擬人観

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擬人観(ぎじんかん)とは人間以外の動植物、無生物、事物、自然概念などに対し人間と同様の姿形、性質を見いだすことである。

英語では anthropomorphism だが、実際には personification の訳語として用いられることのほうが多い。しかし personification はより広い意味を持つ。そのため厳密には anthropomorphism は「人間形態化(観)」とでも翻訳するが、どちらも「擬人化(観)」という訳語が定着している。

擬人化の概念[編集]

擬人化の前提として、人間は他の人間と関わることで生存する社会的存在であるため、意味のありそうな動きをする無機物や、人間の顔や身体の特徴を感じられる図形やパターンを目にすると、無意識にその事象に人間や生命を認知してしまう認識機能がある[1]

古来より行われた擬人観と現在のそれは大きく異なっている。その代表的な見方が世界多くの神話で用いられた神々の存在とそれに準えられる自然の象徴との関連であり、大自然や絶対的な摂理に対する偶像崇拝の意味合いが強い。ギリシャ神話ヒンズー神話日本神話などはその典型であり、哲学や心理学などあらゆる学問に通じていた一つの根本概念であった。[要出典]

神道[編集]

日本においても古代から日本においては「森羅万象全ての物にが宿っている」という多神教の考え方があり、日本最古の神社いわれる大神神社の神体は山そのものであり、自然崇拝の概念そのものであり、それを象徴する神が存在した。

また日本における神道の流れを汲む多神教の概念は中世近世にかけて一種の寓話として盛り込まれ、子供の躾けなどに用いられた。「~には~の神がいる」という教えなどがその典型であり、そうして子供達に一つずつ道徳を解いていったといわれる。

ギリシャ・ローマ神話[編集]

古代ローマの宗教ではさまざまな存在や概念に与えられた名詞がそのまま神格となっている例も多い(勝利=勝利の女神=ウィクトリアなど)。[独自研究?]

ギリシャ哲学[編集]

ギリシャの哲学者、クセノファネスは最も偉大な神は形においても、心においても人間に似ることはないとした[2][3]。多くの古代ギリシャの哲学者が一神教を信じており[4][注釈 2]ペリパトス派プラトン主義ストア派も擬人化された神を認めなかった[9][10][注釈 3]

キリスト教[編集]

ローマカトリック教会は過度に字義的な聖書解釈を認めず、神に人間の姿を与えることを明確に否定している[12]。キリスト教が擬人化された神を拒絶するようになったのは4世紀以降とされている[13]。また同時期に神のジェンダーも否定され[14]、性別を超越した存在として定義した。

ユダヤ教とイスラム教[編集]

ユダヤ教とイスラム教では神は人間の理解を超えた存在であると信じており、擬人化された神を拒絶している[15][注釈 4]旧約聖書によると、神は人間の常識では測れないことを強調している。

わたしは神であって、人ではなく、あなたのうちにいる聖なる者だからである。 — ホセア書(口語訳)11:9
彼は人ではないから悔いることはない — サムエル記上(口語訳)15:29

表現の擬人化の目的[編集]

前述したように擬人化とは擬人観を元に対象を人間のように見る(表現する)ことであるが、それは前述した原始的な精神観念によるものだけでなく文学、絵画など文化的なレトリックでもあり今日擬人化とはこれすなわちフィクションの擬人化を指すことが多い。その目的は様々であるが、場合によって次のような効果を期待できる。

親しみを持たせ、対象に関心を高める
  • 乳幼児期の子供は一般的に動植物・無生物などを擬人視して考える傾向にある。そのためこの年代を対象とした絵本や漫画・アニメでは動植物・無生物などが擬人化されて登場することが多く、そうすることによって仲間意識を持ち物事に対する関心を高めることができるからである。
  • 各種団体がマスコットを作成したり、ゆるキャラあるいはネット社会を中心に萌え擬人化などを誕生させたりしているのも本来敬遠しがち、あるいは無関心な事象に一種の親しみを持たせる目的であるといえる。
対話形式を用いることで明確性を高める
  • 参考書や教科書、その他子供向けの科学読みものなどでは図示の中で擬人化を巧みに用いて煩雑な説明を明確化させているケースがある。一つの文章を用いるとどうしてもそれが人間視点なのか、それとも非人間の視点なのか分からず紛れたり主述関係などが曖昧になったりするが擬人化を用い対話形式にすることで、図において個々の役割を明確化させることが期待できるからである。学習漫画はそのメリットを最大限に生かした好例である。
ある種の表現に対する婉曲表現
  • たとえば、一部の殺虫剤では簡単なイラストを用いて効能を標榜するほか、害虫に視覚的な嫌悪感を示すことが多いためにそのストレスを軽減する目的で用いる場合がある。また文学や社会記事などにおいても、「高波が一帯の村々を呑み込んだ」「激しい炎が一帯をひとなめした」などと表現することで本来の露骨さを回避でき凄惨な情景を漠然とさせることができる。
臨場感を出す
  • 主に文学で多く用いられており、たとえば「荒波が襲いかかる」「秋の夜長を虫が奏でる」などを用いることで人間が間接的にそれを経験するのではなく非人物が主体となることでその場の臨場感を一層深めているのである。また俳人の小林一茶は雀や蛙など動物に対して盛んに擬人化を取り込んでおり、それによって小動物に対する憐れみや同情がより深く抉られた表現となっている。
客観性を出す
  • 対して、擬人化した非人間たちを人間社会から遠ざけることで客観性を出すことが可能である。このように動物たちが主体となって人間の有様などを観察するという試みがなされた文学も多く代表的なものに夏目漱石の『吾輩は猫である』があり、星新一のSF短編などもよく知られる。
諷刺、アレゴリー
  • グリム童話やイソップ寓話、日本の昔話、故事成語などでは動物が主人公になったものも多いがその多くは人の道徳を諭したり社会を諷刺したりしたものが多い。このように擬人化は動物を主役に置くことで暗に対象批判のカモフラージュとしても用いられるほか、殺傷場面などのグロテスクさを回避したりする効果もある。

擬人化の世界[編集]

黄表紙『心学早染草』 山東京伝作,北尾政美画。1790年刊。

擬人化された世界では人と物が対等の立場にあるもの、あるいは生物、非生物が主役であり人が客観視されているものなどがある。表現としては創作の世界で動植物・無生物などが人格のある存在として描かれる、あるいは漫画アニメ等で人間外の動物が動物の耳や尻尾を備えた人間の姿で描写されることなどもある。

異なるの(擬人化された)動物が一緒に生活しているという世界設定の物語の場合、捕食-被食関係は無視されて「みんなお友達」として描写される場合と実際の動物と同様に捕食-被食関係が存在している場合とがある。

このような例は近世にも例がある。江戸時代草双紙『心学早染草』(しんがくはやそめぐさ)では、人の心の善悪を善玉悪玉というキャラクターで擬人化している。

主な例[編集]

映画『月世界旅行』(1902)では月を擬人化
アニメ・絵本での擬人化
歌での擬人化
  • 赤いトラクター(小林旭の歌。トラクターを男性に擬人化)
  • くるみMr.Childrenの歌。「くるみ」とは、「これから来る未来」を女性に擬人化したもの)
映画での擬人化

擬人化に関する議論[編集]

ウォルト・ディズニーが制作したアニメーション作品『バンビ』も、擬人化された動物たちが営む理想郷を描いた作品のひとつだが、作中で彼らの理想郷は人間の猟師によって理不尽な蹂躙を受ける。鹿の一般的な愛称となり、無垢ステレオタイプともなったキャラクター「バンビ」の受難劇は強いメッセージとして受け止められ、狩猟を文化とするアメリカでは社会的な摩擦を引き起こしている[17]。『バンビ』の公開後、動物を擬人的に理解して反狩猟・自然保護の発言をする人々が増えたが、スポーツハンティングの擁護者たちは、感傷的な擬人化を「バンビ・シンドローム」と呼び、歪んだ自然観やハンターへの偏見を助長する作品として批難している[17]

サブカルチャーの擬人化[編集]

Wikipediaを擬人化したウィキペたん

現代の日本では漫画アニメなどに関する同人用語である物語に登場する動物系・非人間キャラクターを人間に置き換えて別の新たな物語を作ることや、動植物・非人間キャラクターや無生物などの外見を人間化(擬人化)したイラストを描く(またはコスプレで演じる)ことを特に擬人化とジャンル分けする場合がある。

この場合、該当キャラクターや無生物をイメージしたコスチュームを着用した人間として描かれる(コスプレされる)ことが多い。ただし、元のキャラクターが服を着ている場合はそれと同じ服を着用した人間として描かれる(コスプレされる)ことが多い。中には由来となるモチーフの特徴をまったく外見に反映させない場合もあるが、この場合は擬人化されたキャラクターの性格や経歴、他の擬人化キャラクターとの人間関係などといった内面的な要素にモチーフの特徴が反映される[18]。こうした擬人化は同人の枠を超え、『びんちょうタン』や『090えこといっしょ。』など商業キャラクターも生まれている。

擬人名[編集]

擬人名(ぎじんめい)とは人間以外の動物や無生物、行為などを擬人化して呼ぶ名前である。

主な擬人名の一覧[編集]

ここでは、慣用的に広く用いられる擬人名の中で主なものを挙げる。

の擬人名
の擬人名

注釈[編集]

  1. ^ ο θεός
  2. ^ プラトン主義ペリパトス派ストア派はキリスト教徒が天使、聖人といった神聖(divine)あるいは神(god)と呼ぶことができる存在を持つように、ある一つの神を特定の神(Godあるいはthe God)と呼び、その特定の神を除いた神々には、最高神を頂点とした階層制よりもはるかに徹底した従属関係(派生関係)をもたせていたと考えられている[5][6]。彼らは単なる最高神でなく『特定の神(the God)[注釈 1]』、それだけが神と呼ぶに値する唯一無二の神かのように特別な名称を使った[5][6]。ストア派によるとゼウスだけが神であるための基準を完全に満たし、他の神々はゼウスによって運命づけられ、ゼウスの計画を実行するためだけに存在しており、神々は完全にゼウス(the God)に依存し、不死でさえなかった[7]プラトン主義者にとっても神は唯一のものであったが、それ以外にも神聖(divine)と呼ばれる存在がおり、彼らは特別な神の被造物でありながら、神の恩恵によって不死を与えられた。彼らは唯一の特別な神の慈悲によってのみ不死であり神聖であった[8]
  3. ^ ストア派は全ての存在が物質的なものとしゼウス(the God)を活動的な炎と同一視した。世界は理性的な動物であり、周期的に炎に転化する。この炎の状態は世界、世界の理性、ゼウスと完全に一致するものと考えた[11]
  4. ^ Moses Maimonides quoted Rabbi Abraham Ben David: "It is stated in the Torah and books of the prophets that God has no body, as stated 'Since G-d your God is the god (lit. gods) in the heavens above and in the earth below" and a body cannot be in both places. And it was said 'Since you have not seen any image' and it was said 'To who would you compare me, and I would be equal to them?' and if he was a body, he would be like the other bodies."[16]

脚注[編集]

  1. ^ トム・スタッフォード&マット・ウェッブ 『MIND HACKS:実験で知る脳と心のシステム』夏目大訳 オライリー・ジャパン 2008年、初版第13刷、ISBN 4873112710 pp.299-307.
  2. ^ Clement of Alexandria, Miscellanies V xiv 109.1–3
  3. ^ Diels-Kranz, Die Fragmente der Vorsokratiker, Xenophanes frr. 15–16.
  4. ^ Gnuse, Robert Karl (1 May 1997). No Other Gods: Emergent Monotheism in Israel. Sheffield Academic Press. p. 225. ISBN 1-85075-657-0. https://books.google.com/books?id=pBSJNDndGjwC&pg=PA225 
  5. ^ a b Pagan Monotheism in Late Antiquity, Edited by Polymnia Athanassiadi, Michael Frede, CLARENDON PRESS • OXFORD(1999), pp. 43-44. "the Platonists, the Peripatetics, and the Stoics do not just believe in one highest god, they believe in something which they must take to be unique even as a god. For they call it ‘God’ or even ‘the God’, as if in some crucial way it was the only thing which deserved to be called ‘god’. If, thus, they also believe that there are further beings which can be called ‘divine’ or ‘god’, they must have thought that these further beings could be called ‘divine’ only in some less strict, diminished, or derived sense. Second, the Christians themselves speak not only of the one true God, but also of a plurality of beings which can be called ‘divine’ or ‘god’; for instance, the un-fallen angels or redeemed and saved human beings."
  6. ^ a b Pagan Monotheism in Late Antiquity, Edited by Polymnia Athanassiadi, Michael Frede, CLARENDON PRESS • OXFORD(1999), p. 49. "As the principle of everything it is, according to Aristotle, the ultimate source of all order and goodness in the world. And Aristotle explicitly attributes unlimited power to it. So when Aristotle talks about the God, he means one particular divine being whose status, even as a divine being, is so unique that it can be called ‘the God’......Even if the order of things envisaged leaves room for beings which can be called ‘divine’, it is clear that they will be so fundamentally derivative and subordinate to the God that, for instance, talk of a ‘highest God’ is in some ways quite misleading. For the relation between a first principle and those things which depend on the principle involves a much more radical subordination than that involved in a pantheon or hierarchy of gods with one god at the apex. A fortiori, the analogy with Zeus is somewhat misleading."
  7. ^ Pagan Monotheism in Late Antiquity, Edited by Polymnia Athanassiadi, Michael Frede, CLARENDON PRESS • OXFORD(1999), p. 53. "Nevertheless, this clearly means that only Zeus satisfies the criterion for being a god fully, whereas all other gods only satisfy the criterion by not insisting on strict indestructibility, but by accepting a weak form of immortality. It is only in this diminished sense that things other than Zeus can be called ‘god’. More importantly, though, these other gods only exist because the God has created them as part of his creation of the best possible world, in which they are meant to play a certain role. The power they thus have is merely the power to do what the God has fated them to do. They act completely in accordance with the divine plan......It is very clear in their case, even more so than in Aristotle’s, that these further divine beings are radically dependent on the God and only exist because they have a place in the divine order of things. Far from governing the universe or having any independent share in its governance, they only share in the execution of the divine plan; they are not even immortal, strictly speaking. Theirs is a rather tenuous divinity."
  8. ^ Pagan Monotheism in Late Antiquity, Edited by Polymnia Athanassiadi, Michael Frede, CLARENDON PRESS • OXFORD(1999), p. 54. "So there is one God, but there are also other beings which are called ‘divine’, though they are created, because they are by Divine grace immortal and enjoy a good life. But they only exist as part of God’s creation and they are immortal and hence divine only due to the God’s benevolence or grace, that is to say they owe their very divinity to God. S"
  9. ^ Augustine and the Corporeality of God, Carl W. Griffin and David L. Paulsen, The Harvard Theological Review Vol. 95, No. 1 (Jan., 2002), p. 97, "All of this stands in stark contrast with that Christian theology which developed, primarily under the influence of Platonism, a nonanthropomorphic and incorporeal conception of God that has come to dominate all subsequent theology and philosophy"
  10. ^ Religion, Ethics, and the Meaning of Life, ROLANDO M. GRIPALDO, KEMANUSIAAN 15 (2008), 27–40, p. 28
  11. ^ "Pagan Monotheism in Late Antiquity, Edited by Polymnia Athanassiadi, Michael Frede, CLARENDON PRESS • OXFORD(1999), p. 51. But the Stoics not only think that all beings are material or corporeal, they also, more specifically, identify God or Zeus with a certain kind of fire which is supposed to be intelligent, active, and creative. So perhaps we have to assume that the Stoics distinguish two aspects of the fiery substance which is Zeus, two aspects, though, which in reality are never separated, namely its divine, creative character, and its material character. Thus God and Zeus are the same to the extent that Zeus is active, creative, intelligent. Now the Stoics also believe that the world is a rational animal that periodically turns entirely into the fiery substance which is Zeus. What happens is that the reason of this animal is itself constituted by this fiery substance, and that this reason slowly consumes and absorbs into itself the soul and the body of the world. Thus, in this state of conflagration, the world, the reason of the world, and Zeus completely coincide."
  12. ^ James Joseph Fox (1907). "Anthropomorphism" . In Herbermann, Charles (ed.). Catholic Encyclopedia. 1. New York: Robert Appleton Company., "The Scriptures themselves amply warn us against the mistake of interpreting their figurative language in too literal a sense. They teach that God is spiritual, omniscient, invisible, omnipresent, ineffable. Insistence upon the literal interpretation of the metaphorical led to the error of the Anthropomorphites."
  13. ^ Augustine and the Corporeality of God, Carl W. Griffin and David L. Paulsen, The Harvard Theological Review Vol. 95, No. 1 (Jan., 2002), p. 108, "Augustine himself clarifies what he means by anthropomorphism/corporealism not being catholic doctrine: "The Catholic faith does not teach what we thought and we were mistaken in criticizing it. The Church's educated men (docti) think it is wrong to believe that God is bounded by the shape of a human body" (Conf.6.11.18).
  14. ^ JESUS AND THE FATHER, Tim Bulkeley, Asian Journal of Pentecostal Studies 17:2 (2014), pp. 145-147. Gregory of Nyssa, Homily VII In Cantica Canticorum (PG 44: 916B)—“God is not either male or female;” in Greek, the quotation reads: epeide gar oute arren, oute thelu to theion esti;. Jerome, In Esaiam (CCSL 73: 459, 1.82-83)—“There is no sexuality in the Godhead;” in Latin, the quotation reads: In divinitate enim nullus est sexus.
  15. ^ ANTHROPOMORPHISM - JewishEncyclopedia.com”. www.jewishencyclopedia.com. 2022年8月8日閲覧。
  16. ^ Maimonides, Moses, “Fundamentals of Torah, Ch. 1, § 8”, Book of Science 
  17. ^ a b マット・カートミル『人はなぜ殺すか:狩猟仮説と動物観の文明史』 内田亮子訳 新曜社 1995年、ISBN 4-7885-0537-1 第9章
  18. ^ “漫画・アニメに擬人化ブーム 物の形残さず、性格で表現”. asahi.com (朝日新聞社). (2010年10月3日). http://www.asahi.com/national/update/0930/OSK201009290183.html 2010年10月3日閲覧。 

参考文献[編集]

  • 大修館書店『レトリック事典』 擬人表現の項より
  • 学習研究社 内山安二著 『まんがかき方入門』

など

関連項目[編集]