日本最後の一覧
日本最後の一覧(にほんさいごのいちらん)は、日本で最後となった物事、もしくは日本人として最後となった物事の一覧。
生物
- 野生のトキ・キンは、2003年10月10日に死亡。
- 野生のコウノトリは、1971年5月25日に兵庫県豊岡市で保護された個体。
- 日本で最後に捕獲されたニホンオオカミは、1910年8月に福井県の福井城址で捕らえられたオスという説もあるが、標本が現存していないため(戦災により焼失)1905年1月23日に奈良県東吉野村鷲家口で捕獲された若いオス(後に標本となり現存する)が確実な最後の生息情報とされている。
政治や軍事
- 幕府 - 江戸幕府(慶応3年10月14日(1867年11月9日))
- 征夷大将軍 - 徳川慶喜(1866年-1867年在任)
- 大老 - 酒井忠績(1865年在任)
- 西国筋郡代 - 窪田鎮勝
- 太政大臣 - 三条実美(1871年-1885年在任)
- 第一次世界大戦で戦った最後の軍人 - 高木惣吉(1979年7月27日没)、但し場合によっては和田秀穂(1972年4月3日没)
- 大名 - 林忠崇(1941年1月22日没)、考え方によっては分部光謙(1944年11月29日没)
- 斎院 - 礼子内親王(1204年-1212年)
- 斎宮 - 祥子内親王(1333年-1334年)
- 陰陽師 - 土御門晴雄(1842年-1869年在任)
- 戦国大名 - 伊達政宗(1636年6月27日没)
- 赤穂浪士 - 寺坂吉右衛門信行(1747年11月8日没)
- 新撰組 - 池田七三郎(1938年1月16日没)
- 松下村塾塾生(吉田松陰時代)[1] - 渡辺蒿蔵(1939年9月7日没)
- 元老 - 西園寺公望(1940年11月23日没)
- 枢密院議長 - 清水澄(1946年6月13日-1947年5月2日在任)
- 最後に公布された勅令 - 外国人登録令(昭和22年勅令第207号)(1947年5月2日公布)
- 日本最後の大正生まれの総理大臣 - 村山富市
- 日本最後の大正生まれの国会議員 - 中山太郎
- 日本最後の大正生まれの市議会議員ならびに女性議員 - 橋本きくい(元潮来市議 1925年4月1日生まれ 2016年1月31日の市議選で落選)[2][3][4]
- 日本最後の昭和戦前、戦中生まれの総理大臣 - 麻生太郎
- 内戦 - 西南戦争(1877年)
- 陸軍大将 - 牛島満(1945年6月20日就任、1945年6月23日没)
- 海軍大将 - 井上成美(1945年5月15日就任、1975年12月15日没)
- 連合艦隊司令長官 - 小沢治三郎(1945年5月29日就任、1966年11月9日没)
- 編成が発令された日本陸軍の師団 - 第158師団(1945年8月10日編成発令)
- 建造された戦艦 - 武蔵(1942年8月5日竣工)
- 就役した正規空母 - 信濃 (空母)(1944年11月19日竣工)[5]
- 空襲 - 土崎空襲(秋田県秋田市)(1945年8月14日午後10:30頃-8月15日午前2:20頃)
- 空中戦 - 伊豆諸島上空でのB-32に対する迎撃戦(1945年8月18日)
- 地上戦 - 南樺太での日本軍とソ連軍との戦い。(1945年8月23日に終了)
- 戦争への参戦 - 朝鮮戦争。(1950年)海上保安庁の掃海部隊からなる特別掃海隊が派遣された[6]。
- 日本が参戦した戦争による日本人最後の戦死者
- 戦争の終結 - モンテネグロ王国との間の戦争(2006年6月16日)。
- 戦争に参加した艦船 - 宗谷(日本に現存する、法規上航行が可能な唯一の旧軍所属艦船)
- 郵政大臣・自治大臣 - 片山虎之助(2000年12月5日-2001年1月6日)。中央省庁再編により総務省へ統合。
- 大蔵大臣 - 宮沢喜一(1998年-2001年)。中央省庁再編により財務省へ移行。
- 厚生大臣・労働大臣 - 坂口力(2000年12月5日-2001年1月6日)。中央省庁再編により厚生労働省へ統合。
- 建設大臣・運輸大臣 - 林寛子(扇千景)(2000年7月4日-2001年1月6日)。中央省庁再編により国土交通省へ統合。
- 通商産業大臣 - 平沼赳夫(2000年7月4日-2001年1月6日)。中央省庁再編により経済産業省へ統合。
- 文部大臣・科学技術庁長官 - 町村信孝(2000年12月5日-2001年1月6日)。中央省庁再編により文部科学省へ統合。
社会
- 正式な仇討ち - 熊本県玉名市で起こったもの(明治4年4月16日(1871年6月3日))
- 流罪 - (明治41年)(1908年)
- 江戸時代生まれの日本人 - 中山イサ(1868年6月15日(慶応4年6月3日)生まれ。1977年5月25日没)。
- 19世紀生まれの日本人 - 田島ナビ(1900年8月4日生まれ。存命中。)
- 切腹刑に処せられた者 - 新居水竹・小倉富三郎(1870年9月15日)。庚午事変に関わった(朝廷の兵を私的に用いた)事により刑に処された[7]。
- 斬首刑に処せられた者 - 強盗殺人犯の巌尾竹次郎・川口国蔵(1881年7月24日)、女囚では高橋お伝(1879年1月31日)
- 越後瞽女 - 小林ハル(2005年4月25日没)
- 富くじが行われた場所 - 大阪府交野市にある星田寺(記録上)
- 自然災害による飢饉 - 昭和東北大飢饉(1930年-1934年)
暦
- 公式な太陰太陽暦 - 天保暦
- 公式な太陰太陽暦の閏月 - 明治3年閏10月(グレゴリオ暦1870年11月23日~12月21日)
- 公式な太陰太陽暦の日付 - 明治5年12月2日(グレゴリオ暦1872年12月31日)
貨幣
- 穴銭(銭銘の種類として) - 文久永宝(鋳造:文久3年 - 慶応3年)
- 大判 - 万延大判(発行:万延元年)
- 小判 - 万延小判(発行:万延元年)
- 秤量貨幣(秤量銀貨) - 安政丁銀・安政豆板銀(発行:安政6年)
- 本位金貨 - 新20円金貨(昭和7年銘を最後に発行終了)
- 銭単位の硬貨 - 小型50銭黄銅貨(発行期間:1947 - 1948年)
- 銭単位の紙幣 - 日本銀行券A号五銭紙幣(発行:1948年5月25日)
- 一般流通用の銀貨 - 稲100円銀貨(発行期間:1959 - 1966年)
日本最後の各種施設・建築物
- 炭鉱 - 北海道釧路市の太平洋炭礦(2002年1月30日閉山[8])
- 最後に完成した日本式城郭 - 松前城 (1849年築城)
- 完全な城郭建築(桃山文化様式) - 松山城 天守本壇(重要文化財:1854年落成)
- 個人所有の城 - 犬山城(現存天守:旧城主の成瀬家所有であったが2004年より財団法人所有となる)
- 最後に完成したバットレスダム - 三滝ダム(中国電力所有、1937年完成)
- 灯台守駐在の灯台 - 女島灯台(2006年11月12日に無人化)
交通
鉄道
列車
- 最後の蒸気機関車牽引の定期旅客列車 - 1975年12月14日、日本国有鉄道(国鉄)室蘭本線225列車室蘭駅 - 岩見沢駅
- 最後の蒸気機関車牽引の定期貨物列車 - 1975年12月24日、日本国有鉄道夕張線6788列車
- 最後の混合列車 - 1987年7月22日、最後まで運行していた三菱石炭鉱業大夕張鉄道線の路線廃止に伴い
- 最後のお召し列車専用牽引機関車 - JR東日本EF58形61号機(2008年退役[9])
- 最後のブルートレイン - 北斗星(2015年3月13日出発分を以って定期運行が終了。下りは2015年8月21日出発分、上りは2015年8月22日出発分を以って臨時便も終了し、完全引退となった。列車の設定がない『日本海』を除くと最後のブルートレインとなる。)
- JRにおける最後の定期急行列車、及び、機関車牽引の定期客車列車 - はまなす(運行中止となっている『能登』を除くと、定期・臨時を含め、最後の定期夜行急行列車である。)
人物
- 鉄道大臣 - 八田嘉明(1941年12月2日-1943年11月1日在任)逓信大臣との兼任。逓信省と合併後も引き続き運輸通信大臣に就任。
- 日本国有鉄道総裁 - 杉浦喬也(1985年6月25日-1987年3月31日在任)旅客鉄道株式会社グループへの改組に伴い職位廃止
道路
二輪・四輪車
- 最後の2ストロークエンジン搭載モデル - ヤマハ・RZ50(2007年生産終了)
- 四輪車 - スズキ・ジムニー SJ30(1987年販売終了)
- 最後のキャブレターエンジン搭載車
- 最後のリトラクタブル・ヘッドライト車 - マツダ・RX-7 (2002年販売終了)
船舶
- 最後のホバークラフトによる民間定期航路 - 大分ホーバーフェリー・大分-大分空港間(2009年10月廃止)
電気通信
- 手動交換式電話 - 小笠原諸島(1983年自動化)本土では北海道増毛町雄冬(1978年)
- ワープロ専用機 - 書院(シャープ)(2001年末に生産終了)
- 最後の非電化集落 - タイマグラ(岩手県宮古市江繋字向神楽)集落(1988年に電気開通)
- 最後のオフライン郵便局 - 東の川簡易郵便局(2005年廃止)
- 日本電信電話公社総裁 - 真藤恒(1981年1月 - 1985年3月まで在任)1985年の日本電信電話株式会社設立により廃止。
- フロッピーディスク生産メーカー - ソニー(2011年3月生産終了)
エンターテインメント
テレビ
- セルアニメ - 「サザエさん」(1969年10月5日から2013年9月29日放映分まで、フジテレビ系)
- 完結までセルアニメだった最後の作品 - 「アストロボーイ・鉄腕アトム」(2003年4月6日から2004年3月28日まで、フジテレビ系)
- アナログ放送 - 2012年3月31日12時30分00秒(岩手・宮城・福島)
- 全国的には2011年7月24日12時30分00秒に終了したが、上記3県は東日本大震災のため延期されていた。
- 親局がVHF波として開局した民放テレビ局 - 「財団法人日本科学技術振興財団テレビ事業本部東京12チャンネル(科学テレビ)」(現在のテレビ東京) 1964年4月12日(関東・関西を除く地方局では福島テレビで、1963年4月1日開局)
- 親局がアナログで開局した民放テレビ局 - 「とちぎテレビ」1999年4月1日。(独立局以外では高知さんさんテレビ、さくらんぼテレビジョン。いずれも1997年4月1日開局)
- アナログハイビジョン放送 - 2007年10月1日1時00分00秒
- ラジオ・テレビ兼営局 - 「近畿放送」(現:京都放送) - ラジオは1951年12月25日、テレビは1969年4月1日にそれぞれ開局
ラジオ
- 常設AMラジオ局 - 茨城放送、栃木放送(1963年4月1日開局)
- CS-PCM音声放送 - ミュージックバード(2011年7月31日PCM音声放送を停止)
音楽
スポーツ
- 明治生まれのプロ野球選手 - 岩本義行 1957年引退。1912年(明治45年)3月11日生まれ
- 大正生まれのプロ野球選手 - 関根潤三 1965年引退。戸籍上は1927年(昭和2年)3月15日生まれだが実際の生年月日は1926年(大正15年)12月25日生まれ(参照))
- 戦前・戦中生まれのプロ野球選手 - 高橋直樹 1986年引退。1945年(昭和20年)2月15日 生まれ。
- プロ野球選手のドラフト外入団 - 古河有一 1992年入団。
- ドラフト外のプロ野球選手 - 石井琢朗 2012年引退。
- 昭和時代に入団した現役プロ野球選手 - 山本昌・中嶋聡[10] ともに2015年引退。
- 明治生まれのプロ野球監督 - レオ・ドローチャー 1905年(明治38年)7月27日生まれ ※1976年太平洋クラブライオンズと契約直後病気で倒れ、来日出来なかったため指揮は執っていない。
- 大正生まれのプロ野球監督 - 根本陸夫 1994年、福岡ダイエーホークスを退任。1926年(大正15年)11月20日生まれ
- オリンピック野球日本代表監督[11] - 星野仙一 2008年北京大会
- プロ野球のサスペンデッドゲーム[12] - 南海ホークスVSロッテオリオンズ 1987年5月23日(7月8日再開試合)
- 旧両国国技館[13]における最後の大相撲本場所幕内優勝力士 - 羽黒山政司 1946年(昭和21年)11月場所
- 蔵前国技館における最後の大相撲本場所幕内優勝力士 - 多賀竜昇司 1984年(昭和59年)9月場所
- 蔵前国技館での本場所を経験した最後の力士 - 栃天晃正嵩 2011年5月場所限りで引退 (出場場所としては同年1月場所)
- 昭和時代に幕内を経験した最後の力士 - 安芸乃島勝巳 2003年5月場所限りで引退
- 横綱免許を与えられた最後の大相撲横綱力士 - 千代の山雅信(第41代)
- アラブ系限定競走 - 開設60周年記念アラブ特別レジェンド賞 2009年9月27日 福山競馬場
- 日本サッカーリーグを経験した現役プロサッカー選手 - 三浦知良
- 13ラウンド以上のプロボクシング公式戦 - WBA世界フライ級タイトルマッチ イラリオ・サパタVS穂積秀一 1986年4月7日
- 昭和時代最後のプロボクシング世界チャンピオン[14] - 井岡弘樹
囲碁・将棋
脚注
- ^ 生没年が判明している者のみ。また松下村塾自体は1892年まで存続したが、記録が散佚しているため、松下村塾塾生で最後まで生き残りだった者は2015年現在も不明である。
- ^ http://www.47news.jp/photo/1059019.php
- ^ https://seijiyama.jp/area/card/3624/DCqIc5/M?S=lcqdt0qbpj0k
- ^ 大正生まれの議員は大正15年生まれの男性2名が存命で、2016年4月現在議員活動を行っている。
- ^ 当初から航空母艦として設計された艦では葛城(雲龍型)(1944年10月15日竣工)。
- ^ 法律上の手続きを踏まないまま参戦したため国会で問題になった。
- ^ 死刑執行方法としての切腹は、1873年に廃止されたが、切腹を自殺の方法として用いる例は現在でも残っている(例.乃木希典,大西瀧治郎,阿南惟幾,三島由紀夫)。
- ^ ただし後継の釧路コールマインの坑内採炭はまだ続いている。
- ^ 車籍は残したままである。最後にお召し列車牽引機として使用されたのは2001年3月23日
- ^ オリックス・バファローズの前身である阪急ブレーブスへの在籍経験がある最後の現役選手でもあった。
- ^ オリンピック野球競技は2008年北京大会を最後に除外。
- ^ パシフィック・リーグのみ規定されていたが、2012年限りで廃止。
- ^ 当時の名称はGHQに接収されており、「両国メモリアルホール」
- ^ 日本ボクシング界は1988年(昭和63年)11月13日に井岡弘樹がWBC世界ミニマム級王座陥落してからは、1990年(平成2年)2月7日に大橋秀行が同王座を奪取するまで世界王者不在が続いていた。