藤井秀悟
横浜DeNAベイスターズ時代(2013年3月16日、横浜スタジアムにて) | |
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛媛県伊予市 |
生年月日 | 1977年5月12日(46歳) |
身長 体重 |
175 cm 86 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1999年 ドラフト2位(逆指名) |
初出場 | 2000年4月1日 |
最終出場 | 2013年8月24日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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藤井 秀悟(ふじい しゅうご、1977年5月12日 - )は、愛媛県伊予市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は読売ジャイアンツで打撃投手を務める。
経歴
プロ入り前
1993年に愛媛県立今治西高等学校へ入学する。「伊予の怪腕」と呼ばれ、同年夏の全国高等学校野球選手権愛媛大会決勝で、平井正史を擁する宇和島東と対戦するが3-5で敗れる。1995年の第67回選抜高等学校野球大会には4番・エース・主将として臨んだ。準々決勝、鶴岡一成を擁する神港学園戦で、1点リードしている9回表の投球中に左肘内側側副靭帯を損傷し降板。その試合は逆転を許した後の9回裏二死での藤井の同点タイムリーもあり延長13回サヨナラで勝つが、準決勝は登板出来ず澤井良輔を擁する銚子商業の前に敗退した。同年夏の愛媛大会も怪我で登板出来ず、松山商業に4-5で敗れた。この時は一塁手として出場していた。
1996年に早稲田大学人間科学部に進学。エースとして活躍し、東京六大学リーグでは通算48試合登板で24勝10敗、防御率1.91、249奪三振の好成績を残す。ただし在学中チームのリーグ優勝は僅かに一度に終わるなど不遇な面があった。2年生春にはベストナインに選ばれた。当時、日本生命硬式野球部で活躍していた福留孝介とは高校2年の冬休みに第1回AAAアジア野球選手権大会日本代表選出され渡辺元智監督の期待に応え第1回AAAアジア野球選手権大会優勝に貢献して以来の親友。1999年のドラフト会議で、ヤクルトスワローズから2位指名(逆指名)を受けて入団。
プロ時代
ヤクルト時代
プロ1年目の2000年は全てリリーフで31試合に登板。4月29日、対読売ジャイアンツ戦でプロ入り初勝利。
2001年は開幕前に山部太、高木晃次が相次いで故障したこともあって先発に転向。開幕から先発ローテーションに定着した。6月17日の対広島東洋カープ戦で初完封勝利。その後も好調を維持した。セントラル・リーグ最多勝利を獲得、ベストナインにも選ばれた。
5月22日の対巨人戦において、ヤクルトが8対1と大量リードして迎えた9回表二死三塁の場面で遊ゴロを打ち全力疾走した。9回裏のマウンドに上がった藤井は巨人ベンチから野次を浴び涙ぐんだ。この回には先頭の江藤智にソロホームランを打たれ、その後の松井秀喜、清原和博、高橋由伸に3連続死四球を与えるなどして降板、試合はヤクルトが勝ったものの、藤井はヒーローインタビューを拒否した。この件については、大学時代から交友関係にある乙武洋匡に「ルールを知らなくてさ」と涙ながらに漏らしている。
2002年から背番号を23から18に変更。開幕投手を務め、11月の日米野球では2試合に登板し打者28人に対して5安打自責点1(1敗)の成績を残す。
2003年は開幕前から左肘の違和感を訴え、4月2日の対中日ドラゴンズ戦で先発登板したものの3回途中で降板、翌日に左肘内側側副靭帯断裂が判明した。高校・大学時代は周辺の筋肉を鍛えることで克服してきたが、3度目となる故障で手術に踏み切り、この年は1試合の登板に終わった。
2004年4月28日に交通事故で頸椎を捻挫するが、5月26日の対中日戦で420日ぶりの登板。6月30日には復帰後初の勝ち星を挙げるが、8月19日に左膝靭帯を損傷し登録抹消。オフには扁桃腺除去手術を受ける。
2005年4月6日の対中日戦で14奪三振を奪い、前半戦は防御率・奪三振でリーグトップを独走するが、白星に恵まれなかった。監督推薦で出場したオールスターでは第1戦に登板、打者12人に対して6安打自責点4の成績だった。しかし9月だけで防御率を1点以上悪化させ大きく失速、3年ぶりの2桁勝利を上げたが獲得タイトル無しに終わる。5月5日の対中日戦では、タイロン・ウッズに顔付近へ投球したためウッズが抗議したが、藤井が両手を横に広げ当ててないだろう?とジェスチャー、激高したウッズに右頬を殴打されて軽症を負った。藤井には舌を出す癖があり、これをウッズが挑発と誤解したことが暴行の原因とされている(ウッズは退場処分)。後年、この件に関してウッズと藤井は和解している[1]。
2006年4月16日の対中日戦(松山坊っちゃんスタジアム)で地元初勝利を飾ったが、勝ち負け数が並んだまま、8月10日に不振のため二軍落ちとなった。
2007年7月4日の対阪神タイガース戦でプロ通算50勝を挙げるが、防御率5.05など自己ワーストに迫る成績に終わった。メジャーリーグ志向が強いことと、若手の積極起用の構想から、2008年1月11日に川島慶三・橋本義隆・押本健彦とのトレードで坂元弥太郎・三木肇とともに北海道日本ハムファイターズへ移籍。背番号はヤクルト時代と同じ18。
日本ハム時代
2008年4月19日の対福岡ソフトバンクホークス戦で移籍後初勝利を挙げた[2]。先発ローテーションの一翼を担うが、打線の援護に恵まれず、レギュラーシーズンは3勝8敗と負け越して終わった。しかし、先発したクライマックスシリーズ第1ステージ第2戦では、この年15勝を挙げた小松聖との投げ合い。相手の小松はレギュラーシーズン9連勝でシーズンを終え、対パ・リーグは15勝1敗と圧倒的な成績を残していたが、小松は味方守備に足を引っ張られ、6回3失点で降板した。一方藤井は6回0/3を投げてタフィ・ローズの適時打の1点に抑え、勝利投手となり、チームの第2ステージ進出に貢献した。しかし第2ステージでの埼玉西武ライオンズ戦では第5戦に3回途中から登板したが、先発したライアン・グリンの出したランナーを帰してしまった。結局3回2/3を無失点の内容だったが、チームはそのまま敗れCS敗退となった。
2009年は交流戦後半に一時離脱した以外は先発ローテを守り、22試合に先発して7勝を挙げた。巨人との日本シリーズでは第5戦に先発し7回無失点と好投した。しかし、降板後の8回に同点に追いつかれてしまい。9回に一度は勝ち越すもその裏に2本のソロ本塁打を浴び、サヨナラ負けを喫し、第6戦もチームは敗れ、日本一を逃した。同年のシーズンは梨田昌孝監督の方針で5回または6回で降板した試合がほとんどで規定投球回に達していないこともあり、11月9日に「新しい場所で成長したい」として移籍を前提としたFA権の行使を表明した[3]。前年から導入された国内FA権を行使したのは藤井が初めてである[4]。阪神が興味を示したものの具体的なオファーはなく、日本ハムも再契約を否定したことで、一時は所属先がないまま来季を迎える可能性もあったが[5]、12月8日に巨人への入団が決定した。背番号は99[6]。
しかし「新しい場所で成長したい」という理由でFA権を行使したのは表向きの理由であり、実際には藤井は日本シリーズ第5戦から3日後に戦力外通告を受けており、球団から「クビだとイメージが悪いから、FAしたことにしといてやる」と言われ仕方なくFA権を行使し「北海道を裏切ったみたいになってツラかった…」と、藤井は引退後に明かした[7]。
巨人時代
移籍1年目の2010年は開幕から先発ローテションに入る。開幕直後は中々勝てなかったが4月27日の中日戦(ナゴヤドーム)で移籍後初勝利を挙げる。5月3日のヤクルト戦(東京ドーム)で勝利投手となり、史上8人目の12球団勝利を達成した[8]。しかし夏場に調子を崩し、7月30日の広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島(広島市民球場))では4回0/3を投げて5失点でKOされ、8月2日に2軍落ちとなった。8月29日に1軍昇格するとその後も先発で投げるが失点が少ない時でも5回未満で降板することが多くなった。10月2日の東京ドームでの横浜戦で約3か月ぶりの7勝目を挙げた。結局この年は前年と同じ7勝を挙げたものの規定投球回に到達することはなかった。
2011年は開幕ローテーション争いに敗れ、2軍スタートとなった。9月9日の広島戦でようやくシーズン初登板を果たす。この試合で先発の東野峻が心技体ともに準備不足であると原監督の怒りを買い、1回で降板。藤井は2回から2番手で登板したが、栗原健太の2ラン本塁打、石原慶幸にソロ本塁打を打たれ、5回3失点で降板した。結局この試合で結果を残せず登録抹消となり、同年はこの1試合のみの登板に終わった。オフには25%の減額制限を超える半額の3500万円で更改した。
DeNA時代
2012年1月11日、巨人へFA移籍した村田修一の人的補償により横浜DeNAベイスターズへ移籍[9]。背番号は00[10]。開幕は2軍で迎えたが5月14日に一軍に昇格すると、2試合目の先発となった5月28日のオリックス・バファローズ戦で今季初勝利となる605日ぶりの勝利を挙げた[11]。10月1日には1000奪三振を記録するが、この試合は6イニングで降板し先発無完投が103試合連続となり、西口文也の102試合連続を抜き、先発無完投連続試合の日本記録を更新した。一時先発で6連勝を記録。8月15日の7勝目を最後にシーズン中に白星をあげることはできなかった。オフの11月には、ストーカー被害に遭っている事を自身のブログで明かした。
2013年、開幕戦の3月29日の対中日戦で2002年以来11年ぶりの開幕投手を務め、6回2失点内容で勝利投手にはならなかったもののチームは勝利[12]。4月27日の対阪神戦(横浜)でヤクルト時代の2002年5月29日の対巨人戦以来、11年ぶりの完投勝利を記録し、自ら持っていた連続先発無完投の日本プロ野球記録を107で止めている[13]。7月13日の対阪神戦(甲子園)では6対0で11年ぶりの完封勝利を挙げる[14]など、開幕から先発ローテーションに定着するも、8月24日の対巨人戦で先発した際に左肘の違和感を訴え1回途中、わずか17球で降板[15]。最終的に21試合の登板で6勝5敗、防御率3.54の成績を残した。
2014年は公式戦出場がなく、10月3日に球団から戦力外通告を受けた[16]。11月に行われた12球団合同トライアウトに2回とも参加した[17][18]。独立リーグや海外からのオファーはあったものの、NPB球団からのオファーはなく現役引退を表明した[19]。翌12月2日に、自由契約公示された[20]。
引退後
2014年12月18日、古巣の巨人と打撃投手として契約したと発表された[21]。
2015年4月14日、自身のブログでヤクルト時代から遺伝性の心臓疾患を患っていることを公表した[22]。
選手としての特徴
平均球速約137km/h[23]のストレートや縦・横のスライダー、サークルチェンジ、カーブなどの持ち球を低めに集める[24]。2001年、2002年は2年連続でリーグ最多の被本塁打を記録するなど被本塁打が多い。2001年以降先発で起用されているが、近年は100球程度やそれ以下で降板する事が多く、通算完封回数は3度だけである。また、完投も2006年9月10日に記録して以来、長年記録されていなかったが、2013年4月27日に記録、先発無完投連続試合記録を107試合でストップさせた(完投勝利に限定すれば2002年以来となる)。
人物
シーズン中を含めてブログをほぼ毎日更新している。2008年10月には月間更新回数222回を記録するなど、1ヶ月の更新数をぞろ目にするこだわりがあり、ほぼ毎月ぞろ目を達成していた。内容のユニークさもあって「球界No.1ブロガー」として取り上げられることもある[25]。愛犬家でチワワを3匹飼っていることに、ブログでたびたび触れていた。ところが、2013年1月5日の更新で通算5000回目の更新となった際に、突然ブログの休止を宣言した[26]。ただし、その翌日にブログの継続を宣言している。
登場曲は、アニメ『名探偵コナン』のメインテーマ(作曲:大野克夫)である。アニメもよく見ているようで、ブログでも紹介される。『名探偵コナン』の原作者の青山剛昌やアニメの声優陣とも交流が深い。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2000 | ヤクルト | 31 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 137 | 32.1 | 23 | 5 | 18 | 1 | 2 | 36 | 3 | 1 | 18 | 17 | 4.73 | 1.27 |
2001 | 27 | 26 | 2 | 1 | 0 | 14 | 8 | 0 | -- | .636 | 707 | 173.1 | 145 | 24 | 64 | 2 | 3 | 124 | 4 | 0 | 62 | 61 | 3.17 | 1.21 | |
2002 | 28 | 28 | 5 | 1 | 3 | 10 | 9 | 0 | -- | .526 | 789 | 195.2 | 167 | 25 | 44 | 1 | 5 | 171 | 6 | 0 | 72 | 67 | 3.08 | 1.08 | |
2003 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | .000 | 12 | 2.2 | 3 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 3.38 | 1.50 | |
2004 | 15 | 15 | 0 | 0 | 0 | 4 | 6 | 0 | -- | .400 | 356 | 78.1 | 91 | 16 | 28 | 2 | 7 | 73 | 0 | 0 | 53 | 48 | 5.51 | 1.52 | |
2005 | 28 | 27 | 0 | 0 | 0 | 10 | 12 | 0 | 0 | .455 | 740 | 176.0 | 156 | 24 | 64 | 2 | 2 | 143 | 5 | 0 | 70 | 67 | 3.43 | 1.25 | |
2006 | 27 | 20 | 1 | 0 | 0 | 7 | 8 | 0 | 1 | .467 | 553 | 128.2 | 124 | 15 | 45 | 1 | 6 | 88 | 4 | 1 | 64 | 63 | 4.41 | 1.31 | |
2007 | 25 | 23 | 0 | 0 | 0 | 7 | 10 | 0 | 1 | .412 | 539 | 123.0 | 123 | 18 | 53 | 6 | 3 | 96 | 2 | 0 | 71 | 69 | 5.05 | 1.43 | |
2008 | 日本ハム | 19 | 19 | 0 | 0 | 0 | 3 | 8 | 0 | 0 | .273 | 488 | 110.2 | 115 | 11 | 41 | 0 | 5 | 76 | 2 | 0 | 46 | 40 | 3.25 | 1.41 |
2009 | 22 | 22 | 0 | 0 | 0 | 7 | 5 | 0 | 0 | .583 | 498 | 114.2 | 120 | 11 | 48 | 0 | 6 | 63 | 3 | 0 | 45 | 45 | 3.53 | 1.47 | |
2010 | 巨人 | 23 | 22 | 0 | 0 | 0 | 7 | 3 | 0 | 0 | .700 | 501 | 122.0 | 107 | 16 | 34 | 2 | 6 | 91 | 4 | 3 | 53 | 51 | 3.76 | 1.16 |
2011 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 22 | 5.0 | 6 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 3 | 5.40 | 1.40 | |
2012 | DeNA | 16 | 16 | 0 | 0 | 0 | 7 | 7 | 0 | 0 | .500 | 358 | 84.0 | 83 | 7 | 37 | 1 | 1 | 40 | 1 | 0 | 36 | 35 | 3.75 | 1.43 |
2013 | 21 | 21 | 3 | 1 | 0 | 6 | 5 | 0 | 0 | .545 | 510 | 117.0 | 114 | 14 | 58 | 2 | 4 | 61 | 3 | 0 | 51 | 46 | 3.54 | 1.47 | |
通算:14年 | 284 | 240 | 11 | 3 | 3 | 83 | 81 | 0 | 2 | .506 | 6210 | 1463.1 | 1377 | 188 | 536 | 20 | 51 | 1064 | 37 | 5 | 645 | 613 | 3.77 | 1.31 |
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
- 最多勝:1回 (2001年)
表彰
記録
- 投手記録
- 初登板:2000年4月1日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、8回裏1死に4番手として救援登板・完了、2/3回無失点、初対戦打者:関川浩一[27]
- 初奪三振:2000年4月6日、対阪神タイガース2回戦(明治神宮野球場)、8回表1死に大豊泰昭から[28]
- 初勝利:2000年4月29日、対読売ジャイアンツ4回戦(明治神宮野球場)、9回表に5番手で救援登板・完了、1回無失点[29]
- 初先発:2001年4月4日、対読売ジャイアンツ2回戦(明治神宮野球場)、6回1/3を3失点(自責点2)[30]
- 初先発勝利:2001年4月11日、対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場)、7回2失点[31]
- 初完投勝利:2001年4月25日、対中日ドラゴンズ5回戦(ナゴヤドーム)、9回2失点[32]
- 初完封勝利:2001年6月17日、対広島東洋カープ14回戦(福岡ドーム)[33]
- 初ホールド:2006年9月27日、対読売ジャイアンツ20回戦(明治神宮野球場)、5回表に4番手で救援登板、4回無失点[34]
- 打撃記録
- 節目の記録
- 1000投球回:2008年8月28日、対千葉ロッテマリーンズ22回戦(千葉マリンスタジアム)、6回裏3死目に里崎智也を右直併殺で達成 ※史上315人目
- 1000奪三振:2012年10月1日、対中日ドラゴンズ24回戦(横浜スタジアム)、1回表に荒木雅博から空振り三振に打ち取り達成 ※史上133人目
- その他記録
- オールスターゲーム出場:2回 (2001年・2005年)
- 先発登板し107試合連続完投なし:2006年9月17日 - 2013年4月20日 ※日本記録
背番号
- 23 (2000年 - 2001年)
- 18 (2002年 - 2009年)
- 99 (2010年 - 2011年)
- 00 (2012年 - 2014年)
- 221 (2015年 - )
脚注
- ^ 仲直り 公式ブログ 2008年3月5日
- ^ “藤井が今季初勝利、佐藤プロ1号”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2008年4月19日) 2013年5月1日閲覧。
- ^ 「日本ハム藤井がFA宣言 移籍希望、球団慰留せず」47NEWS 2009年11月9日
- ^ 国内FA権は2008年は行使者がなく、2009年に藤井と藤本敦士が行使した。入団先が決まったのは藤本が先である(阪神からヤクルトに移籍)。
- ^ FA藤井、念願叶い3日に巨人と交渉 日刊スポーツ 2009年12月3日
- ^ ““99をください”藤井新背番号で再出発”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2009年12月9日) 2013年5月1日閲覧。
- ^ 「藤井秀悟 ヤンチャで通した30年 」FRIDAYデジタル 2015年1月15日
- ^ “藤井、古巣斬りで史上8人目「12球団白星」”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2010年5月4日) 2013年5月2日閲覧。
- ^ “DeNAが藤井獲得=巨人村田の人的補償で-プロ野球”. 時事通信 (2012年1月11日). 2012年1月12日閲覧。
- ^ 「99」→「00」は、支配下選手では史上最大タイの変更幅である。
- ^ 「横浜ベイスターズの藤井です」初お立ち台で“うっかり”スポニチAnnex 2012年5月28日付記事より。
- ^ “DeNA開幕投手の藤井が粘りの投球”. デイリースポーツonline (デイリースポーツ). (2013年3月29日) 2013年5月1日閲覧。
- ^ “藤井 自身の連続先発無完投記録 107試合で止めた”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年4月28日) 2013年5月1日閲覧。
- ^ 藤井 “女房”に助けられ11年ぶり完封 阪神 イケイケが裏目にスポーツニッポン2013年7月13日配信
- ^ “DeNA藤井 左肘違和感で1回途中、17球で降板”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年8月24日) 2013年10月18日閲覧。
- ^ 2015年度選手契約についてDeNA球団公式サイト2014年10月3日配信
- ^ “前DeNA・藤井、制球に苦しむ「今の結果を受け入れたい」”. サンケイスポーツ. (2014年11月9日) 2014年12月2日閲覧。
- ^ “前DeNA・藤井が好投!4人をピシャリ「まだ野球をやりたい」”. サンケイスポーツ. (2014年11月20日) 2014年12月2日閲覧。
- ^ 引退 藤井秀悟オフィシャルブログ「野球小僧」(2014年12月1日)2014年12月2日閲覧。
- ^ 2014年度 自由契約選手 日本野球機構オフィシャルサイト 2014年12月2日閲覧。
- ^ “前横浜DeNA・藤井秀悟氏打撃投手として契約”. 読売ジャイアンツ (2014年12月18日). 2014年12月18日閲覧。
- ^ 朝から病院 藤井秀悟オフィシャルブログ「野球小僧」(2015年4月14日)2015年4月14日閲覧。
- ^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2011年、183頁頁。ISBN 978-4-930942-98-2。
- ^ えのきどいちろう「注目の藤井秀悟 「エース級」の仕事期待」どうしんウェブ、2008年3月25日、2010年2月14日閲覧。
- ^ 球界No.1ブロガー! 藤井秀悟の自主トレをのぞき見 スポーツナビ 2010年1月12日
- ^ DeNA藤井 ブログ5000回更新で終了「キリ良く、やめよう」 スポーツニッポン 2013年1月6日
- ^ 神奈川新聞、2001年4月2日。
- ^ 神奈川新聞、2001年4月7日。
- ^ 神奈川新聞、2001年4月29日。
- ^ 神奈川新聞、2001年4月5日。
- ^ a b 神奈川新聞、2001年4月12日。
- ^ 神奈川新聞、2001年4月25日。
- ^ 神奈川新聞、2001年6月18日。
- ^ 神奈川新聞、2006年9月28日。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 藤井秀悟 - NPB.jp 日本野球機構
- 藤井秀悟 公式サイト
- 藤井秀悟オフィシャルブログ 『野球小僧』