ネコの文化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ネコ > ネコの文化

この記事では人類(ねこ)との関わりあいのなかで生まれたネコの文化について、文化や風習、創作物、あるいは日常生活での関わりあいについて解説する。

人間とのかかわりの歴史[編集]

古代エジプトのネコの像(ルーヴル美術館所蔵)

新石器時代、中近東地域から農耕が広まり始め、穀物が保管されるようになるにつれて、ネズミが爆発的に増加したために、穀物庫の番人役としてネコが村の中で重宝されるようになったといわれる。

西洋[編集]

現在知られている世界最古のものとしては、キプロス島シロウロカンボス遺跡英語版にて約9,500年前(考古学でいう紀元前8千年紀中盤、地質学でいう完新世初期〈プレボリエール期;en〉)の墓から人骨とともに埋葬遺体として発見された1匹のネコの骨であり、新石器時代もしくは石器時代後期から人類がすでにネコをペットとして手なずけていたことを示唆している。このネコの骨は人骨が埋葬されていた場所からおよそ40cm離れた場所に埋葬されていたが、遺体の保存状況、位置関係などから、高位の人物が飼い猫を一緒に埋葬したものと考えられる。発掘されたネコが年齢およそ8ヶ月であることから、その人物が死亡した際、一緒に殺されて埋められたとも推測できる。さらには、キプロスの同遺跡においてネコが何らかの宗教的重要性を持つ存在であった可能性も示唆されている。遺体からは屠殺された形跡が見られないため、埋められていたネコはおそらく人間と同様に扱われていたと考えられるという。ただし、同時代の同地域の遺跡からは、人間がネコ科の動物を食用にしていた跡も発見されているという。[1]

古代エジプトでは、ネコがライオンの代わりとして崇拝されていたし、バステト女神として神格化もされていた。そのため、敵側がネコの顔を自らの盾に描いてエジプト兵を追い払ったとも伝えられる。 また、ジェームズ・フレイザーの『金枝篇』によると、中世ヨーロッパでもネコは麦穂の精霊と同一視され、中国でも、獣偏に苗(正字体では「」)と書くように、稲穂の精霊とされていたという。ただし、の時代には「猫」の字はまだなく、人里近くで目にする犬猫程度の体格の四足獣全般を指す「」の字がネコに対しても当てられている。「#猫の別称」も参照のこと。

日本[編集]

竹内栖鳳 『班猫(はんびょう)』 1924年(大正13年)

読売新聞(2008年06月22日)の記事によると、日本の考古学においてネコが初めて現れるのは長崎県壱岐市勝本町弥生時代遺跡カラカミ遺跡より出土された、紀元前1世紀大腿骨など12点である。当時の壱岐ヤマネコがいた形跡がないことや現在のイエネコの骨格と酷似しているため断定された。

日本釋名』では、ネズミを好むの意でネコの名となったとされ、『本草和名』では、古名を「禰古末(ネコマ)」とすることから、「鼠子(ねこ=ネズミ)待ち」の略であるとも推定される。他の説として「ネコ」は眠りを好むことから「寝子」、また虎に似ていることから「如虎(にょこ)」が語源という解釈もある(言海)。このように、蓄えられた穀物や織物用のを喰うネズミを駆除する益獣として古代から農家に親しまれていたとおぼしく、ヘビオオカミキツネなどとともに、豊穣や富のシンボルとして扱われていた。

ただ、古代にネコが日本に定着していたという物証は乏しく、古事記日本書紀などにもネコの記述は無い。文献に登場するのは、『日本霊異記』に、705年慶雲2年)に豊前国福岡県東部)の膳臣広国(かしわでのおみ ひろくに)が、死後、ネコに転生し、息子に飼われたとあるのが最初である[文献1 1]

奈良時代頃に、経典などをネズミの害から守るためのネコが中国から輸入された。愛玩動物として飼われるようになったのは、『枕草子』や『源氏物語』にも登場する平安時代からとされ、宇多天皇日記である『寛平御記』(889年寛平元年〉)2月6日条には、宇多天皇が父の光孝天皇より譲られた黒猫を飼っていた、という記述がある[文献1 1]ネコの文化#日本初の飼育記録)。鎌倉時代には金沢文庫が、南宋から輸入したネコによって典籍をネズミから守っていたと伝えられている。『今昔物語』には「加賀国の蛇と蜈蚣(むかで)と争ふ島にいける人 蛇を助けて島に住みし話」における「猫の島」の話や[2]藤原清廉の逸話として「猫怖じの五位(猫怖じの大夫)」がみられる[3]。平安時代には位階を授けられたネコもおり、『枕草子』第六段「上にさぶらふ御猫」によると、一条天皇定子は非常な愛猫家で、愛猫に「命婦のおとど」と名付け位階を与えていた。ある日このネコが翁丸というイヌに追いかけられ天皇の懐に逃げ込み、怒った天皇は翁丸に折檻を加えさせた上で島流しにするが、翁丸はボロボロになった姿で再び朝廷に舞い戻ってきて、人々はそのけなげさに涙し天皇も深く感動したという話である。ネコに位階を与えたのは、従五位下以上でなければ昇殿が許されないためであるとされ、「命婦のおとど」の「命婦」には「五位以上の女官」という意味がある。

このように、日本に伝来してから長きにわたってネコは貴重な愛玩動物扱いであり、鼠害防止の益獣としての使用は限定された。番犬として放し飼いにされていたイヌと異なり、ネコは伝来以来専ら屋内、またつないで飼育する動物であり、絵巻物等にも魔除けの同様に紐・綱等でつながれて逃げないように飼育されているネコの様子が多数描かれている。貴重なネコを失わないために首輪につないで飼っている家庭が多かったため、慶長7年(1602年)には猫の綱を解き放つことを命じる高札が出されたことが、西洞院時慶の日記である『時慶記』に記録されている。禁制はかなりの効果があり、鼠害が激減したと言われる。御伽草紙の「猫のさうし」は、これに困った鼠が和尚に相談する内容となっている[4]

稀代の猫好きとして知られる浮世絵師・歌川国芳による1図 『其のまま地口 猫飼好五十三疋』。詳しくは「歌川国芳#国芳画廊」の画像-10を参照のこと。

江戸時代は本物のネコが貴重だったために、ネズミを駆除するための呪具として猫絵を描いて養蚕農家に売り歩く者もいた[5]新田氏宗家で交代寄合旗本であった岩松家では岩松義寄から岩松俊純までの4代に渡って、ネズミ避けのため直筆の猫絵を下付したことで「猫絵の殿様」として知られていた[6]。絵に描かれたネコが古寺で大ネズミに襲われた主人の命を救う『猫寺』は、ネコの効用を説く猫絵師などが深く関わって流布した説話であると考えられている。しかしネコが繁殖によって数を増やし、一般の庶民・農家にも広まっていくと同時に、ネコの穀物霊としての特質は失われていった。ネコが人々を病から救う薬師(くすし)になったと語る『猫薬師』に霊性が残るのみである。

安土桃山時代九州南部の大名島津義弘は、文禄元年(1592年)からの文禄の役慶長2年(1597年)からの慶長の役に猫の瞳孔で時間を知るために、7匹の猫を伴って朝鮮に渡ったとされ、生還した2匹の猫を猫神として祀る神社が鹿児島県仙巌園にある[7]

キャットショー[編集]

1903年、クリスタルパレスでのキャットショー

歴史上最も古い猫を用いた祭事の記録としては1598年にイギリスで祭りの一環として行われたものが最古であるが、詳細は未だ不明である[8]。 現在の形式につながるショーとして1871年にイギリスはロンドン、クリスタルパレスで初めて開催されて以来、品種の保全や交配のために各地で全国組織の愛猫協会などが主催するキャットショーが行われてきた。イギリスで行われた初期のキャットショーではいくつかの長毛種とブリティッシュショートヘアが出展され、アメリカではメインクーンのためのショーが同時期に開催された[9]。いずれのキャットショーにおいても、品種を分け、理想像(スタンダード)の実現と健康な個体数を維持するという目的は同じある。日本においては1956年、東京日本橋の三越デパートの屋上で日本シャム猫クラブが主催したものが最初で、当時日本ではシャム猫以外に純血種が認識されておらず、出陣された個体もシャム猫だけであった[8]。一般に高級品種のみを対象としたイベントと認識されがちであるが、実際にはハウスホールドペット(純血種ではない雑種などの個体)や去勢猫といった部門もあり、飼い主の知識向上やコミュニケーションの場としての役割も担っている。

家畜・食材としての猫[編集]

ネコがはたして家畜であるのかという問題に関しては、現在も議論が続いている。家畜の定義は「その繁殖に関して人間が決定的に関与する動物」というものだが、現在世界に分布するイエネコの繁殖に関してはその大部分がその管理外あるいは放し飼いと推測され、ネコ自身による自由な繁殖に任されている。イヌと異なり、人に直接的に危害を加える危険性は低いため「野良猫」は「野良犬」ほど社会問題視されることは少ない。

日本[編集]

三味線を弾く猫

ネコを家畜として見た場合の利用例としては三味線を挙げられる。16世紀末に中国より日本本土に伝わった三弦の楽器が、猫皮を使用するようになり、これが三味線へと変化した。

同じ日本においては江戸時代、食用にすべきでない獣肉の一つとしてネコが記録されている。天明の大飢饉により米価が高騰し深刻な不足が起こった際、江戸北町奉行曲淵景漸がイヌやネコの肉の価格を示して「米がないならイヌやネコの肉を食え」と発言し町人の怒りを買い、江戸市中で打ちこわしまで引き起こす結果となったことから、当時イヌやネコの肉が食用として一部で流通してはいたものの既に一般的な食材の範疇に含まれないと認識されていたことが窺われる。一方明治期の夏目漱石が著した『吾輩は猫である』の冒頭などには、貧乏書生が捕まえて煮て食ったなどの話も見られる。昭和初期までは困窮層に「おしゃます鍋」(「猫じゃ猫じゃ」の歌詞に由来、つまり「猫鍋」)なる言葉も残っていた。猫鍋は泡が立ち、味がよくないと言い伝えられている。

琉球(現・沖縄)では近年まで猫食が残っており、1999年には無許可で猫肉を販売していた業者が摘発を受けている。一般に肉食性の哺乳類は肉が臭く、脂肪分が少ないため食用に適さず、後述のように薬膳などに限られていた。琉球では古くから喘息に効くと信じられており、現在でも先島諸島の一部では稀に用いられることがあるという。

イタリア[編集]

イタリア北部にあるヴェネト州でもネコを食材に使う食習慣があり、ポレンタの具の一つとして使用される。2010年、国営放送であるイタリア放送協会の料理番組に出演したフードライター、シェフのベッペ・ビガズィーは、「ネコの肉は、鶏肉ウサギハトよりもはるかにおいしい」と言い「3日間、わき水に浸すと良い」等の調理法の説明をし、彼の出身地であるトスカーナ地方の郷土料理は猫のキャセロールだと発言。後日に、1930~40年代、ビガズィーが子供の頃は本当にネコが食べられていた事、イタリアが食料難の時代には、そのレシピも工夫されていた事なども発言している。番組中の発言により、視聴者や動物愛護団体から非難が殺到し、ビガズィーの出演は停止された。

東アジア・欧州・その他の国[編集]

中国やその影響を受けた一部の国では、滋養強壮等の薬膳としてネコを食べる。中国(特に南の方)や朝鮮では、イヌやハクビシンなどとともに食材として日常的に市場で売られている地域もあるほか、寅年縁起物としてトラの代わりにネコを食べる地域もある。中国のある地域では、人間に食べられないよう、ペットのネコも日本での屋外イヌ同様、につないで飼うことが普通であるという[要出典]

文化の中の猫[編集]

画家ルイス・ウェインは擬人化したネコを多く描いたことで知られる。

ネコを主題とした作品・架空のネコ[編集]

ネコはイヌと同様に、人間に身近な動物であることや、擬人化しやすいことから、漫画・文学作品等のフィクションのキャラクターとしても数多く登場する。

ネコの象徴化[編集]

ネコの性格は気まぐれとされ、行動・習慣はむしろ頑固で多分に自己中心的であり、イヌが飼い主のしつけによく反応し強い忠誠心を示すのとは対照的であるとされている。これは、イヌが元来群れをつくる動物であり、飼い主を群れの仲間(多くの場合は自分よりも上位)と認識するのに対して、元来単独で行動するネコでは、そのようなことがないのが原因であると言われる。もちろん全てのネコがそうであるわけではない。例えばロシアンブルーは人見知りではあるが飼い主に忠実であり、イヌのようだと言われるメインクーンは部屋から部屋へ飼い主に付いて行ったり、アビシニアンソマリは人と遊ぶことを非常に好むなど、ネコの品種によっては、人間の生活様式に順応した性格を生まれ持って具えていることも多い。躾ければ、餌をねだる際にイヌのように「お手」をすることも覚える。また、ネコの飄々とした性質や姿形から、幻想的な象徴として描かれることも多い。マザーグースにはバイオリン(fiddle)を弾くネコが登場する。またイギリスなどの英語圏では黒猫はクリスマスカードのモチーフとして定番になっている。

農家にとってネズミを捕るネコは豊穰と富を象徴する生き物だったが、豊穰というものは連続する再生(生産)であり、そのための死(消費)をも意味する。ネコの特徴として、光の量によって大きさの変化する瞳が挙げられるが、これはの満ち欠けに擬えられた。月もやはり死と再生を繰り返すと考えられていた存在である。後世では、この死を司るという特質が強調されるようになり、中世ヨーロッパでは魔女使い魔と見做されるようになった。

イスラム世界では、預言者ムハンマドがネコを可愛がっていたと伝えられており、現在でもネコは好まれる。

なお、現代では野猫(ノラネコ)は野生化したイエネコそのものを指しているが、『和漢三才図会』でタヌキを「野猫」としているように、古くはタヌキをネコと呼んでいることから、ネコとタヌキは民俗学的には同一の存在である。中国では「狸」の字でタヌキのほかにヤマネコの類をも指したので、イエネコを「家狸」とも称した。

伝説・伝承[編集]

化け猫 歌川国芳

昔から日本では、ネコが50年を経ると尾が分かれ、霊力を身につけて猫又になると言われている。それを妖怪と捉えたり、家の護り神となると考えたり、解釈はさまざまである。 この「尾が分かれる」という言い伝えがあるのは、ネコが非常な老齢に達すると背の皮がむけて尾の方へと垂れ下がり、そのように見えることが元になっている。この、尾が数本に見えるネコは、実際に朝のテレビ番組(TBS)で紹介されたことがある。

猫又に代表されるように、日本において、「3年、または13年飼った古猫は化ける」、あるいは「1、もしくは2貫を超すと化ける」などと言われるのは、付喪神(つくもがみ)になるからと考えられている[要出典]。 『鍋島騒動』を始め、『有馬の猫騒動』など講談で語られる化け猫、山中で狩人の飼い猫が主人の命を狙う『猫と茶釜のふた』や、鍛冶屋の飼い猫が老婆になりすまし、夜になると山中で旅人を喰い殺す『鍛冶屋の婆』、歌い踊る姿を飼い主に目撃されてしまう『猫のおどり』、盗みを見つけられて殺されたネコが自分の死骸から毒カボチャを生じて怨みを果たそうとする『猫と南瓜』などは、こういった付喪神となったネコの話である。

ほかにも日本人は「招き猫」がそうであるように、ネコには特別な力が備わっていると考え、人の側から願い事をするという習俗があるが、これらも民俗としては同根、あるいは類似したものと考えられる。

以下、ネコにまつわる日本の妖怪変化の数々を紹介していく。これらの話は、ネコが死と再生のシンボルでもあったことの名残りであろう。

死者に猫が憑く(岐阜県)
美濃国大野郡丹生川村(現・岐阜県高山市丹生川町)では、ネコが死者をまたぐと「ムネンコ」が乗り移り、死人が踊り出すと言われ、ネコを避けるために死者の枕元に刃物を置く、葬式のときにはネコを人に預ける、蔵に閉じ込める、といった風習があった。今日もなお、この言い伝えは廃れていない。
死者に猫が憑く(佐賀県)
佐賀県東松浦郡でも、死者にネコの霊が憑くと言われ、これを避けるために死者を北枕に寝かせた上でやはり枕元に刃物を置き、着物を逆さにかけるという[10]
死者の骸(むくろ)を盗む猫(愛知県)
尾張国知多郡(現・愛知県知多郡)の日間賀島に伝わる話では、百年以上も歳経たネコの妖怪を「マドウクシャ」と呼び、死者の骸を盗りにくるため、死人の上に筬(おさ、機織機の部品)を置いてこの怪を防ぐという。これと同じく、火葬場や葬列を襲って屍を奪う妖怪は「火車」と呼ばれるが、その正体はネコであることが多い。
生者にも猫は憑く
生きている人間にネコの霊が憑くという伝承もある。
  • 伊予国(現・愛媛県)での話によると、飼い猫を殺した者が、のち精神に異常を来たし、「猫が取り憑いた」と言いながら徘徊するようになったという[11]
  • 山口県大島郡では、死んだネコのそばを通ると犬神蛇神に加えて「猫神」に憑かれると言われ、これを避けるために「猫神うつんな、親子じゃないぞ」と唱えるという[10]
猫の恩返し
貧乏な寺に飼われていたネコが、世話になった恩返しのため、野辺送りの棺を空に上げて、飼い主の和尚に手柄を立てさせる『猫檀家』という説話がある[12]
一方、ネコを大事にする風習からネコを神として祀る地域もある。
猫神(養蚕との関連)
宮城県の村田町歴史みらい館の調査によると、猫の石碑が宮城県に51基(特に仙南丸森町に多く分布)、岩手県に8基、福島県長野県に6基ずつ存在することが確認された。さらに、宮城県には猫神社が10カ所あることも確認された。これは、江戸時代に養蚕が盛んだった宮城県南部で、蚕の害獣だったネズミを駆除してくれるネコに対して興った信仰だったようだと同館は見ている。また、山形県高畠町猫の宮も同じく養蚕の守り神である。ただし、養蚕が盛んだった群馬県では1基も見つかっていない。
猫神(漁業との関連)
宮城県の仙台湾(石巻湾)に浮かぶ田代島では、「猫神様」が島内の猫神社に祀られている。島では漁業稲作と並んで、かつて仙南と同様に養蚕が盛んだったためネコを大事にする習慣があったが、猫神は大漁の守護神とみなされており、養蚕との直接的な関係は見られない。同島には昔からイヌはおらず、島内へのイヌの持ち込みも島民から拒否されるほどの「ネコの島」が現在も維持されている。
猫返し
東京都立川市に在る「立川水天宮 阿豆佐味天神社」内の「蚕影神社」は、養蚕が盛んな地域であった当地にあって、蚕の天敵であるネズミを駆除する猫を守り神として祀っており、飼い猫の無事や健康、いなくなった飼い猫の帰還に利益があるとされ、「猫返し神社」として親しまれ、参拝者が訪れている[13]
愛猫家の間では、中納言行平の詠んだ和歌が猫返しのまじないとして知られている[14]

立ち別れ いなばの山の みねにおふる まつとし聞かば 今帰り来む

『百人一首』第16番

使い方としては、歌を書き込んだ紙に、いなくなった猫が使っていた食器を被せておく、食事場所や猫のトイレの場所に貼っておく、上の句だけ書いて器を被せ、帰還が叶ったときに下の句を書きこんで願ほどきをする、などがある。
また、「いなばの山」と「猫返し」に関する伝承として、可愛がっていた猫がいなくなって悲しんでいる下女に、六部がいなばの宇山にいると教える「猫山」の民話が山口県、広島県、鳥取県などで採集されている[15][16]

俗信・迷信[編集]

黒猫が通る
日本では、ネコに道を横切られると縁起が悪いとも良いとも言われる。黒猫に前を横切られることを不吉として忌むのは、”A black cat crossing one's path by moonlight means death in an epidemic(月夜に黒猫が横切ぎると、横切られた者が流行病で死ぬ)”というアイルランドの迷信を起源とするものであり、イギリスではむしろこれを幸運の印とすることが多い(黒猫は幸運のシンボルであり、それが自分の前を通り過ぎて行く→幸せが逃げて行く、とも解釈出来る)。また、黒猫を飼うと商売が巧くいくとも言われ(福猫と呼ばれた)、店舗などを営む自営業者が好んで飼う場合もある。
猫には九つの命がある
欧米では、人間から見て命がけのような行動をする猫を、9つ分の命がないと生きていけないと思われた。
漁師の黒猫
イギリスでは、黒猫を飼っていると海難事故を避けられると信じられていた。
幸運を運ぶ黒猫
スコットランドでは、玄関先に知らない黒猫がいると繁栄の兆しと信じられていた。
猫のくしゃみ
イタリアでは猫のくしゃみを聞くと縁起が良いと信じられていた。
死を招く黒猫
16世紀イタリアでは、黒猫が病人のベッドに寝そべると、その病人に死が訪れると信じられていた。
Matagot
フランスでは、黒猫を大事に世話すると、お返しに富をもたらすと信じられていた。
猫と小川
フランスでは、猫を抱えて小川を渡るのは縁起が悪いと信じられていた。
尻尾を踏むと婚期が遅れる
フランスでは、若い未婚の女性が猫の尻尾をふむと、1年間婚期が遅れると信じられていた。
猫と噂
オランダでは、猫が街で噂を広めていると信じられていた。
事故死を招くサビ猫
ノルマンディーでは、サビ猫を見ると事故死の前兆と信じられていた。
死後の世界へお供する猫
フィンランドでは、死後の世界へ旅する魂に猫がお供すると信じられていた。
悲運の七年
アイルランドでは、猫を一匹殺すと、運の悪い七年間が続くと信じられていた。
猫が居つきますように
アメリカでは、新居に移るときは猫を窓から入れると、家から離れないと信じられていた。
縁起の悪い白猫
アメリカでは、夜間に白猫を見るのは縁起がわるいとされていた。
縁起の良い白猫
アメリカでは、道の途中で白猫を見るのは縁起が良いとされていた。
幸運を呼ぶ猫肉
エウェ人は、猫を珍味として食し、特に頭を食べると幸運が訪れ、未知の土地で死ぬことを免れると信じていた。
縁起の悪い黒猫
ガーナでは、黒猫が夢に出てくると凶兆と信じられていた。
同情するなかれ
道端などで見かけた猫の死体に対して「かわいそう」といった同情の気持ちを起こすと「この人なら大丈夫だ」と思われてしまい猫の霊に取り憑かれる、という俗信が日本にはある。そのため、猫の死体に声を掛ける際には「かわいそう」ではなく、「成仏して」など別の表現を用いる。
猫と犬の雨が降る
英語では「土砂降りの雨」を指して「raining cats and dogs」という。これは中世ヨーロッパで多くの雨が降った時、不完全な下水の洪水によって汚水が道路上に溢れそれによって猫や犬が死に道路上にまるで猫や犬が空から降ったように見えたという言い伝えに基づくものである。
日本と欧米での相違
猫の好物は、日本ではかつお節だが、欧米ではミルクとされる。また、欧米では猫と犬は仲が悪いとされる。
猫の埋葬
沖縄では猫の死骸は地面から離しておかなければ災いを招くという迷信があり、木に首を吊るしたり、ビニール袋に入れて袋ごと吊るす習慣があった。

猫年・猫座[編集]

ネコは、東洋では十二支の動物になり損ねた動物の一つということになっている。ただ、十二支の選に洩れた理由として広く語られるネズミの計略による遅延との逸話は後世の創作で、12種の動物が選ばれた時代の中国においてはネコはまだ一部の貴人に飼われ始めたばかりで、庶民には全く馴染みがなかったことが本当の理由であるとされている[要出典]。対して、が選出されているが、これは、架空の動物であっても皇帝の象徴としてこれを知らない者などいなかったためである。

なお、中国の影響を受けつつ、しかし中国より遅れて十二支を整えたタイベトナムでは、もうそのころには一般的になっていたネコを選び出している(主にウサギに代えて「」に当てる)。

西洋の星座にも、ねこ座は見当たらない。ただし、17世紀になってポーランドの天文学者ヨハネス・ヘヴェリウスが「やまねこ座」を、18世紀には猫好きだった天文学者のジェローム・ラランドが「ねこ座」をそれぞれ作成している。しかしねこ座については認められず、現在では残っていない。

サブカルチャーの世界における猫の扱い[編集]

ネコの名を持つ生物[編集]

生物の名にネコが入ることは例が多い。ただし、なぜこれがネコなのかがよくわからない例が多い。わかりやすい例としてミズネコノオ(ミズトラノオより小さいから)、ネコノシタ(葉がざらつくから)、ネコノメソウ(果実の形から)、ウミネコ(鳴き声が似ていることから)キャットフィッシュ(ヒゲが猫を連想させる)、などがあげられる。

  • 動物
ネコハエトリ・ネコグモ・ネコザメ
  • 植物
ネコハギネコヤナギネコノチチ・ネコアサガオ

猫の別称[編集]

  • 狸奴(りと・りど)
  • 家狸(かり)
  • :「猫」(新字体・簡体字)に対する異体字(旧字体・繁体字)。
  • にゃんこ、にゃんにゃん、にゃーにゃー:鳴き声に由来して生じた、日本の喃語幼児語)。
  • ちゃべ、ちゃっぺ、ちゃちゃ、ちゃこ、ちゃっこ:東北方言北海道方言
  • ぬこ:インターネットスラング[17]

猫嫌いを生む背景[編集]

  • ネコ好きな人間がいる一方、いわゆる猫水を家先で度々見かけることからネコ嫌いもまた多いと考えられる。
  • その理由の一つに野良猫の存在がある。嫌われる行動には、糞尿、マーキング、発情期の鳴き声、庭への侵入、爪を研ぐ、台所を荒らす、飼っている小鳥や魚を襲う等がある。ネコは体が小さく動きも敏捷で捕まえにくいため、野良犬のような完全駆除が難しい。
  • ネコはイヌに比べて尿が濃く糞尿のにおいが強いため、自宅の庭先や軒下などで排泄されることを不快に感じる人もいる。放し飼いの場合は、地域での理解がないとトラブルに発展しやすい。また去勢したオスネコでもマーキング行動をとることがある[要出典]
  • ネズミを捕獲することからネコを不潔と感じる人もいる。日本では、衛生面のインフラ整備が行き届かず食料事情も悪かった昭和30年代ごろまでは[要出典]、ネズミ駆除に飼い猫を活用する家庭が多かった。ネズミは多種多量の病原菌を保菌しているため、ネズミによる噛み傷や保管食料の汚染によって、ペストやコレラなどの重病にかかり、命を落とす者も多かった。ネコはこうしたネズミを引っかいたり噛んだりして捕獲行為を行うため、不潔とされたと考えられる。
  • ネコは獲物を持ち帰る習性があり、捕まえたネズミや小鳥の死骸を人間の目に見える場所に置き披露することがあるため、嫌がられることがある。
  • 発情期のネコの鳴き声は大きく、人間の幼児が泣く声に似ているため、不快に感じる人もいる。
  • 体毛が抜けて、衣服や布団が毛だらけになることがある。ノミやダニの発生源となり人間にアレルギー(くしゃみなど)をおこさせることもある。
  • 猫好きにとっては魅力的である鳴き声、仕草、人間に媚びない習性などに嫌悪感を抱く人もいる。
  • 前述以外の理由では、自分の尻をなめるネコを不潔と嫌悪するなど、様々な理由が存在する。
  • 昭和57年に実施された世論調査では、約半数がネコが嫌いであるとの結果が得られた[18]
  • 飼い主に問題がある例も多い。猫は犬よりも比較的飼育が容易であり、犬のように散歩、排泄、しつけなどを管理しなくとも放し飼いで餌を与えるだけでも飼育可能である。そのため猫を多数放し飼いにしたり、排泄物の清掃、しつけ、避妊去勢などを行わず、その結果無責任に繁殖を続け野良猫を増やしてしまう、などの問題を引き起こす場合がある。ネコは非常に繁殖力が高いため、少数の心無い飼い主が「かわいい」「かわいそう」と無分別に出産させることで地域全体が野良猫問題に悩まされる事例もある。日本のような住宅密集地では、マナーの悪い飼い主と近隣住民が衝突する事件もたびたび発生し、猫に対するイメージ低下にもつながる。

その他・雑学[編集]

オスの三毛猫はほとんどいない
遺伝上、三毛猫のほとんど全てがメス猫である。ところがごくまれ(3万分の1の確率とも)にオスの三毛猫が生まれる。オスの三毛猫は、海運業漁業関係者から、海での危難を救う力があると江戸時代から信じられており、最近まで高値で取引されることもあったという。
猫の死に場所
死を悟ると死に場所を求めて姿を消すと言われるが、実際にはネコには「死」という抽象的概念を認識することは出来ないと考えられる。体調が悪化したり、致命的な傷を負ったときなどは、本能的な防御反応として危険な場所から移動して、身を守りやすい安全な場所に身を隠そうとし、場合によってはそのまま死んでしまうと考えられている。しかし、飼い主への依存度の高いネコの場合、心細くなって主の近くに寄ってくる、あるいは、近くにいてくれるよう求め、結果的に飼い主の目の前で死ぬことになる。
弱った猫の姿を見かけない理由
一般に猫は自分の弱った姿を飼い主や仲間に見せることはない。これは本能的に猫は弱った姿を見せると仲間からいじめられることを知っており、死に場所にたどりつくまで元気な姿を演じるからである。したがって人間は街中で弱りきった猫の姿を見る機会は少なくなる[文献2 1]
猫は家に付く
「犬は人に付き、猫は家に付く」これはイヌとネコの性質を表す上で最も分かりやすい例えである。
飼い主がペットを置き去りにして転居したとする。両者とも初めのうちは飼い主の帰りを待つが、一定の期間が過ぎるとイヌは飼い主を探すためその場を離れるのに対し、ネコは今までと変わらずテリトリー内で平然と暮らし続ける。 このような性質のため、ネコはイヌに比べて環境の変化に敏感であり、転居の際には十分に気を遣わなければならない。 ネコを置き去りにすれば、たいていの場合野良猫として暮らすしかなく、環境にもよるが平均余命は極めて短くなる。
引っ越しをする際、連れていこうとすると嫌がることから、「猫は家に付く」と言われ、そのまま置いてけぼりにされることがあるが、実際には単に「引っ越し」の概念を理解できず、テリトリーを離れることに不安を持っているだけである。元々捨て猫だった場合など、再度捨てられる不安から泣きわめく場合もある。無理やりにでも新居に連れていってやれば、家具についた匂いや飼い主がそこで暮らしていることを確認して、自分の新しい居場所であることを理解し、何の問題もなく飼い主と暮らす。
ネコにマタタビ
ネコ科の動物はマタタビ特有の臭気(中性のマタタビラクトンおよび塩基性のアクチニジン)に恍惚を感じ、強い反応を示すため「ネコにマタタビ」という言葉が生まれた。同じくネコ科であるライオンやトラなどもマタタビの臭気に特有の反応を示す。なおマタタビ以外にも、同様にネコ科の動物に恍惚感を与える植物としてイヌハッカ(キャットニップ)がある。キャットニップは「ネコが噛む草」という意味であり、その名の通り、ネコはこのを好む。これはこの草の精油ネペタラクトンという猫を興奮させる物質が含まれているからである。ネコに同様の効果をもたらす植物としてそのほかに荊芥キャットミントがある。バレリアンの成分に吉草酸が含まれ[19]、ネコはバレリアンの香りを特に好む。
猫水
日本の住宅街では、水の入ったペットボトルが通り沿いに並べてあるのを見ることがある。これは、ネコがの上を歩くのを妨害するために置かれていたものが形骸化したものとされ、俗に「猫水」と呼ばれている。[要出典]放し飼い(ノラ)ネコのマーキングやトイレに困っている民家の住人などがプランター(植栽)や塀ぎわなどに並べてある場合もある。こちらは「水に反射した光をネコが嫌う」「ネコはきれいな水のそばでトイレしない」との解釈によるものであるが、あまり根拠はない。実際にペットボトルにはいった水を嫌うようなネコは少なく、設置しても初めの数分警戒するだけで、その後は全く気にしないことが多い(ペットボトルに対し不快な経験があればこの限りではない)。猫のような大脳の発達した動物は学習能力に優れ、このような単純な反射行動を反復し続けることはない。猫水はあまり意味がないばかりでなく場所によっては収れん火災の危険を孕んでいる。
猫の尿はブラックライトに反応する
猫の尿はブラックライトに反応することから、尿が原因となっている悪臭の場所をピンポイントで探すことができる。
日本初の飼育記録
宇多天皇の日記、『寛平御記』889年2月6日は、日本の文献に実物のネコが初めて現れる。その内容である。
「885年唐土からのネコが光孝天皇に奉られ、数日後私にくだされた外国のネコである。
当時の在来ネコは浅黒いものだったが、自分の飼うネコは墨のような黒で珍しく中国の黒い名犬のようである。身長は45cm高さ18cm。うずくまると黒い小さな粒のようになり、伸びれば弓を張ったように長くなる。瞳は光り輝いて針のように揃った穂先のようで、見据える視線は揺らがない。寝るときは丸くなって足や尾が見えなくなり堀中の黒い玉のようであり、歩くときはひっそりとしすこしも足音を立てず雲上の黒竜のようである。
性質は、導引術を好み、五禽戯という5種の動物の動きをまねた健康術の動きを自然に身につけている。常に頭を低くし尾を地につけているが、立ち上がれば60cmほどになる。毛色のいいのはその健康術のためだろうか。ネズミを捕る能力も在来のネコより優れている。
先帝から賜ってもう5年間になるが毎朝ミルクをやって育てている。このネコの才能が優れているから愛するのではない。先帝から賜ったものはどんなものでも大切にしているのである。
ネコに向かって話しかける。お前は陰陽の気(=命)を持っていて、両肢(=手足)、七竅(=目鼻口耳の穴)を備えているのだから私の心が分かるだろう?というと、ネコはしゃべれないのが悔しそうに、ため息をついて首を上げ、私の顔を仰ぎ見て悲しそうな顔をした。」

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ Walton, Marsha (April 9, 2004). Ancient burial looks like human and pet cat - CNN.com 2007-11-23.
  2. ^ 『今昔物語集』26巻。
  3. ^ 『今昔物語集』28巻31。
  4. ^ 上田穰「歴史家の見た御伽草子『猫のさうし』と禁制」『奈良県立大学研究季報』 奈良県立大学、2003・12。
  5. ^ 三谷一馬『彩色江戸物売図鑑』中公文庫、1996年3月、ISBN 4-12-202564-8
  6. ^ 落合延孝『猫絵の殿様―領主のフォークロア』吉川弘文館、1996年。
  7. ^ 文化財指定庭園 名勝 仙巌園 猫神神社
  8. ^ a b 日本と世界の猫のカタログ '95、P. 116
  9. ^ エドニー先生の猫と楽しく暮らす本 - キャットショー、P. 178
  10. ^ a b 鈴木棠三 『日本俗信辞典 動・植物編』 角川書店1982年、448-457頁。ISBN 978-4-04-031100-5
  11. ^ 水木しげる 『水木しげるの憑物百怪』下、小学館小学館文庫〉、2005年、112-115頁。ISBN 978-4-09-404703-5
  12. ^ 福田晃 「猫檀家」『日本昔話事典』 稲田浩二他編、弘文堂1977年、704-706頁。ISBN 978-4-335-95002-5
  13. ^ 立川水天宮 阿豆佐味天神社 猫返し神社
  14. ^ ペット用語事典犬・猫編、P. 303
  15. ^ 柳田國男・民俗学研究所『綜合日本民俗語彙〈第3巻〉』平凡社、1985年(初1955)、p15。
  16. ^ 福田晃、真鍋昌弘、常光徹『口頭伝承<トナエ・ウタ・コトワザ>の世界 』三弥井書店〈講座日本の伝承文学 第9巻〉、2003年、p83。
  17. ^ 2典プロジェクト, ed (2005). “ぬこ”. 2典 第3版. 宝島社. pp. 396-397. ISBN 4-7966-4754-6. 
  18. ^ 「動物の保護及び管理に関する世論調査」 内閣府政府広報室
  19. ^ 蒲原聖可『サプリメント事典』(平凡社、2004)p.320

参考文献[編集]

  1. ^ a b 頁。19-20:『日本猫の歴史』 平岩由伎子
  1. ^ 頁。121

関連項目[編集]