「ネコの文化」の版間の差分

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[[ファイル:Cats suggested as the fifty-three stations of the Tokaido.jpg|thumb|300px|稀代の猫好きとして知られる[[浮世絵|浮世絵師]]・[[歌川国芳]]による1図 『其のまま地口 猫飼好五十三疋』。詳しくは「[[歌川国芳#国芳画廊]]」の画像-10を参照。]]
[[江戸時代]]では、本物のネコが貴重で少なかったために、ネズミを駆除するための呪具として猫絵を描いて養蚕農家に売り歩く者もいた<ref>{{Cite book|和書|author=三谷一馬|authorlink=三谷一馬|title=彩色江戸物売図鑑|series=[[中公文庫]]|year=1996|isbn=4-12-202564-8}}</ref>。[[新田氏]]宗家で[[交代寄合]][[旗本]]であった[[岩松氏|岩松家]]では岩松義寄から[[新田俊純|岩松俊純]]までの4代にわたって、ネズミ避けのため直筆の猫絵を下付したことで「猫絵の殿様」として知られていた<ref>{{Cite book|和書|author=落合延孝|title=猫絵の殿様―領主のフォークロア|publisher=[[吉川弘文館]]|year=1996}}</ref>。養蚕地方ではネズミ捕りに長けたネコは、馬の5倍の値が付くほどであったと伝えられ(『[[甲子夜話]]』)、[[寛政]]年間に[[美濃|濃]][[尾張|尾]]と[[伊勢|勢州]]で鼠害が猛威を奮った際にも、ネコが大変に高値になったとの記録が残っている([[水野為長]]『[[よしの冊子]]』)<ref name="hiraiwa1998228"/>。江戸時代には飼い猫のために「猫の[[ノミ|蚤]]取り」という商売があったことを、[[山東京伝]]や[[曲亭馬琴|滝沢馬琴]]も書き残している<ref>{{Cite book|和書|author=桐野作人|authorlink=桐野作人|title=猫の日本史|publisher=洋泉社|year=2016}}</ref>。
 
猫絵に描かれたネコが古寺で大ネズミに襲われた主人の命を救う『猫寺』は、ネコの効用を説く猫絵師などが深く関わって流布した説話であると考えられている。しかしネコが繁殖によって数を増やし、一般の庶民・農家にも広まっていくと同時に、ネコの穀物霊としての特質は失われていった。ネコが人々を病から救う[[薬師|薬師(くすし)]]になったと語る『猫薬師』に霊性が残るのみである。

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