。また、それらの後継となる排気量2927ccのV8エンジンのフェラーリ308GT4も初期の生産分ではディーノ308GT4として販売されていた。その後はV8エンジンのフェラーリも「フェラーリ」のブランド名で販売されることになった。

なお、フェラーリのノーズエンブレムの形状が縦長の長方形であるのに対し、ディーノのノーズエンブレムの形状は横長の長方形である。「スモール・フェラーリ」として大ヒットしたフェラーリ・308は「12気筒ではない初めてのフェラーリ」として設計されたが、モックアップ模型のノーズ部分にはディーノのエンブレムをつけるため横長の窪みがあった。

脚注

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注釈

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  1. ^ "Autodromo"は、イタリア語のアクセント位置[1]に従えば「アウトードロモ」とカナ表記されるべきであり、ここではそのようにした。なお、一般に流布してしまっている「アウトドローモ」なる表記はアクセント位置を無視しており、誤りである。
  2. ^ 最終戦にフェラーリは不参加のため、出走したレースでは7戦中5勝。

出典

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  1. ^ 池田廉 編『伊和中辞典』(第2版)小学館、1999年3月20日、150頁。ISBN 4-09-515402-0 
  2. ^ a b 『栄光の名車たちVol.1スーパープレミアム』P029。
  3. ^ 『栄光の名車たちVol.1スーパープレミアム』P105。

参考文献

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  • タツミムックThe Car日本版『栄光の名車たちVol.1スーパープレミアム』

関連項目

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