奥田碩

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奥田 碩
(おくだ ひろし)
2005年11月21日東京都で開催された
日露ビジネスフォーラムにて
生誕 1932年12月29日(76歳)
日本三重県津市
職業 日本経済団体連合会名誉会長
(第8代 トヨタ自動車社長
  

奥田 碩(おくだ ひろし、1932年12月29日 - )は、日本実業家勲等旭日大綬章社団法人日本経済団体連合会名誉会長トヨタ自動車株式会社代表取締役社長(第8代)、同社代表取締役会長、社団法人日本経営者団体連盟会長(第9代)、社団法人日本経済団体連合会会長(初代)、内閣特別顧問などを歴任した。

目次

[編集] 来歴・人物

[編集] 社長就任まで

三重県津市出身。三重県立松阪北高等学校(現・三重県立松阪工業高等学校)を経て、1955年一橋大学商学部を卒業しトヨタ自動車販売株式会社(現・トヨタ自動車株式会社)入社。大学時代は柔道部に所属し、六段の腕前を誇る。

トヨタ自販の経理部時代に上司とぶつかり、1972年秋、マニラに赴任する。ここで奥田は、フィリピンの政商で、現地でトヨタ車の組み立て・販売を独占するデルタ・モーターの社長・リカルド・C・シルベリオからトヨタへの延滞金を取り立てる任務に就く。肩書きは「経理アドバイザー」。これは困難な任務であり、事実上の左遷であったが、奥田は当時のマルコス大統領らとのコネクションを生かし、未納金の回収に成功した。

当時、マニラには豊田章一郎の娘婿・藤本進が大蔵省の駐在員として出向しており、奥田は章一郎が孫の顔を見に来るたびに同行し、このころから章一郎と奥田の関係が始まった。章一郎は奥田の才能を認め、「マニラでこんなやつがくすぶっているのか。本社の人事は何をしているんだ」とまで言ったという。

1979年に豪亜部長に昇格し帰国。1982年取締役就任。85年にはアメリカ進出のための用地選定を任され、当時会長だった豊田英二から北米事業準備室副室長に指名される。全米からの応募の中から各知事との交渉に当たり、最終的にケンタッキー州工場の誘致に到る。1987年に常務取締役、1988年に専務取締役、1992年に取締役副社長となり、1995年に代表取締役社長に昇格した。

[編集] 社長時代

社長時代にはそれまでどちらかといえば良い意味で保守的だったトヨタを改革したと言われている。例えば、世界に先駆けてハイブリッド車プリウス」を発売したことや、それまでトヨタが敬遠していたF1への参戦を表明したことなどである。奥田時代、当時国内販売で落ち込んでいたシェアを3年がかりで40%代まで回復させるなど、奥田の時代からトヨタは「攻め」の姿勢に転じて躍進を遂げ、現在の世界第1位の自動車メーカーの座を手にした。このことから、彼の経営手腕は一般的に高く評価されており、ハウツー本が出販されたり他のメーカーの中には彼の改革を手本にする企業まで出てきた。

奥田の諸改革には常に後ろ盾として豊田章一郎の姿があり、奥田も豊田本家の章一郎を求心力として旗印にし、常に豊田家を立てつつ改革を進めた。

その一方で、スポーツタイプの車種を全廃した戦略、モータースポーツを広告として捉えるやり方への批判、従業員に過度のサービス残業を強いて労働基準監督署の査察を度々受ける事態を招いたり、業績好調にもかかわらず外国人労働者や非正規雇用の確保で賃金の抑制を行うなど彼の経営姿勢を批判する声もきわめて多く、改革への評価と表裏一体である。

[編集] 財界トップへ

2005年11月21日、日露ビジネスフォーラムにてロシア大統領ウラジーミル・プーチン(左)と

1999年6月、次期社長に副社長だった張富士夫を指名して代表取締役会長就任。また同年社団法人日本経営者団体連盟会長就任。

その後2006年まで社団法人日本経済団体連合会会長を務め、7年にわたって財界トップの座にあったほか、歴代内閣で経済財政諮問会議や各種審議会、有識者会議の委員を数多く勤め、多数の企業の役員に名を連ねるなど政財界に大きな影響力を誇った。

他に、2001年株式会社東京証券取引所取締役就任、2002年株式会社UFJホールディングス取締役就任。株式会社楽天野球団経営諮問委員会委員、KDDI株式会社監査役・取締役、株式会社豊田自動織機監査役東和不動産株式会社取締役、中京ゴルフ倶楽部株式会社理事、株式会社豊田中央研究所取締役(2006年まで)、株式会社デンソー取締役(2003年まで)、株式会社グレイスヒルズカントリー倶楽部理事等も務める。

[編集] 会長退任後

2006年トヨタ自動車会長及び日本経団連会長退任とともに経営の第一線から退く意向を示すも社内の意向により同社取締役相談役として取締役に留任。

その後2007年福田康夫内閣で内閣特別顧問に就任、総理特使として、サウジアラビアアラブ首長国連邦カタールバーレーンクウェートオマーン等に派遣され、各国首脳と会談を行った[1]

2008年麻生内閣発足にともない内閣特別顧問退任。同年、各種年金問題を受け、社会保険庁を廃止し新たに日本年金機構をするために設けられた、日本年金機構設立委員会[2]の委員長に就任[3]。2009年に、同委員会は、機構への採用を希望した社会保険庁職員1万1118人のうち、9971人を内定した[4]

2009年に豊田章一郎とともにトヨタ自動車の取締役を退任し、非取締役の相談役に退いた[5]

[編集] 日本郵政での活動

2002年第1次小泉内閣第1次改造内閣片山虎之助総務大臣より日本郵政公社設立委員に任命され、座長に就任、中期経営目標や経営計画の協議、決定にたずさわる。翌2003年に発足した日本郵政公社ではいったん理事に内定するも辞退し、代わりに同じ自動車業界から宗国旨英日本自動車工業会会長が理事に就任。その後2005年に、郵政民営化による誕生した日本郵政株式会社の社外取締役に就任し、指名委員会委員や、報酬委員会委員長に就任した。

2009年日本郵政かんぽの宿売却問題では、日本郵政取締役の選解任の認可権を有する[6]鳩山邦夫総務大臣が、西川善文日本郵政社長の続投に反対していたところ、2009年5月18日指名委員会で、奥田は西川続投を支持し、結局、同委員会も、大臣の意向に反し西川社長の留任を内容とする株主総会提出議案の決定した[7]。当時の指名委員会構成員は奥田及び、牛尾治朗(元経済同友会代表幹事)、西川善文(日本郵政社長)、高木祥吉(日本郵政副社長、元金融庁長官) 、丹羽宇一郎伊藤忠商事会長)の5人であった[8]。この決定につき、桜井正光経済同友会代表幹事が、指名委員会の決定を尊重すべきだと述べるなど、財界からは支持する意見が出た[9]。一方、鳩山総務大臣は、西川社長の続投はないとの見解を改めて示した後[10]、総務大臣を辞任した[11]

[編集] 発言など

  • 『日経ビジネス』1995年7月17日号に「愛車のアクセル全開で憂さ晴らし」という記事が掲載された。その内容によると、アリストに乗る奥田が、先行車との「車間距離をぐっと詰め、パッシングの連続で押しのける」などの行為を常習的に行っていることが語られている。彼はテストコースで200キロ以上の速度を出す事もしばしばあり、当然右車線を走行していた事や高速道路で160キロ以上ものスピードで走っていた事も明かしており、「スピード麻薬」「普段は黒塗りの役員車に乗ってるが、トロトロ走ってる役員車に乗ってるとイライラする」と迄発言しており、運転手に言い掛かりをつける事もしばしばある。彼にとってはこのアリストが、休日の脚だったそうだ。
  • 社長時代に株主総会の席で株主への説明において「例えばクラウンのオーナーなんて大概5年で買い替えるんですよ。ならば5年持てば十分でしょう。過剰品質については徹底的に見直し、コストの適正化に務めます」と発言した[要出典]。ちなみに2006年現在、「自家用車5年寿命説」とも言える経営路線のためにリコールが2000年以前のおよそ40倍に増加している[12]
  • 『毎日新聞(2004年2月12日)』に『奥田経団連会長:牛丼フィーバーにチクリ 「単純な国民だ」』という記事が掲載された。その内容によると、BSE(牛海綿状脳症)の影響で、吉野家のほとんどの店で2月11日に牛丼販売が休止され、直前に客が「食べおさめ」の行列をつくったことについて、奥田は翌12日、東海地方経済懇談会後の記者会見で「テレビは一部の人の動きを面白おかしく報じていたようだが、(牛丼がなくても)死ぬわけでない。日本人は右から左へ早くふれやすい、単純な国民だと感じた」と発言。懇談会でも奥田は牛丼を教育上の問題点の例に挙げ、「日本人はどうしたのだろうか。やはり教育に力を入れなければならないと感じた」と語った。
  • 皇室典範に関する有識者会議のメンバーを務める。(女性・女系天皇容認派)
  • ミサワホームの経営危機を巡る発言が結果的にミサワホームを産業再生機構入りに追い込んだとして、ミサワホーム創業者(元会長)三澤千代治側が竹中平蔵経済財政担当相(当時)、斎藤淳産業再生機構社長と共に公務員職権乱用罪で告発する事態が起こった。
  • ライブドアの日本経団連入会を認めた際に「企業倫理を学ぶのに役立ててほしい」と堀江貴文を評価していたが、1ヵ月後ライブドアに証券取引法違反が発覚すると「経団連として(ライブドア入会は)ミスだった」と釈明した。
  • 中国訪問の際、同国政府要人との会談で小泉首相の外交姿勢を批判[要出典]
  • 2006年3月8日の記者会見では残虐なゲームソフトの影響で一部の若者が社会に適応できなくなりニートと化している可能性を指摘。経団連としてチェック体制を確立すべく検討を開始したと述べた。
  • 業績のいい企業はベースアップでなく、ボーナス増加で対応すべきとし、各企業に徹底を促した。[要出典]
  • 拝金的な資本主義経済よりも、企業人は「武士道の精神」のような「心の規範」を持つべきと発言した[13]
  • 小泉首相(当時)の靖国神社参拝に対し、反対の意思を持つ[要出典]
  • 橋梁談合事件が起こった際には「談合は慣習、一気になくすのは難しい」「全国津々浦々に行きわたっている慣習のようなもので、地方では仕事を回し合っているワークシェアリング。本当にフェアな戦いをすれば、力の強いところが勝ち、弱いところは沈んでしまう」と発言[14]
  • 2006年11月19日の国際ロータリー第2760地区(愛知地区)大会の記念講演で「世界の現状と日本の針路」と題した部分の中で「均一性、画一性の社会は、規格品の大量生産には適していたが、今やそれは中国の強み」と指摘し、今後の日本は国民にも地方にも「多様性、独創性」(外国からの移民受け入れ)が必要だと訴えた。さらに、少子化について労働人口の急激な減少を懸念。女性や高齢者の雇用を掲げる厚生労働省の対策に「雇用のミスマッチが起きて対応できない」と批判して「外国人の力を借りるのは不可欠」との見方を示した。
  • 2008年11月12日、「厚生労働行政の在り方に関する懇談会」の席上で、テレビなどの年金報道について「厚労省叩きは異常な話。正直言ってマスコミに報復してやろうかな。スポンサーを降りるとか」[15]「(マスコミの)編集権に経営者は介入できないといわれるが、本当はやり方がある」[16]などと発言した。
  • 2009年3月10日政府の経済財政諮問会議にて中国人旅行者らへのビザの発給要件緩和を早急に実施するよう求めた [17]

[編集] 大手マスコミの沈黙

これら一連の発言に対してマスコミ各社からの批判・非難が表立って少ないのは、トヨタグループ自体がマスコミ各社の大口スポンサー・広告出稿者である事が原因である[18]

[編集] 2005年衆議院選挙

奥田が2005年8月8日郵政解散当日に小泉首相と会談し、その後社として自民を全面支援した。従来、トヨタ労組民主党に組織内候補を送り込んでいることなどから、トヨタは自民とは一定の距離を置いていた。しかし、奥田は姿勢を転換しグループ企業を含めた役員クラスを自民候補の支援に動員した。日本ガイシ中部電力東芝など他社もこれに倣った[19]。経団連会長である奥田が自民全面支援を表明した影響は大きかった。例えばトヨタ本社がある愛知県は春日一幸、塚本三郎らを輩出し『愛知民社』といわれ同盟を背景にした穏健な革新勢力の牙城であったが、奥田が自民支持を表明すると自民が大躍進し民社党以来の流れを汲む民主党の絶対優勢は崩れ去った。(ただし、民主党議員の得票数に大きな変化はなかった。)

[編集] 語録

  • 「変わらないことが最も悪い」
  • 「リストラするなら経営者は腹を切れ」
  • 「人間の顔をした市場経済」
  • 「格差があるにしても、差を付けられた方が凍死したり餓死したりはしていない」
  • 「朝から晩まで厚労省を批判している。あれだけ厚労省がたたかれるのはちょっと異常。何か報復でもしてやろうか。例えばスポンサーにならないとかね」
  • 「(マスコミの)編集権に経営者は介入できないといわれるが、本当はやり方がある」

[編集] 家族・親族

実弟の奥田務は、大丸会長兼CEO、J.フロント リテイリング社長兼CEO。 又従姉に童話作家の米川みちこ

[編集] 経済関係の略歴

等も歴任。

[編集] 栄典

[編集] 脚註

  1. ^ 奥田碩・[内閣特別顧問の総理特使としての湾岸諸国訪問外務省。
  2. ^ 日本年金機構法第5条 厚生労働大臣は、設立委員を命じて、機構の設立に関する事務を処理させる。 2 設立委員は、基本計画に基づき、機構の職員の労働条件及び機構の職員の採用の基準を定めなければならない。3 設立委員は、業務方法書、制裁規程その他厚生労働省令で定める規則を作成し、厚生労働大臣の認可を受けなければならない。4 前項の規定によりした厚生労働大臣の認可は、厚生労働省令で定めるところにより、施行日において、第二十六条第一項、第三十二条第一項その他の厚生労働省令で定める規定によりした厚生労働大臣の認可とみなす。5 設立委員は、機構の設立の準備を完了したときは、その旨を厚生労働大臣に届け出るとともに、その事務を前条第一項の規定により指名された理事長となるべき者に引き継がなければならない。
  3. ^ [日本年金機構設立委員会(第1回)-議事次第-]厚生労働省。
  4. ^ 読売新聞2009年5月19日
  5. ^ 読売新聞2009年1月9日
  6. ^ 日本郵政株式会社法第9条 会社の取締役の選任及び解任並びに監査役の選任及び解任の決議は、総務大臣の認可を受けなければ、その効力を生じない。
  7. ^ 朝日新聞
  8. ^ 役員一覧‐日本郵政
  9. ^ 毎日新聞2009年6月3日
  10. ^ 朝日新聞2009年6月5日
  11. ^ 朝日新聞2009年6月
  12. ^ リコール王・トヨタ 欠陥車率3年連続100%超も、回収率さえ非公表My News Japan2006年8月9日
  13. ^ 東北経営者大会での奥田会長基調講演(要旨)−「“こころ豊かな”人・企業・社会をめざして」(日本経団連タイムス No.2779 2005年11月17日
  14. ^ “談合「全国津々浦々の慣習」”. 朝日新聞朝刊: p. 9(. 2005-07-12). 
  15. ^ 毎日新聞 2008年11月13日 東京朝刊
  16. ^ メディアから広告引き上げ トヨタ奥田氏「報復宣言」の効果J-CASTニュース2006年11月13日
  17. ^ 時事ニュース
  18. ^ リコール王・トヨタ “口止め料”日本一の威力My News Japan、2006年7月26日
  19. ^ トヨタが自民支援全開/奥田会長、中部財界に大号令中日新聞、2005年9月5日

[編集] 関連項目

先代:
豊田達郎1992年1995年
トヨタ自動車社長
(第8代:1995年~1999年
次代:
張富士夫(1999年~2005年
先代:
-
日本経済団体連合会会長
初代:2002 - 2006
次代:
御手洗冨士夫
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