大映テレビ

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大映テレビ株式会社
DAIEI TV-FILM CO.,LTD
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 106-0041
東京都港区麻布台2-2-1 麻布台ビル5階
設立 1971年10月15日
法人番号 8010401016330 ウィキデータを編集
代表者 近藤一男(代表取締役社長)
資本金 4800万円
売上高 12億円
従業員数 17人
外部リンク http://www.daiei-tv.com/
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大映テレビ株式会社(だいえいテレビ)は、東京都港区麻布台に本社を置く、主にテレビドラマの制作を請け負う日本の会社である。

歴史

前身は、大映株式会社のテレビ映画制作セクションとして、1958年10月に発足した大映テレビ製作室(大映テレビ室)。1971年に、大映の倒産直前に分社化され、大映が全額出資する完全子会社の大映テレビ株式会社として設立された。その後、大映の映画資産は、徳間書店グループ傘下の新会社を経て、角川グループに譲渡されて角川映画が所有しているが、同社とは資本的な関係はなくなっている。しかし、映画監督の増村保造や俳優の宇津井健など旧大映に所属していた人物が大映テレビ作品に関わるなど、人脈的には一定の流れは汲んでいる。

1965年から1971年にかけて、TBSの看板番組として高視聴率をマークした『ザ・ガードマン』で名実ともに力を付けた。その後の1970年代には、岡崎友紀主演の『おくさまは18歳』『なんたって18歳!』からなるシリーズ、山口百恵主演の『赤いシリーズ』、坂上二郎主演の『夜明けの刑事』『明日の刑事』からなる『日の出署シリーズ』を制作して話題を集めた。

そして、1980年代には、TBSでは、国広富之松崎しげるの2人が主演した『噂の刑事トミーとマツ』、火曜20時台の『スチュワーデス物語』『不良少女とよばれて』、土曜21時台の『スクール☆ウォーズ』『ポニーテールはふり向かない』などでヒットを飛ばした。同じく、フジテレビでも、1980年代には水曜20時台には『ヤヌスの鏡』などの10作品と、月曜19時30分~20時の枠で『スワンの涙』『明日に向かって走れ!』『テニス少女夢伝説』のアイドルが主演するドラマを制作し、最盛期を迎えた。また、『おんな風林火山』に代表される時代劇の制作も手がけている。

現在はいわゆる昼ドラ2時間ドラマなどを中心に制作している。なお、2000年代に入ってから、バラエティ番組やドキュメンタリー番組なども制作することがある[1]

分社後の大映も徳間書店傘下の新会社のいわゆる「徳間大映」となって以降、2時間ドラマなどの制作を請け負うようになり、「大映テレビ」制作と「大映」制作のテレビドラマが混在しているケースがある。

役員

大映ドラマ

特に1980年代に大映テレビが制作した実写ドラマは、当初から同業他社のプロダクションが制作する作品に比べて、以下のような特徴が際立っている。

  1. 主人公が、運命の悪戯に翻弄されながら幸運を手に入れる、いわゆる「シンデレラストーリー」。
  2. 衝撃的で急速な起伏を繰り返したり、荒唐無稽な展開。
  3. 「この物語は…」の台詞でオープニングに挿入され、ストーリーの最中では一見冷静な体裁をとりつつ、時に状況をややこしくするナレーション。
  4. 出生の秘密を持つキャラクターの存在。
  5. 感情表現が強烈で、大げさな台詞。

これらの独特な演出から、他の制作会社のドラマと区別する意味で「大映ドラマ」と呼ばれていた。大映ドラマには原作を持つ作品も多いが、いずれも原作をとどめない程改変されている。「不良少女とよばれて」の原作者である原笙子はドラマの内容を知って愕然とし、本編をまともに見ることが出来なかったというエピソードが残っている。

ドラマのキャラクターも、(1)少女あるいは青年女性を主人公にした作品が多かったり(例外:『スクール☆ウォーズ』)、(2)当初は不良で荒廃していたが、生来の力強さで成功・成長するキャラクターが特徴的である。

1980年代の「大映ドラマ」は、TBSフジテレビの2局で大多数が放映され、芥川隆行がTBS系大映ドラマのナレーター、来宮良子がフジテレビ系大映ドラマのナレーターを務めた。当初はTBS火曜20時台のみが大映ドラマの枠であったが;最盛期の1984年になると、TBS火曜20時台、TBS土曜21時台フジテレビ水曜20時台の、計3つが大映ドラマの枠になった。

主題歌も、1980年代には洋楽の日本語カバー曲が大半を占めており、麻倉未稀がTBS系大映ドラマの主題歌の歌い手、椎名恵がフジテレビ系大映ドラマの歌い手になった作品が多かった。

作家小林信彦は、第二次世界大戦前には時代劇を売り物にしていた映画会社・大映が、第二次世界大戦の結果、GHQ占領下の日本では時代劇が禁止されたため、時代劇スターが現代劇を演じざるを得なくなった為、その大げさな芝居の時代劇の乗りによる現代劇に大映ドラマのルーツを求めている。又、大映では、生みの母と育ての母と娘との関係を描く「母物映画」と呼ばれる映画を31本制作しており、出生の秘密を持つキャラクターの多さもここにあるという[3]

一方、1980年代の大映ドラマを野添和子とともに制作していた春日千春は、発想の原点を幼少時に親しんだ講談本紙芝居であるとして、特徴的なナレーションは紙芝居の口上に当たるものと語っており、[4]大げさな台詞とともに家事をする主婦層でも(映像を見ずに)ドラマの内容が分かるように配慮したとの解説もある[5]

1980年代末期になると、こうした過剰な演出の大映ドラマはかつてのような高視聴率を得られなくなり、その後は「大映ドラマ」と言えるまでの独特な演出は行われていない。

従来の映画会社や独立プロダクション系列の制作ドラマが、まだフィルム撮影に固執していたなかで、大映テレビは1982年の『ひまわりの歌』でいち早くビデオ撮影に着手し、1990年から1991年まで放送された『スクール・ウォーズ2』を最後に連続ものにおけるフィルム撮影から撤退している。

男性では松村雄基鶴見辰吾が、女性では伊藤かずえ堀ちえみが、常連俳優として1980年代の大映ドラマに多数出演していた。同じく、作曲家の菊池俊輔は、大映テレビ作品の劇伴を多く手掛けており、大映テレビ作品の常連音楽家となっている。脇役俳優としては、男性では名古屋章下川辰平高橋昌也松村達雄坂上二郎石立鉄男梅宮辰夫石橋正次が、女性では赤木春恵松尾嘉代松原智恵子が数多くの大映ドラマに出演した。

所属スタッフ

※大映テレビ公式サイトに基づく

プロデューサー

  • 塙太志
  • 熊谷理恵
  • 八木亜未
  • 平池拓一
  • 野村知正
  • 都築歩
  • 北川俊樹
  • 長坂淳子
  • 佐野奈緒子
  • 木村康信
  • 渡辺良介

これまでの作品

1960年代

1970年代

1980年代

1990年代

2000年代

2010年代

主題歌全集

2001年4月4日より、1980年代の大映ドラマの主題歌を網羅した「大映テレビ主題歌コレクション TBS編」「大映テレビ主題歌コレクション フジテレビ編」が、キングレコードより発売されている。これらの主題歌全集はフルヴァージョンであり、オープニングナレーションの入ったテレビヴァージョンではない。

脚注

  1. ^ 例:「NONFIX バリアフリーコミュニケーション」(フジテレビ 2014年)
  2. ^ 自費出版で回想記、『昭和思い出の記 大映テレビ独立の記録』(講談社出版サービスセンター、2005年)がある。
     ※著者安倍道典は、旧大映本社のテレビ事業本部製作部長で、倒産に際しては混乱の中で、大映テレビ株式会社を設立、長年にわたり専務・社長等を務めた。のち全日本テレビ番組製作社連盟の設立発起人となり、副理事長になった。
  3. ^ 小林信彦「「大映テレビの研究」批判」『コラムは笑う エンタテインメント評判記 1983-1988』筑摩書房、1989年
  4. ^ 大野宏「「赤い疑惑」 百恵主演、大映テレビ調の代表作」『テレビ番組の40年』読売新聞芸能部編著、日本放送出版協会、1994年、p262-p267
  5. ^ 2015年10月12日放送『TBSもさんまも60歳 伝説のドラマ&バラエティー全部見せます! 夢共演も大連発』より

参考文献

関連項目

外部リンク