三ツ沢公園球技場

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三ツ沢公園球技場
"ニッパツ三ツ沢球技場"
ニッパツ三ツ沢公園球技場
三ツ沢公園球技場の位置(神奈川県内)
三ツ沢公園球技場
施設情報
所在地 神奈川県横浜市神奈川区
三ツ沢西町3-1 (三ツ沢公園内)
位置 北緯35度28分8.96秒
東経139度36分13.48秒
座標: 北緯35度28分8.96秒 東経139度36分13.48秒
開場 1955年
拡張 1964年
所有者 横浜市
運用者 横浜市
グラウンド #天然芝
照明 4基 (鉄塔式)
大型映像装置 あり (富士通フロンテック製。日本宝くじ協会寄贈)
使用チーム、大会
横浜F・マリノス(Jリーグ)
横浜FC(Jリーグ)
横浜スポーツ&カルチャークラブ(Jリーグ)
横浜フリューゲルス(1993-1998年)
収容能力
15,454人
アクセス
当項目を参照。

三ツ沢公園球技場(みつざわこうえん きゅうぎじょう)は、神奈川県横浜市神奈川区三ツ沢公園内にある球技場である。横浜市の中心市街地を見下ろす丘陵地に整備された緑地・運動公園の一部となっている。

なお、横浜市に本社を置く自動車部品メーカーの日本発条命名権(ネーミングライツ)を取得しており、2008年3月より「ニッパツ三ツ沢球技場」(ニッパツみつざわきゅうぎじょう)の呼称を用いている(後述)。

日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)、ジャパンラグビートップリーグ全国高等学校サッカー選手権大会やその神奈川県大会決勝、全国高等学校ラグビーフットボール大会の神奈川県大会決勝などでも使用されている。

歴史[編集]

開場から1998年まで[編集]

三ツ沢球技場は1955年の第10回国民体育大会(神奈川国体)に備えて、日本におけるサッカー専用スタジアムのはしり[注 1] として建設され、1964年東京オリンピックにおけるサッカー競技の会場としても使用された。その後は日本サッカーリーグ(JSL)で古河電気工業サッカー部日産自動車サッカー部全日空横浜サッカークラブなどが試合を開催した。これ以外でもアマチュアサッカーやラグビーの試合で頻繁に使用され、同球技場は神奈川県や東日本でのサッカー・ラグビー大会の開催地として重用された。

1991年にJリーグの発足と横浜マリノス(前身は日産自動車)・横浜フリューゲルス(同全日空横浜)の参加が決まると、横浜市内を本拠地[注 2] とする両チームのホームスタジアムとして三ツ沢球技場が選定され、当時のJリーグ(現在のJリーグ ディビジョン1(J1))規格を満たす約15,000人を収容できるスタジアムとして、リーグ発足の1993年に増築された。

三ツ沢球技場は1998年3月には同年10月の第53回国民体育大会(かながわ・ゆめ国体)の主会場として、かつ2002年6月の2002 FIFAワールドカップ(W杯日韓大会)の開催予定地として[注 3]横浜国際総合競技場(2005年から「日産スタジアム」)が完成したのに伴い、マリノス・フリューゲルス両チーム共に2つのスタジアムを併用する体制となった。1998年は国体開催に向けた芝生保護や各種準備の関係で横浜国際での試合開催が制限され、三ツ沢球技場での開催が半数近くに及んだが[注 4]、10月になって同年限りで両チームが合併することが発表され、サポーターからの強い反発を呼んだ。11月7日、三ツ沢で開催されたフリューゲルスのJリーグ最終主催試合ではゲルト・エンゲルス監督や選手達が合併反対の意思を表明し、エンゲルス監督は観客席のサポーターに対して日本語でチームの救援と存続を訴えたが、これは叶わなかった[注 5]

なお、この「かながわ・ゆめ国体」では、ラグビー競技が三ツ沢球技場を中心に行われた。

1999-2007年[編集]

1999年、前項で述べた合併により横浜F・マリノス(横浜FM)が発足し、国体終了に伴い横浜国際の使用制限も解除されると、同年の横浜FM主催試合はJリーグカップ(ヤマザキナビスコカップ、ナビスコ杯)を含めて三ツ沢では1試合もなかった。2000年以降は2002年W杯や2001年開催のコンフェデレーションズ杯の準備のために横浜国際の使用が再び制限され、かつ観客動員が少ないと見込まれる水曜開催のリーグ戦やナビスコ杯などで三ツ沢での開催例が復活したが[注 6]、年間席(シーズンチケット)販売の増加を含め経営規模の拡大が必要な横浜F・マリノスにとって1万5千人規模の三ツ沢は小さすぎ、大半の主催試合は横浜国際[注 7] で行われるようになった。2007年に行われた横浜ダービー(後述)でもF・マリノス主催試合は日産スタジアムで行われた。

但し現在も三ツ沢球(ニッパツ)を、マリノスは平日開催が多いJリーグカップの予選リーグ、およびリーグ戦においても日産Sの芝生の保護・管理のため春・秋の年3-4試合程度は開催されている他、神奈川県サッカー協会が主管となる天皇杯では現在に至るまでF・マリノスの初戦が概ね行われている。

一方、フリューゲルスの存続を求めたサポーターの活動から1999年に発足し、奥寺康彦をゼネラルマネージャーに迎えた[注 8]横浜FCは、元フリューゲルス関係者と共に「聖地」三ツ沢への思い入れが強く[注 9]、かつF・マリノスと比較して小規模な経営が必要だった事情もあり、三ツ沢球技場を中心とした試合開催を進める事になった。年明けの日本フットボールリーグ(JFL)参加が決まり、競技場確保が難航した1999年は12試合中3試合のみだったが[注 10]2000年以降は三ツ沢球技場での主催試合開催が安定して行えるようになり[注 11]2001年J2参入後も変化はなかったが、2002年はW杯の練習会場で三ツ沢球技場が指定されたため、三ツ沢陸上競技場での試合開催も行われた。2006年には横浜FCがJ2優勝とJ1昇格を決めた後の最終戦が三ツ沢球技場で行われ、城彰二の引退セレモニーも合わせて開催された。

2007年、J1に昇格した横浜FCは経営上の判断もあり、三ツ沢球技場での主催をJ1リーグ17試合中9試合に抑え、ホーム開幕戦となった横浜FM戦(横浜ダービー)では三ツ沢開催にこだわったものの、一方でシーズン最終戦を含む6試合を準本拠地の位置づけで日産スタジアムで開催した(残り2試合は国立)。横浜FCはホーム開幕戦とシーズン最終戦では勝利したが、年間成績では18チーム中最下位に終わり、翌年からのJ2降格が決まった。

2003年、日本の社会人ラグビーの全国リーグとしてジャパンラグビートップリーグが開始されると、三ツ沢球技場はその試合会場の一つとして使用されるようになった。以後、ほぼ全てのシーズンで年1-2試合が開催されている[注 12]

2008年以降[編集]

2008年、横浜市は日本発条との間で5年間の命名権売却契約を結び、Jリーグ開幕前の3月1日から「ニッパツ三ツ沢球技場」(略称:ニッパ球)と呼ばれる事となった。契約金額は初年度の年間7000万円から徐々に下落し、2013年からの再契約では年間4000万円となり、契約期間も3年間に短縮されたが、2016年2月28日まではこの名称が引き続き使用される事になった[注 13]

J2での出直しとなった横浜FCは再び同球技場を中心とした開催に移行し、その後もJ2残留が続いた事もあって、日産スタジアムの使用は2008-2010年までの各1試合のみとなり[注 14]、ホームスタジアム指定もニッパツ三ツ沢球技場に絞った。一方、横浜F・マリノスはJ1リーグ戦の3試合[注 15] とナビスコ杯の2-3試合[注 16] をニッパツ三ツ沢球技場で行うが、主な試合会場は日産スタジアムであり、試合数からも「横浜F・マリノス=日産、横浜FC=ニッパツ三ツ沢」の住み分けが事実上成立している。

2009年、横浜市はニッパツ三ツ沢球技場の改修に着手し、2010年のJリーグ開幕前に竣工させた。総工費3億2800万円[1] の同工事により、ニッパツ三ツ沢は収容人員で1万5400人となり、Jリーグが定めたJ1規格を満たした。これにより、横浜FCが将来J1に復帰しても三ツ沢をそのままメインスタジアムとして使用できる体制が整った。

一方、全日空横浜クラブの元選手により1986年に発足した横浜スポーツ&カルチャークラブ(Y.S.C.C.横浜、YS横浜)は関東サッカーリーグで(ニッパツ)三ツ沢球技場、2012年に昇格したJFLではニッパツ三ツ沢および神奈川県立保土ヶ谷公園サッカー場などを併用した。同クラブはJ3リーグの創設メンバーとして参加が認められ、2014年のJ3リーグでは当球技場をホームスタジアムとして登録。これにより、Jリーグ史上初めて、3クラブのホームスタジアムとなった[注 17]。リーグ戦ではF・マリノスが4試合、横浜FCが20試合、Y.S.C.C.が12試合開催予定(2014年1月31日の日程発表時点)。

年表[編集]

  • 2013年
    • 3月1日:日本発条による命名権取得が3年間延長され、2016年2月29日まで「ニッパツ三ツ沢球技場」の名称が維持される。
  • 2014年
    • 3月9日:Y.S.C.C.(同年からYS横浜の呼称を使用)主催試合として、初めて同球技場でJ3リーグの試合が開催(YS横浜-ブラウブリッツ秋田戦、1-1で引き分け)。
夜間開催時のニッパツ三ツ沢球技場。バックスタンドのホームゴール裏コーナー付近から(2009年J2第16節:横浜FC-FC岐阜
ジャパンラグビートップリーグ開催時のニッパツ三ツ沢球技場。メインスタンドから。 2012年キヤノンイーグルスリコーブラックラムズ

施設概要[編集]

  • 照明設備:4基 (鉄塔式)
    • 各照明装置には、落雷抑制システムズ社の落雷抑制装置が設置されており、ピッチ上に落雷する確率を低減させている。
  • スコアボード:大型映像装置 (2008年より使用)
  • 収容人員:15,454人(メインスタンド5,580人(車いす席20)、バック・サイドスタンド9,874人(車いす席10))

電光掲示板[編集]

  • 1993年のJリーグ開幕時に、これまでの白色電球のものを4色磁気反転型の電光板(左記2つはいずれもフリーボード形式)に変更。
  • 2008年に、それまで使用されていた電光板が老朽化・保守部品の製造終了に伴い撤去された。新しいスコアボードは2006年の初期段階の計画では電気系統の大工事を行わなくて済むようにそれまでと変わらない位置(ホーム側ゴール裏席上段)に設置予定であったが、当時の横浜FC運営担当が横浜サッカー協会に掛け合い、その熱意により[要出典]ホーム側ゴール裏席から見えるように以前とは反対のアウェイ側ゴール裏席上に設置されている。
  • 旧電光板のあった箇所は、球技場命名権を取得した日本発条(NHKニッパツ)の広告横断幕が取り付けられている。

スタンド[編集]

  • 2009年から2010年にかけて行われた同球技場の改修ではスタンドの外装や内装の改修が行われた。この際、横浜FCからスタンドのベンチ席を全部個別席にするなどの提言が出され[2]、収容人員は15400人となって、収容人数1万5千人以上や全席個別化などのJ1規格を満たした。
  • また、横浜フリューゲルスの再建を目的として1999年に設立されていた「フリューゲルス再建基金」から、横浜FC(横浜フリエスポーツクラブ)への融資として使用された分を除く3700万円が横浜市に寄付されてニッパツ三ツ沢球技場の観客席の増設(約2200席分)に使われ、一般客メインゲート脇の柱に銘板が設置された[3]
  • 但し、JリーグライセンスではB等級であるスタンドの屋根(全体の3分の1以上を覆うことを推奨)が設置されていない。(後述
  • 同球技場ではラグビーやアメリカンフットボールも開催するため、サッカー専用スタジアムと比較すると横幅が長く取られている。そのため、サッカーの試合ではゴール裏とスタンドの距離がやや離れる。
  • YS横浜の主管試合を開催する場合は原則としてメインスタンドのみの解放である。

天然芝[編集]

  • 1993年のリーグ戦では常緑の天然芝を保つことができたものの雨天時などでは水浸しになるなど選手のプレー面での危険性が危惧されたことなどから、1994年にグラウンドの水はけの改良を含めた全面的な芝の張替え作業を行った。
  • この時の工事は同年第1ステージ途中の5月中旬から8月初旬の3ヶ月に渡って行われ、同年第2ステージの開幕戦に間に合わせたが、同年は空梅雨と酷暑が災いし芝生に充分な水分が含有できなかったことも影響し、ところどころで芝生が腐ってしまい試合中もその芝生が跳ね上がってしまうという状況となってしまった。[要出典]
  • そこで急遽マリノス、フリューゲルスの主催試合を関東近郊での他のスタジアムでの代替開催、あるいは他のホームスタジアムでの変則ダブルヘッダーも検討されたが、スタジアムの調整が付かなかったことやJリーグでは変則ダブルヘッダーを認めていないこともあり、結果的に三ツ沢での開催に落ち着いた。[要出典]
  • 同年9月、問題となった芝生を剥がして福岡ドームでサッカー・ラグビーの試合を開催することを念頭に設計されたパレット式天然芝(詳細説明はビッグエッグターフの項を参照されたい)を購入しそれを敷き詰める応急処置を施し公式戦を開催した。その後Jリーグは1994年アジア競技大会(広島アジア大会)の開催時期でもあったため1ヶ月の中断期間があり、その間に芝生の張替えを検討したが、結局新規の張替えではなくパレット天然芝を直接地面に根付かせる形で養生しJリーグの再開に間に合わせた。
  • その後も三ツ沢球技場では毎年9-10月に芝生の集中養生期間が設定され、この時期には試合開催が不可能となる。そのため、横浜FCは国立競技場や西が丘サッカー場などで主催試合を開催する。

命名権[編集]

2007年にネーミングライツ導入が決定され、ばね製造の日本発条が命名権を年間8000万円、5年契約で取得したことにより、2008年3月より愛称が「ニッパツ三ツ沢球技場」、略称が「ニッパツ」もしくは「ニッパツ球技場」となった[4]。2013年から3年契約、2016年から5年契約と更新されており、現在の契約は2021年2月28日までとなっている。

また、Jリーグ公式ウェブサイトのスタジアムガイド では略称表記を「ニッパ球」としていたが、2015年より「ニッパツ」に改めている。この理由について同球技場を本拠とする横浜FCは、「ニッパ」だと横浜市内に 同名別企業の「ニッパ」 という会社があり、命名権において混乱を招き支障をきたすためと説明している。[5]

なお、命名権売却前の略称は「三ツ沢球」である。これはJリーグ公式戦開催経験のある三ツ沢陸上競技場(略称「三ツ沢陸」)との区別のためである。

アクセス[編集]

鉄道・バス[編集]

自動車等[編集]

課題[編集]

Jリーグライセンス基準への改修・整備問題[編集]

スタジアムのキャパシティーは前述したとおりJ1基準の15000人を満たしているが、Jリーグクラブライセンス制度「B等級」[注 18] の条件である「観客席の3分の1相当に屋根を敷設すること」と、「トイレ(洋便器)を一定数確保すること」の条件を満たしていない。本球技場の場合、屋根は全く設置されておらず、トイレは最低限(収容人員1000人当たり、洋便器5台・男性の小便器8台)の3割ほどしか満たせていないという[9]。同様の事例は全国に存在するが、2014年の時点でも横浜市からは改善案が示されておらず、Jリーグ専務理事(当時)の大河正明は「改修できないのなら、新スタジアムの構想を含めて考えてもらわないといけない」との指摘があった。

球技場を管理する横浜市環境創造局としては、屋根の敷設には建設費が高額になるうえ、公園利用への影響も大きいとして「Jリーグ側の要望も高まっていることは理解できるが、一つの部署で決められるものではない」としており、整備の見通しは立っていない。

横浜市民病院の移設計画[編集]

横浜市は、三ツ沢公園に隣接した横浜市立市民病院の施設が老朽化し、原位置での改築が困難なことから移転計画策定を行い、その有力候補地として、球技場に隣接した軟式野球場および古河電気工業所有地(現在は同社の社宅が存在)が挙げられたことが明らかになった[10]。病院側としては、「現在地から約500mの移動で済む」「横浜駅からより近くなり、交通の利便性が高まる」「病院と公園が一体となった災害対策機能の向上が図れる」ことを移転候補地とした理由として掲げている。同球技場を本拠地とするYSCC横浜の理事長・吉野次郎は「ニッパツ球技場は横浜市内のサッカーの聖地であるのに、わざわざそこに病院を移設する狙いがなぜあるのか」とする疑念を抱いており、「(病院が球技場の近くに移転することが)決まった以上は、球技場と病院が共存していく形をとるしかない。球技場に屋根を付けたり、患者さんが試合を観戦できる部屋を整備するなどの改修が必要ではないか」と述べている。一方の市民病院を運営する横浜市病院経営局もこの反対意見を受け止めてはいるが、「サッカーは週末開催がほとんどであるため、平日の外来とは重ならない。病院の施設についても、建物構造や設備で防音対策を取る」としている。

2014年9月に策定された「横浜市立市民病院再整備基本計画[11]」では、軟式野球場及び古河社宅跡地への新築移転を前提に、スポーツ観戦などによる歓声等の対策として、外壁はコンクリート厚15cm以上を確保し、窓は開口面積の調整や遮音性能の高いサッシ等による減音を施すとしている。一方、具体策については触れられていないものの、「適切な療養環境を維持しつつ試合観戦にも影響が出ないように配慮していきます」と説明している。

その他[編集]

  • 同じ三ツ沢公園内にある陸上競技場(約1万人程度収容。2002 FIFAワールドカップの練習会場として使用された関係で、ナイター設備を設置)でもサッカーの試合が開催される。
  • 加山雄三主演のレッツゴー!若大将1967年・東宝/岩内克己監督)において、サッカーの試合のロケが行われた。
  • 三ツ沢公園全体は横浜市神奈川区にあるが、同球技場のバックスタンドの裏にある古河電工の社宅は西区、南側(アウェー側ゴール裏)サイドスタンドの裏手の住宅地は保土ヶ谷区となる、3区の境界地帯にある。なお、この古河電工社宅に、川淵三郎などのサッカー部所属社員選手も住んでいた。また、小倉純二は三ツ沢の社宅に住んだ事がきっかけとなってサッカーとの関係を持ち、川淵と同じく日本サッカー協会の会長まで務めた。なお上述の通り、古河の社宅用地は横浜市立市民病院移設候補先となっている。
  • 以前は、「横浜F・マリノスが三ツ沢でリーグ戦をした相手はJ2に降格する」というジンクス「三ツ沢の呪い」というものがあった。2007年の横浜FCに始まり、コンサドーレ札幌ジェフ千葉京都サンガモンテディオ山形と5年連続で対象クラブの降格が続いていたが、2012年はセレッソ大阪大宮アルディージャアルビレックス新潟の対象クラブはそれぞれ残留した為に、6年連続でのジンクスの継続にはならなかった。[要出典]

脚注[編集]

注記[編集]

  1. ^ 2011年11月7日、北九州市主催、「「新球技場について考える」シンポジウム」内での川淵三郎日本サッカー協会名誉会長の発言にも、同種の表現がある。川淵は古河電工サッカー部の選手としても三ツ沢で試合を行った。
  2. ^ ただし、フリューゲルスは長崎県熊本県鹿児島県の九州3県を準ホームタウンとし、主催試合を各県で行った。それ以外にも、マリノスやフリューゲルスは神奈川県外で主催試合を行う例があった。また、古河電工はジェフ市原となって千葉県市原市市原臨海競技場を本拠地に選んだ。
  3. ^ W杯では決勝戦の開催地となった。
  4. ^ ただし、両チームが対戦する2度の横浜ダービーはいずれも横浜国際で開催され、特にマリノス主催の3月21日はJリーグでの同競技場初使用となった。
  5. ^ フリューゲルスは第78回天皇杯で優勝し、決勝戦の1999年1月1日(国立競技場)が最終戦。
  6. ^ 2004年AFCチャンピオンズリーグでもF・マリノスは三ツ沢と横浜国際が併用したが、三ツ沢で行った城南一和天馬戦では同クラブ系列の統一協会の信徒がアウェー側席に多く来場し、城南を応援した事もあった。
  7. ^ 2005年にはF・マリノスの親会社でもある日産自動車が同競技場の命名権を取得し、「日産スタジアム」として広告面の相乗効果が図られた。
  8. ^ 現在は会長。なお、奥寺は古河電工出身で、三ツ沢の社宅にも住んでいた経験がある。
  9. ^ フリューゲルスの消滅と横浜FCでの現役引退を共にチーム主将として経験し、2012年に横浜FCの監督に就任した山口素弘は、監督就任後の初練習の際に「引退時に『管理人でも…』と望んだ」場所としたニッパツ三ツ沢球技場について『選手として始まったのも終わったのも三ツ沢。監督としての最初の試合が三ツ沢というのは高揚感がある』と語った記事が掲載された。出典:スポニチアネックス2012年3月23日付、「横浜FC 山口新監督で始動「3つのS」でチーム再建
  10. ^ 同年4月25日の公式戦初試合(JFL)は横浜国際で行った。三ツ沢球技場での初戦は5月3日の水戸ホーリーホック戦で、横浜FCの公式戦初勝利ともなった。この年は横浜市内では他に神奈川県立保土ヶ谷公園サッカー場でも1試合行っている
  11. ^ ただし、芝生の養生期間(後述)では国立霞ヶ丘競技場国立西が丘サッカー場(味の素フィールド西が丘)などでの開催も行われる。
  12. ^ 改修工事が行われていた2009-2010シーズンのみは開催無し。2010-2011シーズン以降は年1試合で固定。なお、ラグビートップリーグはJリーグほどの厳密な本拠地制がないため、主催試合開催チームはシーズンにより異なる。2012-2013シーズンはキヤノンイーグルスが主催試合を開催。
  13. ^ 横浜市環境創造局記者発表 2012年12月14日付 「「ニッパツ三ツ沢球技場」NHKニッパツ日本発条株式会社とネーミングライツ契約を更新!!」 2013年5月19日閲覧。
  14. ^ 他に芝生養生期間での国立開催など。
  15. ^ 2009年は4試合
  16. ^ 東日本大震災の影響を受けた2011年の実開催数を含む。J1リーグ戦も同じ。
  17. ^ 3クラブ以上が同じシーズンでホームゲームを開催したという例は国立霞ヶ丘陸上競技場をはじめ存在する
  18. ^ 条件を満たしていなくてもリーグ戦出場に必要なクラブライセンスは交付されるが、そのスタジアムを本拠地とするクラブに対して制裁を科す事実上の条件付き交付案件。

出典[編集]

  1. ^ ニッパツ三ツ沢球技場改修工事竣工!”. 小雀建設ブログ (2010年3月11日). 2013年5月19日閲覧。
  2. ^ ニッパツ三ツ沢球技場改修工事概要書 (横浜市環境創造局)[リンク切れ]
  3. ^ 出典:横浜市環境創造局 記者発表資料平成22年(2010年)3月12日付 「フリューゲルス再建基金管理委員会に市長から感謝状を贈呈します」、フリューゲルス再建基金管理委員会 「お知らせ(2010年2月22日)
  4. ^ 三ツ沢公園球技場の名称 平成20年3月から「ニッパツ三ツ沢球技場」へ 横浜市環境創造局施設管理部公園緑地管理課
  5. ^ 「ニッパツ三ツ沢球技場」略称表記 変更のお知らせ
  6. ^ a b c d アクセスガイド”. ニッパツ三ツ沢球技場公式サイト. 2016年1月30日閲覧。
  7. ^ a b スタジアム案内”. 横浜FC. 2016年1月30日閲覧。
  8. ^ ニッパツ三ツ沢球技場へのアクセス”. エクシオジャパン. 2016年1月30日閲覧。
  9. ^ “三ツ沢球技場、基準満たさずJリーグから制裁対象に どうする横浜市”. 神奈川新聞. (2014年10月7日). オリジナル2015年3月3日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20150303050645/http://www.kanaloco.jp/article/78675/cms_id/105283 2016年1月30日閲覧。 
  10. ^ 横浜市民病院の移転先、スタジアムの隣で大丈夫? 「騒音が…」J関係者困惑”. iza!. 産経新聞 (2014年3月26日). 2016年1月30日閲覧。
  11. ^ 横浜市立市民病院再整備基本計画 (PDF)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]